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第五章 | 樽廻船の女船長、商人の町へ行く
樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ陸
しおりを挟む「思い出のびいるというわけだな」
なおの話を聞きながら、喜兵寿は煙管の煙をゆっくりと吐き出す。いつの間にか空には白く細い三日月が浮かんでいた。
「それで、そのびいるの名はなんというんだ?」
「『山の宴』。いい名前だろ」
なおは「一口くれ」と喜兵寿の手から煙管を受けると、口に咥えた。煙草とは異なる、独特の芳香に目を細める。
なおにとって、「山の宴」はいろいろな意味で特別なビールだった。
この世界に来た日。なおは「山の宴」でべろべろになるまで祝杯をあげていた。インターナショナル・ビアカップ銀賞受賞。世界的なビールのコンペティションで、「山の宴」が賞を取ったのだ。
血が湧き、身体中の細胞がはじけ飛んでしまうのでは、という程に嬉しかった。実家に電話をし、夜がふけるまで同僚たちと何度も乾杯をした。
ビールだけを延々と。身体中にアルコールが染み渡ってきたかな?そう思った頃にはぐらりと意識を失い、眠りこけていた。そして気づいたら、わけのわからないこの地にいたというわけだ。
ビールを飲んでタイムスリップ。
そんな話は聞いたことがないが、思い返してみるとそうとしか思えない状況だった。
(あれ?ひょっとして俺のビールって、タイムスリップ効果があったりするのか?!)
なぜ今まで気づかなかったのだろう。突然のひらめきに、なおは全身に鳥肌が立つのを感じる。
(タイムスリップできるビール、だとしたら、世紀の発明じゃね!?俺天才じゃね!?)
なおは逸る気持ちを押さえ、喜兵寿にむかいあった。
「なあ喜兵寿……いま気づいたんだけど、俺はブルワーじゃなくてひょっとして発明家なのかもしれない」
「はあ?なんだ突然」
喜兵寿が怪訝そうな顔で、「びいるの話はどこに行った?」と首をひねる。
「落ち着いて聞いてくれよ。いや、落ち着くのは俺か」
「まずは落ち着こう」なおは大きく煙管の煙を肺に吸い込んだ。その瞬間、重く濃密な煙にゲホゲホとむせかえる。
「……なんだこれ!」
煙草とは全く異なる性質の煙。初めて煙草を吸った時のようにくらくらとする。目を白黒させるなおの様子を見て、喜兵寿は声をあげて笑った。
「煙管を思いっきり吸い込むやつがあるか。口の中で味わうくらいでいいんだよ」
喜兵寿はひょいっと煙管を取ると、ゆっくり細く吸い込んだ。口の端からゆらゆらと煙を上げながら、うまそうに目を細める。
「ひょっとして煙管は初めてか?」
「煙草って名前の似たようなもんは吸ってたけど……全然違うのな」
なおはべえっと舌を出すと、竹筒から水を流し込んだ。その様子を見ながら、喜兵寿は手元の煙管をくるくると回す。
「たばこか。なおの国とここではいろいろなものが異なるのだな。服も食も、考え方さえも全く違う。そして「びいる」なる酒!あのように跳ねる酒を造ることができる国があるとは、本当に驚きだった」
ビールを口にした時のことを思い出しているのだろう。喜兵寿はうっとりとした表情で夜空を見上げる。
「そのびいる造りに立ち会うことができるんだものな!一度は酒造りを諦めた身。まさかこのような機会が巡ってくるとは思わなかったよ」
3か月以内にビールを醸造しなければ命の危機があるというのに、喜兵寿の表情からは畏れや焦りなどは一切感じられない。そこにあるのは、ただただ未知なる酒に対する好奇心のみだった。
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