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第四章|泥酔蘭学者、ホップを知る
泥酔蘭学者、ホップを知る 其ノ拾
しおりを挟む恐らく外でずっと聞き耳を立てていたのだろう。夏のストーカー行為には慣れた様子で、喜兵寿は「おう、夏」と片手をあげた。
「なんだ、お前たち仲が悪いのか。最近ねねは堺までの船頭もしていると聞く。下の町で看板背負って頑張っている同士、そんなに嫌うこともなかろうに」
喜兵寿の言葉に、つると夏があきらかに「スンっ」となるのがわかった。状況はよくわからないが、なんだかおもしろそうだ。なおはにやにやと様子を伺った。
「夏の言いたいこともわかるけどね。最近のねね、男と言う男に手を出しまくってるって聞いたよ。斜め向かいのじっちゃんも誘惑されたって。おばちゃんが嘆いてた」
「そうだよ!船で15日間も一緒だったら、きっちゃんも何されるか……きっと全部搾り取られちゃう」
夏の言葉に、なおは「ぶはっ」と吹き出した。話を聞く限り、ねねという女性は相当な手練れのようだ。
「そりゃあ是非とも会ってみたいなあ」
なおが言うと、つると夏に鬼の形相で睨みつけられた。
「……ゴメンナサイ」
「まあ二人ともそう悪くいうなって。ねねにもねねの事情があるんだろう。なんにせよ樽廻船への乗船が頼めるのは新川屋くらいなんだ。今からでもねねに頼みに行ってみるよ」
喜兵寿はそういうと煙管の火を消し、ゆっくりと立ち上がった。
「ちょっときっちゃん!」
駆け寄る夏の頭を、喜兵寿がポンポンッと叩く。
「俺となおが店を空ける間、時々でいいからつるのことを気にかけてくれるかい?店を休めばいいと言ったんだが、つるは一人でも頑張ると言っていてね。夏が様子を見に来てくれるなら安心できる」
喜兵寿の言葉に、夏の表情はコロリと変わる。うっとりと喜兵寿を見上げ、大きく「わかった!」と頷く。
「お店のことは任せて!屋台のない時は、ここに通うね。あ、お掃除とかもわたしやるね。きっちゃんのお部屋もぴかぴかにしつらえておくから」
夏のことだ、喜兵寿の布団に潜り込んだり、落ちた髪の毛を拾い集めたりしそうだな……なおが苦笑いしていると、隣のつると目が合った。どうやら同じことを考えていたのだろう、ふたりは肩をすくめて笑った。
「そうだ、お兄ちゃんたちしばらくここをあけるということは、麦はどうするの?」
つるの言葉に、「それなら問題ない」となおはにやりと笑う。
「麦芽作りはつるにお願いすることにした!」
「え?!」
突然の指名に、つるが素っ頓狂な声を出す。
「え、だってそんな急に言われたって……このあとどうしたらいいかわからないし」
「必要な工程は伝える!麦芽作りに必要なのは、しっかり水を吸わせること、そしてしっかり乾燥させることだからさ。マメなつるだったら全然問題ないだろ」
なおはぐるりと店の中を見渡す。きっちりと拭きしめられた机や畳に、埃1つない窓枠。隅々まで細かく手入れされている様子を見れば、つるの几帳面さはイヤと言う程わかる。
麦には十分に水を吸わせた。後はザルに開け、暗所に置いておくことで程なく発芽するだろう。そこから数日間発芽が完了するまで見守り、その後天日で乾燥をさせれば麦芽は完成だ。
発芽が完了するまでの間、朝夕と霧吹きなどをしてやる必要はあれど、つるに任せたとしても全く問題はないだろう。
「でも……でも麦芽ってびいるを造る上でとっても大切なんでしょう?そんな大切なものを、女であるわたしなんかに任せちゃっていいの?」
「はいでたー!」
動揺を隠せない様子のつるを見て、なおはケタケタと笑った。
「女だから、って言葉はつる自身が嫌がっていたものだろ?男だとか女だとかそんなん、ビール造りには関係ないんだって」
なおはつるの目を真っすぐに見据えて続ける。
「俺がつるの性格をみて大丈夫っていってんだから大丈夫だ。俺たちは一緒にビールを造る仲間だろ」
なおの言葉に、つるはハッとした表情を浮かべる。そしてしばらく考え込むと、頷いた。
「……だね。わかった。やってみる」
つるの目に小さく光が宿った。
「よっしゃ、決まり!よろしく頼むな」
様子を見ていた喜兵寿と夏も嬉しそうに頷く。これは皆で造るビールだ。皆で造る『日本初のビール』。歴史を変える一杯だ。
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