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第三章 | 酒問屋の看板娘、異端児になる

酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ参

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「ありがとうございます。では遠慮なく」

喜兵寿はそういってにこりと笑うと、大きな湯飲みに日本酒を注ぎ、ぐいっと煽った。
それが合図かのように客たちは立ち上がり、喜兵寿の運んできた徳利を手に取る。

「酒はいきわたったか?」

幸民は徳利片手に、男たちをギロリと見渡す。
その姿はさっきまでとはまるで別人で、小柄ながらも圧倒的な威圧感があった。

「今夜は好きなだけ飲め。すべて俺のおごりだ!心して挑めよ!!!」

幸民が声高らかに叫ぶと、それに呼応するように男たちが野太い声をあげた。

まるで地鳴りのような音量だ。
なおは耳をふさぎながら隣の男の肩を叩く。

「おい、なんだこれ?!あのおっちゃんさっきと別人じゃんか」

「お前はじめてか?幸民先生は、いつもこんな感じだぜ。今夜は全部あの人の奢りだから、たくさん飲んだ方がいいぞ」

そういって隣の男はなおにも徳利を手渡してくれる。

「まじかよ……すげえ太っ腹だな」

仕事柄、酔っぱらった人を目にする機会は多い。
でもこんなに一瞬で人が変わる人を見るのは初めてだった。

「酒を飲んで虎になる」とはよく言うが、幸民の酔いかたはまさに虎のようだ。
気を抜くと木陰から飛び掛かられそうだ。

(たしかにこりゃあ喧嘩っぱやそうだ……関わらないでおこう)

そう決めた矢先、「おい、なお!」と大きな声で呼ばれた。
見ると先日一緒に飲んだ体躯のいい男がなおを手招きしている。

「なお、このあいだのやつやろうぜ。ほらなんだっけ、かんぺいじゃなくて、かんぺきじゃなくて……ほら、あの拳をぶつけるやつだよ」

「かんぺいってなんだよ!乾杯な!あとぶつけるのは拳じゃなくて、湯飲み」

そういって笑いながら杯を持ち上げる仕草をすると、幸民がじろりとこちらを睨んできた。

「見ない顔だな、お前名は何という?」

なんでこの町の人はこう名前ばかり聞いてくるのだろうか。

なおは、「お前が先に名乗れよ」と言いたい気持ちをぐっと飲み込み、「……久我山なおっす」とぼそぼそと答えた。

さすがのなおも、3度目ともなれば名乗らないことのリスクくらいは学んでいる。

幸民は「銀の髪とは滑稽だな」というと、なおの全身に目を走らせた。
鋭く、品定めするような目。

(絶対俺のこと不審者だと思ってんじゃん)

なおはその居心地の悪さに周囲に助けを求める視線を送ったが、店内の酔っぱらいたちは何を気にするでもなく、がぶがぶとお酒を飲んでいた。

喜兵寿はといえば、「喧嘩すんなよ」と口パクで言いながら指先で小さくバツを作っている。

「それで?お前のいう“乾杯”とは一体なんなんだ?」

幸民がドシンと胡坐をかきながら言う。

なおは面倒くさいな、と思いつつかいつまんで乾杯の説明をした。

「グラス同士をぶつける」と話すと、「なぜだ」と幸民は心底意味がわからん、といった表情で眉間に皺をよせる。

「たしか、ぶつけ合うことで自分の杯の中身を相手に飛ばし、毒が入っていないことを確かめるためにやってたはずっすよ」

そういうと、幸民は「なるほど」と考え込んだ。

それにしても乾杯という行為は昔から日本にあったと思っていたが、そうでもないとは驚くばかりだ。
なんとなくだが、戦国武将たちは盃で乾杯しているイメージがある。

「じゃあ、そういうことで……」

なおがそっと幸民の視線から外れようとすると、「おい、なお!」と鋭い声で呼び戻された。

「かつて目にした文献に、渡米した幕府役人が杯と杯を合わせるしきたりを目にしたとのくだりがあった。ひょっとしてお主が言っているのはそのことなのではないか」

「いやあ、まあ……えっとどうでしょうねえ」

ここでタイムスリップして来た、と言っても話がややこしくなるばかりだ。

なおが言葉を濁していると、幸民は勝手に「そうだ」と受け取ったのだろう。
つかつかと歩みよってくると、なおの肩に力強く手をまわした。

「ただの傾奇者かと思ったが、おもしろい奴だな!この下の町でそのような知識を持つものはなかなかおらんぞ。まあわしには遥に劣るがな!おい、なお。お前をわしの弟子にしてやろう」

そういってガハハハと声高らかに笑う。

「はあ?いや、別にいいっす。間に合ってます」

なおは必至で肩にかけられた手から抜けようとするも、どうして見た目によらずなかなかに力が強い。

「さあ、では“乾杯”とやらをしようじゃないか。弟子よ」

「いやだから、いいって……」

なおがもがくも、幸民は徳利を持ち上げると大声で叫んだ。

「今日は宴だ!記念すべき日だ!飲むぞお前ら。それ、かんぱーい!」

幸民の呼びかけに、男たちは「おおおお」と叫び、徳利をぶつけ合う。
酒を飲み、騒ぐことが大好きな連中だ。

気づけばみな、幸民と同じく徳利のまま酒を飲んでいる。

どじょうすくいをするもの、帯をといて頭に巻くもの。

テーブルなどない店だ。皆、酒片手に自由に動きまわってはあちこちで笑いながら乾杯を繰り広げている。

「さあ、お前も飲め」

幸民に言われ、なおも徳利で酒を飲んだ。

温かい液体が身体を通り抜け、後を追うように芳醇な香りがいっぱいに広がる。

一口、二口……うまい酒の威力はすい。ごくごくと大きく飲み下すと、なんだかいろいろとどうでもよくなってきた。

「っぷっは!よおしやる気出てきた。まあ飲むか!」

なおが言うと、やんややんやと喝さいがあがる。
虎モード幸民と、なおと、騒ぐのが大好きな輩たち。

こうして柳やの夜は賑やかにふけていったのであった。
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