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第三章 | 酒問屋の看板娘、異端児になる

酒問屋の看板娘、異端児になる 其ノ弐

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『初鰹あり〼』

入口の貼り紙効果だろうか。

柳やは早い時間から大賑わいだった。
仕事帰りの体躯のいい男が、汗だくで店に入ってくるのだ。

店内は熱気でむんむんとしていた。

「つるちゃん、燗1本追加でちょうだい!」

「こっちには鰹3人前ね!」

つるは次々入る注文に対し、「あいよ」と威勢のいい声をあげ、店内をパタパタと走り回っている。

「よく働くなあ」

なおはそんな店内の様子を見ながら、ちびちびと熱燗を飲んでいた。

うだるような暑さだ、本当はビールをがぶ飲みたかったが、ないものはないのだから仕方がない。

「せめて常温の酒を出してくれないか」と喜兵寿に頼んでみたが、「柳屋は熱燗しか置いていない」ときっぱりと断られてしまった。

「おまちどう、鰹刺しあがったよ!」

威勢のいい声に顔をあげると、喜兵寿がたくさんの皿を持って厨房から出てきた。
赤色の切り身が色鮮やかに輝いており、店内からは「おお」という声があがる。

「さ、刺身は鮮度が命だ。うまいうちに食っちまってくれな」

そういいながら、各自に刺身を手渡していく。

なおも一皿受け取ると、早速刺身に箸をつけた。
分厚く切られた鰹は、見た目にも身が引き締まっているのがわかる。

刺身のつまに、こんもりと盛られた大根。
なおは刺身に大根を乗せると、醤油をつけて口に放り込んだ。

「……!!!」

それは想像していたよりも遥においしくて、咄嗟に言葉が出なかった。

ぶりぶりとした食感に程よい脂。
それを大根おろしの辛みが程よく流していく。

「どうだ、うまいだろ」

なおが夢中になって食べているのを見て、喜兵寿はにやにやと言った。

「鰹飲み込んだら、すぐに日本酒飲んでみな?」

なおは言われたとおりにおちょこを煽った。

口の中の旨味と日本酒の旨味がふわっと交じり合い、ゆっくりと喉の奥へと流れていった。後には酒の熱さとコクの余韻がじんわりと残る。

「なんだこれ!最高だな!!!」

なおが叫ぶと、喜兵寿は嬉しそうに言った。

「暑い日に熱燗も乙なもんだろう?」

「本当だな!初鰹に熱燗。こんなに客がくる理由もわかるわ」

なおが興奮しながら食べていると、店の引き戸がガラガラっと開いた。
見ると、小さくて痩せた男がむすっとした表情で立っている。

「あ、幸民先生。いらっしゃいませ」

幸民は喜兵寿の方をちらりと見ると、「酒、鰹」とだけ言って、よろよろと近くの座敷へと座った。
足があきらかにもつれているのだが、座った瞬間に背筋をしゃんと伸び、まっすぐに前を見る。

なおは喜兵寿の袂を引くと、耳打ちした。

「あれが噂の幸民先生か」

「そうだよ。さっきも言ったが喧嘩すんなよ」

吹けば折れてしまいそうな弱そうな男だ。

その気難しそうな風貌から、口喧嘩をすることはありえても、実際に殴り合いの喧嘩をするところは想像もできなかった。

「おれは平和主義なの。喧嘩なんかしないよ」
「……だといいんだが」

喜兵寿はそういいながら、盆に乗せた熱燗と鰹刺しを幸民のところへと運んで行った。

「今日つるはどうした?」

熱燗の入った徳利を受け取った幸民がいう。

「ああ、ちょっと裏で洗い物してるところです。もうすぐ戻ってくると思いますよ」

喜兵寿が答えると、幸民は無言のまま徳利に口をつけ、ぐびぐびと飲みだした。
大きく喉を3回鳴し、あっという間に徳利を空にしてしまう。

「酒 あと5本くらいもってきてくれ」

「でたーーーー!幸民先生の一口飲み!」

いつものことなのだろう。
圧巻の飲みっぷりに、周囲の男たちはわんやわんやと手を叩きながら盛り上がる。

「米屋が二階で居酒屋をはじめたのを知っているか?
今日はその店に北の方から酒が届くという噂を聞いてな。飲みに行ってきたんだが……まあひどいもんだったよ。
あいつらは日本酒のなんたるかを、まったくわかっちゃいない。
あんなもんは酒じゃないよ。酒に対する冒とくだ。ひどいもんを飲んじまった」

幸民はだれに話しかけるでもなく淡々と話し続け、酒が届けば眉間に皺を寄せたまま、一気に煽り続けた。

「でもな、酒に罪はないんだよ。
正確に言えば米と麹と酵母には罪はない。

彼らは自分たちのできることは最大限にやっているわけだからな。
問題なのは彼らの魅力を引き出すどころか、彼らの可能性を潰してしまった人間なわけだ」

(だいぶ変なおっさんだな……)

笑いを堪えながらなおが見ていると、5本目を飲み終えた幸民は、急に電源が落ちたように静かになった。
姿勢正しく畳に座ったまま、目を閉じている。

耳をすましてみれば、骨と皮のような身体を小さく揺らしながら、すうすうと気持ちよさそうに寝息を立てている。

「喧嘩っぱやいどころか、かわいいおっさんじゃん」

なおがにやにやしていると、厨房から洗い物を終えたつるが出てきた。

「あ、幸民先生いらっしゃい!」

つるの声が聞こえるやいなや、幸民は目をガッと開き、立ち上がり言った。

「おう、おまえら!まだ酒は飲めるか?!」

先ほどとは打って変わった雄々しい声だ。幸民の問いに対し、他の客たちは「うおおお」っと声をあげた。

「つるよ、ここにいる奴ら全員に燗酒を!好きなだけ飲ませてやってくれ。もちろんお代はわたし持ちでかまわん」

「出た!幸民先生の覚醒状態!」

「あざっす!」

「いただきます!!!」

「幸民先生、いつもご馳走さまです」

幸民の掛け声を予期していたように、喜兵寿が多量の徳利を盆にのせて厨房から出てきた。

「おう、喜兵寿。お前も飲めよ」
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