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第二章 | 江戸のストーカー、麦をくれる
江戸のストーカー、麦をくれる 其ノ肆
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朝五つ。
仕事へ行くものを送り出した朝市は、ゆるりとした雰囲気に包まれる。
ビールの原材料「大麦」がこの地にあることを認識したなおと喜兵寿は、「麦湯」へと向かっていた。
「びいる」を造らなければ殺される。
しかし何からどのようにして造っていいのかわからない。
そんなまったく先のみえない状況の中で一筋の光が見えたのだ。
大麦を使った茶を出す「麦湯」へ向かう喜兵寿の足は自然と早くなる。
しかしなおは相も変わらず、のんびりのんびりと歩いているのだった。
「おいなお、もっとちゃっちゃと歩けないのか?」
「まあそんなに急ぐなって。それにしても、あの蕎麦屋うまかったなあ。他の蕎麦も食いたいし、また行こうぜ」
舌なめずりをしながら蕎麦の話をするなお。喜兵寿はその首根っこを無言で掴むと、ずるずると引きずるようにして歩き出した。
「ちょっ!おいやめろって。ねこじゃないんだから」
「ねこの方がまだかわいげがあるだろ」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら「麦湯」に着くと、「ちょっときっちゃん、何してるの?」とクスクスかわいい笑い声が起こった。
なおが顔をあげると、かわいらしい女性が目を細めてこちらを見ている。
真っ白な肌に、少し鼻にかかったような高い声。
「可憐」という表現がよく似合うその女性に、なおは吊るされた状態のまま、キリっと表情を整えた。
「どうもはじめまして。自分、なおって言います」
「あらまあ、はじめまして。うちの名前は夏って言います。ちょっと名前似てますね」
少しなまりある話し方は夏によく似合っていて、なおはデレデレと目じりを下げながら「よろしく」と右手を差し出した。
「はいはい、知ってる知ってる」
突如頭上から聞こえてきた少し低めのハスキーボイス。
見るとそこには喜兵寿の妹、つるが仁王立ちで立っていた。
「お、つるじゃん。こんなとこで何してんの?」
「何してんの?じゃないわよ。そっちこそ、なんでこんなとこで油売ってんのよ!びいる造る材料探しに行ったはずでしょう?」
「ああ!そうそう今絶賛探し中」
つるの目がひゅうっと吊り上がる。
大きなつり目が、さらに吊り上がる姿はなかなかに迫力があって、なおは小さく「おお」と呟いた。
強い女性は嫌いではない。
大きく見開かれた目がセクシーだなあと思ったが、さすがにそれを口にしたらさらに怒られるだけだとわかっていたので、なおはむぐと口をつぐんだ。
「まあまあつる、落ち着けって」
喜兵寿が開いた方の手で、つるの背中をポンポンと叩く。
「実はびいるに必要な材料のひとつが大麦だってことがわかってな。大麦を使っている麦湯に話を聞きにきたってわけだ」
「……ふん。そうならそうと早く言ってよね」
つるはじろりとなおに一瞥をくれると、スタスタと麦湯の椅子へと戻っていった。
お茶会でもしていたのであろう、屋台の前に置かれた椅子では数人の若い女性達がくすくすと笑いながら何かを話している。
「なあ喜兵寿、ひょっとしてだけど……おれつるに嫌われてる?」
首根っこを掴まれたまま、なおは喜兵寿を見上げる。
「まあ、そうだろうな」
喜兵寿は小さく肩をすくめながら言った。
「えー、まじかよ。なんでだろ」
首をかしげるなおを引きずったまま喜兵寿は麦湯の屋台に行き、夏に話しかけた。
「騒がしくてすまんな。麦湯を2つおくれ。あと麦の話を少し聞かせてほしい」
喜兵寿は言うと、椅子に座っていた女性たちが「きゃあ」っと色めき立つのがわかった。
見れば着物で顔を隠しながら、喜兵寿のことをちらりちらりと盗み見ている。
「麦のはなしね。うん、わたしにわかることであればなんでも聞いて」
そう返す夏の声色も、先ほどよりも丸く華やいで聞こえる。
なおは驚いたように再び喜兵寿を見上げた。
「え、まさか喜兵寿ってめっちゃモテる系の人?!」
「は?」
眉間に皺を寄せているその顔は、たしかに渋い。
身長もなおよりもかなり高いし、体躯もがっしりとしている。ゆるく着くずした着物の着方も、きっとおしゃれなのだろう。
よくわからんけれども。
「そうか、たしかになあ。俺ほどではないけど喜兵寿男前だもんなあ」
なおがぶつぶつと呟いていると、夏が麦湯の入った湯飲みを二つ運んできてくれた。
「はい、おまちどうさま!暑いから気を付けてね」
少し離れていても、そのふわりと香ばしい香りがわかる。
「なお、大麦をつかった麦湯だ。飲んでみてくれ」
「おう」
湯飲みを受け取ると、濃い茶色はなおもよく知る麦茶そのものだった。
厚手の陶器越しに麦湯の温度が心地よく伝わる。口に含むと麦のあまみと香ばしさが広がり、それがゆっくりと喉を滑り落ちていった。
「これ、うまいな!おれの知ってる麦茶よりも甘みが濃い気がする」
「夏のつくる麦湯はうまくて人気だからな」
喜兵寿も麦湯を飲みながら、うんうんと頷く。
「わあ、うれしい。ありがとう」
夏は両方頬に手を当てると、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
まったく何をしてもかわいすぎる女性だ。
なおがニヤニヤしていると、湯飲みを置いた喜兵寿が真剣な面持ちで話し始めた。
「夏、実はいろいろあって大麦のことを知りたい。この大麦はどこから仕入れている?」
「大麦はね、この時期来る流しの麦屋さんから買ってるよ。麦の収穫時期は初夏だから、毎年その時期になると麦売りが下の町にくるんだ。麦湯はね、穫れたての新麦をじっくり炒ることでおいしさが全然変わるから、どの時期に穫れた麦かがすごく大切になの!」
「麦売りか。そういえば見かけたことがある気もするな……それで次はいつ来るかわかるか?」
「ああ、もうしばらくは来ないかも。新麦の時期終わっちゃったから‥…」
喜兵寿の顔がサッと曇ったのをみて、夏は慌てて言葉をつづけた。
「あ、でも!でももしきっちゃんが必要だったら麦を分けてあげることできると思うよ!今年はいつもより多めに買ったんだ」
喜兵寿はパッと顔を輝かせると、夏の両手をとった。
「それは本当か?!夏、恩に着る!」
夏は頬を赤らめ、屋台前の女性集団からは「きゃあ」という声があがった。
「おいなお、よかったな!これで良質な大麦は入手できそうだ」
喜兵寿が嬉しそうにこちらを見てくる。
「おお。よかったな」
喜兵寿がきゃあきゃあ言われていることがおもしろくないなおは、残りの麦湯を一気に煽った。
でもそれは思った以上に熱くて、でも熱いとかかっこ悪いことはいいたくなくて、でも結局我慢できずになおは盛大にむせたのだった。
仕事へ行くものを送り出した朝市は、ゆるりとした雰囲気に包まれる。
ビールの原材料「大麦」がこの地にあることを認識したなおと喜兵寿は、「麦湯」へと向かっていた。
「びいる」を造らなければ殺される。
しかし何からどのようにして造っていいのかわからない。
そんなまったく先のみえない状況の中で一筋の光が見えたのだ。
大麦を使った茶を出す「麦湯」へ向かう喜兵寿の足は自然と早くなる。
しかしなおは相も変わらず、のんびりのんびりと歩いているのだった。
「おいなお、もっとちゃっちゃと歩けないのか?」
「まあそんなに急ぐなって。それにしても、あの蕎麦屋うまかったなあ。他の蕎麦も食いたいし、また行こうぜ」
舌なめずりをしながら蕎麦の話をするなお。喜兵寿はその首根っこを無言で掴むと、ずるずると引きずるようにして歩き出した。
「ちょっ!おいやめろって。ねこじゃないんだから」
「ねこの方がまだかわいげがあるだろ」
ぎゃあぎゃあと騒ぎながら「麦湯」に着くと、「ちょっときっちゃん、何してるの?」とクスクスかわいい笑い声が起こった。
なおが顔をあげると、かわいらしい女性が目を細めてこちらを見ている。
真っ白な肌に、少し鼻にかかったような高い声。
「可憐」という表現がよく似合うその女性に、なおは吊るされた状態のまま、キリっと表情を整えた。
「どうもはじめまして。自分、なおって言います」
「あらまあ、はじめまして。うちの名前は夏って言います。ちょっと名前似てますね」
少しなまりある話し方は夏によく似合っていて、なおはデレデレと目じりを下げながら「よろしく」と右手を差し出した。
「はいはい、知ってる知ってる」
突如頭上から聞こえてきた少し低めのハスキーボイス。
見るとそこには喜兵寿の妹、つるが仁王立ちで立っていた。
「お、つるじゃん。こんなとこで何してんの?」
「何してんの?じゃないわよ。そっちこそ、なんでこんなとこで油売ってんのよ!びいる造る材料探しに行ったはずでしょう?」
「ああ!そうそう今絶賛探し中」
つるの目がひゅうっと吊り上がる。
大きなつり目が、さらに吊り上がる姿はなかなかに迫力があって、なおは小さく「おお」と呟いた。
強い女性は嫌いではない。
大きく見開かれた目がセクシーだなあと思ったが、さすがにそれを口にしたらさらに怒られるだけだとわかっていたので、なおはむぐと口をつぐんだ。
「まあまあつる、落ち着けって」
喜兵寿が開いた方の手で、つるの背中をポンポンと叩く。
「実はびいるに必要な材料のひとつが大麦だってことがわかってな。大麦を使っている麦湯に話を聞きにきたってわけだ」
「……ふん。そうならそうと早く言ってよね」
つるはじろりとなおに一瞥をくれると、スタスタと麦湯の椅子へと戻っていった。
お茶会でもしていたのであろう、屋台の前に置かれた椅子では数人の若い女性達がくすくすと笑いながら何かを話している。
「なあ喜兵寿、ひょっとしてだけど……おれつるに嫌われてる?」
首根っこを掴まれたまま、なおは喜兵寿を見上げる。
「まあ、そうだろうな」
喜兵寿は小さく肩をすくめながら言った。
「えー、まじかよ。なんでだろ」
首をかしげるなおを引きずったまま喜兵寿は麦湯の屋台に行き、夏に話しかけた。
「騒がしくてすまんな。麦湯を2つおくれ。あと麦の話を少し聞かせてほしい」
喜兵寿は言うと、椅子に座っていた女性たちが「きゃあ」っと色めき立つのがわかった。
見れば着物で顔を隠しながら、喜兵寿のことをちらりちらりと盗み見ている。
「麦のはなしね。うん、わたしにわかることであればなんでも聞いて」
そう返す夏の声色も、先ほどよりも丸く華やいで聞こえる。
なおは驚いたように再び喜兵寿を見上げた。
「え、まさか喜兵寿ってめっちゃモテる系の人?!」
「は?」
眉間に皺を寄せているその顔は、たしかに渋い。
身長もなおよりもかなり高いし、体躯もがっしりとしている。ゆるく着くずした着物の着方も、きっとおしゃれなのだろう。
よくわからんけれども。
「そうか、たしかになあ。俺ほどではないけど喜兵寿男前だもんなあ」
なおがぶつぶつと呟いていると、夏が麦湯の入った湯飲みを二つ運んできてくれた。
「はい、おまちどうさま!暑いから気を付けてね」
少し離れていても、そのふわりと香ばしい香りがわかる。
「なお、大麦をつかった麦湯だ。飲んでみてくれ」
「おう」
湯飲みを受け取ると、濃い茶色はなおもよく知る麦茶そのものだった。
厚手の陶器越しに麦湯の温度が心地よく伝わる。口に含むと麦のあまみと香ばしさが広がり、それがゆっくりと喉を滑り落ちていった。
「これ、うまいな!おれの知ってる麦茶よりも甘みが濃い気がする」
「夏のつくる麦湯はうまくて人気だからな」
喜兵寿も麦湯を飲みながら、うんうんと頷く。
「わあ、うれしい。ありがとう」
夏は両方頬に手を当てると、少し恥ずかしそうに微笑んだ。
まったく何をしてもかわいすぎる女性だ。
なおがニヤニヤしていると、湯飲みを置いた喜兵寿が真剣な面持ちで話し始めた。
「夏、実はいろいろあって大麦のことを知りたい。この大麦はどこから仕入れている?」
「大麦はね、この時期来る流しの麦屋さんから買ってるよ。麦の収穫時期は初夏だから、毎年その時期になると麦売りが下の町にくるんだ。麦湯はね、穫れたての新麦をじっくり炒ることでおいしさが全然変わるから、どの時期に穫れた麦かがすごく大切になの!」
「麦売りか。そういえば見かけたことがある気もするな……それで次はいつ来るかわかるか?」
「ああ、もうしばらくは来ないかも。新麦の時期終わっちゃったから‥…」
喜兵寿の顔がサッと曇ったのをみて、夏は慌てて言葉をつづけた。
「あ、でも!でももしきっちゃんが必要だったら麦を分けてあげることできると思うよ!今年はいつもより多めに買ったんだ」
喜兵寿はパッと顔を輝かせると、夏の両手をとった。
「それは本当か?!夏、恩に着る!」
夏は頬を赤らめ、屋台前の女性集団からは「きゃあ」という声があがった。
「おいなお、よかったな!これで良質な大麦は入手できそうだ」
喜兵寿が嬉しそうにこちらを見てくる。
「おお。よかったな」
喜兵寿がきゃあきゃあ言われていることがおもしろくないなおは、残りの麦湯を一気に煽った。
でもそれは思った以上に熱くて、でも熱いとかかっこ悪いことはいいたくなくて、でも結局我慢できずになおは盛大にむせたのだった。
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