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糸電話の先に

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ドア越しの会話から糸電話に昇華したのだが、アナスタジアにはさして変化がないように思えた。
耳を当てれば声が明瞭に届くが所詮は糸を通している、もどかしさは同じなのだ。
主人が自身の見目を気にすることは理解はできても、こちら側が見た目だけで対応を変化する者だと侮られたようで気に入らないと彼女は思っている。
このままでは夫の病状がまったくわからない事も彼女の不満でもある。
「彼なりの譲歩なのでしょうが、これって正解なのかしら?私達は夫婦よね」

糸電話を渡された日からほぼ毎日書斎のドアへやってきては、他人行儀な挨拶からはじまり当たり障りない話ばかりした。内容のない会話はとても虚しいものだった。
妻を想う気遣いは受け取れたが果たしてこれは交流といえるものなのかと疑念は増えるばかりだ。


その日も書斎の前へ呼び出されたアナスタジアは差し出されたコップを受け取り彼の言葉を待った。
耳に届くその声は若干震えていた、つながれた糸のせいだけではないと気が付いた彼女は思い切ってドアに手をかけた。
承諾されていない不遜な態度であることはわかっていてのことだ、お叱りを受けてもやむなしと覚悟して。
不意を突かれたサディアスは長く伸ばしていた糸を己の腕に絡ませてアワアワとして、乱入してきた妻を見た。

怒りなのか悲しみなのか、複雑な表情の妻の顔は朱に染まっていて瞳は夫を真っすぐ捕らえていた。
「サディアス様!御用があるなら対面して話すべきですわ!」
「ひゃ!ひゃい!その通り……です」
己の愚行にはちゃんと自覚ある彼は申し訳なさそうにして糸電話を回収する。
やや興奮気味になっていた彼女は一呼吸してから非礼を詫びた、そして「やっとお会い出来ました」と微笑んだ。

柔らかに笑う妻の顔を見て、サディアスはひどく驚いた。
包帯で皮膚を覆い化物のような姿を晒しているのに、彼女はまったく怯んでいない。僅かに覗ける皮膚は青黒くて気味が悪いはずなのにそんな物など見えないかのようだ。
「ねぇサディアス様、今年の秋冬が厳しい事情にあるのは知っております。ですから侯爵夫人として力添えできたらと思ってます、領民を護りたいのは彼方だけではないのです」

熱くそう語る妻の言葉を丁寧に聞いた彼は「そうか、そうだね」と小さく呟く。
グルグルに巻かれた顔からは良くわからないが、その声は明らかに疲れが滲んでいる。孤独に慣れ過ぎた彼は全部自分ひとりで解決しようと抗っていたのだ。

「サディアス様、私は妻です。縁あってこちらに嫁ぎました、若輩で頼りないですがそれでも何かのお役にたちたいのです。だって彼方の伴侶ですもの」
苦楽を共にする夫婦なのだと改めて聞かされた彼は瞠目して彼女の思いを受け取った。
「ありがとう、私は距離を置くことでキミを護っているつもりだった……それは間違いだったのだね」
彼は申し訳なかったと頭を垂れて詫びるのだった。

「この数カ月間を取り戻しましょう、でもゆっくりで良いのです。私の事を受け入れてください」
「うん、今まで済まなかった。私の大切なアナスタジア……」
彼は包帯で包まれた手をおずおずと伸ばし妻の手を握った、それは割れ物にでも触れるような優しいものだった。
夫に触れられた彼女は「はっ」と気が付く、体調を崩して眠っていた時の感触が蘇ったのだ。

「やはり彼方だったのね、私を看病してくれていたあの優しい手はこの手に間違いないわ」
片目からホロリと流れ落ちた感涙は熱い頬を伝って彼の手の甲へ吸い込まれる。
ようやく夫婦として対話できたことを二人は喜ぶ。もちろん、ドアの外に控えていた侍女と執事も安堵の溜息を吐いたのである。



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