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契約から70日後。
調子に乗っていたアロイスは子爵家の仕事をサボるのが当たり前になっていた。
この頃には彼の父親は腹を決めていて家督は息子に任せる訳にはいかないと養子縁組を進めていた。そんな事情など察しようともしないアロイスは朝帰りがほぼ毎日のことになっている。
家人は誰も諌言しないのでこれで良いのだと勝手に思い込む。
「領地さえあれば税収は途切れない、生涯金に困るはずがないのさ」
「そうなのぉ?さすがお貴族様は恵まれてるのねぇ」
場末の酒場でひっかけた香水臭い女を侍らせ、アロイスは管を巻く。聞かされている方も酔っているので適当に聞き流している。
酒と薬物で思考が麻痺している彼は似たような与太話を何度も繰り返し語るが、相手も同様で指摘する脳はない。
「婚約者のあの女も爵位を継ぐからな、ふたつの領地は俺のもんさぁ、安泰安泰」
「へぇ~良くわかんないけどすごーい」
「そうさ、俺は凄いのさ」
したたかに酔ったアロイスはこの日も安宿に女を連れ込み爛れた恋愛を楽しもうとしていた。
邸宅にはユリアネからの要望書が何通も届いているとも知らず彼は過ちを増やす。
彼の身に異変があったのは翌日の朝だった。
宿の寝具から這い出た彼は昨夜連れ込んだ女をそのまま捨て置いて邸宅へと戻ることにした。申し訳程度身なりを整えると辻馬車を捕まえて家に戻った。
門に着いて早々に門兵が訝しい視線を投げてくる、いつもならば「お帰りなさいませ」と敬礼するはずだが睨んでくるだけで開けようとしないのだ。
反応が悪い門兵にイラついた彼は「おい、開けろ」と怒る。
門兵は彼の声を聞いてやっと子息だと気が付きノロノロながらも門を開けた。
そして、アロイスは舌打ちをしてから鈍い動作で玄関へと歩いた。そこにいたフットマンも門兵同様に困ったような顔をして扉を開けようとしない。
「おい、ぐずぐずしないで開けろ!俺は眠いんだ!」
「!?これは坊ちゃん、失礼しました」
フットマンは彼の声と着崩れた服の襟元にある家紋を確認して”愚息アロイス”であると認識した。
荒れた生活をしているうちに相貌にまで影響が出たのだろうと侍従らは思った。
見知った顔の侍女や執事らもどこか余所余所しい対応をしている。
まだ酔いが残る足はガクガクと震える、それでもなんとか自分の居室に戻れた彼はフラフラと寝具に倒れた。
「あ~頭が痛い、さすがに飲み過ぎたか……」
怠い体は睡眠を欲して彼を押さえつけてくる、鈍りに鈍った脳みそはそのまま停止する。やがて大鼾を立てて眠りについたアロイスは夕方まで起きなかった。
***
執事に揺り起こされた彼は薄暗がりに目を覚まして目を擦る、見かねた執事はおしぼりで彼の顔を拭い「子爵夫妻が食堂で待たれてます」と告げる。
「ん、そうか。しばらく顔を見ていなかったし腹も空いた。夕飯に顔を出そうか」
呑気に大欠伸をして体を伸ばすと背骨がバキボキと鳴った、やたら腕の節が痛いし、膝にも力が入らない不摂生がたたり身体中が悲鳴をあげている。
さすがに拙いと思ったらしい彼は軽く柔軟体操をしてから部屋を出た。
怠さを抱えながらも空腹が彼を動かす、やっと食堂へ着くと両親が不機嫌そうな顔をして着席していた。
「アロイス、さっさと席に着かないか。まったく久しぶりに顔を見たが酷い有様だな」
開口一番に覇気のなさを指摘された彼はムッとしたが反論しても分が悪いので押し黙る。
アロイスが椅子に腰を下ろすと侍従らが一斉に動き夕餉が開始される、目の前の皿に湯気の立つ白濁のスープが注がれた。
糧への感謝を手短に言ってさっそくスープを飲みだした。
温かなそれがゆっくりと喉を通っていく、酒ばかり煽っていた彼はその味がひどく懐かしく思え美味しく感じた。
「ところでアロイス、瞼が随分腫れているわ。塩辛いものばかりをつまんでいたの?」
「え、ああ……そうですね。さ、酒の肴は味が濃いですから」
突然、母に声を掛けられた彼は少しどもりながらも答えた。酒焼けでもしたのか発した声がガラガラだった。
「ほどほどになさいね、外聞が悪いと困るのはお前だけじゃないのよ」
「はい、そうですね」
お小言を適当に流したアロイスは空になったスープ皿を睨めて、はやくメインを出せと不満を膨らませた。
次に供されたのはサラダだ、こんなものでは腹は満たされないが渋々と口にする。時々奥歯に違和感を覚えたがどうでもいいと気に留めない。
皿が交換され、やっと肉汁溢れるステーキが目の前にやってきた。上等な肉はナイフを置いただけでサクリと切れた。ひと噛みすれば肉汁が口に溢れる……はずだった。
「痛っ!」
アロイスははしたなく声を上げて口を押えた、突然のことに顔色を悪くする。口の中には焼いた肉の物では無い鉄臭さが広がった。
「あ、ぁああああ!」
慌てて口の中の物を出した、手の平に吐き出されたのは肉片ではなく白い塊だった。彼の歯が数本抜け落ちて零れ落ちる。
「ひぃ!ちょっとアロイス!大丈夫なの?口の周りが血だらけじゃない」
気色悪いものを見た夫人は食欲が失せて立ち上がる、父親は眉を吊り上げたが見ぬふりをする。
急遽呼ばれた医者が彼の口を診察した。
「これは……歯槽膿漏かと思いましたが違いますね、まるで老人のそれです」
「ろ、老人!?どういうことだ!」
彰かな老化現象だと述べた医者の言葉にアロイスは愕然として震えた。まさかと思い侍女に鏡を持って来させた。
銀の手鏡に映った己の顔を見て彼は悲鳴を上げた。
「お、俺の顔が……そんな!弛みとほうれい線がクッキリと……」
今のところ皺までは刻まれてはいないが時間の問題と思われた。
調子に乗っていたアロイスは子爵家の仕事をサボるのが当たり前になっていた。
この頃には彼の父親は腹を決めていて家督は息子に任せる訳にはいかないと養子縁組を進めていた。そんな事情など察しようともしないアロイスは朝帰りがほぼ毎日のことになっている。
家人は誰も諌言しないのでこれで良いのだと勝手に思い込む。
「領地さえあれば税収は途切れない、生涯金に困るはずがないのさ」
「そうなのぉ?さすがお貴族様は恵まれてるのねぇ」
場末の酒場でひっかけた香水臭い女を侍らせ、アロイスは管を巻く。聞かされている方も酔っているので適当に聞き流している。
酒と薬物で思考が麻痺している彼は似たような与太話を何度も繰り返し語るが、相手も同様で指摘する脳はない。
「婚約者のあの女も爵位を継ぐからな、ふたつの領地は俺のもんさぁ、安泰安泰」
「へぇ~良くわかんないけどすごーい」
「そうさ、俺は凄いのさ」
したたかに酔ったアロイスはこの日も安宿に女を連れ込み爛れた恋愛を楽しもうとしていた。
邸宅にはユリアネからの要望書が何通も届いているとも知らず彼は過ちを増やす。
彼の身に異変があったのは翌日の朝だった。
宿の寝具から這い出た彼は昨夜連れ込んだ女をそのまま捨て置いて邸宅へと戻ることにした。申し訳程度身なりを整えると辻馬車を捕まえて家に戻った。
門に着いて早々に門兵が訝しい視線を投げてくる、いつもならば「お帰りなさいませ」と敬礼するはずだが睨んでくるだけで開けようとしないのだ。
反応が悪い門兵にイラついた彼は「おい、開けろ」と怒る。
門兵は彼の声を聞いてやっと子息だと気が付きノロノロながらも門を開けた。
そして、アロイスは舌打ちをしてから鈍い動作で玄関へと歩いた。そこにいたフットマンも門兵同様に困ったような顔をして扉を開けようとしない。
「おい、ぐずぐずしないで開けろ!俺は眠いんだ!」
「!?これは坊ちゃん、失礼しました」
フットマンは彼の声と着崩れた服の襟元にある家紋を確認して”愚息アロイス”であると認識した。
荒れた生活をしているうちに相貌にまで影響が出たのだろうと侍従らは思った。
見知った顔の侍女や執事らもどこか余所余所しい対応をしている。
まだ酔いが残る足はガクガクと震える、それでもなんとか自分の居室に戻れた彼はフラフラと寝具に倒れた。
「あ~頭が痛い、さすがに飲み過ぎたか……」
怠い体は睡眠を欲して彼を押さえつけてくる、鈍りに鈍った脳みそはそのまま停止する。やがて大鼾を立てて眠りについたアロイスは夕方まで起きなかった。
***
執事に揺り起こされた彼は薄暗がりに目を覚まして目を擦る、見かねた執事はおしぼりで彼の顔を拭い「子爵夫妻が食堂で待たれてます」と告げる。
「ん、そうか。しばらく顔を見ていなかったし腹も空いた。夕飯に顔を出そうか」
呑気に大欠伸をして体を伸ばすと背骨がバキボキと鳴った、やたら腕の節が痛いし、膝にも力が入らない不摂生がたたり身体中が悲鳴をあげている。
さすがに拙いと思ったらしい彼は軽く柔軟体操をしてから部屋を出た。
怠さを抱えながらも空腹が彼を動かす、やっと食堂へ着くと両親が不機嫌そうな顔をして着席していた。
「アロイス、さっさと席に着かないか。まったく久しぶりに顔を見たが酷い有様だな」
開口一番に覇気のなさを指摘された彼はムッとしたが反論しても分が悪いので押し黙る。
アロイスが椅子に腰を下ろすと侍従らが一斉に動き夕餉が開始される、目の前の皿に湯気の立つ白濁のスープが注がれた。
糧への感謝を手短に言ってさっそくスープを飲みだした。
温かなそれがゆっくりと喉を通っていく、酒ばかり煽っていた彼はその味がひどく懐かしく思え美味しく感じた。
「ところでアロイス、瞼が随分腫れているわ。塩辛いものばかりをつまんでいたの?」
「え、ああ……そうですね。さ、酒の肴は味が濃いですから」
突然、母に声を掛けられた彼は少しどもりながらも答えた。酒焼けでもしたのか発した声がガラガラだった。
「ほどほどになさいね、外聞が悪いと困るのはお前だけじゃないのよ」
「はい、そうですね」
お小言を適当に流したアロイスは空になったスープ皿を睨めて、はやくメインを出せと不満を膨らませた。
次に供されたのはサラダだ、こんなものでは腹は満たされないが渋々と口にする。時々奥歯に違和感を覚えたがどうでもいいと気に留めない。
皿が交換され、やっと肉汁溢れるステーキが目の前にやってきた。上等な肉はナイフを置いただけでサクリと切れた。ひと噛みすれば肉汁が口に溢れる……はずだった。
「痛っ!」
アロイスははしたなく声を上げて口を押えた、突然のことに顔色を悪くする。口の中には焼いた肉の物では無い鉄臭さが広がった。
「あ、ぁああああ!」
慌てて口の中の物を出した、手の平に吐き出されたのは肉片ではなく白い塊だった。彼の歯が数本抜け落ちて零れ落ちる。
「ひぃ!ちょっとアロイス!大丈夫なの?口の周りが血だらけじゃない」
気色悪いものを見た夫人は食欲が失せて立ち上がる、父親は眉を吊り上げたが見ぬふりをする。
急遽呼ばれた医者が彼の口を診察した。
「これは……歯槽膿漏かと思いましたが違いますね、まるで老人のそれです」
「ろ、老人!?どういうことだ!」
彰かな老化現象だと述べた医者の言葉にアロイスは愕然として震えた。まさかと思い侍女に鏡を持って来させた。
銀の手鏡に映った己の顔を見て彼は悲鳴を上げた。
「お、俺の顔が……そんな!弛みとほうれい線がクッキリと……」
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