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寂れた村

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旅支度らしいものはほとんど持たず、イティアは外界へ出た。
深い死の森を抜けるには少々時間を取られたが、歩を進める度に瘴気が薄まって行くのを感じ取る。
赤黒い空気が当たり前で過ごしてきた彼は澄み切った大気に最初戸惑う。生前は普通に呼吸していたものだが何か物足りなさを感じるのだ。

ファファに草繊維と魔蜘蛛の糸を編んで作って貰った衣服はとても軽くて丈夫だ。森に生えるギザギザな雑草葉に擦れて出て来たにも拘わらず綻びは全くない。
森の周辺には人家らしきは見当たらない、常人は瘴気を嫌うのだから近隣に居を持つわけもないのだ。
城にあった北の塔と森しか知らない彼は司教が持ち込む本の挿絵でしか知らない。具体的にどのようなものか目にするのが楽しみであり怖くもある。

「司教みたいな人が生活しているのかな、ぜんぜん想像つかないけど」
やがて荒れた草原から均等に耕された何かを目にした彼はそれが畑というところとは知らない。等間隔に生え並ぶ植物は森に自生するものとは明らかに違い、ちょっと触れたらすぐに枯れそうだと思った。
大まかに人里の様子をファファに学んでいてもどれがどうだと把握するのは難しい。

草木が生えていない長く延びる筋状のものが人の手で作られた道であるとは知らないので不思議に思う。馬車が作ったであろう轍の凹みもどういう現象なのか首を傾げる。
ただ歩き易くて助かるとしか感想がでなかった。

「外の世界は面白い……見るものなんでも初めてだ」
青空を飛ぶ鳥を見つけて「あれは知ってるぞ!ボクの友達だ!」とはしゃいだ、まるで目を開いたばかりの赤子のような彼は他人が見たら奇異に違いない。
「森の中には可愛い小鳥はいなかったものな……威嚇してくるデッカイのはいたけど」
魔物である怪鳥を思い出して彼は肩を竦めた、友人には成れそうもなかった事を残念に思ったものだ。名も知らない怪物は巨大な嘴をガチガチさせて目に映るもの全てを敵と定めていた、当然にイティアの事も敵として認識するに止まる。

意思疎通ができない相手はとても悲しいとイティアは思う、死の森は捕食されるか否かそれだけの厳しい世界だった。だが、目の前に広がる世界はそれだけではない、長閑な風景が自然と彼の緊張を解す。
「まぁ、外の世界にも害意を持つ輩がいるとはファファが注意していたけど」
いまのところは殺気を放つ生物とは対峙しておらず、延々と牧歌的な景色がずっと続いていた。やがて陽の光が頭の真上にきた頃、人家らしきがやっと見えた。

あれが人が住む家なのかと疑心暗鬼で遠目から観察してみた。
平屋の小さな民家の先には庭があり、飼いならされたらしい鶏が「コココ」と鳴いて地を突いていた。
しかし、初めて目にする生物に彼は目を丸くする、魔物とも小鳥とも違う生き物はとても奇妙に映った。
しばらく傍観していると家屋から誰かが出て来た、クワを担いだ農夫と赤子を抱いた農婦がなにかやり取りしてから手を振って別れた。

司教くらいしか外の人間を見たことがない彼は慄いて農道の茂みに隠れて震えた。
なにか武器らしいものを手にした人間が怖くて仕方がないようだ。出鱈目な能力を備えている今現在のイティアにそうそう敵う者はいないのだが、彼はそれを知り様がない。

「こ、怖い……ボクなんかよりずっと大きくて強そうだ、襲われたらどうしよう?」
無意識に腕を鎌状に変化させてしまった彼は震えながら農夫を射殺さんばかりに睨みつけた。しかし、ファファに注意されたことを思い出す。
『むやみやたらに攻撃的になってはいけない、良く観察して行動しなさい』
彼は余計な行動は要らぬ敵を作ってしまうのだという戒めを反芻して呼吸を調えた。相手は人間、魔物とは違うのだ突然襲い掛かる生き物ではないと己の言い聞かせて心を落ち着かせた。

「まずは会話……ファファが言っていた」
でも一度混乱した彼の頭には挨拶の言葉がすぐに浮かばなかった、塔の中で司教と向き合った時のことを必死に思い出す。
「え、えーとオハヨウ、コンニチハ……どっちだ?サヨナラも聞いたことがあるけどきっと違う」
面会する日時でいろいろと変化していた挨拶の言葉は一体どれが正解かわからない。
しばらく蹲って唸っていたらいつの間にか農夫の姿は消えていた。おそらく近くの畑へでも作業に向かったのだろう。

気が抜けたイティアは地面に頽れると青く広がる空をチラリ見上げて「ボクは駄目なヤツだ」と呟いた。
無理して接触する必要はないと決めた彼は、道の先を急ぐことにした。人に慣れていないなら遠くから観察して学べば良いのだと思い直したのだ。
一番最初の人家をそそくさと過ぎれば二軒三軒と家が増えてきた。これが集落というものかと彼は恐れつつ目にしながら旅を急ぐ、この先になにが待ち受けているのかイティアは心細くて悲しくなる。
いっそ元来た道を駆け戻ってファファの元へ帰ってしまおうかと何度も葛藤した。

「でもそんな意気地ないことをしたら彼女はガッカリするだろうな」
こんな事ではダメだと両頬を叩いて奮起する、そして再び彼は道を進むのだった。
どれほど歩いたか、疎らだった人家が急に増えていつの間にか彼は村の中心部に来ていた。すると一回り大きな屋敷が目に留まる。
そこから何か言い争う声と助けを請う悲鳴が聞こえて来たではないか。
気になった彼はそこで歩を止めた、大きな門扉の奥には厳つい男達数人と地面に蹲る誰かがいた。

彼と同じようにその様子を野次馬する人々が屯していた。どうしても気になったイティアは勇気を出して村人に声をかけた。
「あ、あの人たちは何してるんですか?なぜ騒ぐのですか?」
「え?あぁ旅の人か、関わらん方が身のためだぞ。破落戸共に絡まれたらつまらん」
「ごろつき?」
聞いたことが無い名称にイティアは興味が湧いてしまった。


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