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第2章

2-3 ストロベリー・フラペチーノ

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 美那に「明日の準備は終わった」とメッセージを送った。
 別にそんなの送らなくてもよかったか、と思ったら、美那から即レス。
――>じゃあ、スタバ行く? ストロベリー・フラペチーノ。
 うわ。すっかり忘れてた。
 しかしわざわざ電車に乗ってスタバに行くのかよ。
 ついでの時じゃダメかな?
 そうか、カメラの試し撮りというのはありかもな。あんまり天気は良くないけど、雨はほとんど降らなそうだ。
<――了解。たまには俺が迎えに行く。3時でいい?
――>うん。待ってる。

「かーちゃん、カメラの慣らしを兼ねて、あとで美那とスタバ行ってくる」
「はーい」と、部屋の中から声だけ聞こえてきた。やっぱまた仕事が忙しくなってきたみたいだ。たぶん俺は俺で忙しくしているから、言わないようにしてるんだな。早めに帰ってきて、夕飯も俺が作るか。
「たぶん、遅くても6時には帰る。夕飯は俺が作るからー」
「お願い。助かる」
 米を炊飯器に仕込んでから家を出た。3時ちょっと前に着くと、美那は家の前でハンドリングの練習をして待っていた。なんかちょっと大人っぽい格好。水色のストライプの長袖Yシャツを裾出し前開まえあきで羽織り、中は濃紺のタンクトップ。下はルーズなユーズドジーンズ、靴はニューバランスの紺色のスニーカーだ。
「かーちゃんにカメラ借りた。明日からのバイトに持って行こうと思って」
「へぇー、加奈江さん、写真好きだもんね」
「ちょっとカメラに慣れておこうと思ってさ」
「もしかしてわたしをモデルにしてくれるの? だったらもっと可愛いカッコにすればよかった」
「え、それでも十分可愛いぜ。シャツとタンクトップがちょっと大人っぽい感じ」
「あ、これタンクトップじゃなくて、カップ付きキャミソール」
「へー」
 それって何? キャミソールって下着じゃないのか? 見せる下着ってこと? カップ付きってことはブラの代わりだよな。まあいいスルーしとこ。
「じゃ、とりあえず家の前で一枚」
 美那はちょっと気取った顔で腰に手を当てた適当なポーズを取る。ほんと、フツーに可愛いよな。カメラはプログラムオートのまま。
 かーちゃんから教えてもらって興味を持ったスナップショットモードを使ってみる。シャッターを深く1回押すだけで、事前に設定した焦点距離で写してくれる。そもそもこのGRというカメラはスナップショットを撮るために設計されているらしい。
 歩きながら、街並みやあまりぱっとしない空、それからときどき美那の横顔とかを撮る。見飽きた街並みもこうしてカメラのディスプレイを通してみると、ちょっと新鮮。
 2駅先で降りて、商店街を通って、JR駅近くのスタバに。普段の日曜日よりも人が多い気がするけど、今日は参議院議員選挙の投票日だからかな。
 店内は混んでるのでテラス席を取った。賭けで使った小銭を持って、交代で買いに行く。席の確保もあるけど、ひとりで2人分を全部小銭で払うのは気が引けたから。それに美那はトッピングがあるから、俺にはわからんし。
「これってぜんぜん賭けになってないよね」
「でも俄然やる気がでるから不思議だよな」
 美那がストロベリー・フラペチーノを飲むところを一枚。
「なんかすごいシンプルなカメラだよね、それ」
「そうなんだけど結構高いらしい。確か10万円以上したんじゃないかな」
「へえ、見かけによらないんだ。まるでリユみたい」
「それって褒めてる? けなしてる?」
「さあ?」
「ま、いいけど」
「うそ。褒めてるに決まってんじゃん」
 まあそんなにニコニコされたんじゃ、信じるしかない。と思いながら、その笑顔を一枚。
「どんなふうに撮れてんの? ちょっと見せて」
 再生ボタンを押して、まず自分で確認。悪くない。
「ほら」と、美那にカメラを渡す。
「あ、意外と重い。あ、意外とかわいい」
「だろ? カイリーユはカメラマンとしての素質もあるかもな」
「モデルさんが可愛いと得だねー。でも自分のこんな顔の写真初めてみた。あとでちょうだいね」
「ああ、うん」
 表情を見る限り、かなり気に入ったらしい。
 Z―Fourのユニフォームを初めて着て臨んだ練習試合の3試合目。負けて悔し涙を流す俺の横で、「あー、楽しかった」と言ったときの、美那のあの横顔を撮っておきたかったなぁ。あの顔は、俺の人生の5大うれしいコレクションの3つ目に加えてもいいくらいだ。
 フラペチーノを飲み終えて、わざわざ交通費をかけてきたのにもったいないなと思いつつ、「夕飯をつくらなきゃいけないから、そろそろ帰ろう」と、美那に告げると、「わたしも一緒に作る」と言い出した。
 出がけに冷蔵庫をのぞいたら、あんまり食材がなかったんだよなぁ。生協が来るのは明日だし。
「冷蔵庫の中にあんま材料がないんだよ。2人分ならなんとかなると思ってたんだけど」
「じゃあ、下のスーパーで買って帰ろうよ。駅のほうに成城石井もあったよね?」
「明日、生協が来るし、金もないし」
「お金なら、この間の加奈江さんから預かった残りがある。余ったらまた別の機会に使って、って言われてたから。シチューとかどう?」
 くそ、かーちゃん、もし俺だったら100%「残りは返してよ」って言うのに。
 時間もなかったので、下のスーパーで銘柄鶏とブロッコリーと残りの量に不安のあった玉ねぎを買った。シチューのルーはいらないのかと聞くと、「小麦粉と牛乳で作る」と、言った。なんでも、美那の唯一の得意料理らしい。大丈夫なのか? いざとなったら、スープに変えればいいか……。
「ただいま。美那も来た」と、かーちゃんの部屋の前で声を上げる。
「うん。ごめん、美那ちゃん、あとで!」
「はーい」と、美那。
「加奈江さん、忙しいみたいね?」
「ああ」
 美那はもはやかーちゃんから姪っ子扱いされてる感じ。美那の方もそんな感じだし。っていうか、俺までそれに巻き込まれている気がする。かーちゃんが忙しいのわかってんのに、普通に美那を連れてきてしまった。
 しかしまさか美那と台所に並んで料理することになるとは思ってもいなかった。
 しかもあろうことか料理の邪魔だと言って、Yシャツを脱いでしまった。キャ、キャミソール……。まあでも肩紐の細いタンクトップみたいなものだな、と思ったら、背中がけっこういてるじゃん! でもそれほど驚くほどのものでもないか。普通にこのくらいで街を歩いている女の人もいるしな。ただまあ間近で見ると、ちょっとドキドキするな。美那の背中、きれいだし。
 俺が先に玉ねぎを切って、鍋にバターを敷いて弱火で炒める。その間に美那がジャガイモと人参の下処理とカット。美那の包丁を扱う姿なんて、初めて見たかも。
 美那がホワイトソースを作っている間に、俺が鶏肉を切る。玉ねぎの鍋を一度コンロから下ろして、美那と並んでフライパンで鶏肉の表面に焦げ目をつける。
 それが終わったら、玉ねぎを炒めた鍋にジャガイモ、人参、鶏肉、ローリエを入れ、少なめの水を加え、蓋をして、弱火で煮込む。煮込むと言うよりらしに近いのかな。そして俺があり合わせの野菜でサラダを作る。
 おー、ふたりでやると超はえーし、超楽。
「どう? 割と手際はいいでしょ?」
「まあ俺が半分くらいしたけどな」
「さすがしょっちゅうやってるだけあるな、って感心してみてた」
 なんか、美那のやつ、最近俺をやけに素直に褒めるよな。前はなんかひねくれた言い方をしていたのに。
 それからノートPCを持ってきて、煮えるまでの間、3x3女子の国際試合を見ながら、戦い方を研究する。
 タイマーが鳴ったので、適量の水を足して、塩とスパイスで味を整える。ホワイトソースを混ぜ、煮立ってきたらブロッコリーを投入する。焦げないように混ぜながら少し火を入れて、ブロッコリーに熱が入って鮮やかな緑色になったら完成!
 美那がかーちゃんを呼びにいく。
「加奈江さーん、ご飯できました!」
「あ、美那ちゃん、今いく」
 かーちゃんがいそいそと部屋から出てくる。
「あら、シチュー! わたし好きなのよ。美那ちゃんが作ってくれたの?」
「はい」と、美那がにこやかに返事。
「わー、うれしい。ありがとう」
「俺も半分くらいしたけどな」
「うん、里優もありがと」
 普段はこんなに丁寧には作らないから、悔しいけどマジでうまい。
 食後のお茶も俺の仕事だ。美那もいるし、紅茶を丁寧に淹れる。
「ほんと、おいしかった。美那ちゃん、ありがとうね」
「いえ。忙しそうですね」
「そうなのよ。明日からこの子いなくなっちゃうから、ご飯も作ってもらえないし」
「忙しい時にごめんよ」
「冗談よ。いつも感謝してるんだから」
「ああ」
「美那ちゃん、よかったら、今晩うちに泊まっていったら?」
「かーちゃん、なに言ってんだよ」
「いいんですか?」と、美那。
「もちろんよ。いっそのこと……」
 かーちゃんが言い淀む。
「いっそのこと、なんだよ」と、俺。
「なんでもない」
「加奈江さん、仕事がひと段落したらでいいんですけど、母と話してあげてくれませんか?」
「それなのよ。美那ちゃん、大丈夫? 園子さんは園子さんでお辛いでしょうけど、美那ちゃんもきついよね。わたしもこの子にずいぶんつらい思いをさせたから」
「まあ、そうですね。家にたくない、というのはあります……でも、母もつらそうだから、いてあげないといけないとも思って」
「そうよね。だから、美那ちゃんがどうしても辛い時は、この家を逃げ場にしてね。部屋も余ってるし、いざとなったら下宿してもいいのよ。もちろん無料で。さっき言おうとしたのは、このこと」
「かーちゃん、それはちょっと……」
「ありがとうございます。今はリユに優しくしてもらってるし、ほんとに困ったらお願いします」
「園子さん、実家に帰るつもりかもしれないんだってさ」
「そうよね。わたしも離婚した時は、この家を売って、引っ越そうと思ったもの。この辺って意外とみんな近所を見てて、しんどかった。旧姓に戻して、家の表札を変えた時も、すぐその辺でひそひそ噂話をしている人がいてさ」
「なんで引っ越さなかったんですか?」
「この子よ。この子が、美那と離れたくなーい、って大泣きして」
「かーちゃん、嘘言うなよ!」
「覚えてないの? そうだよね。里優はあの頃のこと、覚えていないことがあるみたいもんね。辛くて記憶を消しちゃったんだね。ほんと、あんたには悪いことした。ごめんね」
「そうなの?」
 かーちゃんがうなずく。
「でもかーちゃんだって大変だったし、辛かったのにここの残ってくれたんじゃん。だからいいよ。こうしてそれなりに幸せに生きてるし」
「そう言ってもらえると、肩の荷が少し降りる」
 かーちゃんが泣きそうになるので、俺まで泣きそうになった。隣の美那も潤んでいるっぽい。
 俺は居たたまれず、立ち上がってかーちゃんの肩を揉みだした。ガチガチだ。
「かーちゃん、ちょっとこんめすぎじゃねえの?」
「ありがとう。里優はほんとマッサージがうまいよね。助かるわ。美那ちゃんも必要な時は頼んだらいいわ。下手な整体院とか行くよりずっといいから」
 美那が指で涙をぬぐいながら、何も言わず首を縦に振った。
 まだ8時過ぎだったけど、美那を家まで送って行った。
 珍しく美那は口を開かない。
 もう美那の家だ。気のせいかもしれないけど、家庭が崩壊しつつある家の独特の雰囲気を感じる。なんかこう、家から生気が抜け始めているような……。もうたぶん、元には戻らないんだろうな。
「じゃあ、有里子さんのバイト、気をつけて行ってきてね。練習も忘れんなよ」
 無理して、男っぽく言ってる感じだ。
「うん。美那、無理すんなよ。きつかったら、ほんと俺の家を使っていいからさ」
「ありがとう」
 また沈黙。美那がうつむく。
 こんなとき、どうしたらいいんだよ。
 車が近づいてきて、ヘッドライトの光が辺りを照らす。
 さほどスピードの出ていないワンボックスカーが近づく。
「リユ、あぶない」と、美那は言って、俺の腕を引っ張る。
「いや、だいじょうぶだ……」
 突然、美那の唇が俺の唇に押し付けられる。そしてすぐに離れる……。
「……ろ」
 車が通り過ぎて、暗くなる。
「じゃあね。今日は楽しかった。ありがと」
 美那はカイリー並みの素早さでくるっと背を向けると、急いで鉄柵の門を開け、早足で家の中に消えて行った。
 え、いまの、ちゃんとした、キス、だった、よな……。
 唇に残ったなんともいえない心地よい感触と胸の中から湧いてくる奇妙な感情を持て余しながら、しばらくの間、俺はその場に立ち尽くしていた。
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