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第十七話

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 涙がようやく止まった後、おれとレックスは二人、出窓の縁に横並びで座った。
 部屋の中にある椅子に座っても良かったのだが……なんとなく、もうちょっとだけ、彼と近くにいられる場所にいたかった。

 そして、おれは唇を開いて、今までのことをぽつりぽつりと語り始めた。

 ルーカスとの婚約は父が決めたものであること。しかし、彼との関係がうまく築けなかったこと。
 先日呼び出されたレストランで、ルーカスに薬の研究レポートを貸したのだが、その内容をルーカスの研究成果として発表されてしまったこと。そして、そのことを問い詰めた際に、彼から投げつけられた言葉を、レックスに打ち明けた。

 おれの語った内容――最後のあたりがあまりにも酷かったからだろうか――レックスは想像以上に、強い憤りを見せた。

「マジかよ……そんなゴミカスみてぇな台詞、先輩に言ったのかよ、あのクソ野郎」

「ああ……でも、レポートを渡したのは、おれが軽率だったと反省している」

「でもさ、先輩はアイツのこと信用してたから、レポートを見せたんだろ? あー、ひとまずちょっと待ってて。あいつにスライム二十体くらいけしかけて、全身の体液を抜いてくるわ」

「待て待て! っていうかお前、スライムをそんなにいっぱいテイムしてるのか? すごいな」

 レックスは〈従魔獣学科〉の生徒だから、モンスターや妖精をテイムする適正を持っているのだろう。しかし、それにしたって、二十体とはすごい数だ。複数のモンスターをテイムしている人でも、五体いれば多い方だ。どうやら、レックスは魔力量も桁違いらしい。

「あー……ホーリースライム以外にも〈第二の性別〉を持つスライムがいるのかっていう検証をしてたら、いつの間にかこんな数に」

「そうなのか」

「とかいって、ほんとはそんなの建前だけどさ。ここ最近、何かやってねーと、気分が落ち込んでしょうがなかったんで」

「最近……?」

 それは――おれと仲違いをしていたから落ち込んでいた、という意味に捉えていいのだろうか?

 でも、それが本当なら、かなり意外だ。だってレックスは、おれが見る限り、いつも多くの友人に囲まれて楽しそうにしていた。先ほどだって、芸術学院アンシャンテの学生と談笑をしていた。

 だから、ほんの少し前までは……彼はおれのことなんざ、もう気に留めていないのかとさえ思っていたのだ。

 そんなことを考えていると、レックスが拗ねたように唇を尖らせた。

「まー、先輩は別に俺がいなくても、一人で自由気ままにやってたみたいだけどさ」

「……えっ?」

「ケンカした次の日とかに、実は何度か先輩の様子見に行ったんだよ。気づいてなかっただろうけど。でも、俺がいなくても、見た感じ、ぜんぜん普段通りな感じでさぁ。同じ学科の人ともうまくやってたみたいだし?」

 思ってもみなかったことを言われて、きょとんとしてしまった。

 だってその感想は、おれがレックスに対して抱いていたものとまったく同じだったからだ。
 なんだかおかしくなって、思わず吹き出しそうになった。もしかすると、おれ達はあんがい似た者同士なのかもしれない。

「はは、そんな風に見えてたのか? でも、お前と仲違いしてる間、おれだってずっと落ち込んでいたさ」

「……へぇ、そうなんだ?」

「ああ……研究も授業も、まるで手につかなかった。お前とこんな風に話すことは、もう二度とないのかなと思ったら、すごく怖かったし、後悔したよ」

「ふーん」

 おれの返答に、レックスの声音がわずかに弾んでいた。だが、あまり喜びをあらわにしてはいけないだろうと思っているのか、平静を装っている。

 ただ、隣に座る彼の腕が、おれの肩へと回された。そのまま抱き寄せられて、身体がぴったりと密着する。そして、なんとも自然な動作で、レックスが顔を寄せてきた。

 身体中の神経が弛緩したように、されるがまま、彼の瞳を見つめ返す。星屑が散ったように煌めく虹彩が、とても美しいものに見えた。

 そしてとうとう、レックスの唇がおれの唇と重なる直前――おれは先ほど、自分がルーカスにキスされたことを思い出してしまって、ぎくりと身体を硬直させた。
 その緊張がレックスにも伝わったのだろう。彼ははたと正気に戻ったように、ぱっと身体を離した。

「…………」

「…………」

 先ほどまでの親密な空気は、あっという間に霧散した。お互いに目を合わせることもできず、室内にはなんとも気まずい沈黙が流れる。

 おれはといえば、今の一連の流れのせいで、そういえば以前、レックスに無理やりキスをされたことを思い出してしまい、心の中で大混乱を起こしていた。

 い、今……レックスにキスされそうになったよな?
 つい雰囲気に流されかけたけれど……!

 というか、思い出せば前に会った時も、キスされたよな?

 その後のケンカのことが強烈だったせいで、今の今まで、すっかりキスされたことを忘れてたけれど……そもそも、な、なんでレックスはおれにキスしたんだ?

 ルーカスがしてくるのは、まぁ、わかる。一応、おれたちはまだ婚約者同士なんだし。ただ、今になってすごい生理的嫌悪感が湧いてきたけれど。

 で、でも、なんでレックスがおれにキスするんだ?
 というか、よく考えれば失言の件は謝罪してもらったけれど、無理やりキスしたことに謝罪はされてないよな?

 でも、待てよ? 後輩と先輩の間柄なら、ほっぺにキスくらいは普通にやるもの、か? 
 いや、でも、口にキスするのはさすがに行き過ぎだよな……?

「あの、レッ――」

「あー、まずはさ、先輩の親に報告しようぜ! それで、さっさと婚約なんざ破棄しちまおう!」

 おれが名前を呼んだタイミングで、レックスも同時に喋り始めた。
 気まずい空気を払拭しようとした彼が大きな声を出したせいで、こちらの声はかき消されてしまったようだ。

 おれはいったん今のキスの件については思考を打ち切り、レックスに向かって首を横に振ってみせた。

「それは……少し待ってくれ。おれとルーカスの婚約は、うちの両親がブラウン家にお願いして持ち掛けたものなんだ。それに、おれがアルファと結婚できるように、両親はおれが子供のころからずっと婚約相手を探してくれていた。それなのに、今さら、おれが婚約破棄をしたいなんて言い出したら……」

「だから何だよ? 先輩にこんなつらい目にあってるのに、婚約継続する意味なんかねーだろ」

「で、でも……父さんと母さんに迷惑をかけるかもしれない……」

 オメガなら確定でアルファの子供を産めるとはいっても、うちは平民の出だ。
 そのせいか、両親がおれの婚約相手を見つけるのはなかなかスムーズに行かず、ルーカスが婚約相手に決定するまで、父は東奔西走の日々だったらしい。

 おれだって、ぜひルーカスとの婚約はすぐに破棄したいと願っている。
 でも……二人にどう言えばいいのだろう?

 二人に報告することを考えていると、また、頭の中でルーカスに投げつけられた言葉の数々がぐるぐると反響し始めた。

 そもそも、ルーカス自身はおれとの婚約破棄は考えていないようだった。
 それなら……婚約破棄なんてしないで、おれがこのまま我慢すれば済むんじゃないか?

 おれ一人さえ我慢すれば、両親にも余計な迷惑をかけなくて済むんじゃ――

 いつの間にか、おれは俯いて、膝の上で両手を握りしめていた。力を込めすぎたせいで、爪の先が白くなっている。
 そんなおれの手に、レックスの掌がふわりと重なった。血管の浮いて骨ばった指が、優しくおれの手を撫でる。

「先輩。先輩の両親がさ、そんなに苦労して婚約相手を探してたのは、そもそも先輩に幸せになってほしいからだろ?」

「……幸せ?」

「先輩のこと守ってくれるパートナーを、早いところ見つけて、先輩のことを安心させてやりたかったんだろ。だからさ、先輩がこんな風に侮辱されて、我慢して婚約を続けたって、先輩の親は喜ばないと思うぜ」

「……そう、なのかな」

 レックスの言葉は、おれにはない考えだった。

 おれの幸せを両親が願ってくれているからこそ、婚約者を見つけてきた――
 本当に、そうなのだろうか。でも、本当にそうだったしたら……ここでおれが我慢しても、二人は喜ばないのかもしれない。

「……分かった、両親に妖精鳥で連絡してみるよ」

「よっしゃー! じゃあ先輩、妖精鳥持ってきてる? 持ってるなら今すぐ連絡しようぜ! 俺的に、一分一秒でも早く婚約破棄して欲しいんで! えーっと、たしか、こっちの机にレターセットが……」

 両親に連絡すると決断し、そう告げた途端、レックスは顔を輝かせてガッツポーズをとった。そして、中央の机の引き出しに入っていたレターセットを勝手に取り出し、手際よくてきぱきと準備を始めた。

 ……確かに、両親に報告するとは言った。けれど、おれとしては、寮に戻ってから手紙をしたためるつもりだったんだが?

 おれはポカンとしながら、レターセット一式の用意を始めるレックスを見つめた。なぜかはよく分からないが、彼は今にも鼻歌を歌いだしそうなほど機嫌がよさそうだ。

 ……ま、いいか。レックスがなんだか楽しそうにしているし。

 それに――もしも、彼以外の他の誰かに「両親に報告しろ」と言われても、おれはこんなにすぐに決断できなかっただろう。
 他でもないレックスが、おれの背中を押してくれたからこそ、行動を起こす勇気を持てたのだ。

 よし。ここまで来たからには、あともう一歩だ。
 彼の言う通り、席について、筆をとってみることにしよう。
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