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第18話
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「一ノ瀬。お前、大丈夫か?」
「……大丈夫かって何が?」
「いや、最近なんかボーッとしてることが多いしさ」
委員長の言葉に、おれは「大丈夫だって」と空笑いで返した。
確かに委員長の言葉通り、おれは最近ボーッとしていることが多いのは自分でも感じていた。なんというか、心が空虚というか、何をやっても楽しくないというか、いつも心のどこかにひっかかるモノがあるというか。そんな感じなのだ。
――九澄のマンションを訪れ、そして、別れを告げられてから1週間が経過していた。
「……なんか心配だな。ちょっと前まではすごい楽しそうだったのにさ。あ、もしかして例の彼女となにかあった?」
「いや、そうじゃないよ。ただ、テストが間近だから憂鬱なだけ」
おれが「委員長は頭いいからテストごときで憂鬱になんないのか、羨ましい」とからかうと、委員長は「なんだよそれ」と恥ずかしそうに笑った。
……はぁ。楽しくもない時に、楽しそうにしたり、笑顔を作らなきゃいけないのって本当にしんどいな。
でも、周りを無闇に心配させるわけにもいかないし。
しかし、九澄はよくこんな演技を毎日続けてられるもんだ。そりゃストレスも溜まるわ。
おれなんかこの1週間、ずっと「なんでもないような演技」をし続けてたけど、もう1週間で音をあげそうだよ。
「……っと」
あー、まただ。
こうやって気を抜くと――すぐ、九澄のことを考えちゃうんだよな。
本当は、忘れようと……忘れなきゃいけないと、ちゃんと思っているのに。
九澄と過ごした日々のことは、ちょっとした白昼夢のようなもので。お互いの人生が、ほんのちょっぴり交わっただけ。あとはお互い、忘れていくだけの。それだけの関係なのに。
「……ぁ……」
委員長とわかれて廊下を歩いていたおれの正面に――今、おれが思いを馳せていた当人が、向かい側から歩いてくるのが見えた。
ここで踵を返すのもなんだと思い、おれはそのまま廊下を歩き続ける。
九澄も、おれが正面から歩いてきているのは気づいただろう。けれど、眉一つ動かさなかった。
そしてそのまま、ゆっくりとした歩調を変えることもなく、おれの横を通り過ぎていく。
「……ま。そりゃそうだよな」
おれは肩をすくめて一人ごちる。
多分、もとからこういうものだったのだろう。
おれたちの間には何の共通点もなかったのだ。けれど、一瞬だけお互いの人生が交わった。その一時があの日々だったんだろう。
元々、九澄とは「一年経つか、もしくは九澄が飽きたら解消する」という約束の上での関係だったのだ。九澄は具体的に言わなかったものの、おれとの関係に飽きがきたのかもしれない。
……そういや、まだ九澄からあの音声データは返してもらってなかったっけ。一応、関係の解消の際には「音声データを返してもらう」って約束だったけど。
けれどそれを言えば――おれもまた合鍵を返しそびれていた。
返そうと思えば、九澄の家は分かるんだし、郵便で出すとかポストに投函するとか、色々方法はあった。けれど、「いつでも返せる」という理由をたてにして、おれは合鍵を返すのをずるずると伸ばし続けていた。
……九澄は言ってこないけど、そろそろ、ちゃんと返した方がいいんだろうな。向こうだって、自分の部屋の合鍵がいつまでも他人の手にあるのは気持ち悪いだろう。
ポケットに入れたままの合鍵を手にとろうとした瞬間――おれのスマホの、メールの通知ランプが点灯した。
おれは何も考えず、反射的にスマホを開く。
メールは姉貴からのものだった。「今日、バイト終わったら迎えにきて。話があるから」という、相変わらず顔文字もなにもない、簡潔な文面。その書き方がちょっと九澄のメールを彷彿とさせて、おれの心臓がちくりと痛む。
まぁ、姉貴のことだからおそらくはまたバイト帰りにスーパーでも行くんだろう。
ちょうどいい。この前も姉貴と足を運んだスーパーは、実はあの九澄が住む高層マンションの一階に入っている所なのだ。今回もそこのスーパーに足を運ぶなら、ついでに九澄の部屋のポストに合鍵を投函してこよう。一人であのマンションに足を運ぶのは気が進まなかったが、姉貴との買い物のついでなら行ける。
おれは姉貴に「了解」と返事を打ちつつ――それでもまだ、未練がましく、ポケットの中の小さな銀色をぎゅうと握りしめたのだった。
◆
――てっきり、姉貴のことだからスーパーの買い物の荷物持ちにおれを呼び出したのだと思ったのだが、予想は外れた。
おれが今いるのは、姉貴のバイトしているコンビニから歩いて十分程度にある、マルドナルドだ。ハンバーガーショップ特有の薄い味のコーヒーを飲みつつ、おれと姉貴はカウンター席に黙ったまま座っている。
おれと姉貴は隣同士に座っており、その両隣にはまだ他の客はいない。この時間はまだ店内はそれほど混み合っておらず、いたとしてもほとんどの人間がテーブル席についていた。
カウンター席の真ん前は大きな一枚窓になっており、窓の下では、街の通りを行き交う人々の姿や、暗くなりはじめて灯りのつき始めた街灯が見える。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
え。なに、これ?
姉貴の方からおれを呼び出したくせに、なんで黙りこくってるんだ?
しかも、姉貴の様子がなんだかおかしい。隣に座るおれの顔をちらちら見つめたり、せわしなくコーヒーを啜ったり。
一体なんだというのだろう?
「……あのさ」
おれも姉貴にならってコーヒーに口をつけていると、とうとう覚悟を決めた様子で姉貴がおずおずと口を開いた。
「アンタ、最近様子がおかしいじゃん」
姉貴の言葉にどきりと心臓が跳ねる。
しかし、おれは平静を装って「あー、テストが近いからね」と答えた。だが、姉貴はおれの言葉を信じなかったようだ。スカートの上で握りしめた拳を、ぎゅうと握りしめたのを視界の端で見た。
「……あのさ、なにをやったか分かんないけど。でも、お姉ちゃんは最後までアンタの味方でいてあげるからさ」
「なんだよ、急に」
「だから自首しよう?」
…………。
…………はい?
「なに言ってんの、姉貴?」
「……あのさ。この前、アンタの部屋に充電器借りに入ったんだけど。そしたら、その――見ちゃったんだよね」
姉貴が小さく「……お金」とつぶやく。
そこだけ声をひそめたのは、周囲を気にしてだろう。
が、おれはそれよりも、自分の失態に舌打ちしたい気分だった。
おれは、九澄からもらった30万円を机の上に置いたままにしていたのだ。
……使ってしまえば、九澄との繋がりが本当に切れてしまうような気がして、使えなかった。
けれども、自分の目に届かない所にしまっても、すぐに気になって取り出してみたりして、その繰り返し。そして今は結局、おれの部屋の勉強机の上に茶封筒に入ったまま、無造作に放り出されていた。
茶封筒には糊付けなどはしていなかった。姉貴が机にぶつかるなり、それとも気になって茶封筒を手に取るなりすれば、中身が現金だということはすぐに分かったんだろう。
姉貴になんて説明していいものかと迷っていると、姉貴はおれの沈黙をどう受け取ったのか「やっぱり……」と言ってきた。
ちょっと待って。やっぱりってなんだ、やっぱりって。
「最近、様子がおかしいのもこれが理由なんでしょ?」
「ま、まぁ、当たらずとも遠からずだけど……」
「なにやったの? 置き引き? 誰かの忘れ物パクった? それとも、駅前の自転車でも盗んで中古で売り飛ばした?」
「ちげぇよバカ!」
思わず声を荒げる。
通路を通りがかったマルドナルドの店員がちらりとおれを見たが、すぐに視線を外した。
学生同士が大声で騒いでいるのなんて、この店では特に珍しくもない光景なんだろう。店内の客もおれたちを特別気に留める様子はないのは幸いだった。
「つーか、なんでそんな、思いつく犯罪がせせこましいものばっかりなんだよ! 強盗とかカツアゲとかは思いつかねーのかよ!」
「あんたがそんなことできるわけないじゃーん」
おれの言葉に対して、あっけらかんと告げる姉貴。
……し、信用があるんだか、ないんだか……。
なんだか力が抜けてしまい、がっくりと肩を落とすおれを見て、姉貴は「じゃあどうやって手に入れたのよ、あんな大金」と唇をとがらせて尋ねてきた。
……くそ。ここで誤魔化して、ばあちゃんとかに言われても面倒なコトになるだけだしなぁ……。
まぁ、それに。姉貴の早とちりとはいえ「お姉ちゃんは最後までアンタの味方でいてあげる」なんて言ってもらったのは、素直に嬉しかったし。
最近、九澄とのことで落ち込んでいた気持ちが、おかげで少し上昇した気がする。
……姉貴になら、少しは話してもいいかな。
前も、委員長に心の内を話しすことで気が楽になったことがあったし。さすがに今回のことは委員長には相談できないなと思ってたけど。姉貴相手なら、もうアレも見られちゃってるし、弟相手に下手な同情もせずに率直な意見をくれるだろう。
身内から「諦めろ」と言ってもらえれば――おれも、この未練が捨てられるかもしれない。
「……あれは、付き合ってるヒトにもらった、みたいな」
「えっ」
相手が男性で同じ学校の教師だと言うと、もっと話がややこしくなりそうなので、ボカした表現で伝える。
が、それを聞いた途端、姉貴がおれの方に身を乗り出してきた。
「ちょっ、なに、アンタ、いつの間に!? えっ、誰? クラスメイト? 先輩、後輩? それとも違う学校の子? いつから付き合ってるの? もしかして最近いろいろ遊びに言ったり友達と会ってたってのもその子なの? 背とかどれぐらい? 写真とかある? どこが好きになったの?」
「興味津々か! そんないっぺんに答えられるか!」
すげぇな、この一瞬で姉貴に相談したことを後悔したぞ!
い、委員長も姉貴も、他人の恋愛事の話がそんなに面白いんだろうか……。
「えー。じゃあこれだけ教えてよ! 告白したのどっちから?」
「…………どっちでもない」
「んん? えーっと……告白する前から、お互いの気持が分かってたみたいな?」
「いや、別にお互いとも好きではなかった。でも、なんかこう、雰囲気で付き合う関係になったみたいな」
「ふーん……?」
姉貴に説明をしながら、自分たちの関係の曖昧さに我ながら苦笑してしまう。
「でも、最近おれはあっちのコト、本気でいいなって思いはじめててさ。このままマジで付き合えたらと思ってたんだけど。……そういうこと言う前に、向こうがいきなりコレ渡してきたんだよ。くそ、手切れ金とか本当にありえねー」
「……んー、なるほど」
姉貴はおれの言葉に、うーんと唸りつつ、腕組みをして何事かを考え始めた。
「相手、なんて言って渡してきたの?」
「え? ……そういや、特に何も言ってなかったな。ただ、ふつーに何も言わないで渡してきただけ」
「じゃあ手切れ金って決まったわけじゃないじゃん。相手もなにか事情があったんじゃないの?」
姉貴の予想外の言葉に、おれは目を瞬かせた。
「えっ。なにも聞いてないの?」
「……聞いてないけど、でも……」
確かに、そう言われてみると――手切れ金か、と尋ねたのはおれの方だ。
九澄はあのお金に対して、あれがどういうものなのかは、なにも言わなかった。そして、あれが手切れ金だと断言したわけでもない。
おれがその事について頭を悩ませていると、隣から「ハァ……」と呆れたようなため息が聞こえた。
「マジか。ほんっとアンタさぁ……」
「な、なんだよ」
「つまり、相手の渡してきたお金の真意も聞いてないし、自分の気持ちだって何も伝えてないってこと?」
……そう言われてみると、まったくそうなんだけど。
え。いや、でも……。
「――ありえない。ほんっと、うちの弟がバカすぎる。相手の人がほんっと可哀想」
「マ、マジでなんだよ、その言い草」
「今から行ってきな」
――は?
「そうじゃないと、今夜、家に入れないから」
姉貴の言葉に、おれは身体が固まった。
行くって……え? 九澄のところに? これから?
た、確かに今日、おれは九澄のマンションに合鍵を返しに行くつもりではあったけれど……姉貴が言ってるのは、そういう意味じゃないよな。
「電話とかメールじゃダメだよ。こういうのは、直接会って言わないといけないんだからね」
おれの都合を無視して、勝手にどんどんと話を進めていく姉貴。
人の気も知らないで、と何か言い返そうと思ったものの――おれは、姉貴の言うことには一理あるということに気がついていた。
……言われてみれば、そうだ。
おれは、自分の気持ちを何一つ、向こうに伝えていない。
そりゃあ初めは、おれの神通力を図りたいからとか、向こうが脅迫してきたとか、そういうきっかけで始まった繋がりだったけれど――今のおれは、そういうのは抜きで、九澄のそばにいたいと思っている。
九澄が望むことなら何でも付き合ってやりたいし、何でもしてやりたい。
もしかすると、おれのそんな気持ちはもう、向こうにとっては煩わしいだけかもしれないけど。
おれとの関係の解消は、九澄がおれに飽きたからっていうのが理由なら、会いに行ってもうざがられたり、おれだけ本気になってることをバカにされたりするかもしれないけど。
でも――――それでも、
おれは席を立ち上がると、姉貴に「行ってくる」と短く告げた。
姉貴はそんなおれの顔を見て、にししと笑いを返した。
「さっさと行ってきな。もしもフられたら、あのお金で一緒に焼き肉行こーよ」
「行くわけねーだろ、バカ」
「そうだね」
……もしも姉貴と焼き肉に行くなら、九澄からもらった金じゃなくて、その時は自分の金でだ。
おれは最後、姉貴に「ありがとう」と告げて、マルドナルドを出たのだった。
「……大丈夫かって何が?」
「いや、最近なんかボーッとしてることが多いしさ」
委員長の言葉に、おれは「大丈夫だって」と空笑いで返した。
確かに委員長の言葉通り、おれは最近ボーッとしていることが多いのは自分でも感じていた。なんというか、心が空虚というか、何をやっても楽しくないというか、いつも心のどこかにひっかかるモノがあるというか。そんな感じなのだ。
――九澄のマンションを訪れ、そして、別れを告げられてから1週間が経過していた。
「……なんか心配だな。ちょっと前まではすごい楽しそうだったのにさ。あ、もしかして例の彼女となにかあった?」
「いや、そうじゃないよ。ただ、テストが間近だから憂鬱なだけ」
おれが「委員長は頭いいからテストごときで憂鬱になんないのか、羨ましい」とからかうと、委員長は「なんだよそれ」と恥ずかしそうに笑った。
……はぁ。楽しくもない時に、楽しそうにしたり、笑顔を作らなきゃいけないのって本当にしんどいな。
でも、周りを無闇に心配させるわけにもいかないし。
しかし、九澄はよくこんな演技を毎日続けてられるもんだ。そりゃストレスも溜まるわ。
おれなんかこの1週間、ずっと「なんでもないような演技」をし続けてたけど、もう1週間で音をあげそうだよ。
「……っと」
あー、まただ。
こうやって気を抜くと――すぐ、九澄のことを考えちゃうんだよな。
本当は、忘れようと……忘れなきゃいけないと、ちゃんと思っているのに。
九澄と過ごした日々のことは、ちょっとした白昼夢のようなもので。お互いの人生が、ほんのちょっぴり交わっただけ。あとはお互い、忘れていくだけの。それだけの関係なのに。
「……ぁ……」
委員長とわかれて廊下を歩いていたおれの正面に――今、おれが思いを馳せていた当人が、向かい側から歩いてくるのが見えた。
ここで踵を返すのもなんだと思い、おれはそのまま廊下を歩き続ける。
九澄も、おれが正面から歩いてきているのは気づいただろう。けれど、眉一つ動かさなかった。
そしてそのまま、ゆっくりとした歩調を変えることもなく、おれの横を通り過ぎていく。
「……ま。そりゃそうだよな」
おれは肩をすくめて一人ごちる。
多分、もとからこういうものだったのだろう。
おれたちの間には何の共通点もなかったのだ。けれど、一瞬だけお互いの人生が交わった。その一時があの日々だったんだろう。
元々、九澄とは「一年経つか、もしくは九澄が飽きたら解消する」という約束の上での関係だったのだ。九澄は具体的に言わなかったものの、おれとの関係に飽きがきたのかもしれない。
……そういや、まだ九澄からあの音声データは返してもらってなかったっけ。一応、関係の解消の際には「音声データを返してもらう」って約束だったけど。
けれどそれを言えば――おれもまた合鍵を返しそびれていた。
返そうと思えば、九澄の家は分かるんだし、郵便で出すとかポストに投函するとか、色々方法はあった。けれど、「いつでも返せる」という理由をたてにして、おれは合鍵を返すのをずるずると伸ばし続けていた。
……九澄は言ってこないけど、そろそろ、ちゃんと返した方がいいんだろうな。向こうだって、自分の部屋の合鍵がいつまでも他人の手にあるのは気持ち悪いだろう。
ポケットに入れたままの合鍵を手にとろうとした瞬間――おれのスマホの、メールの通知ランプが点灯した。
おれは何も考えず、反射的にスマホを開く。
メールは姉貴からのものだった。「今日、バイト終わったら迎えにきて。話があるから」という、相変わらず顔文字もなにもない、簡潔な文面。その書き方がちょっと九澄のメールを彷彿とさせて、おれの心臓がちくりと痛む。
まぁ、姉貴のことだからおそらくはまたバイト帰りにスーパーでも行くんだろう。
ちょうどいい。この前も姉貴と足を運んだスーパーは、実はあの九澄が住む高層マンションの一階に入っている所なのだ。今回もそこのスーパーに足を運ぶなら、ついでに九澄の部屋のポストに合鍵を投函してこよう。一人であのマンションに足を運ぶのは気が進まなかったが、姉貴との買い物のついでなら行ける。
おれは姉貴に「了解」と返事を打ちつつ――それでもまだ、未練がましく、ポケットの中の小さな銀色をぎゅうと握りしめたのだった。
◆
――てっきり、姉貴のことだからスーパーの買い物の荷物持ちにおれを呼び出したのだと思ったのだが、予想は外れた。
おれが今いるのは、姉貴のバイトしているコンビニから歩いて十分程度にある、マルドナルドだ。ハンバーガーショップ特有の薄い味のコーヒーを飲みつつ、おれと姉貴はカウンター席に黙ったまま座っている。
おれと姉貴は隣同士に座っており、その両隣にはまだ他の客はいない。この時間はまだ店内はそれほど混み合っておらず、いたとしてもほとんどの人間がテーブル席についていた。
カウンター席の真ん前は大きな一枚窓になっており、窓の下では、街の通りを行き交う人々の姿や、暗くなりはじめて灯りのつき始めた街灯が見える。
「…………」
「…………」
「…………」
「…………」
え。なに、これ?
姉貴の方からおれを呼び出したくせに、なんで黙りこくってるんだ?
しかも、姉貴の様子がなんだかおかしい。隣に座るおれの顔をちらちら見つめたり、せわしなくコーヒーを啜ったり。
一体なんだというのだろう?
「……あのさ」
おれも姉貴にならってコーヒーに口をつけていると、とうとう覚悟を決めた様子で姉貴がおずおずと口を開いた。
「アンタ、最近様子がおかしいじゃん」
姉貴の言葉にどきりと心臓が跳ねる。
しかし、おれは平静を装って「あー、テストが近いからね」と答えた。だが、姉貴はおれの言葉を信じなかったようだ。スカートの上で握りしめた拳を、ぎゅうと握りしめたのを視界の端で見た。
「……あのさ、なにをやったか分かんないけど。でも、お姉ちゃんは最後までアンタの味方でいてあげるからさ」
「なんだよ、急に」
「だから自首しよう?」
…………。
…………はい?
「なに言ってんの、姉貴?」
「……あのさ。この前、アンタの部屋に充電器借りに入ったんだけど。そしたら、その――見ちゃったんだよね」
姉貴が小さく「……お金」とつぶやく。
そこだけ声をひそめたのは、周囲を気にしてだろう。
が、おれはそれよりも、自分の失態に舌打ちしたい気分だった。
おれは、九澄からもらった30万円を机の上に置いたままにしていたのだ。
……使ってしまえば、九澄との繋がりが本当に切れてしまうような気がして、使えなかった。
けれども、自分の目に届かない所にしまっても、すぐに気になって取り出してみたりして、その繰り返し。そして今は結局、おれの部屋の勉強机の上に茶封筒に入ったまま、無造作に放り出されていた。
茶封筒には糊付けなどはしていなかった。姉貴が机にぶつかるなり、それとも気になって茶封筒を手に取るなりすれば、中身が現金だということはすぐに分かったんだろう。
姉貴になんて説明していいものかと迷っていると、姉貴はおれの沈黙をどう受け取ったのか「やっぱり……」と言ってきた。
ちょっと待って。やっぱりってなんだ、やっぱりって。
「最近、様子がおかしいのもこれが理由なんでしょ?」
「ま、まぁ、当たらずとも遠からずだけど……」
「なにやったの? 置き引き? 誰かの忘れ物パクった? それとも、駅前の自転車でも盗んで中古で売り飛ばした?」
「ちげぇよバカ!」
思わず声を荒げる。
通路を通りがかったマルドナルドの店員がちらりとおれを見たが、すぐに視線を外した。
学生同士が大声で騒いでいるのなんて、この店では特に珍しくもない光景なんだろう。店内の客もおれたちを特別気に留める様子はないのは幸いだった。
「つーか、なんでそんな、思いつく犯罪がせせこましいものばっかりなんだよ! 強盗とかカツアゲとかは思いつかねーのかよ!」
「あんたがそんなことできるわけないじゃーん」
おれの言葉に対して、あっけらかんと告げる姉貴。
……し、信用があるんだか、ないんだか……。
なんだか力が抜けてしまい、がっくりと肩を落とすおれを見て、姉貴は「じゃあどうやって手に入れたのよ、あんな大金」と唇をとがらせて尋ねてきた。
……くそ。ここで誤魔化して、ばあちゃんとかに言われても面倒なコトになるだけだしなぁ……。
まぁ、それに。姉貴の早とちりとはいえ「お姉ちゃんは最後までアンタの味方でいてあげる」なんて言ってもらったのは、素直に嬉しかったし。
最近、九澄とのことで落ち込んでいた気持ちが、おかげで少し上昇した気がする。
……姉貴になら、少しは話してもいいかな。
前も、委員長に心の内を話しすことで気が楽になったことがあったし。さすがに今回のことは委員長には相談できないなと思ってたけど。姉貴相手なら、もうアレも見られちゃってるし、弟相手に下手な同情もせずに率直な意見をくれるだろう。
身内から「諦めろ」と言ってもらえれば――おれも、この未練が捨てられるかもしれない。
「……あれは、付き合ってるヒトにもらった、みたいな」
「えっ」
相手が男性で同じ学校の教師だと言うと、もっと話がややこしくなりそうなので、ボカした表現で伝える。
が、それを聞いた途端、姉貴がおれの方に身を乗り出してきた。
「ちょっ、なに、アンタ、いつの間に!? えっ、誰? クラスメイト? 先輩、後輩? それとも違う学校の子? いつから付き合ってるの? もしかして最近いろいろ遊びに言ったり友達と会ってたってのもその子なの? 背とかどれぐらい? 写真とかある? どこが好きになったの?」
「興味津々か! そんないっぺんに答えられるか!」
すげぇな、この一瞬で姉貴に相談したことを後悔したぞ!
い、委員長も姉貴も、他人の恋愛事の話がそんなに面白いんだろうか……。
「えー。じゃあこれだけ教えてよ! 告白したのどっちから?」
「…………どっちでもない」
「んん? えーっと……告白する前から、お互いの気持が分かってたみたいな?」
「いや、別にお互いとも好きではなかった。でも、なんかこう、雰囲気で付き合う関係になったみたいな」
「ふーん……?」
姉貴に説明をしながら、自分たちの関係の曖昧さに我ながら苦笑してしまう。
「でも、最近おれはあっちのコト、本気でいいなって思いはじめててさ。このままマジで付き合えたらと思ってたんだけど。……そういうこと言う前に、向こうがいきなりコレ渡してきたんだよ。くそ、手切れ金とか本当にありえねー」
「……んー、なるほど」
姉貴はおれの言葉に、うーんと唸りつつ、腕組みをして何事かを考え始めた。
「相手、なんて言って渡してきたの?」
「え? ……そういや、特に何も言ってなかったな。ただ、ふつーに何も言わないで渡してきただけ」
「じゃあ手切れ金って決まったわけじゃないじゃん。相手もなにか事情があったんじゃないの?」
姉貴の予想外の言葉に、おれは目を瞬かせた。
「えっ。なにも聞いてないの?」
「……聞いてないけど、でも……」
確かに、そう言われてみると――手切れ金か、と尋ねたのはおれの方だ。
九澄はあのお金に対して、あれがどういうものなのかは、なにも言わなかった。そして、あれが手切れ金だと断言したわけでもない。
おれがその事について頭を悩ませていると、隣から「ハァ……」と呆れたようなため息が聞こえた。
「マジか。ほんっとアンタさぁ……」
「な、なんだよ」
「つまり、相手の渡してきたお金の真意も聞いてないし、自分の気持ちだって何も伝えてないってこと?」
……そう言われてみると、まったくそうなんだけど。
え。いや、でも……。
「――ありえない。ほんっと、うちの弟がバカすぎる。相手の人がほんっと可哀想」
「マ、マジでなんだよ、その言い草」
「今から行ってきな」
――は?
「そうじゃないと、今夜、家に入れないから」
姉貴の言葉に、おれは身体が固まった。
行くって……え? 九澄のところに? これから?
た、確かに今日、おれは九澄のマンションに合鍵を返しに行くつもりではあったけれど……姉貴が言ってるのは、そういう意味じゃないよな。
「電話とかメールじゃダメだよ。こういうのは、直接会って言わないといけないんだからね」
おれの都合を無視して、勝手にどんどんと話を進めていく姉貴。
人の気も知らないで、と何か言い返そうと思ったものの――おれは、姉貴の言うことには一理あるということに気がついていた。
……言われてみれば、そうだ。
おれは、自分の気持ちを何一つ、向こうに伝えていない。
そりゃあ初めは、おれの神通力を図りたいからとか、向こうが脅迫してきたとか、そういうきっかけで始まった繋がりだったけれど――今のおれは、そういうのは抜きで、九澄のそばにいたいと思っている。
九澄が望むことなら何でも付き合ってやりたいし、何でもしてやりたい。
もしかすると、おれのそんな気持ちはもう、向こうにとっては煩わしいだけかもしれないけど。
おれとの関係の解消は、九澄がおれに飽きたからっていうのが理由なら、会いに行ってもうざがられたり、おれだけ本気になってることをバカにされたりするかもしれないけど。
でも――――それでも、
おれは席を立ち上がると、姉貴に「行ってくる」と短く告げた。
姉貴はそんなおれの顔を見て、にししと笑いを返した。
「さっさと行ってきな。もしもフられたら、あのお金で一緒に焼き肉行こーよ」
「行くわけねーだろ、バカ」
「そうだね」
……もしも姉貴と焼き肉に行くなら、九澄からもらった金じゃなくて、その時は自分の金でだ。
おれは最後、姉貴に「ありがとう」と告げて、マルドナルドを出たのだった。
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