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シンプソン
しおりを挟む「お久しぶりでございます。ランパード様」
「お、お前は…………ッ!」
ランパードの前に姿を現したのは、隈の深い陰気な目をした長身痩躯の男だった。
この人物には見覚えがある。
「シンプソン工房の?」
「ええ、そこな店主でございます」
ランパードは呆気に取られていた。
目の前にいる男は、戦闘行為には程遠い柔らかい物腰で、どうみても冒険者には見えない。
筋肉の付き方、身体の動かし方、雰囲気、全てが凡人に過ぎないのだ。
だが、この男の手には血の付いた短刀が握られている。
最近話題の武器、シンプソンナイフだ。
「お前がやったのか?」
「さて、どう思われますか?信じられないのでしょう?私一人に手玉に取られたこの状況が」
「いや、愚問だった。どういうカラクリかは分からないが、立場を弁えず暴走し蛮行に及んだお前を捕まえなければならないらしい」
「随分と上から物を仰りますね。
そして、カラクリとは残念な事を仰られる。
この力は、長年に渡り必死に集めたもの。
地下迷宮内のみの条件ではありますが、ここでなら私は、あなた方金等級冒険者以上の能力を発揮できるのです」
「何故、冒険者を襲う?冒険者はお前にとって商売相手だろう?」
「フフフ、ええ、ええ!仰る通りでございます!ですから、私は当製品をお買い上げ頂いた識者を標的には致しません。
当製品を選ばなかった愚者は、シンプソンナイフで切り刻み、データを収集し、究極の武器を生み出す糧としているのです」
「身の程を弁えぬと、痛い目を見るぞ。お前が俺を最後まで残したのは、俺の魔法を警戒しているからじゃないのか?」
ランパードは全身に薄い氷を纏わせた。
怒りの感情を表すかのように、周囲の空気が凍りつく。
「フフフ、既に痛い目を見たでしょうに……、いいでしょう。
シンプソン製品を購入しなかった愚を、死で持って後悔なさるといい」
男の姿が再び消えた。
「身体を麻痺させようが、魔法発動になんら関係無い」
素早く移動する男の脚が着地を繰り返す度、床に敷き詰めされた氷雪が舞い上がり、男の居場所を明確にする。
【氷の鞭】
地面から五本の氷の鞭が飛び出し、男に巻き付き締め上げた。
「お前は俺を舐め過ぎた。
姿を見せるべきではなかったな」
「いえいえ、舐めていませんよ」
シンプソンの声が背後から聞こえてくる。
氷の鞭に捕らわれていたのは、ロビンソンの死体だった。
隙だらけの背中を斬られたランパードは前のめりに倒れてしまう。
「ば、馬鹿な…………」
「フフフ、失礼しました。素早過ぎましたでしょうか?
これは、敏捷を高める秘宝の力。
この地下迷宮で初めて入手した逸品でございます。
その後、姿形を消す指輪、筋力を上げる腕輪、魔法抵抗力を高めるタリスマンなど、数多くの秘宝を掻き集め、私は無敵となったのです!」
「そんな、物は、所詮まやかしの力に過ぎない。…………うぐっ!ゴブッ!」
伏せるランパードをシンプソンは蹴り飛ばし、無理矢理仰向けにする。
ランパードは口から大量の血を吹き出した。
「いいんですよ。地上での私はただの武器商人なのですから」
「ああ、やはりお前はただの商人だ。
冒険者であれば、未だ生きてる標的に安易に接近しない。
テリー!任せたぞ!」
【大氷壁】
ランパードを中心に分厚い氷が地面から迫り出す。それは瞬く間に通路を塞ぐ程の広範囲の壁を作り出した。
不意をつかれたシンプソンは、後方へ一気に跳躍するが、胴から下を氷で出来た壁の中に閉じ込められてしまう。
術者ごと巻き込んだ氷魔法が、シンプソンをついに捕らえたのだ。
ランパードは氷壁の中でニヤリとほくそ笑んだ。
「なんて出鱈目な魔法!
いやいや、両手が自由ならこんな氷くらい削って脱出するだけです」
速度自慢の武器商人は両手に持ったシンプソンナイフで、脱出するべく腹部まで到達した氷を高速で削り始めた。
魔法で出来た氷は、自然の氷とは理が違う。
削っても削っても、氷はすぐに再生し元通りになる。
必死に足掻くシンプソンだったが、体温は急激に低下し、動きも徐々に遅くなっていき、遂には動かなくなってしまった。
「こ、こんな…………筈では…………」
テリーは巨大な氷壁を見上げ、苦悶の表情を浮かべていた。
この氷魔法は、術者がその身を犠牲にして発動する禁術であり、自身を魔法の核として氷壁の中に閉じ籠る事で、強力な効果を持続させている。
その事をこの剣士は知っていた。
パーティに回復術師がいるからこそ可能な魔法だが、ロビンソンは既に生き絶えている。
早く救助しなければ、術者自身に危険が及ぶ。
「済まぬ!急ぎ戻る!」
テリーは、シンプソンに斬り落とされた自分の右手が握られたままの剣を拾い上げると、二十階層の入り口へ向かって全速力で走り出した。
不幸中の幸いか、二十階層に来てすぐの場所で襲われた事もあり、【転移の間】は目と鼻の先だった。
大聖堂に戻れば神官がいる。回復できる冒険者もいるかもしれない。
すぐ戻ってこれる、と思案した矢先、【転移の間】の扉が開き、聖布の外套を羽織った男性冒険者が出てきた。
聖女から賜る聖布の所持者は、ニースでも一握りの冒険者のみ。
到着直後の金等級冒険者パーティか!
「これは僥倖!貴殿のパーティに回復術師はおられるか?」
テリーは近付き尋ねる。
ところが、この男の後続は続かず、扉は閉じてしまう。
「貴殿、お一人か?」
男は質問に答えず、テリーを見ようともしない。
精悍な顔をした男の視線の先には氷壁があった。
不思議な感覚が漂う。
テリーはすぐその違和感に気付く。
それは、この男の服装にあった。
この男が纏う聖布の外套も装備も、衣裳の年代が百年以上古い。今ではもう作られていないものばかりで、まるで骨董品が歩いて出てきたかのようだった。
「ここに人間が侵入したのは百年ぶりか」
男がボソリと呟く。
テリーが何かを思い出し、驚愕している。
「き、貴殿、その顔、もしやファン・ニステルローイ殿では?い、いや、そもそも年代が違う。生きている訳が無い」
「ほう、この身体の持ち主を知っているのか…………」
「どういう意味だ?」
「虫ケラといえど生かしてはおけぬ」
テリーは不思議な雰囲気を纏う男を警戒していた。
剣士たるもの、間合いには常に細心の注意を払う。
それにも関わらず、テリーの身体はいきなり吹き飛ばされていた。
一瞬で間合いを詰められ攻撃されたのか。
いや、この男の言う通り、邪魔な虫でも払うかのように手を振っただけだった。
だが、その手は獣毛が生え、指には鋭く硬い爪が生えている。
反射的に、いや奇跡的に剣で防御できたに過ぎない。
防御できなければ、致命傷を負っていた。
それよりも、現状飛ばされた勢いのまま壁に叩き付けられると、ただでは済まないだろう。
テリーは覚悟を決めた。
剣を握る左手に力を込め、迫り来る壁に向かって思い切り剣を叩き込む。
剣撃で回転を作り出し、身体を丸め、なるべく勢いを逃すように壁を転がり落ちる。
それでも全ての衝撃は殺しきれるものではなく、全身に激痛が襲う。
地面に着く頃には、身体中の骨が折れ、全身血塗れとなっていた。
もはや指一本動かせそうにない。
「面白い動きをする虫ケラだ。爪が欠けるとはな」
「はっ、はははっ、ゴブッ、ふっ、ふふっ」
「気が触れたか」
何故か笑いが込み上げてきた。
まさかこんなに強い奴がいるなんて。
アリスやランパード、ジェラード、世界を見渡せば、自身より強い奴なんて大勢いるのは知っている。
驕った事は人生において一度たりとも無い。
だが、まさか手も足も出ないなんて。
絶望とはこのような感覚なのか。
「悪魔の爪…………聞いた事がある。貴様、フィテッセを襲った悪魔だな。名前は確か…………」
「お前は虫を殺す時、わざわざ名を名乗るのか?」
「ハーゲンティ」
「虫ケラ如きが口に出していい名では無いぞッ!」
人間の皮を被った悪魔。
こいつの言う通り、俺などは虫ケラに過ぎない。
ランパード、ベルトンゲン、ロビンソン、済まぬ。
…………どうやら俺もここまでのようだ。
意識が薄れゆく。
テリーはゆっくりと目を閉じた————
「…………め…………るなッ!」
…………なんだ?
「諦めるんじゃないぞ!テリー!」
懐かしい声が聞こえたような…………
諦めるな、か。
子供の頃、何度も何度も聞いた台詞だ。
————アイアン・ヴィル
クランの子供の殆どが、彼から剣を教わる。
稽古を通して、冒険者としての覚悟を学ぶ。
まさか、な。
彼は冒険者にしてはとうに老いている。
ましてや銅等級が、ここにいる訳がない。
テリーは重い瞼を持ち上げた。
血が滲みよく見えない視界の中、朧げながらも老戦士の人影がそこにあった。
何故かハーゲンティは離れた場所へ移動している。
「よく生きていたのぅ」
その懐かしい声は紛れもなくアイアン・ヴィルその人だった。
思わず血の混じる涙が溢れ出る。
暗闇の中、光が差し込んできたかのように、優しく暖かい。
「後は任せるんじゃ」
「む、無理だ…………」
「なぁに、儂一人じゃない。頼もしい助っ人もおる」
ヴィルの後ろを見ると、年若い青年と女性の姿があった。
金等級ですら相手にならないのに、老人と女子供、たった三人で挑むだなんて自殺行為だ。
「む、無謀だ…………」
それでも、ヴィルは冒険者ファン・ニステルローイに化けた悪魔に対峙する。
「会いたかったぞ、ハーゲンティ」
「虫ケラが三匹増えたか。面倒な事だ」
「貴様!我らに向かって虫ケラだと!」
「落ち着けラズ。今は爺さんのターンだ」
「済まぬ」
冒険者風の格好をした女が叫ぶと、空間が激しく震えたが、金等級の青年がそれを嗜めると、女は借りてきた猫のようにすんなり大人しくなった。
悪魔は、ラズと呼ばれた女だけを注視している。
ハーゲンティが瀕死のテリーにとどめを刺さずに離れたのは、ラズの存在を警戒したからだ。
そのせいで、悪魔は老戦士の接近に気付かなかった。
回避しようとする悪魔の指二本を切り落とし、その剣先が悪魔に向けられる。
「お前の相手は儂じゃよ。ハーゲンティ」
「虫ケラが、私を斬る…………だと?」
「歴史の中、多くの人間が虫に殺されてきた。儂ら人間は虫の怖さを良ぉく知っとる。
お前ら悪魔だって同じく、人間に多く倒されてきておる。
人間を舐めるんじゃないぞ」
「絶望して死ぬがいい」
ハーゲンティの目が怪しく光り、頭から雄牛のような角が生え、腕が倍以上に膨れ上がる。
異形であっても美しさすら感じるその容貌は、ハーゲンティが高位の悪魔であると証明していた。
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