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リヤド
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テツオに呼び出され、簡易拠点にしているデビルプラントの樹洞から外へ顔を出した瞬間、俺は尻餅をついた。
冗談じゃなく、本当に腰を抜かしてしまったんだ。
守衛に就いていた数名の団員達も、同じように腰を抜かしているか、逃げようと這っているかの二択だった。
その原因は、見上げるほど巨大な竜の出現。
ただそこにあるだけで、神々しいまでの存在感を放っている。
その神秘性は、俺の心を一瞬の内に掴み、そして離さなかった。
テツオの話では、森奥深くにて反乱者である廃貴族ディビットを倒し、悪魔を撃退した後、ひょんな事からこの竜の呪いを解いたのだとか。
俺の冒険者人生で、竜種と対峙した経験は、数えるほどしかない。
遭遇したといっても、恐竜や翼竜ワイバーンなど竜種の中では、比較的弱い部類で、そのどれもが亜種に過ぎず、古代竜種にお目にかかれるなど、一生に一度あるかないか。
俺はテツオという人物を誤解していたのかもしれない。
彼は、貴族や英雄であれ、悪魔であれ、更には古代竜でさえも、分け隔てなく接している節がある。
それは、正義や悪などに偏った物差しでは無く、純粋な冒険者としての理想的な在り方ではないのか。
団の運営ばかりに苦慮している現状の俺には、彼や古代竜がとても眩しく光り輝いて映り、昔見た少年が抱く冒険譚の続きを夢想せずにはいられなかった。
「リヤドさん、聞いてますか?」
「あ、ああ、悪いテツオ」
森の主である古代竜の許可が下り、我々【北の盾】全団員が、赤帯には決して踏み込まず、青帯のみ進む事を守れるのであれば、森を抜けれる確約を得た。
赤帯をこれ以上踏み荒らされたくないとの意向らしいが、赤帯に出現する魔物は桁違いの強さを持つ。我が団としても、それらと戦う必要がないのであれば非常に助かる。
これにより、テツオは最大の勲功を我が団へ齎したのだが、今回の森抜け自体、テツオ発信の依頼。
テツオへの報酬を考えずとも、ふっ、また俺は団の運営ばかりを考えてしまっているな。
「我々は、予定通り森を抜ける道の確保までを任務とし、その道中で得たドロップアイテム等は、全て我々が獲得するものとする。それでいいな?」
「それで大丈夫です。後はお願いします」
「あと…………これは、俺のわがままだが、俺はこれほど見事で美しい竜を、今まで見た事が無い。
竜よ!私はリヤドと申す!是非、お名前をお聞かせ願えないだろうか?」
俺は先程からずっと震えっ放しの身体をなんとか抑えながら、古代竜へと呼びかけた。
「これは驚きました。リヤドさんでも緊張するんですね」
「ハハハ。緊張よりも、恐怖の方が勝っているがな」
すると、すぐに大きな声が響く。
その迫力は、身体の内側からバリバリと裂けるような気さえする。
————我の名は、ファフニール。
人間だけでも数十万と屠ってきた。そのせいで我を邪竜と呼ぶ者もあった。
「…………ファフニール」
その昔、聞いた事がある。
古代竜の中でも、数多くの伝説をもつ竜だ。
人間だろうが悪魔だろうが、多く殺した事で有名だが、本当の話なのか?
「ま、まぁ、昔から竜は討伐するものだと決め付ける冒険者達が、軒並み返り討ちにあったんでしょうね」
テツオが何か言っているが、竜が人間を殺すのはある意味仕方が無い事だ。
人間とは、スケールが違い過ぎて共存出来る訳がない。
竜に比べて、人間は弱過ぎる。
「俺にはとても邪竜などには見えない。
ただ美しい…………」
大翼と太い手脚、厳つい顔付きは、まさに竜の王道と言えるだろう。
こんな竜が実在していただなんて。
————ハーハッハッハ!
我の美に、理解を示す者がいるとは、見込みがあるな。
特別に見せてやろう、我が神通力をっ!
「や、止めろ!」
無礼にもテツオが何か叫んでいる。
すると、信じられない事に、古代竜がなんと人の姿になっていた。
「美しい…………
人の姿で顕現されるとは、貴方が龍神である証左。
されば、邪竜などと呼ぶなど、侮辱の極みでしょう」
————そうであろう、そうであろう。
それこそ、人のとるべき正しき反応だ。
リヤドと名乗りし者よ。
龍神の復活を人の世に広く伝えるが良い。
テツオが治める地は、我の加護に入った、と。
テツオ、何て奴だ!
竜の加護を授かるとはッ!
しかし、それは同時に我が団にとって、安全面での飛躍的な上昇に繋がる。
テツオがジョンテ領を治める限り、この地は安泰になるのだ。
「ファフニール様、しかと承りました!」
その後、本来の姿に戻った古代竜は、飛び上がると、あっという間に森を抜けていった。
俺は、テツオと固い握手を交わした後、森の早期突破に向け、急ぎ拠点へと戻る事にした。
再びファフニールに会える事を期待して。
失っていた冒険者としての輝きを、数年振りに取り戻した気がした。
————————
テツオは、リヤドを見送りながら思案していた。
あの竜の発言が、吉と出るか、凶と出るか、今の時点ではまだ分からない。
だが、森に放ったドローンから、バイコーンに乗る俺達を見るリヤドの記録を得ている。
魔獣を操る場面をリヤドがどう判断するかは分からなかったが、古代竜を見せれば黙るしか無いだろうというのが、俺の算段だった。
そして、結果は上々。
リヤドは、あっさりと竜の虜となった。
まさか、ここまで効果があるとは意外だったが、【北の盾】とは、今後とも良好な関係を築いていきたいので、ひとまず安心できた。
その後、テツオは森を出る。
森の外は暗く、雨が降っていた。
時間は、午前三時。
長く冒険したつもりでいたが、森での滞在時間は計四十二時間。
この世界に来て、既に十日目となっていた。
森に二日近くいた事になる。
今すぐにでも家に帰りたかったが、【北の盾】に籍を置く以上、団長のいるベースキャンプへ報告しに行かなきゃいけない。
団員の義務である。
リリィを抱えたメルロスを、一足先にテツオホームへ帰らせ、俺はソニアの元へと急ぎ向かった。
キャンプ近くに【転移】すると、【北の盾】の団員とは別の兵士達が詰めている。
見た事が無い腕章やマントをつけている。
何だ、こいつらは?何かトラブルだろうか?
とりあえず見つからないように、裏手から団長のいる本営を目指すと、不意に声を掛けられた。
「テツオさん!戻られたんですね!」
名前の知らない年上の銀等級団員だった。
筋骨隆々で、顔もいかつい。つまり、怖い感じの冒険者だ。
あっちが知っているなら、もしかすると俺が覚えていないだけなのかもしれないが、いちいち覚える気もない。
「昨日、貴族の方がお越しになって、それからずっとテツオさんをお待ちです」
「え?」
貴族だって?とすると、前にいた兵士は、その貴族が連れてきた私兵だったのか。
「あー、えっと、その、何の用事だとか、聞いているか?いますか?」
「何でもこの辺り一帯は、その貴族の方が預かる土地らしくて、是非一度挨拶を、と仰ってました」
元々、ジョンテ領全域は、ジョンテ家が代表して治める領土であった。
その広大な土地をジョンテ一族だけで治めていた訳では無く、他にも数家の貴族が属し、領地を与え、税金を徴収するという契約関係で成り立っている。
今回のテロにより、ディビット卿を含め数家の貴族が廃されてしまい、現在、ジョンテに属する貴族は三家しか残っていない。
「り、了解しました」
「失礼します!」
団員はきびきびと走っていった。
話した事の無い団員と話すのは、相変わらず緊張するな。
序列では、敬語を使わなくていいのだが、年上だったし、初対面はどうしても駄目だ。
でも、いかつい見た目と違って、丁寧な対応だったな。
団長がいる本営キャンプ前にやってくると、突然、隣の幕内から誰かが飛び出してきた。
男装っぽいパンツルックに軽装備を纏った女性だ。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
綺麗で豪華な装飾があるので、恐らく彼女が貴族なのだろう。
雨が降っているので、土はぬかるみ、白いブーツが泥まみれになってしまった。
「貴方が、テツオ侯爵様?」
足元の汚れなど気にもかけず、陽気ににこにこしながら話しかけてきた。
暗いし見えにくいからかもしれないが、顔がちと近過ぎないか?
顔は可愛いが、距離感が分からない奴は苦手だ。
あと、真の金持ちは、汚れなどいちいち気にしないのかもしれない。
「そうですが、どちら様でしょう?」
「初めまして!私はサルガド子爵が娘、ミチェルと申します。
お会いできて光栄ですわ!侯爵様」
明るく活発な娘だ。
貴族では珍しくボーイッシュなショートカットにしている。
「若い娘がこんな夜更けに危なくないですか?」
「ウフフ、私がここに到着しましたのは、お昼頃でした。それから、ずーっとこちらに寄留させていただいてます。
この要塞と化した集落に、【北の盾】の方々もいらっしゃいます。
危惧する事など微塵も御座いませんわ」
ふむ、自分が連れてきた護衛については、一切触れず、か。
「雨も降っていますし、立ち話も何でしょう。私に何か用件がおありなら幕内に入りましょうか」
踵を返し、本営へゆっくりと向かうテツオの後を、ミチェルはクスクスと笑いながらついていった。
何を笑っているのか気になって振り返ると、彼女は身体を傾け、上目遣いでジッと見つめてくる。
前屈みになった事で、胸の膨らみが服越しにでもはっきりと確認できた。
くっ、目線に気付かれる訳にはいかない。
「エヘヘ、侯爵様は、面白いお方です。
侯爵様のお側に寄ってから、雨に打たれなくなりましたし、寒くもなくなりました。あと、濡れていた服や靴、それに髪も!いつの間にか綺麗に乾いております。
侯爵様は凄い魔法使いでいらっしゃるのですね」
「せっかく訪ねられた客人に風邪を引かせるわけにいかないだけです。それに、幕内が汚れてしまいますし」
彼女のハキハキした話し声は、雨にも関わらずよく響く。
俺があえて少し突き放す物言いをするのは、本営入り口付近で聞き耳を立てているソニアへ向けての予防線だ。
ソニアの行動は【探知】済みだった。
「団長、夜分失礼します。テツオ、ここに帰還致しました」
「ああ、ご苦労だった」
ソニアはずっと事務作業をしていたかのように振る舞っている。
少し眉間に皺が寄っているのは、怒っているのか、はたまたヤキモチだろうか?
その感情を、彼女が理解しているかまでは、分からない。
「報告致します。
首謀者ディビットとその取り巻きは、全員死にました」
「そうか」
「行方不明になっている方々は見つかりましたか?」
「残念ながら、悪魔の犠牲になったようです」
「そんな…………」
話に割って入ったミチェルは、村人達の訃報にがっくりと肩を落とした。
「申し訳ありません」
「いえ、そんな!侯爵様の所為ではありません。
…………あの、残された身寄りの無い子供達を、サルガド家で保護してもよろしいですか?」
「もちろん構いませんよ。ですが、家族の捜索や、受け入れ等は、我々も協力していきます」
「ありがとうございます」
「では、次の報告ですが、南の森の脅威はほぼ無くなりました」
「そうか」
「【北の盾】の皆様のお陰です。父も喜ぶ事でしょう」
彼女の父親で家長であるサルガド子爵は、ディビット卿に反発した報復で、襲われて大怪我をしたらしい。
「報告は以上です。
団長、後は宜しくお願いします。
サルガド嬢、子爵に宜しくお伝え下さい」
「侯爵様、敬語はお止め下さい。貴方はこの地の領主で、私は一領民に過ぎないのですから。
あと、私の事はどうかミチェルとお呼び下さい」
「分かりました、ミチェル嬢。では、これにて失礼します」
会釈し、本営を後にする。
ソニアが終始素っ気ない感じなのは残念だったが、ミチェルがいる手前、事務的な態度に徹するしか無かったかもしれない。
とりあえず、報告は終わったから、家に帰ろう。
————————
再び一人きりになった本営内で、ソニアは自身の頭を、両手でガシガシとかき乱した。
紫色の長い髪をボサボサにしたまま、大きな溜息を吐く。
「ふぅー、危なかったぁ」
テツオに会った瞬間、反射的に抱きつきそうになった。
あの貴族の娘とやからが来なかったら、一気にいっていたかもしれない。
だいたいなんだあの娘は。
はっ!…………まさか、テツオに気があるんじゃないのか?
いやいや、テツオは貴族で領主なのだ。いくらでも女が寄ってくるだろう。
それより、危険地帯からテツオが無事戻ってきた事に嬉しくて、思わず泣きそうだった。涙を堪えるのが、こんなに大変だと思わなかった。
もしや、これが恋というものなのか?
好きという感情なのか?恋人を想う気持ちなのか?
恋人という言葉に意識すると、テツオで頭がいっぱいになってしまった。
はぁ、私はとうとうここまで、女になってしまったのか。
冗談じゃなく、本当に腰を抜かしてしまったんだ。
守衛に就いていた数名の団員達も、同じように腰を抜かしているか、逃げようと這っているかの二択だった。
その原因は、見上げるほど巨大な竜の出現。
ただそこにあるだけで、神々しいまでの存在感を放っている。
その神秘性は、俺の心を一瞬の内に掴み、そして離さなかった。
テツオの話では、森奥深くにて反乱者である廃貴族ディビットを倒し、悪魔を撃退した後、ひょんな事からこの竜の呪いを解いたのだとか。
俺の冒険者人生で、竜種と対峙した経験は、数えるほどしかない。
遭遇したといっても、恐竜や翼竜ワイバーンなど竜種の中では、比較的弱い部類で、そのどれもが亜種に過ぎず、古代竜種にお目にかかれるなど、一生に一度あるかないか。
俺はテツオという人物を誤解していたのかもしれない。
彼は、貴族や英雄であれ、悪魔であれ、更には古代竜でさえも、分け隔てなく接している節がある。
それは、正義や悪などに偏った物差しでは無く、純粋な冒険者としての理想的な在り方ではないのか。
団の運営ばかりに苦慮している現状の俺には、彼や古代竜がとても眩しく光り輝いて映り、昔見た少年が抱く冒険譚の続きを夢想せずにはいられなかった。
「リヤドさん、聞いてますか?」
「あ、ああ、悪いテツオ」
森の主である古代竜の許可が下り、我々【北の盾】全団員が、赤帯には決して踏み込まず、青帯のみ進む事を守れるのであれば、森を抜けれる確約を得た。
赤帯をこれ以上踏み荒らされたくないとの意向らしいが、赤帯に出現する魔物は桁違いの強さを持つ。我が団としても、それらと戦う必要がないのであれば非常に助かる。
これにより、テツオは最大の勲功を我が団へ齎したのだが、今回の森抜け自体、テツオ発信の依頼。
テツオへの報酬を考えずとも、ふっ、また俺は団の運営ばかりを考えてしまっているな。
「我々は、予定通り森を抜ける道の確保までを任務とし、その道中で得たドロップアイテム等は、全て我々が獲得するものとする。それでいいな?」
「それで大丈夫です。後はお願いします」
「あと…………これは、俺のわがままだが、俺はこれほど見事で美しい竜を、今まで見た事が無い。
竜よ!私はリヤドと申す!是非、お名前をお聞かせ願えないだろうか?」
俺は先程からずっと震えっ放しの身体をなんとか抑えながら、古代竜へと呼びかけた。
「これは驚きました。リヤドさんでも緊張するんですね」
「ハハハ。緊張よりも、恐怖の方が勝っているがな」
すると、すぐに大きな声が響く。
その迫力は、身体の内側からバリバリと裂けるような気さえする。
————我の名は、ファフニール。
人間だけでも数十万と屠ってきた。そのせいで我を邪竜と呼ぶ者もあった。
「…………ファフニール」
その昔、聞いた事がある。
古代竜の中でも、数多くの伝説をもつ竜だ。
人間だろうが悪魔だろうが、多く殺した事で有名だが、本当の話なのか?
「ま、まぁ、昔から竜は討伐するものだと決め付ける冒険者達が、軒並み返り討ちにあったんでしょうね」
テツオが何か言っているが、竜が人間を殺すのはある意味仕方が無い事だ。
人間とは、スケールが違い過ぎて共存出来る訳がない。
竜に比べて、人間は弱過ぎる。
「俺にはとても邪竜などには見えない。
ただ美しい…………」
大翼と太い手脚、厳つい顔付きは、まさに竜の王道と言えるだろう。
こんな竜が実在していただなんて。
————ハーハッハッハ!
我の美に、理解を示す者がいるとは、見込みがあるな。
特別に見せてやろう、我が神通力をっ!
「や、止めろ!」
無礼にもテツオが何か叫んでいる。
すると、信じられない事に、古代竜がなんと人の姿になっていた。
「美しい…………
人の姿で顕現されるとは、貴方が龍神である証左。
されば、邪竜などと呼ぶなど、侮辱の極みでしょう」
————そうであろう、そうであろう。
それこそ、人のとるべき正しき反応だ。
リヤドと名乗りし者よ。
龍神の復活を人の世に広く伝えるが良い。
テツオが治める地は、我の加護に入った、と。
テツオ、何て奴だ!
竜の加護を授かるとはッ!
しかし、それは同時に我が団にとって、安全面での飛躍的な上昇に繋がる。
テツオがジョンテ領を治める限り、この地は安泰になるのだ。
「ファフニール様、しかと承りました!」
その後、本来の姿に戻った古代竜は、飛び上がると、あっという間に森を抜けていった。
俺は、テツオと固い握手を交わした後、森の早期突破に向け、急ぎ拠点へと戻る事にした。
再びファフニールに会える事を期待して。
失っていた冒険者としての輝きを、数年振りに取り戻した気がした。
————————
テツオは、リヤドを見送りながら思案していた。
あの竜の発言が、吉と出るか、凶と出るか、今の時点ではまだ分からない。
だが、森に放ったドローンから、バイコーンに乗る俺達を見るリヤドの記録を得ている。
魔獣を操る場面をリヤドがどう判断するかは分からなかったが、古代竜を見せれば黙るしか無いだろうというのが、俺の算段だった。
そして、結果は上々。
リヤドは、あっさりと竜の虜となった。
まさか、ここまで効果があるとは意外だったが、【北の盾】とは、今後とも良好な関係を築いていきたいので、ひとまず安心できた。
その後、テツオは森を出る。
森の外は暗く、雨が降っていた。
時間は、午前三時。
長く冒険したつもりでいたが、森での滞在時間は計四十二時間。
この世界に来て、既に十日目となっていた。
森に二日近くいた事になる。
今すぐにでも家に帰りたかったが、【北の盾】に籍を置く以上、団長のいるベースキャンプへ報告しに行かなきゃいけない。
団員の義務である。
リリィを抱えたメルロスを、一足先にテツオホームへ帰らせ、俺はソニアの元へと急ぎ向かった。
キャンプ近くに【転移】すると、【北の盾】の団員とは別の兵士達が詰めている。
見た事が無い腕章やマントをつけている。
何だ、こいつらは?何かトラブルだろうか?
とりあえず見つからないように、裏手から団長のいる本営を目指すと、不意に声を掛けられた。
「テツオさん!戻られたんですね!」
名前の知らない年上の銀等級団員だった。
筋骨隆々で、顔もいかつい。つまり、怖い感じの冒険者だ。
あっちが知っているなら、もしかすると俺が覚えていないだけなのかもしれないが、いちいち覚える気もない。
「昨日、貴族の方がお越しになって、それからずっとテツオさんをお待ちです」
「え?」
貴族だって?とすると、前にいた兵士は、その貴族が連れてきた私兵だったのか。
「あー、えっと、その、何の用事だとか、聞いているか?いますか?」
「何でもこの辺り一帯は、その貴族の方が預かる土地らしくて、是非一度挨拶を、と仰ってました」
元々、ジョンテ領全域は、ジョンテ家が代表して治める領土であった。
その広大な土地をジョンテ一族だけで治めていた訳では無く、他にも数家の貴族が属し、領地を与え、税金を徴収するという契約関係で成り立っている。
今回のテロにより、ディビット卿を含め数家の貴族が廃されてしまい、現在、ジョンテに属する貴族は三家しか残っていない。
「り、了解しました」
「失礼します!」
団員はきびきびと走っていった。
話した事の無い団員と話すのは、相変わらず緊張するな。
序列では、敬語を使わなくていいのだが、年上だったし、初対面はどうしても駄目だ。
でも、いかつい見た目と違って、丁寧な対応だったな。
団長がいる本営キャンプ前にやってくると、突然、隣の幕内から誰かが飛び出してきた。
男装っぽいパンツルックに軽装備を纏った女性だ。
年齢は二十代前半くらいだろうか。
綺麗で豪華な装飾があるので、恐らく彼女が貴族なのだろう。
雨が降っているので、土はぬかるみ、白いブーツが泥まみれになってしまった。
「貴方が、テツオ侯爵様?」
足元の汚れなど気にもかけず、陽気ににこにこしながら話しかけてきた。
暗いし見えにくいからかもしれないが、顔がちと近過ぎないか?
顔は可愛いが、距離感が分からない奴は苦手だ。
あと、真の金持ちは、汚れなどいちいち気にしないのかもしれない。
「そうですが、どちら様でしょう?」
「初めまして!私はサルガド子爵が娘、ミチェルと申します。
お会いできて光栄ですわ!侯爵様」
明るく活発な娘だ。
貴族では珍しくボーイッシュなショートカットにしている。
「若い娘がこんな夜更けに危なくないですか?」
「ウフフ、私がここに到着しましたのは、お昼頃でした。それから、ずーっとこちらに寄留させていただいてます。
この要塞と化した集落に、【北の盾】の方々もいらっしゃいます。
危惧する事など微塵も御座いませんわ」
ふむ、自分が連れてきた護衛については、一切触れず、か。
「雨も降っていますし、立ち話も何でしょう。私に何か用件がおありなら幕内に入りましょうか」
踵を返し、本営へゆっくりと向かうテツオの後を、ミチェルはクスクスと笑いながらついていった。
何を笑っているのか気になって振り返ると、彼女は身体を傾け、上目遣いでジッと見つめてくる。
前屈みになった事で、胸の膨らみが服越しにでもはっきりと確認できた。
くっ、目線に気付かれる訳にはいかない。
「エヘヘ、侯爵様は、面白いお方です。
侯爵様のお側に寄ってから、雨に打たれなくなりましたし、寒くもなくなりました。あと、濡れていた服や靴、それに髪も!いつの間にか綺麗に乾いております。
侯爵様は凄い魔法使いでいらっしゃるのですね」
「せっかく訪ねられた客人に風邪を引かせるわけにいかないだけです。それに、幕内が汚れてしまいますし」
彼女のハキハキした話し声は、雨にも関わらずよく響く。
俺があえて少し突き放す物言いをするのは、本営入り口付近で聞き耳を立てているソニアへ向けての予防線だ。
ソニアの行動は【探知】済みだった。
「団長、夜分失礼します。テツオ、ここに帰還致しました」
「ああ、ご苦労だった」
ソニアはずっと事務作業をしていたかのように振る舞っている。
少し眉間に皺が寄っているのは、怒っているのか、はたまたヤキモチだろうか?
その感情を、彼女が理解しているかまでは、分からない。
「報告致します。
首謀者ディビットとその取り巻きは、全員死にました」
「そうか」
「行方不明になっている方々は見つかりましたか?」
「残念ながら、悪魔の犠牲になったようです」
「そんな…………」
話に割って入ったミチェルは、村人達の訃報にがっくりと肩を落とした。
「申し訳ありません」
「いえ、そんな!侯爵様の所為ではありません。
…………あの、残された身寄りの無い子供達を、サルガド家で保護してもよろしいですか?」
「もちろん構いませんよ。ですが、家族の捜索や、受け入れ等は、我々も協力していきます」
「ありがとうございます」
「では、次の報告ですが、南の森の脅威はほぼ無くなりました」
「そうか」
「【北の盾】の皆様のお陰です。父も喜ぶ事でしょう」
彼女の父親で家長であるサルガド子爵は、ディビット卿に反発した報復で、襲われて大怪我をしたらしい。
「報告は以上です。
団長、後は宜しくお願いします。
サルガド嬢、子爵に宜しくお伝え下さい」
「侯爵様、敬語はお止め下さい。貴方はこの地の領主で、私は一領民に過ぎないのですから。
あと、私の事はどうかミチェルとお呼び下さい」
「分かりました、ミチェル嬢。では、これにて失礼します」
会釈し、本営を後にする。
ソニアが終始素っ気ない感じなのは残念だったが、ミチェルがいる手前、事務的な態度に徹するしか無かったかもしれない。
とりあえず、報告は終わったから、家に帰ろう。
————————
再び一人きりになった本営内で、ソニアは自身の頭を、両手でガシガシとかき乱した。
紫色の長い髪をボサボサにしたまま、大きな溜息を吐く。
「ふぅー、危なかったぁ」
テツオに会った瞬間、反射的に抱きつきそうになった。
あの貴族の娘とやからが来なかったら、一気にいっていたかもしれない。
だいたいなんだあの娘は。
はっ!…………まさか、テツオに気があるんじゃないのか?
いやいや、テツオは貴族で領主なのだ。いくらでも女が寄ってくるだろう。
それより、危険地帯からテツオが無事戻ってきた事に嬉しくて、思わず泣きそうだった。涙を堪えるのが、こんなに大変だと思わなかった。
もしや、これが恋というものなのか?
好きという感情なのか?恋人を想う気持ちなのか?
恋人という言葉に意識すると、テツオで頭がいっぱいになってしまった。
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Japan of the Dead〜 生存者たちの旅路〜
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