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番外編
【番外編・2-4】蜜月時間
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■
四阿の前には給仕の為の侍女が待っていてくれた。
サリは、はしゃぎ過ぎていた自身の行動を見られていたのかもしれないと顔を赤くして、下ろして欲しいとフリッツにせがむ。しかし、当然のようにそのまま席に着いたフリッツの膝の上に乗せられた。
シーラン伯爵家の使用人たちの前ではだいぶ慣れたが、それでもここはフリッツの職場でもある王城だ。そこの侍女の前でなど、落ち着ける訳がない。
恥ずかしくて顔を上げられないでいるサリに気が付くことなく、フリッツは侍女が注いでくれた果実水を受け取り「後は自分達でするよ。ありがとう」と鷹揚に頷いてみせた。
それを承けて、侍女は下がる。
四阿に夫婦ふたりきりとなった処で、フリッツがサリの口元へといつもの様にちいさく千切ったパンを差し出した。その先には、たっぷりと蜂蜜が塗られていた。
「早く食べないと、溢してしまうよ?」
躊躇しながらも結局はちいさく唇を開ければ、太くて節くれだった指がゆっくりとそこへとパンを差し入れた。
クリームチーズが中に塗られたカスクードは当然だが蜂蜜との相性は抜群だ。
口の中に、チームチーズの芳醇な味わいと蜂蜜のコクのある甘さが広がる。
間違いなく、美味しい。
「……ン」
やはりというか、躊躇した分だけ蜂蜜がサリの口元へと垂れる。
フリッツの指先にも付いてしまったのだろう。じゅるりとそれを嘗め上げた音が耳元で響いたと思うと、濡れた指がサリの唇を拭った。
「……だめよ、他人が、見てるわ」
「でもこれが、新婚夫婦の正しい食事だ。それに四阿の中のことなど誰も気にしたりしないさ。目隠しもある」
夏椿の瑞々しい生い茂った葉が、王城の窓からの視線を遮っている。
白い花弁が風に揺れて、太陽の日差しを浴びて光る。
けれども、サリの目線に人が入ることはなかったし、人のざわめきすら樹々の葉の擦れる音に紛れて聞こえない。
沢山の人が働き、畏れおおくも王族の方々が暮らしている王城内だということを忘れそうになる。
「殿下からゆっくりしてきていいと言質は頂いているが、そろそろ僕もお腹が空いた。サリ?」
強請るように、口を開け、目を閉じているフリッツに、ついにサリは根負けした。
つい昨日までは、当たり前のようにしてきた行為ではある。ただ、ここが自邸ではなく外であり、重ねて言うならば夫の職場でもある王城内の中庭であるということだけが、サリの中で問題なのだ。
不安定なフリッツの膝の上から手を伸ばして、先ほどフリッツが千切ったカスクードの残りを取り上げる。
慣れた様子で、サリは大きめにそれを千切ると、それで蜂蜜をたっぷり掬い取ると、愛する夫の口へと運び入れた。
ちゅっ。
パンを運んだサリの指先を、フリッツのいたずらな舌が吸い上げる。
「もうっ」
慌てて取り返したサリの頬が上気して、瞳が淡く赤味を帯びた。
「蜂蜜が付いていたんだよ。甘くておいしかった」
悪びれもせず笑顔のまま言い放つフリッツの頬を、サリが容赦なく両手で挟み込んだ。
そのままお互いを抱きしめ合う。
はしゃいだ笑い声が響く。
それからは慣れた様子で、交互にお互いの口へと食べ物を運び合った。
フィリングを挟んだカスクード、ひと口大に切ってあったコールドミート、ピックに刺さったチーズ、房から外した葡萄の粒。
そうして、サリがニーナに手伝って貰って焼いてきた苺のパウンドケーキ。
まだほんのりと温かいそれを、お互いの口元へと運び合い、時に自分で食べようと方向を変え、けれど結局は奪われるようにして、相手の口にそれが入る。
じゃれ合い、笑い合い、見つめ合い。
ふたりが、幸せな時間を堪能し切った頃には、城内で昼食を楽しむ者は他には誰一人もいなくなっていた。
というより、四阿に来る時には見かけた、同じように中庭で満開になっている花々を楽しむ人の姿すら見かけることはなかった。
すでに皆、午後の仕事に戻っているようだ。
「許可を得ているとはいえ、長居し過ぎたのではないでしょうか」
落ち込んだ様子のサリの頭へフリッツは宥めるようにキスを贈る。
「大丈夫さ。本当ならば、僕はアーベル=シーラン家へ帰るつもりだったんだ。こうして執務室で仕事をしているだけでも殿下はサリに感謝しているさ」
「そうでしょうか」
いちゃいちゃと、ふたりで四阿の中を片付けていく。
サリが持ってきたバスケットへ、テーブルの上に広げてあったものを纏めると、それを持って中庭を後にした。
*********
※※※ 結婚前のある日のフリッツ・アーベル=シーラン伯爵とその忠実なる執事の会話 ※※※
「それでトーマス。新婚夫婦というものは、どんな風に過ごすのが正解なんだ?」
「それを独身彼女なしで生きてきた私に訊ねて、正解が返って来るとお思いですか?」
「…………すまん」
「いいえ。若干胸にくるものがございましたが、許容範囲です」
「しかし、ならばどうすればいいんだ」
「……知識を得るには先人に訊くのが一番。先人が遺した知恵の宝庫といえば」
「書物だな?」
「それも、古くてカビの生えたような知識では良くないかと思います。若いお嬢様方が憧れるような、イマドキの結婚生活が記されている本を探して参りましょう」
「なるほど! 頼んだぞ、トーマス」
こうして、フリッツにとって正しい新婚夫婦の食事の仕方というのは、ロマンス小説が参考書となったのであった。
以降、サー・クリームケーキの意味する所が、『脳みその代わりに生クリが詰まっていそうだ』というものになったとかならなかったとか。
四阿の前には給仕の為の侍女が待っていてくれた。
サリは、はしゃぎ過ぎていた自身の行動を見られていたのかもしれないと顔を赤くして、下ろして欲しいとフリッツにせがむ。しかし、当然のようにそのまま席に着いたフリッツの膝の上に乗せられた。
シーラン伯爵家の使用人たちの前ではだいぶ慣れたが、それでもここはフリッツの職場でもある王城だ。そこの侍女の前でなど、落ち着ける訳がない。
恥ずかしくて顔を上げられないでいるサリに気が付くことなく、フリッツは侍女が注いでくれた果実水を受け取り「後は自分達でするよ。ありがとう」と鷹揚に頷いてみせた。
それを承けて、侍女は下がる。
四阿に夫婦ふたりきりとなった処で、フリッツがサリの口元へといつもの様にちいさく千切ったパンを差し出した。その先には、たっぷりと蜂蜜が塗られていた。
「早く食べないと、溢してしまうよ?」
躊躇しながらも結局はちいさく唇を開ければ、太くて節くれだった指がゆっくりとそこへとパンを差し入れた。
クリームチーズが中に塗られたカスクードは当然だが蜂蜜との相性は抜群だ。
口の中に、チームチーズの芳醇な味わいと蜂蜜のコクのある甘さが広がる。
間違いなく、美味しい。
「……ン」
やはりというか、躊躇した分だけ蜂蜜がサリの口元へと垂れる。
フリッツの指先にも付いてしまったのだろう。じゅるりとそれを嘗め上げた音が耳元で響いたと思うと、濡れた指がサリの唇を拭った。
「……だめよ、他人が、見てるわ」
「でもこれが、新婚夫婦の正しい食事だ。それに四阿の中のことなど誰も気にしたりしないさ。目隠しもある」
夏椿の瑞々しい生い茂った葉が、王城の窓からの視線を遮っている。
白い花弁が風に揺れて、太陽の日差しを浴びて光る。
けれども、サリの目線に人が入ることはなかったし、人のざわめきすら樹々の葉の擦れる音に紛れて聞こえない。
沢山の人が働き、畏れおおくも王族の方々が暮らしている王城内だということを忘れそうになる。
「殿下からゆっくりしてきていいと言質は頂いているが、そろそろ僕もお腹が空いた。サリ?」
強請るように、口を開け、目を閉じているフリッツに、ついにサリは根負けした。
つい昨日までは、当たり前のようにしてきた行為ではある。ただ、ここが自邸ではなく外であり、重ねて言うならば夫の職場でもある王城内の中庭であるということだけが、サリの中で問題なのだ。
不安定なフリッツの膝の上から手を伸ばして、先ほどフリッツが千切ったカスクードの残りを取り上げる。
慣れた様子で、サリは大きめにそれを千切ると、それで蜂蜜をたっぷり掬い取ると、愛する夫の口へと運び入れた。
ちゅっ。
パンを運んだサリの指先を、フリッツのいたずらな舌が吸い上げる。
「もうっ」
慌てて取り返したサリの頬が上気して、瞳が淡く赤味を帯びた。
「蜂蜜が付いていたんだよ。甘くておいしかった」
悪びれもせず笑顔のまま言い放つフリッツの頬を、サリが容赦なく両手で挟み込んだ。
そのままお互いを抱きしめ合う。
はしゃいだ笑い声が響く。
それからは慣れた様子で、交互にお互いの口へと食べ物を運び合った。
フィリングを挟んだカスクード、ひと口大に切ってあったコールドミート、ピックに刺さったチーズ、房から外した葡萄の粒。
そうして、サリがニーナに手伝って貰って焼いてきた苺のパウンドケーキ。
まだほんのりと温かいそれを、お互いの口元へと運び合い、時に自分で食べようと方向を変え、けれど結局は奪われるようにして、相手の口にそれが入る。
じゃれ合い、笑い合い、見つめ合い。
ふたりが、幸せな時間を堪能し切った頃には、城内で昼食を楽しむ者は他には誰一人もいなくなっていた。
というより、四阿に来る時には見かけた、同じように中庭で満開になっている花々を楽しむ人の姿すら見かけることはなかった。
すでに皆、午後の仕事に戻っているようだ。
「許可を得ているとはいえ、長居し過ぎたのではないでしょうか」
落ち込んだ様子のサリの頭へフリッツは宥めるようにキスを贈る。
「大丈夫さ。本当ならば、僕はアーベル=シーラン家へ帰るつもりだったんだ。こうして執務室で仕事をしているだけでも殿下はサリに感謝しているさ」
「そうでしょうか」
いちゃいちゃと、ふたりで四阿の中を片付けていく。
サリが持ってきたバスケットへ、テーブルの上に広げてあったものを纏めると、それを持って中庭を後にした。
*********
※※※ 結婚前のある日のフリッツ・アーベル=シーラン伯爵とその忠実なる執事の会話 ※※※
「それでトーマス。新婚夫婦というものは、どんな風に過ごすのが正解なんだ?」
「それを独身彼女なしで生きてきた私に訊ねて、正解が返って来るとお思いですか?」
「…………すまん」
「いいえ。若干胸にくるものがございましたが、許容範囲です」
「しかし、ならばどうすればいいんだ」
「……知識を得るには先人に訊くのが一番。先人が遺した知恵の宝庫といえば」
「書物だな?」
「それも、古くてカビの生えたような知識では良くないかと思います。若いお嬢様方が憧れるような、イマドキの結婚生活が記されている本を探して参りましょう」
「なるほど! 頼んだぞ、トーマス」
こうして、フリッツにとって正しい新婚夫婦の食事の仕方というのは、ロマンス小説が参考書となったのであった。
以降、サー・クリームケーキの意味する所が、『脳みその代わりに生クリが詰まっていそうだ』というものになったとかならなかったとか。
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