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第2章 君の戴く王冠

第2章29話 多分、虫

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「目障リデ小賢シイ虫ダッタガ、ヨク此処マデ足掻イタモノダ」

 異能による霧に蝕まれ、立つこともままならないセレスとカイン。
ドールは遠くから一方的に声をこちらに響かせるだけで、近寄ってこようとしないのは、霧で気を失ったところで確実に仕留めるためだろう。カウンターを警戒する慎重さをあの怪物が持ち合わせているという事実はなかなか信じがたい。

「あらあら、怖くて動けないのかしら?」

「安イ挑発ニ乗ッテヤルノモやぶさカデハナイガ、今ハ貴様ラガ無様ニ倒レル様ヲ楽シムトシヨウ」

 セレスを鼻で笑うとドールは歪な位置にある眼球をぎょろりと動かした。

 セレスは既にドールに届かせるほどの大声を出せなくなっている。呼吸が浅く激しい頭痛に襲われて、まるで毒ガスを吸わされたような状況。
 カイン曰く、そう錯覚させる『異能』であるらしいが、カインがあらたに『風の膜』で覆ってくれない限り、それを振り払う方法はない。

「すまない、セレス」

 カインがまた同じように呟いた。
 仕留めきれなかったカインと、分裂体を見逃したセレス。どちらが一歩的に責められるいわれはない。しかし、セレスはカインの表情を見ると、食いしばっていた口元が和らいだ。

「どうして謝るの?」

「少し、時間がかかりすぎた・・・・・・・・・

 勝利を確信したカインの笑み。それを見たドールが肩をびくりと振るわせた。

 直後、爆発音が空気を震わせた。

 崩壊する天井と、落下する巨石。
 
「ヌゥウウォォォオオッッ!」

 唐突な事態に対応が遅れたドールは危険域を脱することができず、次々に降り注ぐ瓦礫の下敷きになっていった。

 

 抜けた天井からは青空が覗いている。

「死ぬかと思ったあ」

 呑気な感想を吐いたのはセレスだった。深い傷を負ったカインを肩に担いで遅いペースで瓦礫の山に近づいていく。
 天井の崩落と同時に霧の結界が消失すると、二人を蝕んでいた症状はみるみると回復し数分と立たないうちに問題なく歩けるようになった。

「なんとか、生き延びた」

 そう返事をするカインは霧ではなく、魔力の欠乏によりいつ意識を失ってもおかしくない状態だったが、それでも生き延びた清々しさに笑みを浮かべている。
 風刃の網も四連・破裂も通じなかったカインは、天井に風の杭を何本も打ち込み、最適なタイミングで圧縮した空気を爆発させ、天井の崩壊を起こしたのだ。

 風の膜の維持を放棄し、残った魔力をすべて使った最後の手段だったが、瓦礫の下で鎧を脱いだドールがのたうち回っているのを見て、その選択が正解だったとカインは胸を撫で下ろした。

「オノレ、オノレェェ!」

 ドールは瓦礫に押しつぶされているように見えるが、実際は瓦礫から身を守った黒泥の足場となってしまい、抑えつけられている状態だった。
 瓦礫に潰されただけであれば、分裂して逃亡を測ることも、戦いを続行させることもできただろうが、体に密着する黒泥に押さえつけられては、そうすることもできないのだろう。

「こいつ結局なんだったの?」

 セレスの素朴な疑問に、カインはしばらく黙って考えた後に、

「『蟲』の異能だったんじゃないかな」

 と弱々しい推論を述べた。

「虫ぃ?」

「こいつは途轍もなく小さい生物が集合した個体のような群れなんだよ。だから、分裂も結合もできる」

「貴様、私ヲ虫ト愚弄スルカ!」

 カインの説明にセレスはあまり納得がいっていないようで、首を傾げた。目の前のドールは激しく激高しているが、二人とも歯牙にもかけていない。

「まあ、なんでもいいわ。虫ね、きもいから燃やしましょ」

 セレスは肩からカインを降ろし、魔石を取り出す。魔石をじっと見つめて凍り付いたようにすると、屈託のない笑顔をカインに向けた。

「虫とか触りたくないからカインがやってよ」

「俺、怪我人なんだけど」

「あら奇遇ね、私もよ」

 そういって、肩の深くはない切り傷を指さすセレス。カインはため息をついて、素手で魔石をドールにねじ込もうしたその刹那、

「えっ」

 魔石が何かに打ち砕かれ、大きな火花を発して地面に落下した。
 謎の弾丸が放たれた方向を見るよりも先に、波のような黒泥がカインとセレスを飲み込んだ。
 回避行動はおろか、悲鳴を上げる隙もない強襲。ドールさえも想定外だった出来事に、二人は成すすべもなく黒泥の餌食となる。

「コ、コレハ……」

 ドールが怯えたような声を出すと、黒泥の波は引いていき、最後には意識のないカインとセレスが残った。
 かつかつと緩慢なペースで足音が近づいてくる。
 そして、いまだに動けないドールを見下せる位置まできたのは、ノーラントだった。
 
「シルミアは離脱か。全く、使えない部下達だ」

 咎めるその言葉に、まるで感情が込められていない。
 ノーラントは腕を後ろで組んだまま、何も言わずに黒泥で瓦礫を退かす。解放されたドールは、すぐさま跪き頭《こうべ》を垂れる。

「申シ訳アリマセン、我ガ主ヨ」

「言い訳は不要だ。次はない」

 淡々と返される言葉に、ドールは「御意」と返事をした。
 ノーラントはドールに関心がないようで、その身の心配も叱責もないまま、周りを見渡した。

「見た顔がないな」

 ノーラントが探していたのは、家が燃えた直後、身の程もわきまえずに楯突いた少年だった。侵入者の報告がきたときすぐにその顔が思い出せれたが、それならそれで構わないと踵を返そうとしたところ、顔を上げないままのドールが報告をした。

「下デゴザイマス」

「そうか」

 そういうと、ノーラントは先ほどと同じように余裕ある歩幅で階段を下る。

「急がなくて、よろしいのですか」

 ノーラントの後ろに着けるドールが恭しく尋ねるとノーラントは「はっはっは」と彼にしては珍しく声を上げて笑った。

「アレが逃げたがるわけがないだろう。なにを慌てる必要がある」



ーー・--・--・--



 薄暗い回廊。無限に続くと錯覚を与えるその道で、一つの影がテルを出迎えるようにして待っていた。
 何者かの気配に、テルは頬を硬くする。しかし、その緊張はすぐに解かれた。
 
 そこにいたのは小さな小動物だった。
 小さな体に、それには不釣り合いな大きな耳がピンと伸びている。リスのようにもキツネのようにも見える、見たことのない真っ白な動物だ。

 動物はこちらを見ると、廊下の奥のほうに走り出し、少し距離ができるとまたこちらを振り返った。

「ついてこいってことなのか……?」

 まさかな、と思いつつ、小動物の視線は何かを訴えるような力強さがあった。

「よし」
 
 テルは小さな声で覚悟を決め、怪しみながらも後をついて行った。
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