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第1章 無垢な君への道標

第1章1話 挫かれる出鼻

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 眩しいとは言い難い月明り。冷え切った風。威嚇するように音を上げる木々と葉。使い古したスニーカーが踏みしめるのは、雑草が生い茂った自然そのままの大地。

 そんな、歓迎とはかけ離れた環境に、少年は立たされていた。

 樹木の影が周囲全てを黒々と染めており、自分の立つ場所が奇跡のようにぽつんと月の光で照らされている。当然、他に明かりになるものもない。

 そんな漆黒の森に、恐怖するのは必然だろう。

「どうして、こんな場所に……」

 今にも崩れ落ちそうな恐怖の中、理不尽とも言える状況に、過去の記憶を引っ張り出そうとする。
しかし、思い出せるのは、極彩色と暗闇だけが広がる荒野。そこに自分がぽつんと立っているだけの面白みのない光景だ。
その前の景色はというと、強烈な浮遊感と迫りくる水面。それだけ。

 どちらも碌なものではないと、かぶりを振り、目の前の現実から生き延びるために思考を巡らせる。

「落ち着け。大丈夫。怖くない」

 何度も唱えて、パニックになりかけの心を強引に抑えつけた。

 さっきよりも少しだけ落ち着きを取り戻すと、自分がスマートフォンを持っていることを思い出す。どうして今まで忘れていたのかもわからないが、とにかく電源を付けてみると、この電子機器が全く使い物にならないことがわかった。

 時刻は昼の十三時三分と表示しており、当然圏外。役に立つことも知りたいこともなにも教えてくれない機器を再びポケットにしまうと、暗い夜道に歩みを進めた。

 雑草に行く手を阻まれながら、人がいた痕跡を探し続けたが、成果がないまま時間だけが過ぎていく。

「くそ、坂道なんて上るんじゃなかった」

 それはつい先刻、少年が斜面を見つけたときのことだ。山で迷ったら上を目指せ、そんな言葉は、僅かに心に希望を与え、高揚した足取りで勾配のきつい道を上っていった。しかし、そんな淡い期待はすぐに破れた。

「砂漠……?」

 砂漠が地平線の果てまで広がっている。そこに人工物など当然ないし、植物や野生動物など生命が存在する余地さえもない。
 月の光を取り込んで、銀に近い白を発しており、美しく残酷な雄大さと、期待外れの疲労感にへろへろとその場に座り込んでしばらく動けなかった。


 そしてまた、当てもなく歩き続ける。

 斜面を下り、一時間ほど歩いた頃、少年の耳は呻き声らしき音を拾った。びくりと肩を跳ねさせて、周囲を警戒する。

 しかし、二度目のうめき声でそれが犬や熊のような猛獣のものではなく、人の発したと思われるものであったことに気づく。

「誰かいますか」

 恐る恐る声を上げると、それに応えるように、掠れるような小さな声が聞こえ、人であることを確信する。

 聞こえた方角を頼りに、人の姿を探した。声が小さかったのでかなり遠くにいるものかと思ったが、その予想ははずれ、見つけるのにそれほど時間は掛からなかった。

 しかし、あまりにも想定外の光景に、少年は言葉を失った。

 大きな樹の幹に寄りかかるように壮年の男が座っている。ついに見つけた自分以外の人間。
 それでも少年が手放しに喜ぶことができなかったのは、その男の腹部から大量の血液が流れ出ているからだった。

 不意に零れそうになった悲鳴と、逃げ出したい足をなんとか抑える。

「あの、大丈夫ですか……?」

「■■■…………■……■■」

 未知の異言語を発する男。その声が良き絶え絶えに発せられていること関係なしに、全く意味が通じない。

 男の金色の瞳と、目が合う。

 栗毛の頭髪を血で汚した男は、見るからに日本人ではない。だというのに、男は独り言なのか、なにかを口にし続ける。

「■■■、■■……■■—————ゴフッ」

 咳き込むような音とともに血を噴き出す男。
 少年は駆け寄って何かできることはないか探す。この瀕死の男に死なれてしまえば、また当てもなく夜の森を彷徨うことになる。

 粘度の高く鉄臭い液体が手にまとわりついたとき、ふと視線が地面に向いた。赤い大きな水溜まりが広がっている。
 どれほどの血を失えば命を落とすのか、正確な知識は持ち合わせていなかったが、その大きな血だまりはこの男の命が長くないことを物語っている。

「くそ、待ってくれよ!」

 そんなことを言っても、流れる血は止まらないし、そもそもこの言葉が男に通じているとは思えない。男が訴えるなにかを必至に拾い取ろうとするが、当然それも理解できない。

 そして次に少年が聞いたのは、おぞましさを覚えるような奇声だ。
 咄嗟に振り向くと、目の前に迫っていたのは、異形の化け物だ。

 体のシルエットは中型の犬といったところだが、恐ろしいのは頭部に幾つもの眼球を備えていることだ。

「……!」

 驚愕のあまり声さえ出ない少年に目がけて、化け物が飛び掛かる。反射で目を瞑る。

ざざあ。

砂が崩れるような音、耳元で聞こえたかと思うと、「ぎゃんっ」という断末魔が響いた。

 目を開ければ、先ほどの異形の化け物が長剣で串刺しになっていた。

 この男がやったのだろうか、いや、そんなはずはない。背後の男は先ほどから動いた気配はないし、剣なんて初めから持っていなかった。

 化け物は動かなくなると、ぼろぼろと体が灰のように崩れていき、跡形もなく消滅した。化け物を貫いていた剣も、同じように消え去った。

 嫌悪感を覚える未知の生物に、少年の持つ知識では説明のできない現象。

 現実ではありえないような出来事が立て続けに起こり、体の震えを堪え切れない。
 ふと、瀕死の男の口元が、にやりと歪んでいることに気づく。

 状況にそぐわないその表情に少年は不気味さを覚え、背中に冷たい汗が流れると、じわりとした不快な感覚が体に走る。
それは今すぐこの場から離れたくなるような、端的にいえば“嫌な予感”であったのだが、それに気づいたときにはもう遅かった。

 ざざあ、また砂の崩れる音。

「え」

 トン、という胸への衝撃。少年がおもむろに目線を向けた先にあったのは、自分の胸を貫く、長い一本の剣だった。
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