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一章
裏切り者
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巨大な一級戦列艦が、列を成して海上を走っていく。メインマストには、アリビア帝国の国旗がはためいていた。
水軍の軍服を着た男達が、忙しく甲板を動いている。
彼らは帝国水軍の任務のうち、治安警備を一任されている『神風』という艦隊だった。
平時は海の治安維持が主な仕事で、具体的には、領海違反、密輸、海賊の取り締まりである。
この神風艦隊の司令官兼旗艦『神風』の艦長であり、戦時の水軍本部では、副参謀長の地位にあるアーヴァイン・ヘルツは、海賊たちから「ハンター」と呼ばれ、恐れられている男だった。
アーヴァインには暗い過去があった。彼は三年ほど前、妻を海賊に殺されていた。
その恨みをはらすため、中将という階級にはつりあわない海上警備の任に自ら着く事を望んだのである。
アーヴァインは三十代半ばのやや気だるげな男だった。
戦時においても激昂することなく、落ち着いた判断力を買われているが、敵には情け容赦無い残酷な一面を見せる。
特にこの三年で討伐した海賊の処遇に関しては、部下も引くほどである。
今まで三つの巨悪な海賊団が、彼の率いる神風艦隊によって壊滅に追い込まれていた。
それでも、アーヴァインの望む獲物にはまだ出会っていなかった。
『躯の家』……それが、アーヴァインの妻を殺害した海賊団の名だった。
『躯の家』の根城を突き止めたのは、密告があったからだ。『躯の家』と敵対している海賊『月光』の斥候役だった。
その男の条件は、自分の組織の首領の身柄だと言う。
「数年前は、確かに敵対していた。だけどあの二つの組織は今や、ともに獲物を狩るまでに親密になっている」
そう言った密告者は、海賊とは思えないほどきちんとした身なりの、そこかしこに気品を漂わせた青年だった。
名はエルグランと言って海賊団『月光』の幹部である。
「どちらも潰してくれて結構だ。ただし『月光』の首領だけは、俺に引き渡して欲しい」
アーヴァインは戻ってきた島鳩を指で可愛がる。予定通り、隠れ家に入港したようだ。
それから事務的な態度の青年をしげしげと眺め、錆びを含んだ声で問い掛けた。
「何故、己の家族とも言える組織を売る?」
「家族?」
エルグランは失笑した。
「俺は家族をもったことはない。あいつらは、同じ穴の狢だ。クズの集まりなんだ」
粗野な海賊どもと、元々はいい育ちのエルグランはあまり馴染んでいなかった。
他に居場所と生きていく能力が無かったから、海賊団に入団しただけのこと。
しかし、そのクズの中にも、光る石を見つけた。
それが首領のカティラだ。
先代の首領が乗組員の反対を押し切って船に乗せた、航海術を熟知した少女。
成長し、目の醒めるような美女になったカティラに、エルグランはいつしか、身悶えするほどの欲望を感じていた。
他の乗組員だって、カティラの小娘とは思えないような迫力や強さに畏怖の念を抱いていなければ、彼と同じような感覚に陥っていたはずだ。
男だらけの海賊船に女が乗っているのだから、責められないことであろうとエルグランは思う。
実際に、そんな危険な感情を持っているのが自分だけではないことも知っている。
とくに――
「ゲルクっていう銀髪のガキが、『躯の家』のリーダーだ。こいつは危険だ。剣の腕も、格闘技も、奴に敵うものはいない」
もともと没落した下級貴族の息子であるエルグランも、剣ではかなりの自信がある。しかしそれでも、あのゲルクに勝てるとは思わない。
……だがこのアーヴァインという軍人を見ていると、妙な迫力――居るだけで場を圧倒するような――に期待が高まった。
これが、ハンター、海の処刑人等さまざまな異名を持つ男か。
「あんたに殺せるか? ゲルクは、強いぜ」
そう言って『神風』の艦長の顔を見たエルグランは、次の瞬間ぞくりと身を震わせていた。
アーヴァインは咥えていた煙草をつまみ、冷酷にその顔を歪めていたのだ。
エルグランは、それが笑顔であるとようやく気づいたが、それほど鬼気迫る笑みを見たのは初めてだった。
治安警備艦隊の司令官は、火気厳禁のはずの船で一人だけ堂々と吸っていた煙草を口から外すと、それを片手で握りつぶす。
「安心しろ。俺はそれだけのために、海を駆けずり回ってきたんだ」
そこには任務を忠実に果たそうとする軍人ではなく、殺戮を楽しみにしているサディストの顔があった。
アーヴァインにとって、海賊は人ではないのである。
エルグランはごくりと唾を飲み込む。
「た、頼む。『月光』の長は殺さずに、俺に引き渡してくれ」
掠れた声で懇願した。
アーヴァインにとっての最大の獲物は仇である『躯の家』だ。
彼らを捕らえることができるなら、彼のポリシー――海賊は皆殺し――に反しはするが『月光』などという海賊団の一人や二人見逃してもいい……と、このときは思っていた。
「なぜ、首領を助けたがる? 恩でもあるのか?」
大した興味も無かったのだが、海賊団を売った男が、いまさらこだわる理由を聞きたかった。
エルグランは一瞬躊躇ったが、やがて小さくポツリと呟いた。
「取られたくないんだ」
「なに?」
怪訝そうな艦隊の長に、エルグランは今度はきっぱりと言い切った。
「銀髪のゲルクに、首領を奪われたくないんだ」
「……どういうことだ?」
アーヴァインの底光りする目の色に気づかず、エルグランは目線を下に落としたまま答える。
「『躯の家』の首領は、『月光』の首領を欲している。愛している」
アーヴァインはそれを聞いた瞬間、この密告者との約束を守らないことに決めた。
彼は、もっとも効果的な復讐方法を考えついたのである。
水軍の軍服を着た男達が、忙しく甲板を動いている。
彼らは帝国水軍の任務のうち、治安警備を一任されている『神風』という艦隊だった。
平時は海の治安維持が主な仕事で、具体的には、領海違反、密輸、海賊の取り締まりである。
この神風艦隊の司令官兼旗艦『神風』の艦長であり、戦時の水軍本部では、副参謀長の地位にあるアーヴァイン・ヘルツは、海賊たちから「ハンター」と呼ばれ、恐れられている男だった。
アーヴァインには暗い過去があった。彼は三年ほど前、妻を海賊に殺されていた。
その恨みをはらすため、中将という階級にはつりあわない海上警備の任に自ら着く事を望んだのである。
アーヴァインは三十代半ばのやや気だるげな男だった。
戦時においても激昂することなく、落ち着いた判断力を買われているが、敵には情け容赦無い残酷な一面を見せる。
特にこの三年で討伐した海賊の処遇に関しては、部下も引くほどである。
今まで三つの巨悪な海賊団が、彼の率いる神風艦隊によって壊滅に追い込まれていた。
それでも、アーヴァインの望む獲物にはまだ出会っていなかった。
『躯の家』……それが、アーヴァインの妻を殺害した海賊団の名だった。
『躯の家』の根城を突き止めたのは、密告があったからだ。『躯の家』と敵対している海賊『月光』の斥候役だった。
その男の条件は、自分の組織の首領の身柄だと言う。
「数年前は、確かに敵対していた。だけどあの二つの組織は今や、ともに獲物を狩るまでに親密になっている」
そう言った密告者は、海賊とは思えないほどきちんとした身なりの、そこかしこに気品を漂わせた青年だった。
名はエルグランと言って海賊団『月光』の幹部である。
「どちらも潰してくれて結構だ。ただし『月光』の首領だけは、俺に引き渡して欲しい」
アーヴァインは戻ってきた島鳩を指で可愛がる。予定通り、隠れ家に入港したようだ。
それから事務的な態度の青年をしげしげと眺め、錆びを含んだ声で問い掛けた。
「何故、己の家族とも言える組織を売る?」
「家族?」
エルグランは失笑した。
「俺は家族をもったことはない。あいつらは、同じ穴の狢だ。クズの集まりなんだ」
粗野な海賊どもと、元々はいい育ちのエルグランはあまり馴染んでいなかった。
他に居場所と生きていく能力が無かったから、海賊団に入団しただけのこと。
しかし、そのクズの中にも、光る石を見つけた。
それが首領のカティラだ。
先代の首領が乗組員の反対を押し切って船に乗せた、航海術を熟知した少女。
成長し、目の醒めるような美女になったカティラに、エルグランはいつしか、身悶えするほどの欲望を感じていた。
他の乗組員だって、カティラの小娘とは思えないような迫力や強さに畏怖の念を抱いていなければ、彼と同じような感覚に陥っていたはずだ。
男だらけの海賊船に女が乗っているのだから、責められないことであろうとエルグランは思う。
実際に、そんな危険な感情を持っているのが自分だけではないことも知っている。
とくに――
「ゲルクっていう銀髪のガキが、『躯の家』のリーダーだ。こいつは危険だ。剣の腕も、格闘技も、奴に敵うものはいない」
もともと没落した下級貴族の息子であるエルグランも、剣ではかなりの自信がある。しかしそれでも、あのゲルクに勝てるとは思わない。
……だがこのアーヴァインという軍人を見ていると、妙な迫力――居るだけで場を圧倒するような――に期待が高まった。
これが、ハンター、海の処刑人等さまざまな異名を持つ男か。
「あんたに殺せるか? ゲルクは、強いぜ」
そう言って『神風』の艦長の顔を見たエルグランは、次の瞬間ぞくりと身を震わせていた。
アーヴァインは咥えていた煙草をつまみ、冷酷にその顔を歪めていたのだ。
エルグランは、それが笑顔であるとようやく気づいたが、それほど鬼気迫る笑みを見たのは初めてだった。
治安警備艦隊の司令官は、火気厳禁のはずの船で一人だけ堂々と吸っていた煙草を口から外すと、それを片手で握りつぶす。
「安心しろ。俺はそれだけのために、海を駆けずり回ってきたんだ」
そこには任務を忠実に果たそうとする軍人ではなく、殺戮を楽しみにしているサディストの顔があった。
アーヴァインにとって、海賊は人ではないのである。
エルグランはごくりと唾を飲み込む。
「た、頼む。『月光』の長は殺さずに、俺に引き渡してくれ」
掠れた声で懇願した。
アーヴァインにとっての最大の獲物は仇である『躯の家』だ。
彼らを捕らえることができるなら、彼のポリシー――海賊は皆殺し――に反しはするが『月光』などという海賊団の一人や二人見逃してもいい……と、このときは思っていた。
「なぜ、首領を助けたがる? 恩でもあるのか?」
大した興味も無かったのだが、海賊団を売った男が、いまさらこだわる理由を聞きたかった。
エルグランは一瞬躊躇ったが、やがて小さくポツリと呟いた。
「取られたくないんだ」
「なに?」
怪訝そうな艦隊の長に、エルグランは今度はきっぱりと言い切った。
「銀髪のゲルクに、首領を奪われたくないんだ」
「……どういうことだ?」
アーヴァインの底光りする目の色に気づかず、エルグランは目線を下に落としたまま答える。
「『躯の家』の首領は、『月光』の首領を欲している。愛している」
アーヴァインはそれを聞いた瞬間、この密告者との約束を守らないことに決めた。
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