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第四章

別れの予感

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「けっきょく、召使いは雇ってもらえませんでしたか?」

 荒れに荒れた書斎を掃除しながら、私はたまった報告書を鬼のように処理していく少将に尋ねた。

「財政難だってさ。自分の給料で女を雇えってことだろ」

 いや、そもそも召使いはそういうことに使うものじゃないから。

 よくメイドが孕まされて女主人に追い出されているけど、あれ鬼畜の所業だからな?


 それにしても、掃除する人間がいないと、仕事部屋ってこんなになっちゃうわけ?

「何でいつも部屋にいないのに、こんなに散らかるんだよ?」

 ブツブツ文句を言いながら倒れたゴミ箱を元に戻す。

 書類だって床に散乱してるし、これじゃ機密文書だって無くすわよ?

 こうなる前に部屋に入れて欲しかった。

 何だってずっとお払い箱になっていたんだろう。

 このラファエラ様は掃除の腕だって一流だってのにさ。

「いやさー、ここでも一発やったから。デスクの上でやるのが夢だったとか言われて」

 はい? 私は耳を疑った。

「普段カギをかけているような場所に、女性を入れたんですか?」

 目を剥いて少将を振り仰ぐ。

「間諜だったらどうするんだよ!?」
「おまえ、ケルビン大佐に似てきたな」

 少将は頭を掻きむしって私を睨みつける。

 大佐のせいで欲求不満がたまっているから不機嫌なのだ。

 まったく。

 禁欲しているわけでもあるまいし。


「そろそろ動くかもしれねー」

 私はえ? と顔を上げた。

 さりげなく床を磨きながら、あちこちに油断の無い目を配っているときだった。

 実は、戸棚の下に不自然に敷いてあるマットに、釘付けになっていたのだ。

 あんなところに置いてある意味が分からない。重い戸棚を動かした跡があるし。

 あの下に、何かあるのではないか。爛々と目を輝かせているときにそう言われて、私はすっかり焦った。

「ううう、う、動くって……」
「俺たち。――北の二国が軍事同盟を結んだ。封鎖艦隊がアリビアの交易ルートを潰そうとしてる」

 自分の怪しい行動を咎められると思っていた私は、ほっとしたと同時に、一気に不安になった。

 あれ、皇帝の娘と孫の暗殺、失敗したのかな? じゃあ、継承戦争に?

「神風艦隊も向かうんですか?」

 まるで自分のものではないような――喉の奥に何かが詰まったかのような、ひどい声が出た。

「どうかな。そっちはクレイヴォーンの艦隊でどうにかなるんじゃないかな。俺たちは、アリビアの領海内に出撃命令が出るんじゃないかと思うんだ」
「どういうことですか?」

 胸の辺りがまるで病気のようにバクバクしている。

「リカルド・マルコスとジュリオ・ガストーネの居場所が確定したみたいだ」

 狂信者の元枢機卿と、皇帝の甥か。確かずっと消息不明だったと、少将の部下が話しているのを聞いた。

 私は黙りこくった。

 北の外海だろうが、領海内だろうが、治安警備艦隊はついに出撃するのだ。

「逃走先は?」

 マルソー少将は首を振った。

 機密ってわけだ。

 私は動揺を隠すように、矢継ぎ早に質問攻めをくらわせた。

「艦長である貴方が呼ばれるということは、本島ではないんですよね? どこかの国がかくまっているんですか? ということは、海戦になるんですか? どれくらい海から戻ってこないんですか?」

 生きて戻りますか?

 そう聞こうとしてやめた。

 気づくと下唇をかんで俯いていた。

 なんか寂しい。

 変だ。

 私は金塊を見つけたらさっさといなくなるのに。

 だけど――。

 もう軽口叩きながら、ふざけ合えないんだ。

 こんな二人だけの穏やかな空間は、持てなくなるのだ。

「まだ決まってないからさ、そんなに寂しがるなよ」

 気づくと少将は肘を突いて頬を支え、苦笑しながら私を見ていた。

 今日はやけに視線を感じる。すごく興味深げな視線。

 顔に血がのぼって、赤くなってくるのが分かった。

 この人の、見透かしたような視線にはいつも困ってしまう。

 急いで雑巾片手に立ち上がった。

「さ、寂しくなんかないよっ。僕だって金塊を見つけたら、さっさとこんなところからいなくなってやるんだからっ」

 大声で怒鳴った途端、しまった、と口を塞ぐ。

 少将が目を見開いた。突然、真顔で立ち上がる。

 動揺した自分をごまかすために、とんでもないことを口走ってしまった。

 金塊がバレたらーー。

 あたふたする私に、少将はゆっくりと聞き返す。

「おまえが、どこに行くって?」

 そして長い腕を伸ばして私の腕を掴んだ。

 雑巾が床に落ちる。

 そのままデスクの上に引きずり上げられた。

 あれ? 金塊のこと聞かないの?
 
 少将は自分の行動に戸惑っているようだった。

 私の顔に自分のそれを近づけて、疑うようにしげしげと見つめる。

 息がかかるほどの距離。

 私はその形のいい、薄く引き締まった唇に見とれた。

 このまま、この人が口づけをしてくれたらどんな感じだろう。

 貪るような情熱的なキスを。

 そして私もこの執務机の上で、あのメアリーベスちゃんのように――。

 少将の唇が近づいてきた。私は目を閉じた。

 しかし口づけはしてこない。

 その代わり、耳に心地よい低い声が聞こえた。

「おまえさー、もしかして……いや、希望的観測なんだけどさー、股間がやけに平たいし、いや、小さいだけだったらごめんね、でも、おまえって、もしかして……その、おん――」

 私はザアッと青ざめ、彼を突き飛ばして逃げ出していた。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 何やってるんだろう。

 あのマットの下を調べなきゃならないのに。

 私は庭に出ると、背の高い生け垣の迷路に逃げ込んだ。

 そして顔を覆う。

 訳が分からない。あの人の前にいると、他の女たちと同じように彼を求めてしまう。

 アンジェロやメアリーベスちゃん、その他大勢の女みたいに。

 ムラムラっと――何もかも、奪ってほしくなってしまうの。

「その他大勢の女みたいに……」

 私は呟いて愕然とした。

 冗談じゃない。

 男に免疫が無いだけ。

 惚れてなんかないわよ。

 欲情しただけよ、欲情。

 そうそれ、ただの発情期!

 私だって若い女なんだから。

 きっと男性の裸――いや、情事の最中なんて初めて見たから、だからこんな風に発情してしまうんだ。

 このラファエラ様が、たかが一人の女ったらしに、たらしこまれるわけがない。

 腐っても私はラファエラ・ド・メルディアチだ。

 その他大勢の女みたいにはならない。

 金塊を探して、そしてこの屋敷を出るんだ。


「見ぃつけた」

 低い声が響く。

 ぎょっとして顔をあげると、生け垣の緑の中から、顔だけが覗いていた。

 一瞬お化けかと思って悲鳴を上げそうになる。

 え? へ? 誰!?

「やはり生きていた」

 その声に聞き覚えがあって、総毛だった。

 お化けの方がまだまし。

 赤毛に紫の瞳。

 エドワルド・ザクセンウォールだ!

 彼は植え込みから飛び出して、一瞬にして私の口を塞いだ。そして脇に抱え込む。

 まずい! 暴れようとしたら、思い切りみぞおちを殴られた。

 呼吸困難に陥りげほげほ咳き込みながら、なんとか吐き気をこらえる。

 ちょっ、ひどくない? あんたはこのラファエラ様に惚れてるんじゃないわけ?
 
「あれ、気絶しないな」

 困惑したようなエドワルドの声。

 おまえもジェイクと同じか!

 どいつもこいつも、適当にぶん殴れば意識を失うと思ってるんだから。

 ジェイクの時は運よく死なずに気を失ったけど、あんたのはただ痛いだけよ!

 だけど身体に力が入らないし、息がうまく吸えなくて声も出ない。

 なにより一発の暴力はそれだけで抵抗する気力を奪う。

 エドワルドは大股で歩いて迷わずに生け垣を出ると、庭を横切り、何もなかったかのように裏門から出て行こうとする。

 門番が怪訝そうに、担ぎ上げられた下働きの小僧を見ている。

 ていうか、止めろや。

 堂々としてるけど、かどわかしですよー! これ。

 やっと兵士たちが騒ぎ出した頃には、彼は自分の馬にぐったりした私を縛り付けていた。

「何事ですか?」

 シュナイダー少尉がすぐにかけつけてくる。

 エドワルドは彼を振り返ると、うやうやしく礼をした。

「件の令嬢を保護してくださっていたとは、さすが神風艦隊リッツ・マルソー少将の部下どのだ」

 シュナイダー少尉は目を丸くしている。何のことだか分かっていない。

「ですが軍の保護はもういりません。ラファエラ殿はこれから私の庇護下におきますゆえ」

 それを聞いて、ゆるゆると少尉の顔に、驚きが現れてくる。

「助けて! こいつやばいって。ぼくはラファエラ様じゃないよ」

 私が無理やり声を絞り出して叫んだ途端、髪の毛を掴まれる。

 エドワルドは私の顔をつぶさに眺めた。

 そしておもむろに頬を――舐めた!

 ぎゃー、こいつ気持ち悪いっ!

「ラファエラ殿の味だ」

 整った顔ににっこり笑顔を浮かべ、自分も馬に飛び乗る。

 そして呆然としている兵士たちの前から颯爽と駆け出す。

 私は蓑虫のように縛り付けられながらも、必死でシュナイダー少尉に手を伸ばそうとした。

 このさい、財務大臣の娘ってことで牢屋に入れられてもいいわ。

 この狂った男に連れて行かれるくらいなら、軍に正体がばれて捕まった方が、まだ安全な気がするもの。

 だけどシュナイダー少尉の困惑顔と、メルディアチ家の屋敷はどんどん遠ざかって行く。

 ああ、私の金塊ちゃん、逃走資金がああぁぁぁ。


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