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第五章

ひねくれ者の旦那様

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 カイトは憲兵隊に一通りの事情を話し、あとで報告書を提出することを約束した。

 それから、屋敷前に出てみた。

 火事や発砲騒ぎで、野次馬が大通りにずいぶん集まっている。

 乗り合い馬車が渋滞して犇めいていた。

 帝都守備隊の憲兵たちの働きで、やっと街が日常を取り戻したというのに。

「あちこち折れているみたいですが、息はあります」

 空掘りの下から運ばれてきた憲兵を見てほっとする。頭を殴られ、落とされたらしい。

「すぐ病院へ。表通りは混んでるから、屋敷の中から裏の路地ミューズへ出て、うちの馬車を使ってよ」

 出てきていた隣の屋敷の紳士と目が合った。カイトは手をあげて謝る。

 タウンハウスは連なっている。近隣の富裕層は、また暴動か、とドキドキだっただろう。

 迷惑をかけた。後で何か手土産でも持っていこう。


 中に戻ると、顔をしかめた。

 リオックたちのおかげでボヤ程度、大事には至らなかったが、それでもホールまで煙臭い。

 クラリスは腕を釣り直してもらい、もう片方の手で水嚢を頬に当てながら階段から降りてきた。

「早いな」
「ア、アメリアは?」

 若い使用人を探すと、食堂の椅子に座り、衛生兵に手当てしてもらっている。

 派手に泣きじゃくっていた。ザクシムは足を狙ったようだ。ふくらはぎを止血してもらっている。

 カイトは眉を潜め、兵士に命じる。

「負傷した憲兵と一緒に病院に運んでやって」

(ああ、でも生きてた)

 クラリスはほっと胸をなでおろす。

 アメリアは使用人としては若輩の洗濯係ランドリーメイドだが、侍女頭の目を盗んでクラリスに家事全般を教えてくれた。

 恩があるのだ。

「あ……」

 それで思い出した。

「あの、こんな時ですが……私、今後どこに行けばよいでしょう? どこか住み込みで働けるようなところを紹介していただければ――ひっ?」

 気づくとカイトは、凶悪とも言えるほどの表情で自分をにらみつけていた。


 じっさい、カイトは怒っていた。

 この小娘は何を言っているんだ?

 もう危険は去ったのに。

「やっぱり……政略結婚の相手とは一緒にいたくないのかよ」

 聞こえないほど小さく吐き捨て、くしゃくしゃになった離婚届をポケットから出す。

「だったらこれ、あんたが出しておいてよ。今日の午後出し損ねたんだ。俺のサインもしてあるから」

 ひどく冷たい声になってしまった。

 クラリスは離婚届を押し付けられ、オロオロしている。

 カイトは玄関を開けると階段をかけ降り、野次馬で停まっていた辻馬車を呼んだ。

「俺も片付けあるから、一人で市庁舎に行ってくれ」

 そんなに別れたきゃ解放してやらぁ。

 クラリスの顔をまともに見られない。

 引き留めてしまいそうで。



 クラリスは困って立ち尽くす。

 カイトが、まったく見向きもしない。

 めちゃくちゃ怒っているようだ。

 夫の気分がコロコロ変わるのには、もう訳が分からない。

 クラリスは悲しくなった。

 さっきは抱きしめてくれたのに、あっという間に距離が離れて行くのを感じた。

 もうすぐお別れなんだし、ちょっとは優しくしてくれても……。

 カイトは従僕フットマンより早く馬車の扉を開けてくれた。

「あの……」

 何か言わなきゃいけない。そう思ったけど、言葉が出ない。

 ここに、戻ってきてよいのだろうか。

 当面の生活資金と荷物は持ち出さないと、さすがに野垂れ死にしそうなのだが――。

「あの……」

 カイトは無言だ。

 涙が出そうになる。

 けれど、自分で何とかしなければ。

 夫に頼るのは、もうやめるのだ。

 諦めなきゃいけない。彼を自由にしてあげなきゃいけない。

(カイト様の幸せのためなら、この想いも押し殺せる)

――バンッ。

 クラリスが踏み台に足を乗せて、馬車に乗り込もうとした途端、その直前で扉をしめられた。

「カ、カイト様?」

 艶のない金髪をぐしゃぐしゃ掻き毟りながら、下を向いている。

「選ばせてやるよ、俺の妻でいるか、それとも別れるか」

 クラリスは目を丸くした。

「心細くて、どうしても俺の妻でいたいなら、置いてやってもいい。ていうかこの屋敷あんたのだし……あれ、出ていくの俺じゃね?」

 ああ、やっぱり。

 なんて優しいのかしら。

 クラリスは弱々しく微笑んだ。だめ、甘えてはいけない。

「いいえ、現行の法なら貴方の物です」
「だったら、財産は全部あんたにやる。それに……その、煙くさくなったけど、この屋敷に住みたいんだったら……」

 俺と一緒に、と言いかけたカイトの言葉を遮ったのはクラリスだった。

「……レンブラン家を名乗るのは嫌かもしれませんが、不動産の査定まで今しばらくお待ちください。領地ですが、もしかしたら少しは残るかもしれないし」

 ふっきるようにカイトから視線を外した。彼の優しさに心が癒されてしまった。明るい口調で言う。

「爵位も放棄するかは、貴方次第です。新制度では不確かなものですが、もし返爵させられなかったら、他国のように売り買い出来るようになるのかも。何かの足しになればいいのですが。あとは、お好きな時期に元の姓のブラックウェルにお戻りください。きっと貴方なら下院でも議席を持てますわ」

 この国も何十年か前まで、困窮した貴族が爵位を売りに出していた。皇帝ニコロスが禁止令を出してしまったが、ものすごく安く売り買いされるようになりそうだ。それに形骸化していた議会は完全復活することだろう。形を変えて。

 クラリスはおっと、と振り返る。

「あ、当面の生活費はありがたくいただきます」

 それだけ付け足すと、水嚢を肘で挟み馬車の扉を自分で開こうとした。

 よし、離婚届出しに行くぞ!

 ところがいくら引っ張ってもびくともしない。

(固っ)

 なんと、カイトが片手で抑えたままではないか。

 相変わらず悪鬼の形相でこちらを睨みつけている。

「っざけるなよ」

 這うような声。

「俺があんたの家名と領地目当てで、あんたと結婚したと思ってるわけ?」
「えぇええ、は、はい」

 カイトは鼻白む。

「いや、まー、確かに……そうだな。うん、その通りなんだけどさ」

 なんとも格好がつかない。

「あんたの親父だって、力を付け出した軍の関係者と懇意になることが目的だったろ? だったらなんていうか、お互い立場や目的は似たようなもんだしさ……だったらこう一緒になっててもさー、別に問題ないっていうかさー、痛み分けっていうかさー」

 相手がグダグダで、何を言いたいのかは分からなかったクラリスだが、一つだけ訂正しておこうと思った。

「私が父に頼みました」
「……え?」
「一目ぼれだったんです。デビュタントの時に。それから、貴方が出席するという社交場は全てチェックして、父の力を使って無理やり招待してもらいました。軍服を着た人は貴族の中では異色で、でもとても素敵に見えて。モテモテだろうなって思ったら……他の女性に取られたくなかった」

 社交界に出て十六ですぐ結婚したのは、カイトだったからこそだ。でなければ、こんなに早く結婚なんてごめんだった。綺麗な服で、もっと舞踏会やら晩餐会やらを独身時代に楽しんだだろう。

「カイト様だから私は――」

 クラリスの顔は真っ赤だ。

 さして綺麗でもない自分が、父の権力をかさにして、もっとも欲しいものを手に入れた。

 まさにアイリーンの言うとおりだったのだ。

「だから、父は関係ないんです。つまりその、政略結婚ではなくて謀略結婚というか……ごめんなさ――い!?」

 次の瞬間、クラリスは片手を引っ張られていた。水嚢がボトッと歩道に落ちる。

 カイトは無言でクラリスの手を握り、ツカツカと玄関階段を上り、屋敷の中に戻った。

「馬車が――あの、カイト様!?」

 まだバタバタしている屋敷の連中に叫ぶ。

「誰も三階の俺の部屋に近づけるなよ」

 そういうと、もどかしげにクラリスを抱き上げて、煙臭い階段を上って行く。

 バッスルを取ってあるお尻に、カイトのギプスが当たって痛かったが、それよりも夫の勢いの方が怖かった。ヒラヒラと離婚届の封筒が落ちた。

 やがて寝室の扉が開けられ、彼のベッドの上に放り投げられる。

 カイトはそれを見届けると、ものすごい音をたてて、部屋の扉をしめた。




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