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第一章

開き直る旦那様

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 憲兵が領民たちを捕縛、あるいは追い払うために部屋からガヤガヤと出ていく。

 シーンとした部屋に、二人だけになった。

「あーあ、ボロボロだね。遅くなって悪かった。怖かっただろ、大丈夫?」

 カイトは手を伸ばしてクラリスを立たせた。

 上着を脱いで、肩からかけてくれる。

 クラリスは、そのくだけた口調に目を丸くした。

 彼女の知っているカイト・レンブランはもっと丁寧に、紳士的に振舞う。

 敬語じゃない夫に新鮮なものを感じ、クラリスはショックも忘れて彼に見入った。

「口がきけなくなっちゃった? 他の使用人たちは? 領地を管理している家令もいないようだけど」

 クラリスは慌てて答えた。

「皆、もう居ません。逃げたようです」

 カイトはため息をついた。

「屋敷が機能しないじゃないか。君一人じゃ無理だもんな。しっかし、よく一人で残ってくれたよ。助かる。村に家族がいるんじゃないの?」

 クラリスは怪訝そうに夫を見つめた。何か言っていることがおかしいような……。

「あの――」
「ところで、ここの当主は?」

 言われた途端、現実をつきつけられ悲しみが襲う。

 嗚咽が漏れる。

「あちらの部屋に――」
「ああ、夫妻の遺体には気づいた。そうじゃなくて、君の仕えてる令嬢だよ。クラリスはどこだ?」

 嗚咽が止まる。

 悲しみを一瞬忘れた。

(なんてこと!)

 侍女と間違えられている。

 クラリスは情けなさからついには泣き崩れてしまった。

 夫は二年の間に、妻の顔すらも忘れていたのである。




※ ※ ※ ※ ※ ※



 帝都シェルツェブルクに向かう道中、馬車の中は気まずい沈黙に満たされていた。

 ガタゴトと轍を進む車輪の音だけが、わびしく車内に響く。

 カイトはいつまでもうなだれている妻に、うんざりしてきていた。

 確かに、妻を侍女と間違えたのはまずかった。

 しかし……。

 懐中時計を開けて確認した。既に二時間も何も話しかけてこないのには辟易する。

 話しかければ一応返事はしてくれる。

 「寒くないですか?」「いいえ」「お腹は空いてないですか?」「いいえ」

――終了。

 カイト自身気遣いの下手な人間だ。

 そろそろあれこれ話す内容を考えるのに疲れてきて、大きなため息をついた。

「今さらどう取り繕ったって駄目だな」

 突然敬語を止めた夫に、やっとクラリスは顔をあげた。

 小さな顔にはみ出しそうなほど大きな目をして、どこか小動物を思わせる。

 その濃い茶色の瞳は泣いていたためか、濡れたように潤んでいる。

 カイトは思わずしげしげとそのリスに似た愛らしい顔を見つめた。

 二年でずいぶん変わったもんだ。

 ソバカスは無くなり、大きすぎた目などアンバランスだった顔のパーツがきちんと輪郭に収まっている。

 身体もいい具合に肉が付いて、前より女らしい丸みを帯びてきた。

 間違えるのも無理は無い。まるきり別人だ。いや、毎日見ていれば分かったのだろうが……。

(昔は着飾ってはいても、痩せこけたぶっ細工なガキだったけどな。子供の成長は怖い)

「あの……?」

 潤んだ目で問いかけられ、カイトは慌てて口を滑らせた。

「めそめそすんなよ。俺が最初からあんたに興味が無かったことくらい知ってたはずだ」

 しまった。

 そう思ったが、一度飛び出した言葉は口の中には戻ってはくれず、結果、妻はまたうつむいてしまった。

 カイトはタンポポ色の髪の毛をガリガリ掻くと、自分に悪態をついた。

 何を動揺しているんだか。

 どこぞの女流作家の出版したベストセラー恋愛小説の影響で、貴族間でも恋愛結婚が許される風潮にはなってきた。

 とは言えこの娘と結婚したのは、もちろん他の多くの貴族たちと同じく家同士の思惑があったから。

 カイトは議会に出たかった。

 傍聴は自由だが、平民出の軍人が発言権と投票権のある議員になるには、佐官以上が条件である。

 しかし、元から下院の議席は少なく、競争率は激しい。

 議会に出る手っ取り早い方法は、貴族になることだった。

 上院は議席も多いし、当主の代理でその息子が出席することができる。

 ホーンベリー侯爵は侯爵で、軍にツテを作っておきたかった。

 この娘も、そんな思惑くらい分かっていそうだが。

 再び訪れた沈黙を打ち消そうと、カイトは仕方なく謝った。

「すまない。まだ十六歳だったもんな。政略結婚に巻き込まれたあんたは、被害者だったってのに」

 その時クラリスが何か言いたげに顔を上げたが、カイトは気づかなかった。




(政略結婚に巻き込まれた?)

 クラリスは唇をかみ締めた。

 彼は分かってない。

 いくら軍部の力が増していても、都近くに領地を構えるほどの父には、一軍人の力はまったく必要なかった。

 巻き込んだのは私。

 彼に一目惚れして、彼とずっと一緒にいたいと思った愚かな私がしかけたことなのに。

「とりあえずは、俺と一緒になってるといい。そのほうが安全だからね。そのうちこのバカ騒ぎも収まるからさ、それからあんたの身の振り方を考えような」

 クラリスは愕然とした。

 カイトは結婚を解消するつもりなのか。

 もちろんそうすべきだ。

 もう彼を縛るものは何も無い。

(……だけど、私に彼を忘れられるの?)

 二年ぶりに見た夫は相変わらず素敵で、黄色に近い鮮やかな金髪も、可愛らしいえくぼも、何もかも愛おしかった。

 アラサーとは思えない童顔。

 認めるしかないが、はっきり言ってどストライクなのだ。

 若気のいたりなんかではなかった!!

 恋に恋していたわけでもない。

 もうどうしようもなく好きだと、改めて認識してしまった。

(なんて、かわゆいの)

 これで軍服着てるとか、あり得ないギャップ。普通半ズボンでしょ。

(もう、本当に好き。好きすぎる。好きが止まらないわ)

「何か俺の顔についているか?」

 カイトがやっと視線に気づき、怪訝そうに妻を見つめた。

 いつの間にか、穴が開くほど見つめていたようだ。

 クラリスは顔を赤くしてうつむいた。

 夫はゴミを見るような目で自分を見ているというのに。

 みじめで目頭が熱くなる。

 鼻をすすると、冷たい声が降ってきた。

「両親を亡くしたことは辛いだろうけど、気持ちを切り替えてくれよ。これからは今までのようにはいかない。いつまでも貴族の令嬢ではすまないぜ」
「分かってます」

 思った以上に力強い声が出てしまった。

 目を丸くしているカイトの視線を避けるように、窓の外に顔を向ける。

 両親の埋葬とともに、気持ちは切り替えたつもりだ。

 まだ鼻はすすっているが、覚悟はできている。

 これから国家の体制が変わるのだ。

 その中で、今まで一人では何もしたことの無い自分が、己の力だけで生きていかなければならない。

 あの政変の後、都の友人と連絡が取れなくなった。鳩は行き場を見失い、何度も戻ってきてしまう。

 親友のラファエラ・ド・メルディアチの身の上が心配だった。

 メルディアチ家は、レンブラン家よりずっと皇室と繋がりが深い。

 ラファエラの父は、破綻しかけていた国庫を救った財務大臣だった。

 皇帝の懐刀と言われていたほどの有能な官僚。

 ……どうなったのだろうか。

「領地を管理する家令をすぐに派遣するよ。新しい使用人たちの募集も彼に任せよう。領民は残してきた憲兵が抑えてくれる。君はもう領主館には戻らないで、都の屋敷でずっと過ごせ」

 え、タウンハウスで? クラリスは息を呑んだ。

(……一緒に?)

「シェルツェブルクは粛清対象の貴族の処罰が早かったから、今は落ち着いてるんだ」

 カイトは、目を丸くしている嫁に気づいた。

「ああ、俺は軍本部の庁舎にほとんど詰めてるから。安心して喪に服すなり、今まで通り社交場に顔を出すなり、好きにするといい」

 カイトは淡々と説明した。

 それから少しためらった後に、ボソボソッと呟いた。

「俺がもう少し早く気にかけてやれば良かった。レンブラン夫妻とあんたには、本当になんて詫びたらいいか。悪いことをしたよ、許してもらおうとは思わないがーーすまなかった」

 驚いてまじまじと夫の顔を見つめてしまうクラリス。

 しかしその視線を避けるように、カイトは目を閉じて、居眠りを始めてしまった。

 うつむいた顔がやつれて見える。

 疲れているようだ。

 おそらくは休まずに、馬車を走らせて来てくれたのだろう。

 艦長である夫は、基本いつも忙しい。

 もちろん、国内の治安維持で忙殺されている陸戦部隊ほどは駆けずり回っていないのだろうけれど。

 それでも、現状が恐ろしく多忙であることには、変わり無い。

 皇帝の従兄弟ジュリオ・ガストーネや、王党派、保守派の大貴族数名が、私兵とともに逃げおおせた、という話をつい最近日報で読んだ。

 特に狂信者と呼ばれるほど皇帝を賛美していたリガルド・マルコスは、生きて私艦隊とともに国外に逃れたという話だ。

 本土領海で捕まらなければ、外海。

 治安警備艦隊に追尾の命令が下されるかもしれない。

 それどころか、混乱期を狙った諸外国との戦争になれば……。

 そうなれば、夫はまたずっと航海に出てしまう。

 生きて帰ってくる保証もない。

 クラリスは寝息を立て始めた夫の膝に、そっと手を触れてみた。

(疲れてるのに、助けに来てくれてありがとう)

 すぐに手を離すと、どきどきしながらその手を胸に抱えこんだ。

 ああ、やっぱり好きだ。

 クラリスは実感した。

 夫の温もりがあまりに久しぶりで、涙が出そうだった。



※ ※ ※ ※ ※ ※



 帰路の途中、小さな宿場町に寄った。

 首都へ続くいくつもの街道は舗装されていて、馬車も走りやすい。それでもクラリスのお尻は限界だった。

 カイトはクラリスのお尻の事情など知らなかったが、敢えて休憩を取らせた。

 部下たちだけならそのまま馬を走らせ、暗くなったら野宿といった手段が取られただろう。

 だが、さすがに女連れで日が落ちた街道を走るのは危険、と踏んだのだ。

 長距離の駅馬車の停留所であり、馬交換と旅人を休ませることだけが目的のこの小さな街は、いつもより空いていた。

 クラリス自身、社交シーズンに両親とシェルツェブルクに行く途中、何度も利用したことがある。

 しかし宿場通りに行くと、どうも様子が少し変わっていた。

 レンブラン家が泊まる宿は上級貴族専門のホテルだ。

 それが見当たらない。

 カイトはきょろきょろしているクラリスに苦笑し、指である一点を示した。

「お探しの建物の、成れの果て」

 真っ黒な梁や柱、そして瓦礫の山。

 クラリスは慄然とした。

 燃えてしまったのである。

「もちろん、火の不始末じゃないだろうな。焼き討ちじゃねーの?」

 にやりと笑いながらもう一方を指し示す。

 通りをはさんだところに、ひどく荒れた建物がある。

 窓ガラスが割れ、看板が折られて庇からぶら下がっているが、ここも上級貴族専用の仕立て屋だ。

「貴族体制そのものが崩壊して、貴族と名の付くもの全て排斥されていると勘違いしている輩が、田舎ほど多いからな。俺たちはいい迷惑だ」

 護衛の兵士の一人が走ってきて、カイトに敬礼する。

「大佐、宿をご用意しました」

 もちろん、クラリスが泊まったことも無いような下級の宿屋だった。

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