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やっぱ無理ゲス!
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薄く軽い絹糸のニードルレースヴェールを被る花嫁姿に、誰もが感嘆のため息と、賞賛の言葉を浴びせてくれた。
ところが当のジョセフィーナ自身は、そのヴェールのせいで聖堂に集まる面々をあまり見られない。おかげで緊張はしないで済んだが……。
前回の王太子の結婚式とは違い、国内の貴族はもちろん、各国の大使や使節が聖堂に列席していた。
姉と同じくらいの背丈になってしまったナタリオに手を引かれ、身廊を歩いていくジョセフィーナである。彼は父の代わりを立派に務めていた。
ウルキオラ司教の前に連れていかれると、王太子パトリシオが既にそこで待っていた。
ジョセフィーナの方など見もせず、主祭壇の奥にあるルナ神の偶像を見上げている。
その表情は、あまり光の射さない聖堂の中では確認できない。だが見なくても分かる。おそらく端正な顔を歪め、不快感を顕にしているのだろう。
彼はこの結婚が気に入らないはず。一年顔を合わせなかった元婚約者とのわだかまりは、時を経ても変わらない。
だって会ってなかったのだし、最後が魔女の告発と婚約破棄ときている。
「──っ」
猛烈な嫌悪と不安が湧き上がってきた。
……彼と子を成すなんて、できるの?
ヴェールの中で唇を噛みしめ、隣に立つ王太子から顔を背けた。
今夜──彼に抱かれる……。
吐き気がこみ上げる。初夜なんて考えたくない。
ウルキオラ司教が、フーゴ司祭に用意させた聖典を開いた。
「えーとー、結婚式用の~言葉は~と」
もぐもぐ口の中で呟きながら、文字を目で追う。
「これか……? 天は~月の上に~人を造らず~」
「それは戴冠式用です、司教」
フーゴ司祭が聖典の一部を指差す。
「この行です」
「人なみに~おごれや~」
「……拡大鏡を持ってきて」
司祭が助祭に命じた。
ウルキオラ司教はレンズを受け取り、聖典にかざしながら続ける。ジョセフィーナはイライラした。だいたい彼のせいで、わたくしは殺されかけたと言うのに。
「えーとー、月に~代わって~尋ねる。そなたらは~病める時も~健やかなる時もぉぉぉぉぐっ……かはっ」
「お水を飲んでください」
慌てた司祭に言われ、ウルキオラ司教は渡されたグラスではなく、皿に入れていた聖水の方を間違って飲んでから、ゴホンと咳払いした。
「死がふたりを~分かつまで~、月に代わって~愛し慈しみ~月のように~貞節を守ることを~ここに誓えるのかの~?」
王太子の低い声がした。
「はい、誓います」
「……は……い」
ジョセフィーナも、震える声で言う。そんな誓い、したくないのに。
ウルキオラ司教は、水盤の聖水──月の雫だそうだ──を、海辺で水遊びする若者のように、キャッキャと二人にかけてきた。
「司教、そんなにかけないで。少しでいいんです」
フーゴ司祭が小声で言う。ウルキオラ司教は残念そうにため息をついた。そして声を潜めて司祭にぼやく。
「この前は~のう、ゆっくり進行できなかったんじゃぁ。もう少し見せ場を~のう……」
セシリアと王太子の結婚式は、新婦が鬼のような形相で新郎の首根っこを掴んで引きずってきたと聞く。史上最速で進んだ式だったとか。
司祭が物凄い形相でウルキオラ司教を睨み、式の最中ですよっ! 続けて続けて、と小声で注意した。
「……。そんなこんなでー、そなたらの結婚を~許す~」
朗々とした声は、厳かに聖堂内に響いた。
「月に代わって~、接吻するのじゃ」
新郎である王太子が、ジョセフィーナに向きなおった。白のヴェールをそっと持ち上げられる。
無理。
完全に怖気づいた。
間違っていた。
自分の選択は間違っていた。
風の氏神だろうが、伝承だろうが知ったことげすか!
ジョセフィーナはその場から逃げようと、くるりと後ろを向いていた。
神の前で心にも無い誓いをするのが心苦しいとか、自分を陥れた男と結婚したくなんかないとか、そういう次元の話ではない。
その前に……生理的に無理だと思った。
好きでもない男とチュー!? 同じ釜食った飯の間柄である水夫たちから、ビールジョッキの回し飲みを勧められても遠慮したのに!
ジョセフィーナな潔癖症だった。
だから逃げようとしたのだが、ドレスには引きずるようなトレーンがあったことを忘れていた。
王太子パトリシオがダンッと裾を踏んづけ、おまけにジョセフィーナを羽交い締めにする。
「ぎゅむぅう」
ヘッドロックをかけられジタバタしているのを、列席者が固唾を呑んで見守る。
今、何が起きているのか? 大聖堂での厳かな王族の結婚が大捕物になっている。
再び聖水をすする司教の横でフーゴ司祭が、おお神よっ、今回もめちゃくちゃだぁああああ! と叫んだ。
王太子はまったく放してくれない。
「静かにしろよ、ジョセフ」
耳元で囁かれた。ピタッとジョセフィーナが動きを止めた。
「ちゃんと俺の顔見ろ」
恐る恐る背後を振り返る。
ジョセフィーナのアースアイに、聖堂のステンドグラスの影が落ちた、王太子の姿が映った。
「う……そ」
王太子パトリシオに扮したフェルナンドが、黒のジュストコールを着たまま皮肉な笑みを浮かべた。
「王太子も、交代だ」
そうぼそりと呟くと、ジョセフィーナの体を向かい合わせにする。
そして彼は、聖体である月の餅──月餅をつまみ食いしながら見守る司教の前で、貴族らがドン引きするようなディープなキッスをしてきた。
ところが当のジョセフィーナ自身は、そのヴェールのせいで聖堂に集まる面々をあまり見られない。おかげで緊張はしないで済んだが……。
前回の王太子の結婚式とは違い、国内の貴族はもちろん、各国の大使や使節が聖堂に列席していた。
姉と同じくらいの背丈になってしまったナタリオに手を引かれ、身廊を歩いていくジョセフィーナである。彼は父の代わりを立派に務めていた。
ウルキオラ司教の前に連れていかれると、王太子パトリシオが既にそこで待っていた。
ジョセフィーナの方など見もせず、主祭壇の奥にあるルナ神の偶像を見上げている。
その表情は、あまり光の射さない聖堂の中では確認できない。だが見なくても分かる。おそらく端正な顔を歪め、不快感を顕にしているのだろう。
彼はこの結婚が気に入らないはず。一年顔を合わせなかった元婚約者とのわだかまりは、時を経ても変わらない。
だって会ってなかったのだし、最後が魔女の告発と婚約破棄ときている。
「──っ」
猛烈な嫌悪と不安が湧き上がってきた。
……彼と子を成すなんて、できるの?
ヴェールの中で唇を噛みしめ、隣に立つ王太子から顔を背けた。
今夜──彼に抱かれる……。
吐き気がこみ上げる。初夜なんて考えたくない。
ウルキオラ司教が、フーゴ司祭に用意させた聖典を開いた。
「えーとー、結婚式用の~言葉は~と」
もぐもぐ口の中で呟きながら、文字を目で追う。
「これか……? 天は~月の上に~人を造らず~」
「それは戴冠式用です、司教」
フーゴ司祭が聖典の一部を指差す。
「この行です」
「人なみに~おごれや~」
「……拡大鏡を持ってきて」
司祭が助祭に命じた。
ウルキオラ司教はレンズを受け取り、聖典にかざしながら続ける。ジョセフィーナはイライラした。だいたい彼のせいで、わたくしは殺されかけたと言うのに。
「えーとー、月に~代わって~尋ねる。そなたらは~病める時も~健やかなる時もぉぉぉぉぐっ……かはっ」
「お水を飲んでください」
慌てた司祭に言われ、ウルキオラ司教は渡されたグラスではなく、皿に入れていた聖水の方を間違って飲んでから、ゴホンと咳払いした。
「死がふたりを~分かつまで~、月に代わって~愛し慈しみ~月のように~貞節を守ることを~ここに誓えるのかの~?」
王太子の低い声がした。
「はい、誓います」
「……は……い」
ジョセフィーナも、震える声で言う。そんな誓い、したくないのに。
ウルキオラ司教は、水盤の聖水──月の雫だそうだ──を、海辺で水遊びする若者のように、キャッキャと二人にかけてきた。
「司教、そんなにかけないで。少しでいいんです」
フーゴ司祭が小声で言う。ウルキオラ司教は残念そうにため息をついた。そして声を潜めて司祭にぼやく。
「この前は~のう、ゆっくり進行できなかったんじゃぁ。もう少し見せ場を~のう……」
セシリアと王太子の結婚式は、新婦が鬼のような形相で新郎の首根っこを掴んで引きずってきたと聞く。史上最速で進んだ式だったとか。
司祭が物凄い形相でウルキオラ司教を睨み、式の最中ですよっ! 続けて続けて、と小声で注意した。
「……。そんなこんなでー、そなたらの結婚を~許す~」
朗々とした声は、厳かに聖堂内に響いた。
「月に代わって~、接吻するのじゃ」
新郎である王太子が、ジョセフィーナに向きなおった。白のヴェールをそっと持ち上げられる。
無理。
完全に怖気づいた。
間違っていた。
自分の選択は間違っていた。
風の氏神だろうが、伝承だろうが知ったことげすか!
ジョセフィーナはその場から逃げようと、くるりと後ろを向いていた。
神の前で心にも無い誓いをするのが心苦しいとか、自分を陥れた男と結婚したくなんかないとか、そういう次元の話ではない。
その前に……生理的に無理だと思った。
好きでもない男とチュー!? 同じ釜食った飯の間柄である水夫たちから、ビールジョッキの回し飲みを勧められても遠慮したのに!
ジョセフィーナな潔癖症だった。
だから逃げようとしたのだが、ドレスには引きずるようなトレーンがあったことを忘れていた。
王太子パトリシオがダンッと裾を踏んづけ、おまけにジョセフィーナを羽交い締めにする。
「ぎゅむぅう」
ヘッドロックをかけられジタバタしているのを、列席者が固唾を呑んで見守る。
今、何が起きているのか? 大聖堂での厳かな王族の結婚が大捕物になっている。
再び聖水をすする司教の横でフーゴ司祭が、おお神よっ、今回もめちゃくちゃだぁああああ! と叫んだ。
王太子はまったく放してくれない。
「静かにしろよ、ジョセフ」
耳元で囁かれた。ピタッとジョセフィーナが動きを止めた。
「ちゃんと俺の顔見ろ」
恐る恐る背後を振り返る。
ジョセフィーナのアースアイに、聖堂のステンドグラスの影が落ちた、王太子の姿が映った。
「う……そ」
王太子パトリシオに扮したフェルナンドが、黒のジュストコールを着たまま皮肉な笑みを浮かべた。
「王太子も、交代だ」
そうぼそりと呟くと、ジョセフィーナの体を向かい合わせにする。
そして彼は、聖体である月の餅──月餅をつまみ食いしながら見守る司教の前で、貴族らがドン引きするようなディープなキッスをしてきた。
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