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別れと始まり編

ロウコ、わがままを言う

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 港から出る船は、西の大陸ウェスティアに行く船だった。

 まだほとんどが未開だが、各国がこぞって植民地を展開しようとしている、資源や黄金の眠った大陸である。

 アリビア帝国からは、最初に踏み込んだ勅許会社の大貴族が総督府を開き、この新大陸の開拓に励んできた。

 しかし独自の政治、宗教、また課税──本土の課したものを無視──を押しきろうとする植民地に対し、皇帝は不快感と恐れを抱く。そして本土軍に侵攻させた。

 当時の総督は独立を支援したとして殺され、現在はその後成人した息子が後任を務めている。しかし開拓は遅々として進んでいない。

 先住民との戦いは苛烈を極め、諸外国も奥地まで開拓するどころではなく、外で牽制しあっている状態だ。

 それでも一攫千金を夢見た入植者が、大陸の東海岸に続々と押し寄せていると言う。

 新大陸には、豊富な金鉱が眠っているという噂があるのだ。

 ところが、アーヴァイン・ヘルツが言うには、後任の総督が先住民と手を結び、大陸を横断して危険な西海岸までの開拓を進めているとのことだ。

 これは皇帝にも議会にも、秘密裏に行われてきたという。

 そこでは逃げてきた旧教徒や、国籍関係なく移民を受け入れ、いくつか街を形成していた。

 先住民を排除しようとする外国よりも一歩先んじて、西の大陸を掌握する足がかりを作っているのである。

 ヘンリーたちは、その町の一つに身を隠す予定だった。




 港に着くと、総督府の迎えの者が来ていた。

 赤茶色の肌の、明らかに西の大陸の先住民の血を引いた男だった。奴隷として連れてこられた彼らと違って、きちんとした仕立てのいい服を着ている。

 羽飾りや化粧はしていないため、肌色とその鷲鼻の力強い顔立ち以外、彼らを彷彿とさせるものが見当たらない。

 訛りが一切ない公用語も美しい。完全に先進国の人間だ。

「ナシュカ族の長、チチンカ・パイパイと申します」

 いきなり下ネタを言われたのかと身構える一同に、上品な笑みを返す。

「明日の船で発ちます。今日は、ゆっくりこの港町を楽しんでください」

 言われて、シャオリーは顔を輝かせた。リンファオに飛びつく。

「遊ぼう」
「──ッ!?」

 リンファオが戸惑う。ロウコが怒ったように子供を引き剥がした。

「俺とこいつが遊ぶんだ。待ちくたびれた」

 彼は血が滾るような戦いに、飢えていた。

 けっきょくあの異能者どもも、妙な結界の術さえ無ければロウコの相手では無かった。

 蛟は皆殺し、麒麟とやらもひとり生きのいい若いのに逃げられた以外、老人は全員殺ったのだが……問題は、鏡獅子だ。

 二人は殺った。

 だが術者ひとりに逃げられてしまった。最後にリンファオを傷つけたやつ。

 さんざんへとへとになって探したというのに、リンファオには「あんな目立つ格好のやつらを逃がしたの? ロウコって、やっぱり役立たず」と罵られ、鬱憤が溜まっている。すごく。

 リンファオからしたら、ロウコがリンファオの血液を取り返して来なかったのだから、憤懣やる方ない。

 むしろ、土蜘蛛の美少女の血を手に入れたということで、それこそ死に物狂いで逃げたことが、その鏡獅子の命を救ったのだろうが……。

 結果、二人は今もギリギリとにらみ合い、今にも戦いが始まりそうな雰囲気だった。


「話があります、ロウコ」

 ヘンリーが、すっと土蜘蛛の元番人とリンファオの前に出て、二人の間を引き裂いた。

 そしてロウコを隅に引きずっていく。その耳に小声で言う。

「頼む、『リン』を傷つけないでくれ」
「おまえ?」

 ロウコが目を細めた。記憶がないとか聞いていたが……。

 ヘンリーのその優しげな瞳の奥には、複雑な感情が浮かんでいる。

「シャオリーのためにも、リンがそばにいない方がいいことは分かっている。でも……」

 ヘンリーの声がかすれる。

「愛しているんだ。頼む、殺さないでぐはっ」

 ヘンリーの身体が吹っ飛ぶ。腹を思いきり殴られたのだ。

 しかも変な気功を打ち込まれたようで、鉛の塊のような重苦しい、吐き気がするような──。

 毒を打ち込まれたようだ……。

 げえっ、と隅に這いつくばり、思いきり吐いた。それでも身動き取れなくなったヘンリーに、ロクサーヌが駆け寄る。

「何をするのっ!?」

 ロクサーヌをガン無視して、ロウコは吐き捨てる。

「おまえが捨てた女だ。どうなってもよかろう」

 声に怒りが滲んでいる。リンファオが驚いてロウコを見つめた。

「母子を引き離そうとして、記憶を無くしたふりをしていたのか、ずっと。いつからだ? 既に死ぬほどその娘を傷つけているおまえが、俺に傷つけるな、とは笑止」

 すると、ヘンリーがゆっくりと起き上がる。ギラッとした目で睨みつけ、絞り出すような声で言い返す。

「ロウコと言ったな。貴様に何がわかる? 里の犬だった貴様にっ。ずっとリンファオを監視していた変質者がっ!!」

 エドワードだ、とリンファオは思った。混じりけなし(?)の、エドワードだ。うわ、久しぶりだ。

「リンの重荷になることだけは、避けなければならないんだ。どれほど気配を消しても、貴様のような奴に追ってこられた。リンが一番恐れていることはそれだ。シャオリーの安全なんだっ。だが、母親として一緒に──」

 そこで初めてリンファオが見ていることに気づいたように、はっとなる。それでも言わねばならなかった。

「リンが──リンファオが一番気にしていることは、自分がそばにいることの影響だ。『気』が強すぎて、いろんなものを招き寄せる。おまえが言ったのだぞ、厄の子だと」

 リンファオは、胸を刺されたかのように立ちすくむ。

 ああ、この人はいつから記憶が戻っていたのだろう。リンファオを厄災だと言い切ったその顔は、彼女の知っているエドワードそのものだった。

「家族を危険な目に遭わせたくない、それがリンファオの願いだ。皇帝からも、軍からも、里の……お前のようなヤツを含め、あの変な刺客どもからも──。再び彼女が命を狙われたら、シャオリーまで──だから俺は……」

 リンファオから離れなければならなかった。どれほど、愛しくても。

 なぜなら自分は、人質になるような、何の力もないマヌケだからだ。

 自分達のせいで、どれほどリンファオを傷つけたか。だから、せめてシャオリーは、彼女に代わって守り通さなければならないのだ。

「エド……」

 リンファオは、彼の苦悩に歪んだ顔を見て納得した。

 うん、そうだ。知っていて、離れようとしてくれているのだ。私のことをよく分かっている。

 ヘンリーなら、もしかして一緒に行こうと言ったかもしれない。私が確実に拒絶することを知っていても。


「……なら、おまえの憂いは今この場で断ってやろう」

 面白くもなさそうにそう言うが否や、ロウコが突然双龍を抜き放った。真横に居たリンファオの身体をなぎ払う。

 油断していた。リンファオは、ヘンリーに記憶が戻っていたショックで動けず、防御に出ることができなかった。

 心に隙があり、硬気功を発動することができなかったのだ。

 ロウコ本人も、リンファオが簡単に防ぐと思っていたようで、驚愕の表情を浮かべた。

 意外な状況に、ロウコ自身も刃を止められず──それほどリンファオの動きを過信していたのだ。

 シャオリーの見開いた目と、リンファオの視線が絡み合った。

 母子の、最期となる──


──ガチンッ──


 金属音が響いた。目の前に両腕を上げて双龍を止めた男がいた。

「危ないじゃないですか」

 総督府の使いの男、チチンカ・パイパイが、斬撃を止めていた。

(ばかな)

 ロウコは背後に跳躍していた。貴族ぜんとした格好をした先住民に、刃を止められたのだ。この神剣の刃を。寸止めすら間に合わなかったその隙間に、入り込んだ。

「ああ、すごいですね。鋼の腕輪が欠けた」

 両腕を見ながら、ロウコを振り返る。

「ダメですよ。この女の子を殺したら。私はこの子の家族を安全に送ります。この子のママは──あれ、随分若いな、本当にママ?──帝都に返さなきゃ。約束なんです」

 ロウコもリンファオも呆気にとられている。だって、土蜘蛛の斬撃の隙間に入ったんだぞ?

「何だこれは……」

 ロウコが声を低くして言った。

「この鋼は質のいい鉄鉱石を転炉で量産した──」
「違う、その腕輪じゃない。おまえだ」

 ただの人間が、土蜘蛛の動きについてこれるはずない。

「チチンカ・パイパイです」
「下ネタはいい」
「失礼な。『母親の胸よりチンチンがデカい』という意味の立派な名前です。誇り高きナシュカ族の族長であり、総督の親友です」

 やはり下ネタを言う先住民の男を、ロウコが食い入るように見つめる。

「おまえのような奴が他にもいるのか?」

 チチンカが首を傾げた。

「現在、我々が総督とともに戦っている首狩り族のパッチラ族は、まったくもって我々よりぜんぜん強いです」

 ロウコの顔が輝く。生気の籠もった笑顔は、さすが土蜘蛛。チチンカがうっ! と目を閉じるくらい美しい。

 ロウコはチチンカの腕を掴んだ。

「俺も行く。おまえのような奴らがいっぱいいるところに連れて行け」

 リンファオとエドワード、いやヘンリーが仰天する。

「おまえがついて行ったら、意味がないじゃないかっ」

 リンファオとヘンリー、いやエドワードが同時に言う。

「ロウコ、私と戦おう。さっきは油断した。気合い入れて戦うから、それで満足しろ」
「リン!」

 ヘンリーが青い顔で叫ぶ。この気味悪い男に勝てるとは思えない。

 リンファオは諭すように言った。

「シャオリーには土蜘蛛の力がある。でもどういうわけか『気』を発していない」

 ヘンリーが黙った。たしかに、今は少なくとも……シャオリーを個人的に狙う奴はいない。

「だったら、もう土蜘蛛と関わらせてはいけない。血液を奪われた私がついて行ったらダメだし、もちろんロウコだってダメだ。鏡獅子って奴は、どれだけ遠くに離れていても、居場所を突き止めるんでしょ」
「でもそいつと戦うなんて──」

 気弱な声で反論する。エドワードが完全に引っ込んでいた。

「大丈夫、勝つよ。信じて」
「……。」

 二人は見つめ合った。ヘンリーの瞳に溢れんばかりの愛情が窺える。

「僕が、君を愛しているのは分かってるよね?」
「決まってるでしょ」

 リンファオの返事。迷った末に、ヘンリーは言った。

「君を信じるよ。そして、ここで別れる」

 リンファオは涙をこらえた。まったく、ヘンリーも立派な父親になったものだ。

「いいんだよ、それで──」
「くだらん」

 ロウコが水を差すように鼻で笑った。

「この小僧の言うことは、俺には理解できん。愛しているなら、攫って逃げるくらいしろ」

 かつて、自分がランギョクにすべきだったことだ。

 ロウコの意外な言葉に、二人は目を剥く。

 まずロウコのくせに「愛」とか口にしちゃったし。

 あと、おまえのせいで揉めてるのもあるんだけど?

「そして、守り抜けばいいんだ」
 
 ロウコがぶっきらぼうにポツリと言った。それも、彼ができなかったことだ。この二人を見ていると、苛々する。生きているのに、なぜ迷う?

 また珍しくいい事を言ったロウコが、ヘンリーの、そしてエドワードの腹に抱えていたものを刺激した。

 それは長年こらえていたものだ。娘の安全のために。妻の気持ちのために。外に出せなかったものだ。

「リン、やっぱり一緒に行こ──」
「俺を連れて行かないなら、ここでその小娘も、さらにちっちゃい小娘の小娘も殺す」

 ロウコがまた遮る。やはりワガママだ。

 だが、彼を共に連れて行けば、リンファオとは戦わないでいてくれる、ということなのだろう。

「やってみろ、死ぬのはお前だ」

 リンファオが噛みつくようにいい、不死鳥を抜いた。ヘンリーが目を剥く。

 リンファオは、完全に憂いを断つつもりでいるではないか。

「止めろっ」

 ヘンリーが怖い声で叫んだ。

 いや、どうやら、今度はエドワードらしい。出たり入ったり忙しい。

 エドワードは、ため息とともにチチンカを振り返った。

「こいつ、お願いできるか?」
「戦力になるなら」

 チチンカは嬉しそうに言った。エドワードが鋭い視線を死神に向ける。

「ただし、ロウコ」

 呼ばれて、ロウコがうっとおしそうに青瓢箪を見つめる。

「今はダメだ。しばらく帝国内に残れ」
「おまえに命令される覚えはないぞ」

 舌打ちし、エドワードはさらに声のトーンを下げた。

「少しは妥協しろ。リンファオとシャオリーに手を出さない代わりに、かならずこのチチンカに迎えにこさせて、そのパンチラ族とやらと戦わせてやる」
「パッチラ族です」

 チチンカが控えめに訂正した。

「だから、おまえに変な奴がついて来ないと分かるまで、シャオリーの近くには来るな」

 エドワードは、ロウコのリンファオに対する執着を見て、もしシャオリーが土蜘蛛の力を発するようになったとき、今度は娘と戦いたがるのではないか、と危惧していた。

 このまま、力が目覚めないで終わるといい。

 シャオリーには土蜘蛛の力なんていらない。

 エドワードは祈るような気持ちで、娘のシャオリーを見つめた。

 それから、リンファオに近づき、形のいい耳に囁く。

「おまえも元気でな。未開拓な土地はまさに弄りがいがある。おまえと一緒だ」

 リンファオが赤くなる。

 何言ってるの、チェリーはそっちだったでしょ。ん? あれはヘンリーか。ややこしい。

 エドワードは意志の力をもって、リンファオを抱き寄せる誘惑から逃れた。

 ロクサーヌには恩がある。

 彼女の気持ちを知っているからこそ、目の前ではできなかった。

 激情が溢れる気持ちを低く抑え、聞こえるか聞こえないくらいの声で囁いた。

「ロウコはいい事を言った。彼の言うとおりだ。さらってでも連れていくべきなんだろう。……だからもう我慢しない。何年も待ったんだ。少し延びたくらい大丈夫だな? 次に会ったらもう離さない。おまえも、あの追っ手を皆殺しにして、ロウコと一緒に来い。そして、お前がシャオリーを守れ。俺が許す。ていうか命令。それまでに、おまえのための町を作っておくからな」

(来い、と言われた)

 リンファオの顔が輝く。道が開けた。

 手が血まみれがなんだ。そんなの、ちょっと鼻血とか出したら、誰だって血まみれになるじゃないか。

「ママ」

 複雑な表情で、二人の内緒話を気にしていたロクサーヌが、呼ばれて振り返る。

「ママが二人いてもいいよね?」

 シャオリーが聞く。ロクサーヌが諦めたように頷いた。リンファオが驚いたように二人を見る。

「無理でしょう。勘の鋭い子です」

 そしてロクサーヌはリンファオに近づいた。

「エドワードに、仲のいい夫婦を演じてくれと言われました。私は本気で奪ってやるつもりだったけどね。ヘンリーの時なら押しに弱そうだし。でも……私たちは、何もありませんよ。エドワードは貴女との関係を無いものにして、皇帝から貴女を守りたかったのよ」

 悔しそうに言うロクサーヌ。

 シャオリーがロクサーヌの手を握り、離した。それからしっかりと目を見ながら、リンファオに近づいてきた。

「シャオリーはロクサーヌ好きだけど、ママのことも覚えてるんだよ? だって、シャオリーのママは美人なはずだし。ずっと待ってたよ?」

 慌ててシャオリーの口を塞ぐ。ロクサーヌが渋い顔をする。

「構いませんよ、いつも言われてたし。おかしい、似てない、二人が両親のはずない、って。まあ、それでも可愛いですけどね。……ほんと、貴女にそっくりだわ」

 リンファオの幼く見える頬に、ぽろっと涙がこぼれた。

「うん、私の子だ」

 娘はリンファオの泣き濡れた顔を見つめる。

「シャオリーはね、みんな居たから大丈夫なの。でもママ、寂しいでしょう? すぐに会いに来て」
「分かった。ちょっと色々片付けたら、会いに行く。すぐに」

 リンファオは泣き笑いした。寿命は長い。これからシャオリーといる時間は保てるだろう。

 シャオリーはロウコを見て言った。

「あと、パパも」
「それは違う!」

 さすがに慌ててロウコが言った。

 この子は顔が良ければ誰でもいいのではないか、とロクサーヌは思った。


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