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別れと始まり編

異能者たちの術

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 リンファオが鏡獅子とまともに戦うのは、初めてのことだった。

 刺客をやっていた頃、護衛についていた奴を後ろから昏倒させたくらい。

 紫色の不思議な衣を着ていたのは覚えているが、どんな技を使うのか分からないし、そもそも知っている者も多くはない。

 紫色が、忽然と目の前から消えた。直後、剣を持った腕が、拘束されたように動かなくなる。何かが、巻き付いたような──。

(なに?)

 辺りを見渡しても、男はいない。

 すぐに意識を研ぎ澄まし、森の木々を探る。

(──!!)

 気配はすぐ真上にあった。振り仰ぐと、宙に静止した男が下を見下ろしている。

「異能者が土蜘蛛だけだと思うな」

 鏡獅子の男はそう言うと、リンファオの目前に飛び降りざま、袈裟懸けに斬る。

 しかし柔らかい少女の胸を裂くと思ったそれは、直前で弾き返された。

 男は目を見張る。

 沼ワニの革鎧でも着ているかのような弾力と、硬質さをも備えた不可思議な鎖帷子だと思った。

「硬気功だよ」

 リンファオは笑うと、相手の腹部を蹴り、何かが解けたように自由になった手で、神剣を握り直した。

 すると、鏡獅子の男が再び宙に舞う。

 自由自在に身体を浮かせる相手に、リンファオは興味を引かれた。

 やはり土蜘蛛の性なのだろうか、わくわくしている自分が、確かにどこかにいるのだ。

 でも、すぐにからくりを知って、落胆してしまう。

 ザンッ──と何もないところに不死鳥を閃かせた。男の身体がボタッと地に落ちる。

「なんだ、よく見たら糸が丸見えだぞ」

 透明な糸で、自分の身体を操っていたのだ。

 視力のいい土蜘蛛には、マリオネットや命綱付きの曲芸に見えて滑稽だった。

 鏡獅子たちは、歯軋りした。

 糸をより細く、肉眼では見えないほどにするのは、一族の中でも手練れ。その手練れは皆、土蜘蛛の里襲撃のさいに、殺されてしまった。

 残ったのは、里の外で待機していた、武の上では格下の鏡獅子たちだ。

 ここにいる者たちが殺されれば、鏡獅子という民族は文字通り途絶える。

 勝負はあっけなくつくかに思われた。


「多いな、蛟」

 ロウコがいつの間にか、すぐ真後ろにきていた。

 どさくさに紛れて背中から攻撃されないか不安だったが、任務などどうでも良くなった彼なら、そんなことはしないだろう。

 背中合わせになり、身構える。いい具合に、ヘンリーたちからだいぶ離れた。全て、こちらに引きつけられただろうか。

 シマが守っているし、大丈夫だよね? とリンファオが不安になったその時──。

「──っ!?」

 突然、異変を感じた。身体から、力が吸い取られるように抜けていくではないか。

 周囲を囲んでいた蛟たちが笑う。

「かかったな」

 木々の間からすうっと、鏡獅子の装束よりさらに派手なそれを身にまとった老人が出てきた。

 さらに別の場所からも、同じような衣装の老人が出てくる。全部で四人。

 目が痛くなるほど目立つ格好だ。森の妖精さんか! と言いたくなるような奇抜な色彩……。

「よくここまで誘い込んだ」

 その中の、一人だけ若い男が興奮気味に言う。

「鏡獅子の協力が無ければ、あらかじめ結界を敷くなんて出来なかったぞ」
「しかも、土蜘蛛の血を混ぜ込んだ強力なヤツじゃ。ほれ、その男のモノだったようじゃの」

 リンファオの背後で呻き声がした。

 ロウコは押しつぶされそうなほどの重力を感じ、這いつくばった。

 里長を追って谷を早々に抜け出したロウコにとって、初めての感覚だった。

「麒麟の血の法陣に入れば、どんなやつでも身動きできん」

 老人が大威張りでふんぞり返っている。

 リンファオは愕然とする。この派手な衣装の男たちが、麒麟なのか。初めて見た。

 えっらい派手なので、刺客をやる気が無さそうに見える。

「しかし、土蜘蛛の巫女が居るなどと、ガセの情報もいいとこだ」

 がっかりしたのは、派手な衣装の──一人だけ居た若い男だ。じろりと鏡獅子を睨みつける。

「何を言う、相手の血液が無ければ、正確に占えぬだけだ。仕方あるまい。おまえらだって呪詛相手の血を、法陣を描く絵の具に混ぜなければ、ほれ、もうひとりはピンピンしてるではないか」

 紫の衣の男たちが気色ばみながら、リンファオを指差した。

 そのリンファオはというと、大したものだ、と感心していた。

 土蜘蛛の巫女ってたぶん自分のことだね。うん。当たってる。

(術をかけるのに、相手の血を利用する異能者って多いのね)

 ただし、それはあくまでもロウコの血。リンファオは、力こそ抜けていくのを感じていたが、まだまだぜんぜん戦える。

 身動き取れなさそうなロウコを、虫けらを見るような目で見下ろした。

(こいつ、敵にすれば手強いが、味方になれば役に立たないタイプか?)

 無様な同族を放っておいて、剣を再び構えた。

(さっさとケリをつけてやる)

 神剣遣い──しかもエリートの帝都組──十人殺したリンファオにとって、多少「気」を奪われたところでどうってことはない。

 痛みをともないながらも、自己の能力に対する自信はついていた。

 そんな少女の、剣を持ったその腕が、突然真後ろから掴まれた。

 リンファオの心臓が、鷲掴みにされたように縮み上がる。

──だって、気配がまったく無かったのに……。

(うそ……)

 万力で手首を捻られ、苦鳴とともに不死鳥を取り落としてしまう。カチャンッという音が森に響いた。

 ロウコが苦悶の表情をさらに驚きに歪め、顔を上げてリンファオを見た。その背後を。

 肌が粟立った。さっき殺した蛟が、首の半分ちぎれて落ちそうになっている蛟が、リンファオの手首を掴んでいるのだ。

「やだ、何で動いてるの?」

 リンファオが、さすがに動揺した声でそう言った。こんな状態、土蜘蛛なら一瞬で塵になる。蛟は交配の末、ついに不死身になった者までいるのだろうか。

 違う──どう見ても、生きてはいない。

 血がすっかり抜けた青白さ、瞳孔の開ききった目。まるで、怪奇小説に出てくるゾンビ──。

「これぞ、麒麟の力の真髄よ」

 紫の衣のゾンビまで立ち上がった。とてもゾンビとは思えないほどの素早さで、リンファオの足首を掴み、引き倒す。

「死人操りは、あまりに広範囲の法陣では使えない技さ。だがこの四方に張った法陣は濃いぞ」

 麒麟の男がせせ笑う。

「殺せ」

 男が命じると、蛟の遺体の手がリンファオの首を絞めようと伸びる。

 逃れようと身をよじった時、させまいとしたその青白い手が、装束の合わせを掴み、破かんばかりの勢いで引っ張った。

 鎖帷子に包まれた、円やかな胸元が顕になる。

 麒麟の男の目が釘付けになった。

「パ、パ、パイオツじゃないそれ!? 待て! 止まれっ! 殺すなっ!」

 ゾンビの動きが止まった。刺客の男たちがどよめく。

 派手な衣の老人が走りより、リンファオの面をむしり取った。見たこともないほど美しい少女の顔が現れ、ヨロヨロ、と後ずさる。

「巫女じゃっ、巫女が生き残っていたぞ!」

 そして、唯一若い同族の男をけしかける。

「さっさと犯せ! 種を仕込むんじゃ」

 それを聞いた蛟と鏡獅子が、焦って叫ぶ。

「ふざけるな老いぼれ! やるのは俺だっ!」
「だまれっ、麒麟はもう純血がおらんのだぞっ」
「蛟なんてとっくだ、ボケッ!」
「いや、俺はそんなこともうどうでもいい。純粋に、こんな美少女を犯りたいっ」 
「その時点で既に不純なんだよっ!」

 仲間割れになった。

 リンファオは再びの輪姦危機に泣きそうになる。さきほどから何度も気功砲をゾンビたちに放っているのに、ぜんぜん力が緩まない。腕も足もがっちりつかまれている。

 そりゃ、既に死んでるんだから、何やっても効かないよね……。

「おい、あれ見ろ」

 苦しそうなうめき声。身動き取れないロウコが、森の奥に目をやっている。

 駆けてくるのはシャオリー。

「来ちゃいけない」

 こんな可愛い子、土蜘蛛だとバレなくても攫われちゃう。

「ママのところに行ってなさい!」
「ママのところに来たよ」

 言い返されて凍りつく。え? と周囲の異能者たちが、シャオリーとリンファオを見つめる。

「親子?」

 まずい、バレた!

 無骨な手がシャオリーに伸びた。一瞬ひるんだシャオリー。

 這いつくばっているロウコと、リンファオを押さえつけている男たち──遺体──を見て、彼らが危険だと判断したのだろう。

 パチッと何かが弾ける感覚。

 世界が白くなった……ように感じられた。

 直後、爆発的な力が、シャオリーの体から発せられたのだ。

 咄嗟に、目をつぶるリンファオ。

 まさか、まったく「気」の力を感じなかったシャオリーから、こんな無限大の「気」の放出が!?

 目を開けたとき、リンファオは自由になっていた。

 辺りに散らばる遺体の遺体? いや、遺体は肉片になってピクピク動いている。

 生きている異能者たちは? やはり、肉片になったのだろうか?

「うううっう」
「何が起こった?」 

 木々や地べたに叩きつけられ、動けなくなっている異能者たち。

「『気』を加減できるのか?」

 ロウコがすぐに身を起こした。見ると、麒麟は気絶している。法力がきれたらしい。

「一度の放出で、攻撃対象を選別しているというのか?」

 ロウコもリンファオも傷一つ無い。

 生きている敵は痛めつけている。遺体は動けないくらい細切れ。明らかに、被害の度合いが違う。

 たった一度の「気」の爆発で、こんなことが出来るものなのだろうか?

 何の訓練も受けてないのに。

「何のこと?」

 シャオリーのきょとんとした顔と言葉に、ロウコが目を剥く。

「無意識にやったのか!?」

 リンファオが、もう何の力の片鱗も見えないシャオリーを見つめ、ゴクリとつばを飲み込み、言った。

「今の、もう一度出来る?」

 シャオリーが怪訝そうに首をかしげる。自分がやったかも、分かってないようだ。

「シャオリーよくわかんない。でも、パパが言ってたよ。人を殺しちゃいけないって」

 ああ、優しい子だ。リンファオは感動した。自分はもう戻れないけれど、シャオリーには人殺しなんてさせちゃいけない。

 シャオリーは汚いものでも見るように、異能者たちを見渡した。

「ブサイクでも殺しちゃいけないんだって」

 え、あれ? そういう基準? 目を潤ませていたリンファオが焦る。

 異能者たちは頭を振りながら、次々に起き上がり、立ち上がった土蜘蛛二人を見て、ヒイッと叫びながら逃げ出す。

 再びクナイを投げて殺そうとしたリンファオを、シャオリーが止める。

「ママ、逃がしてあげなよ」
「でも、あなたの存在を知られてしまった!」
「だって、あんなブサイクでも生きてるんだよ?」 

 言うことが、いちいち巫女っぽいな。リンファオが戸惑って娘を見つめる。チクりと、そのリンファオの腕に、痛みが走った。

「痛っ」

 腕に切り傷が走っている。振り返ると、鏡獅子が糸を手繰り寄せながら、ものすごい勢いで逃げていく。リンファオが叫んだ。

「血を取られた! あいつらまだっ」

 リンファオが血眼になって追いかけようとするのを、シャオリーが足にしがみついてまで止める。

「放してシャオリー、あいつらは殺さなきゃダメだっ。追われるっ」
「これ以上、あんなブサイクな奴らのために、ママが傷ついちゃダメっ」

 愕然となってシャオリーを見下ろした。どこまで知っているというの? この子は……。

 シャオリーは無邪気な瞳を瞬かせながら、リンファオを見上げた。

「それに、パパがいつも言っているよ。人体実験以外で殺すのはもったいないって」

 ヘンリー……。どっちもいい事言ってそうだけど、ちょっとズレてる。

 リンファオは頭を抱えた。




※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



 シャオリーたちを追いかけて、青虎と、馬を引いたヘンリーとロクサーヌが走ってきた。


「こんな坂道を、よくあんな速さで」

 二人とも、ぜーぜー言っている。

 大人の足では、シャオリーを捕まえることは既に無理らしい。軽身功も使えるようだった。もちろん意識はしてないようだが。

(完全に土蜘蛛じゃないか)



「ママ、シャオリーやっぱりね、ママとお馬さん乗る」

 先を急ごうと馬に乗ったリンファオの前に、シャオリーがよじ登ろうとする。

 ロクサーヌの前で「ママ」と呼ばれて、リンファオが凍りつく。ロクサーヌも。

 困ったようにロクサーヌを見ると、彼女は辛そうに目を伏せた。

 リンファオはそれを見て、シャオリーを諭そうとした。

「シャオリー、あのね、何でそんなことを言うのか分からないけれど、私はあなたのママでは──」
「あなたはママだよ」

 ズバッと言われて、リンファオは絶句する。
 その時、ロウコがクスッと笑った。リンファオが目を剥く。

 この男が笑ったところを初めて見たぞ。いや、あの恐ろしげなクックックってやつじゃなくて、楽しげなやつね。

「土蜘蛛の子なら、何か感じるんだろう。例え記憶になくても」

 ロウコはそう言うと、森の中に消えていった。ぐぐっと嗚咽が出そうになる。ロウコのくせにいい事を言うなよ。

 ロクサーヌには悪いけれど、どうやら、娘とは絆があるらしい。

(大丈夫。だったら、この先も私は生きていける)

 目の前の柔らかそうな子供を抱きしめたい誘惑に堪えながらも、リンファオは幸せな気分になった。

 おそらく、ロウコは異能者を追うのだろう。あのロウコを地べたに這い蹲らせるなんて……。あんな無様な目に遭わせたのだ。シャオリーが何を言おうが、ロウコは止められない。ミンチにされるはず。

 それに、やはり彼らは殺しておかなければならない。

 自分についてこられたら、娘まで危ない。



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