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土蜘蛛の里と北の大陸編

ブサイクは、ギルティですの

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 全てが燃えていた。

 焼夷弾を打ち込まれた谷は、火と煙で霞んで見えた。

 不動の谷の護りは、今崩れた。

 次々となだれ込んでくる、邪な気配の者たち。そこから感じるのは、したたり落ちそうな欲望。


「気配まで不細工だなんて」

 スイレンはキリッと絹の袖を噛んだ。そんな姿まで艶やかである。百歳過ぎているはずなのだが……。

「すぐにここにも来るでしょう。あのブッサイクな者どもが」

 スイレンは、巫女と巫女見習い、選別前の見習い剣士、そして稚児と赤子を宥めている乳母たちを見渡した。

「可憐な土蜘蛛の女たちよ。汚されたい者は手をあげて。あのブッサイクな者どもに」

 スイレンは尋ねた。そんな風に聞かれたら、もちろん誰も手を上げるはずもない。

 剣士としての年齢に達していない、見習いの男児たちにも言う。

「お尻の……コホン……その、掘られたい? あのブッサイクな者どもに」

 剣士見習いの男児たちは、おケツを押さえて震え上がりながら首を振る。

 ホウザンとメイルンの子が、特に怯えていた。

 体は同年代に比べてでかいが、剣士となるには少し臆病だった。

 これから、変わるのかもしれなかったのに……。

 スイレンは、自分がやろうとしていることに、罪悪感を覚えた。

 未来を断つのだから。

「では……。眠りにつきましょう。石の眠りに」

 巫女たちは頷く。

 赤子を抱き、稚児たちと体を寄せ合う。

 里の下に住む、女たちも集めた。美しいが非力な者たち。力ある者を産み出す能力が無いとは言え、慰みものにされるのは絶対に許せない。

 しかもあんな、ブッサイクなやつらに。

 どうしてこんなことになったのだろう。

 安住の地を見つけ、ここでひっそり暮らしていけると思っていた。繁栄はできなくても、滅びることはないと……。


「ごめんね」

 赤子たちの無垢な寝顔。スイレンは、はらりと涙を落とした。そして驚いたように頬を拭う。

 涙が出るなんて、何十年ぶりだろう。レンと番い、子を孕む共同作業をした時以来かもしれない。

 いや……あと、出産の時かしら? ものすごく痛かったわ。

 普通の人間だと有り得ない、超高齢出産。かろうじて月のものは来ていたが、体力的にも厳しかった。

 ロウコと、その何年かあとに、リンファオ。

 どちらもレンの種だけあって、内包する力が恐ろしく強かった。

 出てくるときにどこかの血管をひきちぎって生まれて来たものだから、大量出血で死にかけたっけ……。

 まあ、いい思い出とは言えないけれど、美形を産めて満足だった。

 二人とも「気」が強すぎて、忌み子なんて呼ばれていたけれど。

(美形ならいいじゃないの)

 スイレンの基準では、美形なら何をしても許されるのだ。

 一方で、不細工はどうにも我慢ならなかった。

 スイレンは、深く長いため息をついた。気力がどんどん吸い取られていく。これが何者の力による仕業なのか知らない。

 とにかく、手遅れになる前にやるのだ。自分たちが無力化され、不細工たちに蹂躙される前に。

 スイレンは決意したように立ち上がり、パンッと手を打ち合わせる。

 美しい歌声がその唇から紡がれていく。

 他の巫女たちがそれに続いた。けして使ってはいけない術の詠唱。それは声というより「気」によって谷の内側を満たしていった。

 歌に集中しだした巫女達は気づかなかった。赤子を抱いた乳母巫女が一人、その場を抜け出したことを。




※ ※ ※ ※ ※ ※



 レンと一緒に戦っていた長老の一人が倒れた。


 高台に開けられた穴から、わらわらとなだれ込んできた蛟たちを止めることは出来なかった。

 スイレンがすぐに女たちを虎蒋堂に誘導し、レンが木製の昇降機を破壊した。

 次に剣士たちは青虎の島に刺客たちを誘い込み、ほとんどを罠にかけて殺した。しかし腹一杯になった青虎たちは、それ以上の捕食を好まず、戦線離脱する。

「何が神獣だ」

 思ったより少食の青虎たちは、隅で我関せずと猫のように丸まってしまった。

 神剣候補を食い殺していた威勢はどうした!? と言いたい。

「役たたずめ」

 レンは思わず苛立ちをぶつけた。

 湧いて出てくるような刺青の男たち。闘志すら吸い取られていくかのような、結界の呪力。

 一緒に中洲に渡った剣士や長老たちの「気」の力も、ついにはつきていったのだ。一人、また一人と塵になる土蜘蛛。

 眼前を、紫の衣の男たちがちらつく。

 なるほど、罠をすり抜けて来るのは鏡獅子か。どこに逃げようと追ってくるという、本来追撃の専門集団。うちの番人にスカウトしたいくらいだ。

 麒麟、蛟、鏡獅子が力を合わせるなどと、過去に無かったことだ。

──全ては、土蜘蛛の女欲しさに。滅びの道を防ぐために。

 滅びかけているのは、こちらも同じだ、と言いたい。だが、濃すぎる血を薄めてまで、存続させるべきなのか。

 いや、そんなこと……本当はどうでもいいのかもしれない。

 スイレンがもし辱められたら……。

「させるか」

 彼女はきっとおぞましさのあまり、気が狂ってしまうだろう。レンはいっきに中洲の森を走り抜け、何人もの刺客を葬った。

 鏡獅子はその特殊能力以外に、武威でも知られている。

 妙な糸が絡み付き、幾度も皮膚を傷つけた。

 切断される寸前に断ち切ってはいるが、それは、蛟との戦いで徐々に消耗してきたレンの体力を、さらに奪っていった。

 赤い川を渡り、砂鉄の洗い場まで走った時、轟音が響いた。

 近くの河原石が、爆音とともに弾ける。

 レンは中腹のトンネルを見て舌打ちする。砲車を転がしながら谷に入ってくるのは、帝国の軍人たちだ。よくもここまで運んできたものだ。

 異能者プラス帝国軍。

 どれも一つずつの勢力であれば、土蜘蛛の敵ではなかっただろう。

 なだれ込んでくる彼らの手には、マスケット銃が抱えられている。命中率が低いとは言え、あれはやっかいだ。全身を硬気功で覆いつくして戦うには、集中力と気力を持っていかれすぎる。

 それに残っている土蜘蛛の里の男たちは、おそらくもう非戦闘員だけだろう。剣を持たせればそれなりに戦えるが、硬気功など発動できない。皆殺しにされるのは時間の問題だ。

(詰んだな)

 あっけないものだ。レンは苦笑した。

──そのときレンの耳に、巫女たちの歌声が届いた。

 それはよく通り、谷中に響き渡る。


 軍の歩兵部隊や、刺客の集団が聞き惚れたように辺りを見渡す。

「もうよい、ということだな、スイレン」

 息一つ切らしていないが、レンは唐突に、その場で結跏趺坐した。

 彼を遠巻きに囲んでいた蛟と、鏡獅子がびくっと身構えた。

 まさに、元東の大陸の民族。能力を失いつつあっても「気」には敏い。すぐに周囲の空気が変わったことに気づいたのであろう。

 谷の外に流れていくばかりだった「気」が、どんどん目の前の土蜘蛛に吸い寄せられていく。

 レンは閉じていた目を見開いた。両手を地面につける。

(一人でも道連れに)

 全ての力を、大地に向かって放出した。


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