上 下
88 / 98
土蜘蛛の里と北の大陸編

土蜘蛛の里の危機

しおりを挟む


 その頃土蜘蛛の里は、ただ一人の逃亡者にかまっているどころではなかった。

 敵意と殺意は、確実に里に迫りつつあった。もはや里中の剣士たちがその気配に気づいていた。

 巫女たちは怯え、剣士たちは臨戦態勢に入る。

 どんな脅威からも、この里は守られている。

 そんな余裕があった。

 しかし、近づいて来るその気配のあまりの多さは、やがて長老たちの顔色をも失わせた。



「総動員だな」

 薄暗い虎蒋堂の中で、揺れるロウソクの灯りを見つめながら、レンは呟く。

 里長をはじめ、長老たちも黙している。

 やがて、ため息とともに意見を出し合う。

「この数なら、蛟だろうか。ここまで多いのか……」
「地方の神剣遣いたちも、大祭に備えて帰還している。帝都組以外、全員だ。対応できぬことはない」
「いや、帝都組は最大戦力。それが居ないのは痛い。それにこの気配。侵略者の中には、我等とて知らぬ特殊な能力を持つ者がいるようだ」
「異能者か……。里に総攻撃をしかけられれば、無傷では済むまい」
「我々が安住の地を手に入れた時から、危惧していたことだ。──が、なぜ今なのだ?」

 巫女はどんな種であろうと、力ある者を産む。そんな間違った情報が、同郷の異能者たちの間で、嫉妬を伴いながら蔓延していたことは知っていた。

 だからこそ、閉鎖的な空間が必要だった。一族のおなごを守るための、安息の地が。

「たしかに、我らの力を恐れずに挑むなら、もっと早い時期でも良かったはず。ましてや、剣士が揃う大祭を狙うなど、襲撃者たちには何の特にもならぬ」

 里長は背後に控える、口元の赤い面をつけた剣士を振り返りそう言った。

「こやつが、とある島をねぐらにする蛟を根絶やしにしたのは、ずいぶんと前のことだ。その恨みをはらすにしても、もっと早い時期に来ていたはず」

 全員がちらりと、ロウコに目をやる。

「大祭の真の目的は、谷に張られた結界の強化です」

 巫女長スイレンが、ロウコから視線を戻して里長に言った。

「なんだと?」

 里長や長老たちが目をむく。

「事が事だけに、話しました」

 スイレンはツンと横を向く。

「──巫女たちが力を合わせ、術をかければどんなことも可能です。しかしそれは、結界があってこそ。大祭の儀が執り行われる前は、里の守りが一番弱っている。大祭に合わせたのは、そのためではないかしら」
「なぜ、そんな重大なことを黙っていた……」
「重大だからこそ、です」

 スイレンと里長は睨み合い、火花を散らした。

「そちらも、巫女を軽んじているところがあるようですもの。全てをわたくし達には話しませんでしょ?」

 長老たちをぐるりと見渡した。その若々しく美しい顔が曇る。

 そう。大祭の本当の目的は、巫女長にのみ引き継がれ、秘されてきたのだ。

「そのことは、東の大陸に残る古文書などを調べなければ、分からぬ情報のはず……」

 何が原因にせよ、里を囲まれ攻撃をかけられたことは、過去になかった。

 大祭を控え、里には全ての遠征組が、帰ってきている。例外を除いて。

 皇帝襲撃事件発生後、都の神剣遣いを呼び寄せるのは難しくなっていたのだが、里の行事で十人すべて返してもらえないのは、今回が初めてのことだ。

 相手はこの国の頂点にいる男。土地をくれた国の王だ。文句は言えなかった。

 祖先が苦労してたどり着いたこの地を、やっと落ち着いたこの地を、追われるわけにはいかなかったのである。

「どうにかなるか?」

 里長がスイレンから目を逸らし、呻くように呟いたその時──

「大祭は、予定通り執り行いますよね、長」

 めったに口を利かないロウコが、威圧するような低い声をあげた。

 長老たちは、驚いて番人の面を見つめる。

 里長は咳払いしてロウコを睨みつけた。

「今は里の存続の問題ぞ、おまえは黙っていろ」
「ずっと待ったんだ。この大祭を逃せば、ランギョクは生き返らない」

 訝しげな長老たちの視線を受けて、里長は焦ったようにロウコを叱りつけた。

「長老会議での発言は許しておらん」
「ランギョク?」

 代表するように、巫女長のスイレンが問いかける。

「私の反対を押し切って処分を決定した、憐れな娘のことですわね」

 その目が先程よりも冷ややかに光る。

 リンファオやメイルンの時もそうだ。巫女長である自分に何の知らせもなしに、勝手に処遇を決めた。

「生き返るとは、どういうことです?」

 あの巫女は深手を負い、沙汰を待たずして塵になったはず。

 ロウコは、自分よりずっと長生きしてきたはずの巫女長の顔を、戸惑ったように凝視した。

 なぜ、彼女が知らないのだろう。結界がどうのこうのと、大事なことを知っていた巫女が……。

 五十年に一度の、陽が欠ける日の大祭。死者を蘇らせることができるのは、巫女長なら知っているはずではないのか。

 長老たちも、訝しげだ。

 死者を朽ちぬよう保存してあることは、口止めされていた。が、大祭を経験しているはずの長老たちなら──禁忌とされる秘儀とは言え──知っていると思ったのだ。

「長よ……」
「ロウコ、もう行けっ。番人を集めて里の警備を強化せよ」

 強い口調で言われ、ロウコは不満げに口を開こうとしたが、長の睨みにあって渋々その場を後にした。



※ ※ ※ ※ ※


 殺気を含んだ気配は、谷の向こうにまで来ていた。登ってきている。続々と。

 戦線を離脱した隠居組も含め、皆武装し、谷の外に渦巻く怨念のようなものを警戒していた。

 堂では長老たちが、辛抱強く剣士たちからの連絡を待っている。

「斥候は戻ったか?」

 剣士たちが戻ると、きつい口調で問いただした。しかし彼らは途方にくれたように首を振る。

 谷の外に様子を見に行った者たちは、帰ってこなかった。それどころか、敏い剣士の話では「気」が途絶えたという。

 それは、命が途絶えたということだ。

「ばかな──行ったのは番人……神剣の使い手だぞ?」

 呆然とつぶやく長老たち。

「つまり、我々と同類の敵ということでしょう」

 スイレンがついに立ち上がった。

「神剣の使い手が戻って来ないなら、やはり蛟の異能者、もしくは他の呪術集団なのですわ。外にはわたくしたちにも把握できてない、異質な力の持ち主がいる」

 数名の剣士では太刀打ちできない。それほどの敵が、押し寄せてきたのだ。

「里を襲うという目的は一つ。里の女たちを略奪に来たに違いありません」

 長老たちは頷いた。目的はおそらくそうだろう。異能者は、その能力を残したがる。

「だが、不思議だ。これほどの数の暗殺者たちが、いっせいに入国できるだろうか。身を潜めて島に渡って来たとは──隠密行動というレベルではない。軍隊並みの数だぞ」
「大型の船で、堂々と入港したとしか思えん」

 スイレンは、眉を顰めた。

 このモス島は補給地として、アリビアの武装商船がマメに出入りしている。近海には旧教の教会領の島があって、大分前に反乱があった。今も水軍が定期的に警備艦を巡らせている。

 東の大陸からの密輸船や移民船を臨検するため、軍の駐屯地も小規模ながら港の片隅にあり、快速カッターはいつでも出港出来るようになっている。

 国籍不明の者を多数乗せた船が無理に入ろうとすれば、交戦になりかねない。

 長老たちの言葉に、レンがふと顔を上げた。

「帝国が黙認しているとしたら?」
「ばかな、皇帝は我々の庇護者だ。それこそ意味がない。帝国にとって、土蜘蛛は守りの要であろう。この地から追い出したいなら、襲わせる前に、まず我々に交渉してみるはず──」

 そこで長老たちは目を見開いた。

「帝都で何かあった、ということか」

 土蜘蛛不在時の、皇帝襲撃事件を思い出す。あれがまた起きた? そして……成功したとしたら?

「巫女たちを守ります!」

 スイレンは厳しい声でそう言い、衣を翻すと、すぐにその場を後にした。土蜘蛛の血は、外に流れてはいけない。

──いや、そんなことはどうでもいい。

 だが、囚われた美しい巫女達が、外のブサイクな男たちの慰みものになるなんて、耐えられない。ぜったいに。

 もし守りきれないなら、巫女長として決断しなければならない。

 青い顔をしたスイレンの隣に、レンが追いついてきた。そのあとから、他の長老たちも。

「悪いな、スイレン。おぬしら巫女にはすまぬが、俺は嬉しい」
「わしもじゃ」
「拙者も」
「それがしも」

 長老たちの「気」が弾んでいる。

(これだから男は)

 スイレンが苛々と背後を振り返る。

 古風な一人称を使っていても、まだ皆若々しい肌をしている。

「でしょうとも。貴方がたは、元々神剣の使い手。鍛錬ではなく、本当の命のやり取りが出来ることに、滾らないはずはないですわね」





※ ※ ※ ※ ※ ※




「どちらに行かれる? 里長よ」

 ロウコが低い声で引き止める。里長はギクリとその足を止めた。ちょうど、堂から出てこようとしたところだった。

「儀式を?」

 期待に満ちた番人の声。

「あ……ああ」

 仕方なさそうに呟くと、里長は祠に向かって足を向けた。

 背後から影がひっそりついてくる。


 祠は、相変わらず霊的な力に満ち溢れていた。今日は太陽が陰り、月の霊力がます日だ。

 里長がそう説明したのを覚えている。

 里長は、のろのろと床に二つの遺体を並べた。ロウコが嬉々として手伝った。

 自分と同じく番人にされてしまった、憐れなシショウのために、身重のメイルンも大切に運ぶ。

 赤子も生き返るのだろうか。

 二人の遺体は瑞々しさを保っていて、昔と変わらず美しい。まるで生きているようだった。

 傷も取り敢えずは塞いであり、自分の罪が無かったかのようにすら、感じられた。

 里長は、どこか挙動不審で落ち着きがなく、そわそわしていた。

 谷を囲む殺気を気にしているのだろう。

 だが気が急いているロウコには、どうでもよかった。

「早く、早く、ランギョクを」
「うむ」

 里長は、遺体を囲むように円陣を描き出した。苛々するほど細かい柄の魔方陣。

 そしてその円の外側に座ると、聞いたこともないような祝詞を口から紡ぎ出していく。

 初めて見る技だ。

 しばらくして、ロウコが、ふと眉根を寄せた。

 肌が粟立つ。  

 円陣の中に、周囲の気が吸い込まれていくような、不快な感覚。

 寒い。息が白くなるほど、周りの気温が下がった。

 まるで北の大陸の、冬のようだ。



──コト。


 音がした。

 ロウコが息を呑んだ。

 ランギョクの首が傾く。メイルンが足を動かした。

 ゆらりと二人が起き上がる。

「ランギョク!」

 面をむしり取り、円陣の中に入ろうとした。ピタリ、とその足が止まる。

 ランギョクの虚空を見つめるその目は、何も映していない。メイルンも同じだ。

 おかしい。肌がざわざわする。

 なぜ、ランギョクの首は大きく横にずれてしまっているのだろう? 喉元の傷が、痛々しいほど開いている。 

 なぜ、メイルンとやらの腹の傷からも、再び血が溢れてくるのだろう? こちらも塞いでいたはずだ。

 それにこの臭い。腐敗と、獣のような臭いがする。

 二人共、遺体だった時の方が美しかった。まるで生きているかのようだったのに。


 これではまるで……。

 二人は、ゆっくりと近づいてきた。虚ろなその瞳は、赤黒く濁っている。

 愛おしいはずなのに、一歩ロウコは後ずさった。ランギョクのやけに赤い唇が、パクッと開いた。


──うあああううう


 死霊。それを連想させる、這うような唸り声だった。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



──パシッ。

 剣士たちが顔を上げた。

 古の巫女たちの張った結界が反応し、さらに破られた気配。

 この地に来た直後張られたという、巫女の結界を破る術者たちがいたらしい。

 いつ上書きされたのか……。やはり、大祭の前で結界は弱っていたのだ。

 混血の蛟には、どんな能力者がいるか、分かったものではない。そして、数は土蜘蛛の比ではない。

 さらに──蛟だけではないのかもしれない。

 麒麟の法陣には、相手の結界を破る術があると聞いたことがある。

 また、彼ら自身に武の力こそ無いが、その法陣は強力で、そこに敵を誘い込み、相手の力を奪い、弱らせて殺すとも。



「ぬうっ、気力が弱まってくるのを感じるか?」

 剣士の一人がすぐに体の変調に気づいた。勝手に、硬気功を放出しているような脱力感が、剣士たちを襲う。

「まさか、ここに集結しているのは麒麟なのか?」
「麒麟は、絶滅しているという噂がある民族ぞ。これほどの数が居るはずがない」
「武の者を雇って、手を組んでおるに違いないぞ」
「徒党を組むような輩だったか?」

 地に膝をつきそうになりながら、剣士たちが口々に喚いた。

「しかも、麒麟だとしたら、谷全体に奴らが結界を張っていることになるぞ。麒麟は、一体何人いるんだ?」

 周囲を見渡すと、広範囲に渡って剣士たちが膝をついているのが分かる。

 土蜘蛛より希少な、麒麟だけでは無い気がする。それだけの人の数を感じるし、さらにこの気配は、猛々しく、殺気に満ちている。

「異能者の連合軍ってところか」
「来るぞ」

 限られた出入り口を、剣士たちがふらつきながらも力を振り絞り、囲む。

 その時、耳をつんざくような音が響いた。聴力のいい土蜘蛛たちは思わず耳を抑える。

 そして常人離れした嗅覚もまた、火薬の臭いを嗅ぎつける。

「爆破音だ」

 それも立て続けに、何度もくり返し続く発破の音。

 老師レンが、煙の出る山道を見上げ棒立ちになる。

 彼にしては珍しく切羽詰った声を上げた

「何人か俺と来い!」

 谷への入口が、増えてしまった。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

赤獅子王子と囚われ姫の戯れ【アルファポリス版】

みきかなた
恋愛
獅子のたてがみのような真っ赤な髪をした王子セインは、隣国に攻め入りその国の美しい姫を見初める。 武骨な王子と囚われの姫の一夜の物語です。

【完結済み】オレ達と番の女は、巣篭もりで愛欲に溺れる。<R-18>

BBやっこ
恋愛
濃厚なやつが書きたい。番との出会いから、強く求め合う男女。その後、くる相棒も巻き込んでのらぶえっちを書けるのか? 『番(つがい)と言われましたが、冒険者として精進してます。』のスピンオフ的位置ー 『捕虜少女の行く先は、番(つがい)の腕の中?』 <別サイトリンク> 全年齢向けでも書いてます。他にも気ままに派生してます。

【完結済み】運命の相手とベッドの上で体を重ねる<R-18>

BBやっこ
恋愛
『番(つがい)と言われましたが、冒険者として精進してます。』自作小説のR18版を展開します。恋愛感情が追いつかない主人公セリと、自分のものにしたいハーフ竜人ロード。肉体関係から始まって心が近くのはいつになるのか?ストーリーの時間系列で、思いつき投稿。 単独で読めるかな?と書き始めましたが、 『番(つがい)と言われましたが、…』[ファンタジー]とかぶる時間軸がありますので本編と合わせて楽しんでいただける部分もあります。キャラが少々違うのでそこのところも順次<※補足情報>載せます。

ゆたさん(♂)とシエル(♀)のお話

ゆみ〜
恋愛
突如性転換してしまった元男女の二人の生活の物語

雪うさぎ

恋愛
*エロいの苦手な方はダッシュで回れ右 どうやら私は異世界転生をやらかしてしまったようです。2度目の人生を異世界で、と言えばやっぱりあれですよね?転生チート! え?転生チートは無い? え?!無いの!? ☆チート☆加護☆聖獣☆獣耳☆

BL短編集②

田舎
BL
タイトル通り。Xくんで呟いたショートストーリーを加筆&修正して短編にしたやつの置き場。 こちらは♡描写ありか倫理観のない作品となります。

寝込みを襲われて、快楽堕ち♡

すももゆず
BL
R18短編です。 とある夜に目を覚ましたら、寝込みを襲われていた。 2022.10.2 追記 完結の予定でしたが、続きができたので公開しました。たくさん読んでいただいてありがとうございます。 更新頻度は遅めですが、もう少し続けられそうなので連載中のままにさせていただきます。 ※pixiv、ムーンライトノベルズ(1話のみ)でも公開中。

【R18】不埒な聖女は清廉な王太子に抱かれたい

瀬月 ゆな
恋愛
「……参ったな」 二人だけの巡礼の旅がはじまった日の夜、何かの手違いか宿が一部屋しか取れておらずに困った様子を見せる王太子レオナルドの姿を、聖女フランチェスカは笑みを堪えながら眺めていた。 神殿から彼女が命じられたのは「一晩だけ、王太子と部屋を共に過ごすこと」だけだけれど、ずっと胸に秘めていた願いを成就させる絶好の機会だと思ったのだ。 疲れをいやす薬湯だと偽って違法の薬を飲ませ、少年の姿へ変わって行くレオナルドの両手首をベッドに縛りつける。 そして目覚めたレオナルドの前でガウンを脱ぎ捨て、一晩だけの寵が欲しいとお願いするのだけれど――。 ☆ムーンライトノベルズ様にて月見酒の集い様主催による「ひとつ屋根の下企画」参加作品となります。 ヒーローが謎の都合の良い薬で肉体年齢だけ五歳ほど若返りますが、実年齢は二十歳のままです。

処理中です...