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土蜘蛛の里と北の大陸編

土蜘蛛の里の危機

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 その頃土蜘蛛の里は、ただ一人の逃亡者にかまっているどころではなかった。

 敵意と殺意は、確実に里に迫りつつあった。もはや里中の剣士たちがその気配に気づいていた。

 巫女たちは怯え、剣士たちは臨戦態勢に入る。

 どんな脅威からも、この里は守られている。

 そんな余裕があった。

 しかし、近づいて来るその気配のあまりの多さは、やがて長老たちの顔色をも失わせた。



「総動員だな」

 薄暗い虎蒋堂の中で、揺れるロウソクの灯りを見つめながら、レンは呟く。

 里長をはじめ、長老たちも黙している。

 やがて、ため息とともに意見を出し合う。

「この数なら、蛟だろうか。ここまで多いのか……」
「地方の神剣遣いたちも、大祭に備えて帰還している。帝都組以外、全員だ。対応できぬことはない」
「いや、帝都組は最大戦力。それが居ないのは痛い。それにこの気配。侵略者の中には、我等とて知らぬ特殊な能力を持つ者がいるようだ」
「異能者か……。里に総攻撃をしかけられれば、無傷では済むまい」
「我々が安住の地を手に入れた時から、危惧していたことだ。──が、なぜ今なのだ?」

 巫女はどんな種であろうと、力ある者を産む。そんな間違った情報が、同郷の異能者たちの間で、嫉妬を伴いながら蔓延していたことは知っていた。

 だからこそ、閉鎖的な空間が必要だった。一族のおなごを守るための、安息の地が。

「たしかに、我らの力を恐れずに挑むなら、もっと早い時期でも良かったはず。ましてや、剣士が揃う大祭を狙うなど、襲撃者たちには何の特にもならぬ」

 里長は背後に控える、口元の赤い面をつけた剣士を振り返りそう言った。

「こやつが、とある島をねぐらにする蛟を根絶やしにしたのは、ずいぶんと前のことだ。その恨みをはらすにしても、もっと早い時期に来ていたはず」

 全員がちらりと、ロウコに目をやる。

「大祭の真の目的は、谷に張られた結界の強化です」

 巫女長スイレンが、ロウコから視線を戻して里長に言った。

「なんだと?」

 里長や長老たちが目をむく。

「事が事だけに、話しました」

 スイレンはツンと横を向く。

「──巫女たちが力を合わせ、術をかければどんなことも可能です。しかしそれは、結界があってこそ。大祭の儀が執り行われる前は、里の守りが一番弱っている。大祭に合わせたのは、そのためではないかしら」
「なぜ、そんな重大なことを黙っていた……」
「重大だからこそ、です」

 スイレンと里長は睨み合い、火花を散らした。

「そちらも、巫女を軽んじているところがあるようですもの。全てをわたくし達には話しませんでしょ?」

 長老たちをぐるりと見渡した。その若々しく美しい顔が曇る。

 そう。大祭の本当の目的は、巫女長にのみ引き継がれ、秘されてきたのだ。

「そのことは、東の大陸に残る古文書などを調べなければ、分からぬ情報のはず……」

 何が原因にせよ、里を囲まれ攻撃をかけられたことは、過去になかった。

 大祭を控え、里には全ての遠征組が、帰ってきている。例外を除いて。

 皇帝襲撃事件発生後、都の神剣遣いを呼び寄せるのは難しくなっていたのだが、里の行事で十人すべて返してもらえないのは、今回が初めてのことだ。

 相手はこの国の頂点にいる男。土地をくれた国の王だ。文句は言えなかった。

 祖先が苦労してたどり着いたこの地を、やっと落ち着いたこの地を、追われるわけにはいかなかったのである。

「どうにかなるか?」

 里長がスイレンから目を逸らし、呻くように呟いたその時──

「大祭は、予定通り執り行いますよね、長」

 めったに口を利かないロウコが、威圧するような低い声をあげた。

 長老たちは、驚いて番人の面を見つめる。

 里長は咳払いしてロウコを睨みつけた。

「今は里の存続の問題ぞ、おまえは黙っていろ」
「ずっと待ったんだ。この大祭を逃せば、ランギョクは生き返らない」

 訝しげな長老たちの視線を受けて、里長は焦ったようにロウコを叱りつけた。

「長老会議での発言は許しておらん」
「ランギョク?」

 代表するように、巫女長のスイレンが問いかける。

「私の反対を押し切って処分を決定した、憐れな娘のことですわね」

 その目が先程よりも冷ややかに光る。

 リンファオやメイルンの時もそうだ。巫女長である自分に何の知らせもなしに、勝手に処遇を決めた。

「生き返るとは、どういうことです?」

 あの巫女は深手を負い、沙汰を待たずして塵になったはず。

 ロウコは、自分よりずっと長生きしてきたはずの巫女長の顔を、戸惑ったように凝視した。

 なぜ、彼女が知らないのだろう。結界がどうのこうのと、大事なことを知っていた巫女が……。

 五十年に一度の、陽が欠ける日の大祭。死者を蘇らせることができるのは、巫女長なら知っているはずではないのか。

 長老たちも、訝しげだ。

 死者を朽ちぬよう保存してあることは、口止めされていた。が、大祭を経験しているはずの長老たちなら──禁忌とされる秘儀とは言え──知っていると思ったのだ。

「長よ……」
「ロウコ、もう行けっ。番人を集めて里の警備を強化せよ」

 強い口調で言われ、ロウコは不満げに口を開こうとしたが、長の睨みにあって渋々その場を後にした。



※ ※ ※ ※ ※


 殺気を含んだ気配は、谷の向こうにまで来ていた。登ってきている。続々と。

 戦線を離脱した隠居組も含め、皆武装し、谷の外に渦巻く怨念のようなものを警戒していた。

 堂では長老たちが、辛抱強く剣士たちからの連絡を待っている。

「斥候は戻ったか?」

 剣士たちが戻ると、きつい口調で問いただした。しかし彼らは途方にくれたように首を振る。

 谷の外に様子を見に行った者たちは、帰ってこなかった。それどころか、敏い剣士の話では「気」が途絶えたという。

 それは、命が途絶えたということだ。

「ばかな──行ったのは番人……神剣の使い手だぞ?」

 呆然とつぶやく長老たち。

「つまり、我々と同類の敵ということでしょう」

 スイレンがついに立ち上がった。

「神剣の使い手が戻って来ないなら、やはり蛟の異能者、もしくは他の呪術集団なのですわ。外にはわたくしたちにも把握できてない、異質な力の持ち主がいる」

 数名の剣士では太刀打ちできない。それほどの敵が、押し寄せてきたのだ。

「里を襲うという目的は一つ。里の女たちを略奪に来たに違いありません」

 長老たちは頷いた。目的はおそらくそうだろう。異能者は、その能力を残したがる。

「だが、不思議だ。これほどの数の暗殺者たちが、いっせいに入国できるだろうか。身を潜めて島に渡って来たとは──隠密行動というレベルではない。軍隊並みの数だぞ」
「大型の船で、堂々と入港したとしか思えん」

 スイレンは、眉を顰めた。

 このモス島は補給地として、アリビアの武装商船がマメに出入りしている。近海には旧教の教会領の島があって、大分前に反乱があった。今も水軍が定期的に警備艦を巡らせている。

 東の大陸からの密輸船や移民船を臨検するため、軍の駐屯地も小規模ながら港の片隅にあり、快速カッターはいつでも出港出来るようになっている。

 国籍不明の者を多数乗せた船が無理に入ろうとすれば、交戦になりかねない。

 長老たちの言葉に、レンがふと顔を上げた。

「帝国が黙認しているとしたら?」
「ばかな、皇帝は我々の庇護者だ。それこそ意味がない。帝国にとって、土蜘蛛は守りの要であろう。この地から追い出したいなら、襲わせる前に、まず我々に交渉してみるはず──」

 そこで長老たちは目を見開いた。

「帝都で何かあった、ということか」

 土蜘蛛不在時の、皇帝襲撃事件を思い出す。あれがまた起きた? そして……成功したとしたら?

「巫女たちを守ります!」

 スイレンは厳しい声でそう言い、衣を翻すと、すぐにその場を後にした。土蜘蛛の血は、外に流れてはいけない。

──いや、そんなことはどうでもいい。

 だが、囚われた美しい巫女達が、外のブサイクな男たちの慰みものになるなんて、耐えられない。ぜったいに。

 もし守りきれないなら、巫女長として決断しなければならない。

 青い顔をしたスイレンの隣に、レンが追いついてきた。そのあとから、他の長老たちも。

「悪いな、スイレン。おぬしら巫女にはすまぬが、俺は嬉しい」
「わしもじゃ」
「拙者も」
「それがしも」

 長老たちの「気」が弾んでいる。

(これだから男は)

 スイレンが苛々と背後を振り返る。

 古風な一人称を使っていても、まだ皆若々しい肌をしている。

「でしょうとも。貴方がたは、元々神剣の使い手。鍛錬ではなく、本当の命のやり取りが出来ることに、滾らないはずはないですわね」





※ ※ ※ ※ ※ ※




「どちらに行かれる? 里長よ」

 ロウコが低い声で引き止める。里長はギクリとその足を止めた。ちょうど、堂から出てこようとしたところだった。

「儀式を?」

 期待に満ちた番人の声。

「あ……ああ」

 仕方なさそうに呟くと、里長は祠に向かって足を向けた。

 背後から影がひっそりついてくる。


 祠は、相変わらず霊的な力に満ち溢れていた。今日は太陽が陰り、月の霊力がます日だ。

 里長がそう説明したのを覚えている。

 里長は、のろのろと床に二つの遺体を並べた。ロウコが嬉々として手伝った。

 自分と同じく番人にされてしまった、憐れなシショウのために、身重のメイルンも大切に運ぶ。

 赤子も生き返るのだろうか。

 二人の遺体は瑞々しさを保っていて、昔と変わらず美しい。まるで生きているようだった。

 傷も取り敢えずは塞いであり、自分の罪が無かったかのようにすら、感じられた。

 里長は、どこか挙動不審で落ち着きがなく、そわそわしていた。

 谷を囲む殺気を気にしているのだろう。

 だが気が急いているロウコには、どうでもよかった。

「早く、早く、ランギョクを」
「うむ」

 里長は、遺体を囲むように円陣を描き出した。苛々するほど細かい柄の魔方陣。

 そしてその円の外側に座ると、聞いたこともないような祝詞を口から紡ぎ出していく。

 初めて見る技だ。

 しばらくして、ロウコが、ふと眉根を寄せた。

 肌が粟立つ。  

 円陣の中に、周囲の気が吸い込まれていくような、不快な感覚。

 寒い。息が白くなるほど、周りの気温が下がった。

 まるで北の大陸の、冬のようだ。



──コト。


 音がした。

 ロウコが息を呑んだ。

 ランギョクの首が傾く。メイルンが足を動かした。

 ゆらりと二人が起き上がる。

「ランギョク!」

 面をむしり取り、円陣の中に入ろうとした。ピタリ、とその足が止まる。

 ランギョクの虚空を見つめるその目は、何も映していない。メイルンも同じだ。

 おかしい。肌がざわざわする。

 なぜ、ランギョクの首は大きく横にずれてしまっているのだろう? 喉元の傷が、痛々しいほど開いている。 

 なぜ、メイルンとやらの腹の傷からも、再び血が溢れてくるのだろう? こちらも塞いでいたはずだ。

 それにこの臭い。腐敗と、獣のような臭いがする。

 二人共、遺体だった時の方が美しかった。まるで生きているかのようだったのに。


 これではまるで……。

 二人は、ゆっくりと近づいてきた。虚ろなその瞳は、赤黒く濁っている。

 愛おしいはずなのに、一歩ロウコは後ずさった。ランギョクのやけに赤い唇が、パクッと開いた。


──うあああううう


 死霊。それを連想させる、這うような唸り声だった。





※ ※ ※ ※ ※ ※ ※ ※



──パシッ。

 剣士たちが顔を上げた。

 古の巫女たちの張った結界が反応し、さらに破られた気配。

 この地に来た直後張られたという、巫女の結界を破る術者たちがいたらしい。

 いつ上書きされたのか……。やはり、大祭の前で結界は弱っていたのだ。

 混血の蛟には、どんな能力者がいるか、分かったものではない。そして、数は土蜘蛛の比ではない。

 さらに──蛟だけではないのかもしれない。

 麒麟の法陣には、相手の結界を破る術があると聞いたことがある。

 また、彼ら自身に武の力こそ無いが、その法陣は強力で、そこに敵を誘い込み、相手の力を奪い、弱らせて殺すとも。



「ぬうっ、気力が弱まってくるのを感じるか?」

 剣士の一人がすぐに体の変調に気づいた。勝手に、硬気功を放出しているような脱力感が、剣士たちを襲う。

「まさか、ここに集結しているのは麒麟なのか?」
「麒麟は、絶滅しているという噂がある民族ぞ。これほどの数が居るはずがない」
「武の者を雇って、手を組んでおるに違いないぞ」
「徒党を組むような輩だったか?」

 地に膝をつきそうになりながら、剣士たちが口々に喚いた。

「しかも、麒麟だとしたら、谷全体に奴らが結界を張っていることになるぞ。麒麟は、一体何人いるんだ?」

 周囲を見渡すと、広範囲に渡って剣士たちが膝をついているのが分かる。

 土蜘蛛より希少な、麒麟だけでは無い気がする。それだけの人の数を感じるし、さらにこの気配は、猛々しく、殺気に満ちている。

「異能者の連合軍ってところか」
「来るぞ」

 限られた出入り口を、剣士たちがふらつきながらも力を振り絞り、囲む。

 その時、耳をつんざくような音が響いた。聴力のいい土蜘蛛たちは思わず耳を抑える。

 そして常人離れした嗅覚もまた、火薬の臭いを嗅ぎつける。

「爆破音だ」

 それも立て続けに、何度もくり返し続く発破の音。

 老師レンが、煙の出る山道を見上げ棒立ちになる。

 彼にしては珍しく切羽詰った声を上げた

「何人か俺と来い!」

 谷への入口が、増えてしまった。


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