60 / 98
ラムリム市編
リンファオ絡まれる
しおりを挟む「疑われてるんだよ、あんた」
お開きになったあと、帰り道でドージェにそう言われた。
彼はそのままの格好で屋敷を出てきたが、リンファオはちゃんと晴れ着を返し、元のお古を着ている。
「疑われてるって何を?」
市長の家を出るともう遅くて、どこの民家も明かりが消えている。
明かりがついているのは、騒がしい酒場の通りだけだ。
酔っ払いが路上に座り込む通りは、食べ物やお酒の匂いが漂っている。
ドージェはさりげなく、リンファオの肩に手を回してきた。
ぞわっと鳥肌が立つ。
「夜は物騒だから、恋人同士だって思わせてたほうがいいぜ」
ドージェは少女の強張った態度を鼻で笑った。
「だけどこの辺り──街の中心部より、おまえらの住んでる旧市街の方がずっと治安が悪いんだけどな。なぁ」
ドージェはリンファオの細い両肩に手を当てて、自分の方を向かせた。
「あんな貧乏人のところにいないで、俺のところに来いよ。城砦の中に部屋を借りてるんだ。コネがきくからな」
リンファオはムカッとなる。
その貧乏人に拾ってもらえなければ、自分は死んでいたのだ。
「あんただって、素行が悪くてお金持ちの実家から追い出されたんでしょ?」
「どんなに疎んだって、俺は血の繋がった実の子供なんだ。そう簡単に厄介払いなんかさせるかよ。それに今日あんたを連れて行くことができたら、実家に出入りしていいと言われたんだ」
そう言ってそのままリンファオを、酒場の外に積み上げてある空の酒樽におしつけた。
彼の目がギラギラしているのに気づき、息を呑む。
指でなぞるようにリンファオの顔を撫で、うっとりと口元を見つめている。
「こんな顔見たことねーよ。さくらんぼみたいな唇しやがって。あのガキにはもったいない」
「何言ってるのっ」
怒って男を突き飛ばす。
追いかけてくる手を振り払って、歩き去ろうとするが、絡みつくように細い手首を掴まれた。
「待てよ、お高くとまってんじゃねーぞ。誰の子だか分からないガキをこさえてるくせによ」
リンファオは振り返りざま、ドージェの顔をひっぱたいていた。
こんな男に何を言われても、別に気にはならない。
だが、ゲルクをいつもいびっている奴だと思うと、一発くらい殴っておきたかったのだ。
しかし、ドージェは手首を放さなかった。目つきが怒りを含んで険しくなっている。
本気で関節をひねってやろうかと思ったとき、酒場のドアが開く。
笑い声と、ムアッとするアルコール臭が漏れてきて、リンファオは頭がクラクラした。
「おお、ドージェじゃねぇか。めかしこんでどうした?」
ドージェの悪友たちだ。
その中の一人だけ、やけにガタイがいいのがいる。彼は最近市外から迫害されてやってきたという、新入りだ。
狭い城塞都市だけあって、貧民区にもそんな情報は回ってくるのだ。なによりも、ゴリラ並みにデカければ、嫌でも有名になるだろう。
「このアイザック・デニの歓迎会だってのに、おまえがいないと始まらないじゃねーか。俺たち城砦を守る、同士だろうが」
リーダー格らしき男が、酒の入った瓶を顔の前にあげ、それをチャプチャプ振ってみせる。
「チェモの兄貴がしきってくれるだろ? 俺はデートだったんだ。……だけど」
ドージェにギラギラした目で睨まれる。
「今ふられたところだ。俺の顔をひっぱたきやがったぜ」
シグメ・チェモは驚いてリンファオを見た。その顔が不快そうに歪む。
「小娘、俺の兄弟になんてことしやがる。天教の女は従順じゃなければならないんだぞ、貴様さては異教徒だな?」
酒臭い大人の男達に囲まれて、さらに憎々しげに見下ろされ、リンファオは後ずさりした。
ドージェを見ると、彼らの後ろでザマミロ、と言った風にベロを出し、笑っている。
嫌な男だ。
チェモの兄貴、と呼ばれた男は目をすがめてリンファオを眺めた。
そして、ぺろりと唇を舐める。
「おい、脱げよ、お嬢ちゃん。ご面相はドージェを袖にするぐらい見事なもんだがな、服の下がそれに見合うか調べてやる」
ざざっと、少女の周りを手下が囲む。
いっそ清々しいほど、絵に描いたようなゴロつきぶりだった。
デニとか呼ばれたデカい若者以外は、ただの酔っぱらいだが。
「パイオツひと揉みさせてくれれば、許してやるぜ。まあ、ガキのパイオツには期待しないがな」
リンファオは迷った。
いや、オッパイを揉ませてやる義理はない。
ただ、手加減して気絶させることはできても、のちのち面倒そうだ。
かと言って、この町に潜んでいる以上、永遠に口を閉ざさせるわけにもいかない。
デニという大男が、嬉々として彼女の洋服の合わせ目を掴んだ。
腕に錨のマークの小さな刺青が彫ってある。
手を払いのけようとしたが、逆にその手を掴まれた。
折れるほどの力を加えられ、リンファオは顔をしかめる。
こいつだけ、見掛け倒しじゃない。かなりの怪力だ。動きも素早い。
他の酔っぱらい──泥酔してフラフラしている──とはちょっと違うみたいだ。
引きずり寄せられそうになったとき、夜目にも鮮やかな銀色の髪が、二人の間に飛び込んだ。
「汚い手で触んなっ」
ゲルク、何で?
目を丸くしたリンファオの前で、小年はアイザック・デニの毛むくじゃらの太い腕に噛み付く。
相手が驚いて手を放した隙に、リンファオを背に庇った。
「心配だから迎えに出てたんだ。途中で会えてよかった」
後ろを気遣いながら、じりじりと下がる。
「ドージェさん、あんたは同じ班の先輩だ。怪我させたくない」
少年の言葉に、皆爆笑した。
リンファオでさえ苦笑いを浮かべる。
普通の人間で、しかも自分より歳下の子供の背に庇われる新鮮さ。
さらにそんな言葉を聞くと、微笑ましく、むず痒いような気恥ずかしさが込み上げたのだ。
相手はドージェも混ぜて、酔っ払いの大人の男が七人いる。
少年がもし怪我でもして、テレーザが泣くようなことにはしたくない。
自分ひとりなら、追いつかれないで逃げることができた。
だが、この少年を担いで走れるだろうか。
あんまりこの街の人間の前で、土蜘蛛の身体能力を見せない方がいい。
ボッコボコにしてからゲルクを含め、全員に口止めしたほうがいいか?
リンファオが悩んでいると、男たちが襲いかかってきた。
ゲルクは後ろ手に、リンファオを押した。
「下がってろ」
そして、すぅっと腰を落とす。またむず痒さを感じたリンファオは、次の瞬間、ハッとなった。
ゲルクの身にまとう空気が、ピリッと引き締まったからだ。
絡んでくる大人たちに比べると、あまりにも小柄な体が、跳ねるように飛んだ。
ゴッという鈍い音とともに、一人が転がる。
誰も、何が起こったか分からずに、転がった仲間を見おろした。
相手の目の高さまで飛び上がって蹴りを入れた瞬間を、しらふだったリンファオだけが見抜いた。
そしてその後も、他の人間は少年を見失っていた。
ドスッという鈍く重い音が何度も聞こえ、怪我人が路上にのびている。
店の灯りしか頼りになるものはないが、夜目がきくリンファオには見えた。
しかし他の男たちには、その薄暗い光の中、すばしっこく動き回る小柄な少年を目で追うのは難しかった。
大人たちは子供を捕まえようとして、お互いぶつかり合って頭を抑えている。
(なんて……動きの素早い子)
リンファオは目を見張って少年の動きを追った。
体重が無いかのように、重力を無視したその跳躍力は、土蜘蛛のそれに何となく似ていた。
ドージェが股間を蹴られて蹲った時、ゲルクはもう一度すくっと立ち、周囲の負傷者を見渡した。
「どうだ、まだやるか?」
息もきれていない。
リンファオは信じられない思いで、あどけなさが残る顔立ちの少年を見つめる。
ふと、その目が鋭くなる。
アイザック・デニが、帯に差した刃物を取り出したのだ。
小さな果物ナイフではない。先が湾曲した刃渡りの長い剣だ。
「やめとけ、街中で抜くのは御法度だぞ、デニ。新入りでも許されねえ」
シグメ・チェモも、ドージェも青ざめる。
市内での流血沙汰はちょっとやりすぎた。
女に絡むのとも、酔っ払って殴り合うのともわけが違う。
しかしアイザック・デニは、小年に膝カックンされて後頭部をしこたま地面に打ち付け、怒り狂っていた。
「ぶっ殺してやる」
そう凄まれて、ゲルクは真っ直ぐに立ち上がった。
リンファオは、ゲルクがまったく怖がっていないことに気づく。
人差し指をチョイチョイと曲げ、相手に来いと挑発している。
(喧嘩なれしてるとか、そんなレベルじゃない)
リンファオはそう思った。
だけど、動きが自由すぎて、何か武道を習ったというわけでもなさそうだ。
自己流だとすると、この少年には明らかに武術の才能があった。
ふと、都の兵士養成学校に居たガキんちょを思い出す。
神童とすら言っていいような素質のある子供は、普通の人間にも確かに存在するのだ。
成長したら、蛟や、自分たち土蜘蛛とすらまともに渡りあえそうだった。
リンファオは店の路地に立てかけてある、鎧戸を引き下ろす棒に気づくと、他の男たちを押しのけるようにしてそれを手に入れた。
デニとにらみ合っているゲルクに投げる。
「これをつかって」
ゲルクが錆びた茶色の金属棒を手にとった瞬間、デニが剣を横に払った。
明らかに殺気がこもっていた。つまり殺す気で攻撃して来ている。
ゲルクの棒がそれを受け止めた。弾いた瞬間、目にも止まらぬ速さで相手の手首を叩く。
剣が弾き飛んだ。
一瞬で、勝負がついてしまった。
周囲でおおっ、というどよめきが湧き上がった。
いつの間にか、他の店からも見物人が出てきていた。
荒っぽい喧嘩は、何よりの肴。
「小僧っ、やるなぁ」
「おいっ、ガキに酒を振る舞ってやれ」
拍手と口笛が飛び交う。
ドージェたちも、ゲルクとリンファオも、目立っては大変とばかりに、慌てて夜の闇の中に逃げ込んだ。
しかしアイザック・デニだけは、恥をかかされた怒りに震えながら、いつまでも立ち尽くしていた。
「すごいじゃない」
リンファオは家に帰ると、どこもケガが無いか調べながら言った。
「どこでそんな喧嘩技覚えたの?」
「だって……十歳までは天教の寺院で、僧兵の槍術を教わってたし。それに寺の孤児院に入る前は、市外のゴミ捨て場で寝起きしてたんだぜ? あそこにゃガラの悪い大人の浮浪者もいるし、金になるものの奪い合いで、いつも死ぬか生きるかの争いごとがあったんだ。俺みたいなガキは強くならなきゃ、翌日には生ゴミの一つになっちゃうよ」
リンファオの顔がくもった。苦労したんだなぁ、と言いたげだ。
ゲルクはヒラヒラと手を振る。
「同情はすんなよ。テレーザに拾われただけ、かなり幸運なんだから。あんただってどうせ親に売られたんだろ? 美人に生まれた女の子なんて、生まれが良くなきゃ不幸になるばっかりだ。俺は男に生まれただけ、まだマシってやつだよ」
「捨てられたというか……親は最初からいない」
「ほらな。俺みたいなやつはどこにでもいる。別に珍しくないさ」
この少年もテレーザも、リンファオの過去を根掘り葉掘り聞かないことがありがたかった。
0
お気に入りに追加
64
あなたにおすすめの小説
赤獅子王子と囚われ姫の戯れ【アルファポリス版】
みきかなた
恋愛
獅子のたてがみのような真っ赤な髪をした王子セインは、隣国に攻め入りその国の美しい姫を見初める。
武骨な王子と囚われの姫の一夜の物語です。
【完結済み】オレ達と番の女は、巣篭もりで愛欲に溺れる。<R-18>
BBやっこ
恋愛
濃厚なやつが書きたい。番との出会いから、強く求め合う男女。その後、くる相棒も巻き込んでのらぶえっちを書けるのか?
『番(つがい)と言われましたが、冒険者として精進してます。』のスピンオフ的位置ー
『捕虜少女の行く先は、番(つがい)の腕の中?』 <別サイトリンク>
全年齢向けでも書いてます。他にも気ままに派生してます。
【完結済み】運命の相手とベッドの上で体を重ねる<R-18>
BBやっこ
恋愛
『番(つがい)と言われましたが、冒険者として精進してます。』自作小説のR18版を展開します。恋愛感情が追いつかない主人公セリと、自分のものにしたいハーフ竜人ロード。肉体関係から始まって心が近くのはいつになるのか?ストーリーの時間系列で、思いつき投稿。
単独で読めるかな?と書き始めましたが、
『番(つがい)と言われましたが、…』[ファンタジー]とかぶる時間軸がありますので本編と合わせて楽しんでいただける部分もあります。キャラが少々違うのでそこのところも順次<※補足情報>載せます。
雪うさぎ
苑
恋愛
*エロいの苦手な方はダッシュで回れ右
どうやら私は異世界転生をやらかしてしまったようです。2度目の人生を異世界で、と言えばやっぱりあれですよね?転生チート!
え?転生チートは無い?
え?!無いの!?
☆チート☆加護☆聖獣☆獣耳☆
寝込みを襲われて、快楽堕ち♡
すももゆず
BL
R18短編です。
とある夜に目を覚ましたら、寝込みを襲われていた。
2022.10.2 追記
完結の予定でしたが、続きができたので公開しました。たくさん読んでいただいてありがとうございます。
更新頻度は遅めですが、もう少し続けられそうなので連載中のままにさせていただきます。
※pixiv、ムーンライトノベルズ(1話のみ)でも公開中。
【R18】不埒な聖女は清廉な王太子に抱かれたい
瀬月 ゆな
恋愛
「……参ったな」
二人だけの巡礼の旅がはじまった日の夜、何かの手違いか宿が一部屋しか取れておらずに困った様子を見せる王太子レオナルドの姿を、聖女フランチェスカは笑みを堪えながら眺めていた。
神殿から彼女が命じられたのは「一晩だけ、王太子と部屋を共に過ごすこと」だけだけれど、ずっと胸に秘めていた願いを成就させる絶好の機会だと思ったのだ。
疲れをいやす薬湯だと偽って違法の薬を飲ませ、少年の姿へ変わって行くレオナルドの両手首をベッドに縛りつける。
そして目覚めたレオナルドの前でガウンを脱ぎ捨て、一晩だけの寵が欲しいとお願いするのだけれど――。
☆ムーンライトノベルズ様にて月見酒の集い様主催による「ひとつ屋根の下企画」参加作品となります。
ヒーローが謎の都合の良い薬で肉体年齢だけ五歳ほど若返りますが、実年齢は二十歳のままです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる