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ラムリム市編

リンファオ絡まれる

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「疑われてるんだよ、あんた」

 お開きになったあと、帰り道でドージェにそう言われた。

 彼はそのままの格好で屋敷を出てきたが、リンファオはちゃんと晴れ着を返し、元のお古を着ている。

「疑われてるって何を?」

 市長の家を出るともう遅くて、どこの民家も明かりが消えている。

 明かりがついているのは、騒がしい酒場の通りだけだ。

 酔っ払いが路上に座り込む通りは、食べ物やお酒の匂いが漂っている。

 ドージェはさりげなく、リンファオの肩に手を回してきた。

 ぞわっと鳥肌が立つ。

「夜は物騒だから、恋人同士だって思わせてたほうがいいぜ」

 ドージェは少女の強張った態度を鼻で笑った。

「だけどこの辺り──街の中心部より、おまえらの住んでる旧市街の方がずっと治安が悪いんだけどな。なぁ」

 ドージェはリンファオの細い両肩に手を当てて、自分の方を向かせた。

「あんな貧乏人のところにいないで、俺のところに来いよ。城砦の中に部屋を借りてるんだ。コネがきくからな」

 リンファオはムカッとなる。

 その貧乏人に拾ってもらえなければ、自分は死んでいたのだ。

「あんただって、素行が悪くてお金持ちの実家から追い出されたんでしょ?」
「どんなに疎んだって、俺は血の繋がった実の子供なんだ。そう簡単に厄介払いなんかさせるかよ。それに今日あんたを連れて行くことができたら、実家に出入りしていいと言われたんだ」

 そう言ってそのままリンファオを、酒場の外に積み上げてある空の酒樽におしつけた。

 彼の目がギラギラしているのに気づき、息を呑む。

 指でなぞるようにリンファオの顔を撫で、うっとりと口元を見つめている。

「こんな顔見たことねーよ。さくらんぼみたいな唇しやがって。あのガキにはもったいない」
「何言ってるのっ」

 怒って男を突き飛ばす。

 追いかけてくる手を振り払って、歩き去ろうとするが、絡みつくように細い手首を掴まれた。

「待てよ、お高くとまってんじゃねーぞ。誰の子だか分からないガキをこさえてるくせによ」

 リンファオは振り返りざま、ドージェの顔をひっぱたいていた。

 こんな男に何を言われても、別に気にはならない。

 だが、ゲルクをいつもいびっている奴だと思うと、一発くらい殴っておきたかったのだ。

 しかし、ドージェは手首を放さなかった。目つきが怒りを含んで険しくなっている。

 本気で関節をひねってやろうかと思ったとき、酒場のドアが開く。

 笑い声と、ムアッとするアルコール臭が漏れてきて、リンファオは頭がクラクラした。

「おお、ドージェじゃねぇか。めかしこんでどうした?」

 ドージェの悪友たちだ。

 その中の一人だけ、やけにガタイがいいのがいる。彼は最近市外から迫害されてやってきたという、新入りだ。

 狭い城塞都市だけあって、貧民区にもそんな情報は回ってくるのだ。なによりも、ゴリラ並みにデカければ、嫌でも有名になるだろう。

「このアイザック・デニの歓迎会だってのに、おまえがいないと始まらないじゃねーか。俺たち城砦を守る、同士だろうが」

 リーダー格らしき男が、酒の入った瓶を顔の前にあげ、それをチャプチャプ振ってみせる。

「チェモの兄貴がしきってくれるだろ? 俺はデートだったんだ。……だけど」

 ドージェにギラギラした目で睨まれる。

「今ふられたところだ。俺の顔をひっぱたきやがったぜ」

 シグメ・チェモは驚いてリンファオを見た。その顔が不快そうに歪む。

「小娘、俺の兄弟になんてことしやがる。天教の女は従順じゃなければならないんだぞ、貴様さては異教徒だな?」

 酒臭い大人の男達に囲まれて、さらに憎々しげに見下ろされ、リンファオは後ずさりした。

 ドージェを見ると、彼らの後ろでザマミロ、と言った風にベロを出し、笑っている。

 嫌な男だ。

 チェモの兄貴、と呼ばれた男は目をすがめてリンファオを眺めた。

 そして、ぺろりと唇を舐める。

「おい、脱げよ、お嬢ちゃん。ご面相はドージェを袖にするぐらい見事なもんだがな、服の下がそれに見合うか調べてやる」

 ざざっと、少女の周りを手下が囲む。

 いっそ清々しいほど、絵に描いたようなゴロつきぶりだった。

 デニとか呼ばれたデカい若者以外は、ただの酔っぱらいだが。

「パイオツひと揉みさせてくれれば、許してやるぜ。まあ、ガキのパイオツには期待しないがな」

 リンファオは迷った。

 いや、オッパイを揉ませてやる義理はない。

 ただ、手加減して気絶させることはできても、のちのち面倒そうだ。

 かと言って、この町に潜んでいる以上、永遠に口を閉ざさせるわけにもいかない。

 デニという大男が、嬉々として彼女の洋服の合わせ目を掴んだ。

 腕に錨のマークの小さな刺青が彫ってある。

 手を払いのけようとしたが、逆にその手を掴まれた。

 折れるほどの力を加えられ、リンファオは顔をしかめる。

 こいつだけ、見掛け倒しじゃない。かなりの怪力だ。動きも素早い。

 他の酔っぱらい──泥酔してフラフラしている──とはちょっと違うみたいだ。

 引きずり寄せられそうになったとき、夜目にも鮮やかな銀色の髪が、二人の間に飛び込んだ。

「汚い手で触んなっ」

 ゲルク、何で?

 目を丸くしたリンファオの前で、小年はアイザック・デニの毛むくじゃらの太い腕に噛み付く。

 相手が驚いて手を放した隙に、リンファオを背に庇った。

「心配だから迎えに出てたんだ。途中で会えてよかった」

 後ろを気遣いながら、じりじりと下がる。

「ドージェさん、あんたは同じ班の先輩だ。怪我させたくない」

 少年の言葉に、皆爆笑した。

 リンファオでさえ苦笑いを浮かべる。

 普通の人間で、しかも自分より歳下の子供の背に庇われる新鮮さ。

 さらにそんな言葉を聞くと、微笑ましく、むず痒いような気恥ずかしさが込み上げたのだ。

 相手はドージェも混ぜて、酔っ払いの大人の男が七人いる。

 少年がもし怪我でもして、テレーザが泣くようなことにはしたくない。

 自分ひとりなら、追いつかれないで逃げることができた。

 だが、この少年を担いで走れるだろうか。

 あんまりこの街の人間の前で、土蜘蛛の身体能力を見せない方がいい。

 ボッコボコにしてからゲルクを含め、全員に口止めしたほうがいいか?

 リンファオが悩んでいると、男たちが襲いかかってきた。

 ゲルクは後ろ手に、リンファオを押した。

「下がってろ」

 そして、すぅっと腰を落とす。またむず痒さを感じたリンファオは、次の瞬間、ハッとなった。

 ゲルクの身にまとう空気が、ピリッと引き締まったからだ。

 絡んでくる大人たちに比べると、あまりにも小柄な体が、跳ねるように飛んだ。

 ゴッという鈍い音とともに、一人が転がる。

 誰も、何が起こったか分からずに、転がった仲間を見おろした。

 相手の目の高さまで飛び上がって蹴りを入れた瞬間を、しらふだったリンファオだけが見抜いた。

 そしてその後も、他の人間は少年を見失っていた。

 ドスッという鈍く重い音が何度も聞こえ、怪我人が路上にのびている。

 店の灯りしか頼りになるものはないが、夜目がきくリンファオには見えた。

 しかし他の男たちには、その薄暗い光の中、すばしっこく動き回る小柄な少年を目で追うのは難しかった。

 大人たちは子供を捕まえようとして、お互いぶつかり合って頭を抑えている。

(なんて……動きの素早い子)

 リンファオは目を見張って少年の動きを追った。

 体重が無いかのように、重力を無視したその跳躍力は、土蜘蛛のそれに何となく似ていた。

 ドージェが股間を蹴られて蹲った時、ゲルクはもう一度すくっと立ち、周囲の負傷者を見渡した。

「どうだ、まだやるか?」

 息もきれていない。

 リンファオは信じられない思いで、あどけなさが残る顔立ちの少年を見つめる。

 ふと、その目が鋭くなる。

 アイザック・デニが、帯に差した刃物を取り出したのだ。

 小さな果物ナイフではない。先が湾曲した刃渡りの長い剣だ。

「やめとけ、街中で抜くのは御法度だぞ、デニ。新入りでも許されねえ」

 シグメ・チェモも、ドージェも青ざめる。

 市内での流血沙汰はちょっとやりすぎた。

 女に絡むのとも、酔っ払って殴り合うのともわけが違う。

 しかしアイザック・デニは、小年に膝カックンされて後頭部をしこたま地面に打ち付け、怒り狂っていた。

「ぶっ殺してやる」

 そう凄まれて、ゲルクは真っ直ぐに立ち上がった。

 リンファオは、ゲルクがまったく怖がっていないことに気づく。

 人差し指をチョイチョイと曲げ、相手に来いと挑発している。

(喧嘩なれしてるとか、そんなレベルじゃない)

 リンファオはそう思った。

 だけど、動きが自由すぎて、何か武道を習ったというわけでもなさそうだ。

 自己流だとすると、この少年には明らかに武術の才能があった。

 ふと、都の兵士養成学校に居たガキんちょを思い出す。

 神童とすら言っていいような素質のある子供は、普通の人間にも確かに存在するのだ。

 成長したら、蛟や、自分たち土蜘蛛とすらまともに渡りあえそうだった。

 リンファオは店の路地に立てかけてある、鎧戸を引き下ろす棒に気づくと、他の男たちを押しのけるようにしてそれを手に入れた。

 デニとにらみ合っているゲルクに投げる。

「これをつかって」

 ゲルクが錆びた茶色の金属棒を手にとった瞬間、デニが剣を横に払った。

 明らかに殺気がこもっていた。つまり殺す気で攻撃して来ている。

 ゲルクの棒がそれを受け止めた。弾いた瞬間、目にも止まらぬ速さで相手の手首を叩く。

 剣が弾き飛んだ。

 一瞬で、勝負がついてしまった。

 周囲でおおっ、というどよめきが湧き上がった。

 いつの間にか、他の店からも見物人が出てきていた。

 荒っぽい喧嘩は、何よりの肴。

「小僧っ、やるなぁ」
「おいっ、ガキに酒を振る舞ってやれ」

 拍手と口笛が飛び交う。

 ドージェたちも、ゲルクとリンファオも、目立っては大変とばかりに、慌てて夜の闇の中に逃げ込んだ。

 しかしアイザック・デニだけは、恥をかかされた怒りに震えながら、いつまでも立ち尽くしていた。




「すごいじゃない」

 リンファオは家に帰ると、どこもケガが無いか調べながら言った。

「どこでそんな喧嘩技覚えたの?」
「だって……十歳までは天教の寺院で、僧兵の槍術を教わってたし。それに寺の孤児院に入る前は、市外のゴミ捨て場で寝起きしてたんだぜ? あそこにゃガラの悪い大人の浮浪者もいるし、金になるものの奪い合いで、いつも死ぬか生きるかの争いごとがあったんだ。俺みたいなガキは強くならなきゃ、翌日には生ゴミの一つになっちゃうよ」

 リンファオの顔がくもった。苦労したんだなぁ、と言いたげだ。

 ゲルクはヒラヒラと手を振る。

「同情はすんなよ。テレーザに拾われただけ、かなり幸運なんだから。あんただってどうせ親に売られたんだろ? 美人に生まれた女の子なんて、生まれが良くなきゃ不幸になるばっかりだ。俺は男に生まれただけ、まだマシってやつだよ」
「捨てられたというか……親は最初からいない」
「ほらな。俺みたいなやつはどこにでもいる。別に珍しくないさ」

 この少年もテレーザも、リンファオの過去を根掘り葉掘り聞かないことがありがたかった。


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