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蛟の隠れ家編
いなくなった少女
しおりを挟むリンファオの気配が無いことを確認すると、ロウコは深いため息をついた。
ガランとした牢の中には、今まで誰かが閉じ込められていた形跡がある。それが厄の子だったのかは分からない。
蛟の混血から、一瞬あの娘の気配を感じた気がしたが、本来残留の気を感知できるほど土蜘蛛の能力は有能ではないのだ。
(里に、戻るしかない)
胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
蛟とクラーシュの合いの子であるあの男の言い分は、おそらく本当なのだろう。
ふと、彼との戦いを思い出し微笑が浮かぶ。
ケンとかいう男の術の餌食にならないように、堅く目を閉じたまま戦ったあの時の高揚感は、神剣の候補者たちと戦ったときに匹敵する。
いや、それ以上だった。術だけではない。ケンは紛れもない手練れだった。
術を使えば、あの男は厄の子を殺せるはずだ。
まんまと攫っていくことすらできたのだから。
(あの男の言ったことを信じるしかない)
崖っぷちまで追い詰めた時、ケンはリンファオがどうなったかを自分に話した。
死を覚悟し、おもしろおかしく語ったのだろう。
厄の子の抵抗があまりに酷く、何人もの蛟が殺されたという。
手に余ったケンは、せっかくさらった厄の子を殺すしかなかった。
いつかはロウコが殺ろうと思っていた、同族を。
彼はギリッと歯を鳴らした。
(納得するしかない)
ケンとの戦いで満足するしかなかった。
どちらにしろ、ロウコがリンファオを殺せば掟やぶりになる。あくまでも保護が任務なのだから。
最後にケンの腹部を双龍で薙いだとき、傷が浅かったのが気になる。
絶妙に避けたように思えたのは、気のせいか?
しかしけっきょく、大きくよろめいたケンは、背後の絶壁から海に落ちていった。
あの高さから落ちれば土蜘蛛の長老レベルの気功の達人が、硬気功で衝撃を防いだところで、おそらく生き残れないだろう。
ましてや今の蛟には傷を癒す術は無いのだ。なによりも、彼の気配はぷつりと途絶えた。
(去ろう)
探検家たちの船がまだあるはずだ。
牢から出ると、全ての天幕を漁った。
やっと見つけた神剣を手に、今、累々たる蛟の遺体を見渡している。
彼一人で、この島にいる蛟の刺客を皆殺しにしてしまった。
それほど、蛟と土蜘蛛の力の差は大きいのである。
ロウコに斬られ、まっ逆さまに落ちていったケン。
崖っぷちにわずかに生えた木に掴まり、岩棚に飛んだ彼は素早く背後の岩肌に張り付いた。
上から鉄のぶつかる音と叫び声が聞こえる。
急いで気配を消す。
ここなら頭上にせりだした岩のおかげで、覗き込まれても死角になる。
(ふぅ、やはり危ない男だ)
半眼を閉じ、結跏趺坐して瞑想に入ろうとした彼の目の前を、血の飛沫とともに仲間が一人落ちていった。
恐怖に歪んだ仲間の視線と、一瞬目があったような気がした。
だが、ケンにはどうすることもできないし、するつもりもない。
彼は既に岩の一部。感情など無い。
おそらくこの島の戦士たちでは、土蜘蛛の一流の剣士に太刀打ちできないだろう。
(この機会を利用しない手はないな)
蛟の集落が襲われ皆殺しとなれば、自分も死んだことにされる。
やっとこのおぞましい集団から抜けられるのだ。
既に滅びたと言われているクラーシュの民の生き残りを、探すことが出来るかもしれない。
彼が自分の生い立ちを聞いてから、ずっと考えていたことだった。
大きく息を吸い、どくどくと流れる腹の傷に、左の手の平をかざす。
蛟も土蜘蛛も、傷を癒すことができるのは、気功の遣い手だけだと思っている。
太古に使えた気功術を操る蛟もいるかもしれないが、攻撃や防御、そして癒しに使えるほどのはっきりした能力の者はいないと聞いている。
しかし、ケンの母にはそれができた。気功ではなく呪術としての癒しだ。
そして母は、ケンにもその癒しの術を教えてくれた。ただし、自分以外には遣うな、と念を押されて。
理由は何度か使ってみて分かった。
気力をほとんど持っていかれるからだ。傷を塞ぐために命を削っているようなものである。
じんわり、腹部が温まってきた。途端、身体の他の部分がどんどん冷たくなっていくのを実感した。
これほどの傷を治すのは初めてだった。加減を間違うと死んでしまう。
血を止めて、あとは自然治癒に任せるしかない。
(これが終わったら次は顔だ)
考えただけでせいせいする。
この顔の刺青は、ケンにとって牛の焼きごてと一緒だった。入れ墨さえ無くなれば、彼は好きなところで生きていくことができるのだ。
頭上からの、戦闘を思わせる声や金属音はいつの間にか止み、すっかり静まり返っていた。
ケンは心地よい眠気に身を任せて、既に意識を手放していた。
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