54 / 98
蛟の隠れ家編
いなくなった少女
しおりを挟むリンファオの気配が無いことを確認すると、ロウコは深いため息をついた。
ガランとした牢の中には、今まで誰かが閉じ込められていた形跡がある。それが厄の子だったのかは分からない。
蛟の混血から、一瞬あの娘の気配を感じた気がしたが、本来残留の気を感知できるほど土蜘蛛の能力は有能ではないのだ。
(里に、戻るしかない)
胸にぽっかりと穴が開いたようだった。
蛟とクラーシュの合いの子であるあの男の言い分は、おそらく本当なのだろう。
ふと、彼との戦いを思い出し微笑が浮かぶ。
ケンとかいう男の術の餌食にならないように、堅く目を閉じたまま戦ったあの時の高揚感は、神剣の候補者たちと戦ったときに匹敵する。
いや、それ以上だった。術だけではない。ケンは紛れもない手練れだった。
術を使えば、あの男は厄の子を殺せるはずだ。
まんまと攫っていくことすらできたのだから。
(あの男の言ったことを信じるしかない)
崖っぷちまで追い詰めた時、ケンはリンファオがどうなったかを自分に話した。
死を覚悟し、おもしろおかしく語ったのだろう。
厄の子の抵抗があまりに酷く、何人もの蛟が殺されたという。
手に余ったケンは、せっかくさらった厄の子を殺すしかなかった。
いつかはロウコが殺ろうと思っていた、同族を。
彼はギリッと歯を鳴らした。
(納得するしかない)
ケンとの戦いで満足するしかなかった。
どちらにしろ、ロウコがリンファオを殺せば掟やぶりになる。あくまでも保護が任務なのだから。
最後にケンの腹部を双龍で薙いだとき、傷が浅かったのが気になる。
絶妙に避けたように思えたのは、気のせいか?
しかしけっきょく、大きくよろめいたケンは、背後の絶壁から海に落ちていった。
あの高さから落ちれば土蜘蛛の長老レベルの気功の達人が、硬気功で衝撃を防いだところで、おそらく生き残れないだろう。
ましてや今の蛟には傷を癒す術は無いのだ。なによりも、彼の気配はぷつりと途絶えた。
(去ろう)
探検家たちの船がまだあるはずだ。
牢から出ると、全ての天幕を漁った。
やっと見つけた神剣を手に、今、累々たる蛟の遺体を見渡している。
彼一人で、この島にいる蛟の刺客を皆殺しにしてしまった。
それほど、蛟と土蜘蛛の力の差は大きいのである。
ロウコに斬られ、まっ逆さまに落ちていったケン。
崖っぷちにわずかに生えた木に掴まり、岩棚に飛んだ彼は素早く背後の岩肌に張り付いた。
上から鉄のぶつかる音と叫び声が聞こえる。
急いで気配を消す。
ここなら頭上にせりだした岩のおかげで、覗き込まれても死角になる。
(ふぅ、やはり危ない男だ)
半眼を閉じ、結跏趺坐して瞑想に入ろうとした彼の目の前を、血の飛沫とともに仲間が一人落ちていった。
恐怖に歪んだ仲間の視線と、一瞬目があったような気がした。
だが、ケンにはどうすることもできないし、するつもりもない。
彼は既に岩の一部。感情など無い。
おそらくこの島の戦士たちでは、土蜘蛛の一流の剣士に太刀打ちできないだろう。
(この機会を利用しない手はないな)
蛟の集落が襲われ皆殺しとなれば、自分も死んだことにされる。
やっとこのおぞましい集団から抜けられるのだ。
既に滅びたと言われているクラーシュの民の生き残りを、探すことが出来るかもしれない。
彼が自分の生い立ちを聞いてから、ずっと考えていたことだった。
大きく息を吸い、どくどくと流れる腹の傷に、左の手の平をかざす。
蛟も土蜘蛛も、傷を癒すことができるのは、気功の遣い手だけだと思っている。
太古に使えた気功術を操る蛟もいるかもしれないが、攻撃や防御、そして癒しに使えるほどのはっきりした能力の者はいないと聞いている。
しかし、ケンの母にはそれができた。気功ではなく呪術としての癒しだ。
そして母は、ケンにもその癒しの術を教えてくれた。ただし、自分以外には遣うな、と念を押されて。
理由は何度か使ってみて分かった。
気力をほとんど持っていかれるからだ。傷を塞ぐために命を削っているようなものである。
じんわり、腹部が温まってきた。途端、身体の他の部分がどんどん冷たくなっていくのを実感した。
これほどの傷を治すのは初めてだった。加減を間違うと死んでしまう。
血を止めて、あとは自然治癒に任せるしかない。
(これが終わったら次は顔だ)
考えただけでせいせいする。
この顔の刺青は、ケンにとって牛の焼きごてと一緒だった。入れ墨さえ無くなれば、彼は好きなところで生きていくことができるのだ。
頭上からの、戦闘を思わせる声や金属音はいつの間にか止み、すっかり静まり返っていた。
ケンは心地よい眠気に身を任せて、既に意識を手放していた。
0
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
マイナー18禁乙女ゲームのヒロインになりました
東 万里央(あずま まりお)
恋愛
十六歳になったその日の朝、私は鏡の前で思い出した。この世界はなんちゃってルネサンス時代を舞台とした、18禁乙女ゲーム「愛欲のボルジア」だと言うことに……。私はそのヒロイン・ルクレツィアに転生していたのだ。
攻略対象のイケメンは五人。ヤンデレ鬼畜兄貴のチェーザレに男の娘のジョバンニ。フェロモン侍従のペドロに影の薄いアルフォンソ。大穴の変人両刀のレオナルド……。ハハッ、ロクなヤツがいやしねえ! こうなれば修道女ルートを目指してやる!
そんな感じで涙目で爆走するルクレツィアたんのお話し。
【R18】もう一度セックスに溺れて
ちゅー
恋愛
--------------------------------------
「んっ…くっ…♡前よりずっと…ふか、い…」
過分な潤滑液にヌラヌラと光る間口に亀頭が抵抗なく吸い込まれていく。久しぶりに男を受け入れる肉道は最初こそ僅かな狭さを示したものの、愛液にコーティングされ膨張した陰茎を容易く受け入れ、すぐに柔らかな圧力で応えた。
--------------------------------------
結婚して五年目。互いにまだ若い夫婦は、愛情も、情熱も、熱欲も多分に持ち合わせているはずだった。仕事と家事に忙殺され、いつの間にかお互いが生活要員に成り果ててしまった二人の元へ”夫婦性活を豹変させる”と銘打たれた宝石が届く。
王女、騎士と結婚させられイかされまくる
ぺこ
恋愛
髪の色と出自から差別されてきた騎士さまにベタ惚れされて愛されまくる王女のお話。
性描写激しめですが、甘々の溺愛です。
※原文(♡乱舞淫語まみれバージョン)はpixivの方で見られます。
悪役令嬢は王太子の妻~毎日溺愛と狂愛の狭間で~
一ノ瀬 彩音
恋愛
悪役令嬢は王太子の妻になると毎日溺愛と狂愛を捧げられ、
快楽漬けの日々を過ごすことになる!
そしてその快感が忘れられなくなった彼女は自ら夫を求めるようになり……!?
※この物語はフィクションです。
R18作品ですので性描写など苦手なお方や未成年のお方はご遠慮下さい。
性欲の強すぎるヤクザに捕まった話
古亜
恋愛
中堅企業の普通のOL、沢木梢(さわきこずえ)はある日突然現れたチンピラ3人に、兄貴と呼ばれる人物のもとへ拉致されてしまう。
どうやら商売女と間違えられたらしく、人違いだと主張するも、兄貴とか呼ばれた男は聞く耳を持たない。
「美味しいピザをすぐデリバリーできるのに、わざわざコンビニのピザ風の惣菜パンを食べる人います?」
「たまには惣菜パンも悪くねぇ」
……嘘でしょ。
2019/11/4 33話+2話で本編完結
2021/1/15 書籍出版されました
2021/1/22 続き頑張ります
半分くらいR18な話なので予告はしません。
強引な描写含むので苦手な方はブラウザバックしてください。だいたいタイトル通りな感じなので、少しでも思ってたのと違う、地雷と思ったら即回れ右でお願いします。
誤字脱字、文章わかりにくい等の指摘は有り難く受け取り修正しますが、思った通りじゃない生理的に無理といった内容については自衛に留め批判否定はご遠慮ください。泣きます。
当然の事ながら、この話はフィクションです。
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる