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研究特区編

巫女の逃亡

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 リンファオは特別だ。あの娘の気は、神剣が選ぶだけあって本当に強かった。

(だから青虎の島から脱出できた)

 青虎を退け、追いすがってきた番人たちからも逃れることができたのは、リンファオだったからだ。

 これから追う対象者は、神意を問うと言う建前の元、なぶり殺しにされるだけ。

 シショウは、後ろに従う奇怪な面の男たちの存在を痛いほど感じた。

 この者たちがいつから番人になっているのかは分からないが、自分よりずっと年上なのは分かる。

 番人は、情を捨てるように教育されるという。

 そして同族交配の結果、希に精神に異常を来たしているのではないか、と疑うほど残忍な者もいると聞いたことがある。

 彼らと同じ存在ものに、成り下がるのか……。

 シショウは背後を振り返り、番人たちの面々を見渡した。

 この者たちより、腕は自分の方が上。

 そう、リーダーは自分だ。

 強い意志を込め、有無を言わさず決定を下した。

「対象者はここで処分する。誰も手を出すな。俺だけがやる」

 殺すにしても、手を下すのは自分でなければならない、シショウはそう思った。

 でなければ、彼らは里長に報告するだろう。シショウが積極的に仕事をこなさなかったと。

 そうなれば、リンファオの命が危ない。

 どちらにしろ、大勢に追われる恐怖を味わわせるくらいなら、自分がやる。静かに、楽に、息の根を止めてやろう。




 その巫女は、初めて見る街に圧倒されていた。

 それが辺境の小さな港街だとしても。

 里には白い塗り壁の、石でできた三階建てなど無いからだ。

 舗装された石畳の細い路地にさえ、目を奪われる。


 夕方、薄暗いうちに外に出て、ずっと身を潜めていた。

 処刑部隊が追ってくるなら暗いうちからだろう、そう思ったからだ。

 土蜘蛛の中には、夜目が利く者がいる。

 夜の間に進んでいると思わせて、ずっと麓の農村の納屋のなかに隠れていた。

 朝になり、軒先に洗濯物が吊るされはじめると素早くそれを盗み、巫女の着物から着替えた。

 濡れた服は冷たくて気持ち悪かったが、背に腹は代えられない。

 艶やかな髪の毛をハンカチでくるんで隠し、土蜘蛛特有の明らかに目立つ美貌を隠すため泥で汚した。

 土蜘蛛の巫女は外界にいないが、浮浪者なら何処にでもいる。

 じっさい今の彼女は、ただの浮浪者と相違ない。馬車に乗ろうにも、一銭もお金が無いのだから。

 里の女たちには、衣食住すべてが支給される。だから現金など必要なかった。


 這うようにして港町を彷徨い歩き、やっと波止場にたどり着いた。

 本土や別の大陸に遠征する剣士たちは皆、この港を利用すると聞いた。

 話に聞くより寂れていて、こっそりどこかの船に便乗するには無理がありそうだ。

 船乗りたちは早起きで、既にほとんどの船が積荷の上げ下げを終え、帆の調整を図っている。

(無謀だった)

 巫女は歯ぎしりした。密航なんて簡単だと思っていた。

 こんな小さな船――もちろん船なんて実物を見たのは初めてだ――なら、船底に隠れたとしてもすぐに見つかってしまう。

 外に出たことのある剣士から聞いた話だと、密航者は竜骨くぐりなるものをやらされるらしい。

 紐で縛り付けられて海に沈められ、船底の下をあっちからこっちへとくぐらされるそうな。

 楽しそうなお遊びにも聞こえたが、フジツボがびっしりの船底の下をくぐらされると、背中の肉が削げ落ちて骨がむき出しになる。

 巫女は考えた末に、方向を変えた。次の商船が来るまでどこかに潜伏していよう。なるべく大型がいい。それに、少し飲み水とか食料を手に入れてきた方がいいだろう。

 そして港行きの荷馬車が来たらそれに乗り込み、樽の中身を出してその中に隠れる。

 バレそうになったら、相手に催眠をかけるのだ。それくらいなら出来る。

――行き先なんてどこでもいい。とにかく、里から離れられれば。



 港から出ると、コソコソと街外れに向かった。明るい中、外の人間の注意を引くのも遠慮したい。

 少し歩くと、再び耕作地に出てほっとする。

 手前に小さな果樹園もあったが、残念ながら実は成っていない。しかし、そのおかげか、人の姿は見られなかった。

 奥に見える品種改良品の白いトウモロコシの畑は、ちょうど今が収穫の時期らしい。

 農夫たちの荷車が、あぜ道を忙しく行き来している。うん、食料として少しもらっておこう。

 巫女はさっそく畑に入り込むと、背の高い葉を掻き分けながら、農夫に見つからないように実を何本か拝借した。

 土蜘蛛は外界の人間ほど食料を必要としない。だが、食料は力の源になる。食べなくても死なないからといって、飢餓感が無いわけでもないし、普通に過ごせるわけでもないのだ。

 大気中からの精気だけでは、やがて歩くことも出来なくなる。

 生のままでもいける白トウモロコシ。巫女はさっそく味をみてみた。

 ザザッと音がしたのは、まさにその時だ。巫女は、かじりかけの白いトウモロコシを持ったまま、凍りついた。

 農夫だ。そう、農夫が作物泥棒に気づいた。

(お願い、そうであって)

 植物の壁の奥をじっと見つめる。

 気配は無い。

 だが、何かを探すように移動する音は確実に近づいてくる。

 すぐ間近で音は止まった。

 相手の息遣いさえ聞こえてくるのではないか、それほどの緊張感。

 ついに、巫女は耐え切れなくなった。

 トウモロコシを放り出すと、右側の植物を掻き分けて走り出したのだ。

(捕まるわけにはいかない)




 シショウは、トウモロコシの葉を払いのけると、大きく跳躍した。

 わざと音をたててやれば、相手が行動を起こすと思った。案の定、巫女は気配を現すどころか、パニックになっている。

 逃がすわけにはいかない。なにせ、リンファオの命がかかっている。

 今や、初恋の相手でしかないのかもしれない。たくさんの巫女と交わり、メイルンに心を奪われた。そう、メイルンに惹かれている。自分に言い訳をしたくない。

 だけど初めて、本気で好きになった少女だ。

 外の娼婦のように、身体目当てではなく、子孫を残すための繁殖行為でもなく、心から惚れて、抱いた相手だ。

 少し前まで、彼にはリンファオしか見えていなかったのだから。

(逃がしたら、リンファオが死ぬ)

 離れていても、他の女に惹かれても――それだけは許せない。罪悪感ではない。やはりリンファオは、自分にとって特別なのだ。

 シショウは心から、何もかも追い出した。感情すべてを。



 背中を一気に貫いたのは、なるべく苦しませないためだった。

 里の裁きは残酷すぎる。試練の島などには送らせない。

 おそらく里長にとって、相手が死んでいるか生きているかは、それほど重要ではないだろうから。

 掟を破ったことに対する制裁は死だ。

 その死を惨いものにすることには、どうしても賛同できない。

 深々と刺さった切っ先を確認し、刃を上にして臓器を切り裂く。

 研いだばかりの神剣は、自ら動いているかのように、たおやかな背を切り裂いた。

 ただの女を――しかも一族の巫女を――殺したのはこれが初めてだ。

 常人より死ににくい体質でも、さすがに神剣で貫かれれば土に返るだろう。

――もう二度とごめんだった。

 吐き気を堪える。

 番人は情を捨てるように教育される、と言うよりは、任務の中で情を捨てざるをえないのだと、やっと気づいた。


 もがき苦しむ巫女が、後ろを振り返った。

 うっかり見てしまって、その瞬間、知らない顔であればいいと思った。

 リョスクなんて名前、聞いたことも無かったから。

 だが、そのはかない願いは、打ち砕かれる。

「うっ……うぁっ……うわっ」

 思わず剣の柄を手放して腰を抜かした。

 ばかな。

 シショウは土蜘蛛の面を外して、巫女の顔をよく見た。

 見間違いであって欲しかった。

 うつろな目がシショウを認めて、見開かれる。

「ど……うし……て」

 メイルンが、口から血の泡をこぼしながら問いかけた。

 シショウは崩れ落ちるメイルンを支えると、わけのわからない叫び声をあげていた。

「なんで、君がっ! 何で、だってリョスクって――なんで!? なぜ里から逃げたんだっ!」

 狂ったように、治癒のための気を注ぎ込む。

 メイルンの魂は、肉体から離れようとしていた。

 それが分かる。感じられる。

 だめだ、絶対にさせない。

 そんなことはさせないっ。

 今彼が愛しているのはリンファオじゃない。

 彼女なのだ。

 シショウはメイルンを抱えあげた。

 これほどの傷を負わせてしまった。

 自分だけではもう駄目だ。自分が塵になるほど気を注ぎ込んでも、彼女は救えないだろう。

 他の巫女たちの気を借りようと、里への道を引き返すシショウの耳に、か細い声が響いた。

「赤ちゃんが……」

 メイルンは蒼白な顔でもう一度呟いた。

「お腹に……あんたとの子供が――」

 リョスクに取られたくなかった、という巫女の最後の声は、絶叫にかき消されていた。

 シショウは驚愕と動揺のあまり、街の人間たちが皆振り返るほどの、咆哮をあげていた。






 棺の前に蹲っているのは自分ではない。

 ロウコは冷めた目で、泣き崩れるシショウを見守った。

 この既視感は、己に起こったことを昨日のように覚えているからだ。

 彼はあれほど泣かなかった。土蜘蛛は涙など出ないはずだし――いや、自分の愚かさに泣くことすらできなかった。

「まさかおまえとメイルンが懇意だったとはな」

 里長の、哀れみをたたえた声。

 これまた既視感。

 ロウコは、バカバカしさに思わず吹き出しそうになった。

 里長は、打ち震える若き少年剣士の背中を撫でてやる。

 シショウはその手を振り払った。

「なぜ、嘘をついた!? メイルンだと知っていたら引き受けなかった!」

 だからだよ、とロウコが心の中でつぶやく。

 よく考えたら、この里長に情けなどあるはずもないのだ。

「手違いだ。巫女の名が誤って報告されたのだ。悪かったと思っている。しかし、腹の子が自分の種であると確信するほど、頻繁に逢っておったとは。知っていれば、お前には頼まなかった」

 よく言う。

 強い剣士が自分の手駒になってくれるのは好都合だろう。

 メイルンが逃げたと知った時、長の心には利しか見えていなかったはずだ。

 けっして逆らわない最強の剣士を手に入れて、さぞかしご満悦だろう。

 ロウコですら、利用されたと分かった今も、彼に逆らうことはできない。

 遺体が朽ち果てるのを防ぐ技、そして鉄の神の気が満ちると言われている約束の日に、死者を蘇らせることができる、唯一の人間。

 それが里長なのだから。

 やがてこの少年にも告げるだろう。

 禁忌とされる術を、この巫女のために施すと。

 ……自分の時と一緒だ。


「ロウコよ。私はこの若き剣士と約束した」

 里長は大げさに手を広げ、棺とシショウを示した。

「この者の馴染みは殺さなくて良い。必ず生きて捕獲せよ」

 奇怪な面が従順に頷く。

 だが心の中では毒づいていた。

 これだけ探しても、厄の子は見つからなかったのだ。

 もう死んでいてもおかしくない。


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