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研究特区編
里長の提案
しおりを挟む虎将堂にロウコが現れたのは、リンファオの行方が分からなくなってから半月以上経った頃のことだった。
誰もいない堂内を見渡し、息をつく。
里長の住まう庵は、堂から少しだけ離れた東の断崖にある。
ロウコは普通の人間なら二の足を踏むような絶壁を、まるで鹿のように難なく渡っていく。
辿り着いた先にも、里長はいなかった。
「祠か」
ロウコは小さく呟くと、さらに上へ、僅かな足がかりを頼りに登っていく。
あがりきったところに現れた広い岩棚からは、里が一望できた。
ここには墓地があるが、風が強い日なら里の者でさえ命がけの場所であるため、訪れる者はめったにいない。
自分たちが普通の人間と違うことを自覚するのは、任務に着いた時である。魂を失った後、外の人間の遺骸は、朽ち果てるまで長い時を要する。
一方、個人差はあるが、基本的に土蜘蛛の身体は命を失ってまもなく、砂のように砕けて塵となってしまう。
まるで、その身体に秘められた能力を隠すかのように……。
したがって土蜘蛛の墓地は、共同墓地であるはずなのにとても小さかった。
そこには、同じ年に命を落とした剣士や巫女たちの塵が、纏めて埋葬されている。
ロウコは、この男には珍しい行動に出た。石の墓標に手を合わせたのだ。
軽く息をつくと彼は墓標から離れ、洞窟の中に建てられた祠へと、どんどん進んでいった。
古い木のきしむ音に、里長が振り返る。
長身を丸めて祠の入口を潜る、陰鬱な神剣遣いを目に留めた。それから里長は、重々しく頷いてみせる。
「そろそろ着く頃だと思った」
「遅くなりました。未だに厄の子は見つかりません」
この半月、気を頼りに本土内をさ迷った。しかし、今のところ収穫は無い。
「逃げた、と見なしたほうがいいのか?」
里長がやけに乾いた声で言った。
「警護対象者はそう見ていません。わざわざ戻りが遅れると、連絡してきたほどですから」
「うぬはどう思う?」
派手な飾り掘りの成された里長の面が、ロウコのやはり奇怪な面を凝視する。
ロウコは少し考えて口を開いた。
「あの小娘にとって、派遣場所は外と同じ。わざわざ逃亡を謀る意味が無い。それに……」
厄の子によく会いに来ていた神剣遣いの少年のことを口にしようとしたその時、里長が再び祠の入り口に目をやった。
相変わらず気配に聡い。ロウコも振り返り、気配の主を待った。
やがて木のきしむ音とともに入ってきたのは、まさに今ロウコが思い浮かべた少年だった。
「おまえは――」
シショウは驚いて、暗い祠の中に居る番人を見つめた。リンファオの見張りをしていたはずなのに。
「どうしてここに? まさかリンファオに何かあったのか!?」
連絡がないのは、里に手紙を出しにくいからだろう、そう思っていた。
一気に不安になり、詰め寄るように近づいたシショウの前に、里長が立ちふさがった。
「ロウコのことは気にするな。こやつは常に複数の任務をこなしておる」
そして面の上からでも分かる鋭い目を、さらに細める。ロウコはその顔を見て、なぜか目を背けた。
「それよりも、用があってお前を呼んだ。任務だシショウ」
不安そうにしていたシショウの顔が、パッと輝く。鍛錬と種の植え付け。この毎日に退屈してきていた。
任務中のピリピリした雰囲気も懐かしいし、なにより本物の敵を倒したい。
でなければ背中の神剣が錆びついてしまう。
できれば皇帝のお守りではなく、最前線の指揮者を守るような仕事に就きたい。
「さきほど、巫女が一人逃げたと報告を受けた。リョスクという巫女だ」
里長は淡々と告げた。
「前から問題のある巫女でな。何かしでかすのは分かっていた。シショウ、おまえは今からその者を探し出して捕らえ、しかるべき処罰を受けさせるのだ」
愕然とする少年剣士。里長は、懐から口の周りを赤く塗った面を出して、彼に渡した。
「ロウコに厄の子を見張らせるようになってから、ずっと考えていた。やはり逃亡者を追わせるためには、武術はもとより気功術もすぐれた者が必要だ。巫女の中には隠業に長けたものもいるからな」
「俺に番人になれと!? お断りします」
思わずシショウは叫んでいた。里長の片方の眉が持ち上がる。
「断るという選択肢は無い。かつて――」
傍らに立つ、赤い牙の面をした男を顎でしゃくった。
「その男がそうであったように、おまえにも里長であるわしの命令を拒絶する権利など無いのだよ」
シショウは唇を噛んだ。理屈では分かっている。自分は番人に選ばれる器であること。
神剣遣いのような腕利きが逃げたり、罪を犯したりした場合、その者を超える腕の持ち主でなければ捕まえることは出来ない。
でなければ、返り討ちに遭うのがオチだ。
そして現在の番人の長であるロウコや、長老たちを除けば、この里で一番腕が立つのは自分であるということも、知っていた。
「一族の者を手にかけるなんて出来ない」
シショウは、もう一度低い声で呟いた。
「他の番人にやらせてください。たかが巫女一人捕縛するくらいだ。俺じゃなくてもできる」
ロウコが、背中の剣の柄に手を回す。シショウは凍りついたように動かなかった。
一触即発の場の雰囲気は、しかし里長ののんびりした声で破られる。
「実は、おまえが懇意にしている厄の子がいなくなった」
シショウの肩がビクリと震えた。
「逃げたのか、里の女を欲しがる異民族に攫われたのかは分からない――が、見つけしだいロウコに始末してもらうつもりだ」
「ばかなっ」
シショウが必死の形相で詰め寄った。
「リンファオは逃げたりしない。そんな気持ちが露ほどでもあれば、俺は聞いているはずだ。きっと攫われたんだ。アターソンの施設の周囲には蛟が出没していたから。それでも殺すって言うんですか!?」
「土蜘蛛の血は外に広がってはいけない。我々一族の存続に関わる、そうだろうロウコ?」
ロウコは静かに頷いた。
やはり、里長の考えはそこにある。固執していると言っていい。
「孕ませられてでも居たら、それは土蜘蛛と蛟の子。純血ではない者を生ませるわけにはいかない。厄の種を大元から絶つほうがいいに決まっている」
「あの子に罪は無い」
搾り出すような枯れた声は、シショウにさえ自分から出たとは信じがたかった。
「そもそもなぜ里に置いておかなかった? 外に出したのは里長だろう? あの子を里に置いておくのが嫌だったから、追い出したんだ。危険にさらしたのはあんただ。なのに――」
「わしも少しは罪の意識を感じておるよ。やはりあの娘は番人にすべきであったよのう?」
シショウがぐっと黙る。彼の言葉を遮った里長の、面の中の表情は読み取れない。
が、しばらくして番人の面を差し出すと、しれっとした声で提案した。
「だから……そうじゃなぁ。ふむ、お前がこの仕事を受けるなら、厄の子の処分は預けておこう」
目を見開く神剣遣いの少年に、里長は無理やり口の牙が赤く染められた面を手渡して、握らせる。
「番人の長になれシショウ」
「俺は……」
なお言い淀むシショウに、里長は畳み掛けるように言った。
「ずっとこの任務に就け、と言っているわけではない。ロウコの手が空くまでだ。ロウコにはしばらく遠出をしてもらう」
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