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研究特区編

メイルンの子

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 お腹に子供がいる頃は、それほど愛着があったわけではない。

 だけど生まれた瞬間、どうしようもないほど赤子に惹かれた。

 愛する人の子供であろうがなかろうが、関係無かった。

 それなのに、初乳をあげた直後、性別すら知らされずに引き離されたのだ。

 そしてすぐに他の子をあてがわれた。

 それでも乳母小屋では、自分の子が近くにいるのが分かったし、たまに自分の元に戻って来ることもある。何よりも泣き声で、気配──オーラで、すぐに分かった。

 この子が自分の子なのだと。

 他の子もそれなりに可愛いが、何よりも自分の子が一番可愛い。だが……。






 メイルンが乳母小屋を出されたのは、月のものが始まる少し前のことだ。

 乳をあげてわずか三ヶ月で赤子が飲まなくなった。

 出が悪くなったわけではない。

 月のものが始まる直前に、乳の味が変わったのだと言う。

「味が変わると飲まなくなる赤子は、外の人間の子には多いらしいけど……。土蜘蛛の子はそもそも、同じ味の乳をもらうわけではないわ。いろんな乳母の乳に慣れてくるの……こういうことは珍しいわね。しかもどの赤子も、飲みが悪いというのは初めてだわ」

 乳母頭がため息をついて、メイルンを見つめた。

 どことなく咎めるような視線が痛い。

 まるでメイルンの食生活に問題があるかのようではないか。

「ちゃんと、乳にいい食べ物を口にしていました」

 言い訳がましく言ったけれど、原因は分かっている。

 だけど、どうしようもないことなのだ。


 やりきれなくて、とぼとぼと自分の村に戻ると、集会場の前でシショウが待っていた。

 メイルンは目を見張る。

 里に戻っているとは聞いていたけれど、ずっと乳母小屋に居たため、会ったのはこれが初めてだ。

──さらに大人っぽくなった。まぶしいくらいだ。

 シショウはメイルンを見つけると、柔かな笑顔を見せた。どことなく疲れている様子のシショウに、メイルンもぎこちない笑顔で応じた。



(雰囲気が、ずいぶん落ち着いた)

 シショウは物静かに歩み寄ってくるメイルンを見て、そう思った。

 ちょっと前なら、尻尾を振って走り寄ってきたものだが。

「久しぶり。そう言えば、第一子産んだんだよね? おめでとう」

 メイルンは恥ずかしげに顔を伏せた。

「なんだか見違えたね。母親になると、そんなに大人しくなるものなのかい? メイルン」

 旧友で、初恋の相手でもあるシショウの言葉に、メイルンは思わずほほ笑んでいた。

「やっぱりあなたの笑顔……ホッとするわ」

 そしてさらに何か言おうとして口を開け、また閉じた。

 思い詰めたような真顔で、シショウを見つめる。

「あの……私──私──」

 うまく言葉が出てこない。シショウが首をかしげると、ぶつかるようにその胸元にしがみつき、顔を伏せる。

 驚くシショウの耳に、嗚咽が聞こえてきた。

「ど、どうしたんだ? メイルン」

 背中を震わせて泣いている。あの明るかったメイルンがこんな風になるなんて。

「話してメイルン。友達だろう?」

 メイルンはひとしきり泣いていたけれど、やっとしゃがれた声で話しだした。

「私は、他の赤子に乳なんてあげたくないの。もう自分の子から離されるなんてイヤ」

 ぎょっとするシショウ。里では禁忌だからだ。慌てて周囲を見渡す。

「まさかメイルン」
「いいえ、大丈夫よ。あの子をどうこうしようなんて思ってない。ただ……」

 メイルンは潤んだ目でシショウを見上げた。

 寂しげで、せつなそうな瞬きが、ドキッとするほど色っぽい。

「一人でいるのが辛いの。お腹に居た頃は、重たくて、卵の詰まった鶏みたいだって、イライラしていた。早くすっきりしたかったの。でも……満ち足りてもいたんだわ。今は空っぽで、たまらなく辛い。こうなるまで気づかなかった」

 メイルンはポロリと涙を流す。手から取り上げられた自分の分身。他の子じゃ代わりにならない。

 どうして、みんな平気なの。

「さみしいの──」

 喪失感を埋めてほしい。

 こんなわがままなことを思っていたから、どの子も乳を飲んでくれなくなった。

 結果、役立たずの自分は、子供の泣き声すら聞こえない乳母小屋の外に、追い出されてしまった。

 寂しい──。

 温かい赤子の体を思いだし、ますますシショウを強く抱き締める。

 人肌が、恋しかった。

「お願い、抱いて。何も考えられなくなるくらい、私を抱いて」

 シショウはしばし固まった。

 いくら美しい里の女たち相手でも、連日種馬として働かされていたのだ。

 性欲など枯れ果てたと思っていた。

 だがどうだろう。

 今この腕の中の壊れそうな巫女からは、クラッとなるほどの艶めいた香りが立ち上り、彼を強く誘った。

 儚げなこの巫女を、たまらなく愛おしいと思っていた。

 なんとかして、彼女の力になってあげたかった。

 里に帰ってから、ほんのわずかしか経っていない。

 リンファオを忘れたわけではないのに……。

 もしかして、リンファオと親しかったメイルンに、リンファオの匂いを感じ取りたかったのかもしれない。

「行こう、メイルン」

 シショウは巫女の耳に囁いていた。

 二人きりになれる場所に、早く行きたかった。




 それからわずか二ヶ月後、再びメイルンは懐妊していることを知った。

 相手はシショウ以外考えられない。喜びが湧き起こる。最初の子と違って、実感がすごい。

 シショウとの子が腹にいると思うだけで、幸福感でいっぱいになった。

 シショウに知らせたかったが、吐き気にいちはやく気づいた姉巫女に、すぐ妊婦の寄り合い場までひっぱっていかれ、会う暇が無かった。

 二人で喜びを分ち合いたかったのに。

「本当にシショウの子なの?」

 少し年上の姉巫女リョスクが、メイルンの腹を覗き込む。

 妊婦の集まりが度々あり、そこでは胎教を考えた歌や音楽、そして安産のための巫女舞を毎日やらされる。

 リョスクも妊娠していたが、憧れのシショウと番うことができたメイルンに対して、嫉妬を抱いているようだった。

 繁殖力のあるリョスクだが、もともと少し変なところがあった。思い込みが激しく、剣士にのめり込むところだ。

 その思い込みから、番ってもいない剣士の子供を孕んでいると言い張ったり、そもそも懐妊していないのに嘘をついたり。

 今回の妊娠では、シショウの子を孕んだと言い張っていたとか。

 妄想癖も酷いが、赤子を見る目の異常さも怖い。

 最初の子を引き離したとき、キチガイのようになって暴れ、乳母頭に棍棒で殴られて変になったという噂だ。

 頭を殴られたって、すぐに治癒するのだから、ただの噂だと思うが。

 そんなわけでリョスクの行動は、他の乳母たちからも警戒されていた。


 メイルンは、自分の腹を見る彼女の目が嫌だった。

 今回はつわりがひどく、かなり弱っている。

 そんなメイルンに、何故かリョスクはべったりになった。

 気持ちが悪かったけれど、姉巫女なので邪険にするわけにもいかない。

「楽しみね。里で初めてシショウの子が生まれるのね。早く抱きたいわ」

 おそらく赤子は、リョスクの乳ももらうことになるのだろう。

 何となく、嫌な気分だった。

 任される時間は皆一定で決まっているのに、子供を取られそうな危機感があった。

 順調に妊婦生活を送っていたある日、妊婦の腹囲と腹底を巻尺で測っていた歳かさの巫女が言った。

「メイルンの子は大きいわね。育ちが早いみたい。思ったより予定日は近いわ」

 メイルンは嬉しかった。

 たとえすぐに取り上げられて、あの虚しい感覚を味わわなければならないにしても、シショウの子をこの世に産み落とせるのだ。

 自分の子として育てられなくても、シショウの子なら里に居てもすぐに分かるだろう。

 気を追えなくなっても、並外れた美貌は譲られるはずだから。

……ふと、思った。

 こんなふうに、里の何処かで自分を見守ってくれている産みの母がいるのだろうか、と。

 自分の親や子がいる村は、間違いが起こらないように離されていて、行き来が出来ないように配慮されている。

 でも遠くから、きっと自分の身を案じてくれている。そう思うと、それだけで温かい気持ちになった。

 ふと、遠くから自分を見ているリョスクの目と視線が合う。

 彼女のお腹もだいぶ大きい。

 だが、まったく自分の腹に注意を払っていないのが気になった。

 彼女が見ているのは、メイルンの腹ばかりだった。
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