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研究特区編

好きだっ! やりたいっ!

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 二人は施設から少し離れた森の中の、倒れた巨木に腰掛けた。

 都からそれほど離れているわけではないのに、特区の山や森は、異空間のような清涼な空気を放っている。

 シショウは、ロウコの気配を感じてうんざりした。こそっと耳打ちする。

「やっぱりついてくるんだね。あいつ、一度も里に戻ってないの?」

 帝都組のように交代が利くわけではない。リンファオが戻れないなら、ロウコももちろん戻れない。

「うん。あの男こそ、いったいいつ休んでいるんだろうって思うよ」

 気配を見失う時があるから、もしかしたらその時かもしれない。

 雨の日以外は建物の内に入ってこないので、そのあたりは楽だけれど。

 そう言えば、食堂のおばさんが黒衣の男に賄いを頼まれたとか……ロウコだ。

 白衣が多い研究棟ではやけに浮いていて、もはや存在を隠せていない気がする。

 なんにせよ、自分たち正規の任務についている神剣遣いより、ずっと過酷な超過勤務の連続だろう。

 そして、ものすごく退屈に違いない。

「ちゃんと寝て、食べてるんだろうか」

 リンファオが言うと、シショウは呆れた。

「君の命を狙っているやつを心配してどうすんだよ。そうだ、これ」
 
 シショウは木の筒を持ってきた。

「タオイェンの元に、里から猛禽が届いた。リンファオにも封書が入ってたぞ。メイルンだろ?」

 リンファオの顔がパッと輝いた、と感じた。面をしていても分かる。口元がほころび、顎から首にかけてがほんのり赤く染まるからだ。

 シショウはそれだけで見とれてしまう。どうしてもリンファオの顔が見たくなった。

 里を出る時にチラリとみた顔は、アザが酷くて分からなかったけど、きっと成長している。

 修行に入ったばかりの、十二歳の頃から比べて、どんなに美しくなっているだろう。

 そう思うと、面を剥いで口づけしたい衝動に駆られるのだ。

「ロウコさえいなかったらなぁ」
「え?」
「いや、なんでもない。読んだら?」

 リンファオは、ウキウキしながら筒を開ける。

『親愛なるリンファオちゃん。初任務はどうですか?

 一度任務につくと、やっぱりなかなか帰って来れないのねぇ。

 ちゃんと口で伝えたかったけど、あんたが帰ってくるの待ってたんじゃ、遅いわ。

 聞いてちょうだい。あんたたちが帝都に赴く直前、ホウザンに繁殖小屋へ連れて行かれたこと覚えてる? あれ以来気に入られてね、貴重な休暇の度に、わざわざ帰って来て……何度か番ったの。

 それでね、実はお腹に赤ちゃんがいるの。もうすぐ生まれるわ。あれほど望んでいたシショウの子じゃなかったけれど、まあ満足よ。

 次は絶対シショウの子を身ごもるって決めてるんだから。

 ところで、ホウザンって私の美的感覚ではギリギリなんだけど、子供は彼に似ちゃうのかしら。私に似てたらいいのに。

 まーどちらにしろ、子供は産んだ当人が育てることはできないのだから、分かりようがないわね。

 と、いうことなの。とりあえず報告まで。
 

里一番の美女より』


 リンファオはバサッと手紙を置いた。

 変な感じだ。

 土蜘蛛の──特に巫女の──お腹の子の成長は、母体の気力の差はあるが、概ね早いという。

 自分はまだ初潮さえ来ないのに、リンファオはもうすぐ母親。

 母親になると、乳の出ている間は色んな赤子の乳母をさせられる。

 退屈とかぬかしてた時期が天国に思えるくらい忙しくなる、と誰かから聞いたことがある。

「なんて?」

 穏やかに聞いてくるシショウ。

「メイルンは、シショウから手紙が欲しいみたいだよ」

 言ってから、元気よく巨木から飛び降りた。

 次こそはシショウの子供──その願いをかなえてやりたい。

「おい」
「メイルンはずーっとシショウのこと好きなんだ。今度里に帰る機会があったら、絶対に会ってやってね?」

 シショウを好きになっちゃいけない。リンファオはそう自分に言い聞かせた。

 自分に唯一家族と言える存在があるとしたら、それはメイルンとシショウだ。

 どちらも失いたくないなら、二人がくっつくべきだ。

 同じ想い人と番った巫女たちの、壮絶な喧嘩を見たことがあるだけに、そう思った。

「そういう酷いこと言わないでくれよ」

 シショウの声が暗く響く。

 ハッとなって彼の面を見る。シショウの口元はぎゅっと引き結ばれている。

「俺だって、ずっとリンファオのこと好きだった。俺が神剣遣いに選ばれるほどの剣士になったのは、君のおかげなんだ」

 シショウはリンファオに近づいた。その両肩を掴む。

 リンファオはびくっとなって、辺りをキョロキョロ見渡した。

 いつロウコからの攻撃を受けるか分からない。

「怖がらないで、変なことしないから」

 シショウの声に含まれる真剣な響きを感じて、リンファオはますます戸惑った。

「ずっと、俺の鍛錬を見ていてくれただろう?」

 リンファオの顔が赤くなる。面があってくれて助かった。まさか、あの覗きがバレていたなんて。

 気配を読むのが得意でも、気配を消すのは下手なのだろうか。

 何を考えているか察したシショウが、慌てて言う。

「違うよ、リンファオは完璧に気配を消せてた。まだ巫女修行中の女児に、そんなことができるのもすごいと思ったけど」
「何で分かったの?」
「匂いだよ」

 え~っ、臭かった? 巫女は毎日の湯浴みが義務付けられているのに。

 今度は青ざめるリンファオに苦笑する。

「花の甘い蜜みたいな、いい匂いだ。俺が演舞を始めると、その匂いが香ってくる。それで女の子が俺の鍛錬を覗いてるって分かった。だから……」

 照れたようにそっぽを向く。

「君のためにずっとがんばってた。格好つけたかったんだ。そしたら強くなった」
「まさか」

 リンファオは思わず吹き出していた。シショウは最初からすごかったもの。

「私のせいなんかじゃない」
「男の単純さを分かってないなぁ。まー、どうでもいいよ。要は、里の許可が降りたら、その──君と番いたい」

 直球で来られて、リンファオは目を白黒させる。

 土蜘蛛の求愛は、けっきょくその一点なのだ。

 好きだ。やりたい。

……つくづくロマンのかけらもない。

 それでも、この胸がはちきれそうなほどの幸福感はなんだろう。

 誰かに好意を寄せられることが、こんなに幸せなことだなんて。


「発情してるだけだ」

 背後で声がした。

(出たな、ロウコめ)

 リンファオは、雰囲気をぶち壊してくれた男を振りかえって、睨みつけた。

 しかしそこに居たのは、瓶底眼鏡を光らせたヘンリーだった。

 いや、違う。

「『土蜘蛛』の生態には非常に興味深いものがある。今度ぜひ研究対象として協力してくれ。うん、そこのチビと違ってあんたほどガタイがよければ、腑分けのしがいもある。気功なるものが何処から生まれるのか、身体を切り刻んでみたら分かるだろう。もちろん麻酔はするからさ」
「エドワードですか?」

 リンファオが怒ったように確認する。

 眼鏡をかけたままでも、出てくることがあるらしい。

 エドワードは舌打ちして、眼鏡を外した。

「ヘンリーが許したかもしれないが、俺はおまえに用があるんだ。護衛なんだからパシリもやってもらわなくては困るな。実験用の痺れゴケを採ってこい。研究所から離れてるから、この俺様が行ったら危険だろう?」

 シショウは周囲に気をくばることさえ忘れて、話に没頭していたことに気づいた。

 普通の人間にここまで近づかれ、足音にさえ気づかないなんて。興奮しすぎだ。

 先ほどと同じ顔なのに、ものすごく雰囲気の違う白衣の少年を睨みつけ、シショウは立ち上がった。

「とにかく、考えておいてくれ」

 照れながらそう言って、エドワードに中指を立ててから木の上に跳躍した。

 そして後ろも振り返らずに、枝から枝へと飛び移っていき、やがては見えなくなった。

「ふん、邪魔しちまったか?」

 エドワードは噛み付くように言った。

「え? 明らかに邪魔しに来ましたよね?」

 イライラしてそう返すと、眼鏡を指差す。

「それ、あんまり関係ないんですね?」

 エドワードはニヤッと笑って、鼻の頭に眼鏡を乗せた。

「ダサいから俺様が嫌いなだけ。かけてるときはあまり出てこないって、ヘンリーは知ってるんだ」
「じゃあ何で出てきたんですか?」

 不満げなリンファオに、エドワードはポンと畳んだ用紙を投げた。

「御遣いだよ。痺れゴケが採取できる場所までの地図。急ぎなんだ、頼むぜ」


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