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アリビア帝国編 Ⅰ
王宮勤務
しおりを挟む護衛の仕事は思ったより退屈だった。
旧教会支持者や議会派から反発されているニコロスだが、王宮の近衛隊や親衛隊に囲まれ、見るからに安全だった。
そして、存在はあまり知られていないが、自分たち土蜘蛛もいる。
タオイェンの憂いに反して、皇帝の命を狙う輩はそれほど多くないのかもしれない。
驚いたのは、護衛対象が皇室の者ではなく、あくまでもニコロス個人だったことだ。
ニコロスは自分の命こそ至上と言い切っていた。
宗教改革により新設された国教も、皇帝至上法を打ちたて、海神リーヴァイアンと自分を同等の位置づけにしている。
即位時の戴冠式でも通常教皇から頂くはずの冠を奪い、自ら被ったとされている。
「おそらく議会も無くしたいんだと思うんだけど、今回のクーデターでそれが不可能になった」
シショウはここに配置替えになったその日に、色々教えてくれた。
「俺たちが再編成のために帝都を空けていたあの日、皇帝の命を救ったのは近衛でも親衛隊でもなく、水軍の士官たちだったんだ。皇帝は議会に出向いていた。あそこには俺たちでさえ全員は入れない。当日はもちろん、一人も土蜘蛛の護衛がいなかった」
そこを狙われた。
取り押さえたのも自然、腕に覚えのある下院──軍の人間になる。
「同じ下院でも、襲ったのは陸軍で、取り押さえたのは水軍……なんだね。水軍って王党派だったんだ」
リンファオは首をかしげる。
「本当は逆だと思われていたけど。陸軍には、今は親衛隊長になっているリガルド・マルコスっていう超王党派──国教会の枢機卿が居たからね。でも、捕まった陸軍の議員たちには、隠れ旧教徒が多かったらしいし」
リンファオには、宗教とか派閥とか複雑なことは分からない。
でも、自分たちが彼らからしたら完全に異教徒であることは、認識できた。それならあのゴミを見るような目も納得できる。
十五日おきの謁見の日、広間は、属州の総督や、外国の領事と駐在使節、銀行家、官僚、そして皇帝の取り巻きである宮廷貴族たちがひしめいていた。
彼らがめいめい自分の妻や従者たちを連れているので、いくら広大な部屋でも狭く感じる。
誰もが皇帝の周囲でポジションを奪い合う。自分の存在をなんとか認めさせようと必死だ。
謁見に臨んでいたニコロスの無表情な横顔を、身を潜めながらもしげしげと眺めるリンファオ。
どうしても、リンファオにはその心の中に狂気が感じてしまう。
言ってみれば、空っぽの憑坐の中に、悪霊を憑依させたかのような怖気を誘うイメージだ。
昔、神落としの最中に気が触れた巫女がいた。神に見初められたと長は言っていたが、姐たちの話では、別のモノが入ったのだという。
巫女の体から漂う獣の臭いを、今でも覚えている。あれは子供にとっては大きな衝撃だった。──その巫女は三日後に亡くなったが、その間、閉じ込められた小屋の中で、ずっと叫び後をあげ続けていた。
皇帝の背後には、濃いワイン色をした厚手の布が降ろされている。
要人たちには見えないが、その緞帳の陰に二人の土蜘蛛の剣士が控えていた。
確か、サンエイとジンだ。
基本的配置として間近に二人つけ、待機要員は床下、天井、窓辺のカーテンの中等、それぞれが気配を殺して隠れている。
よもやこんな堅牢な石造りの王宮の床や壁に、あちこち隙間が設置されているとは思わなかった。
土蜘蛛の護衛の休暇は、組んだ一人ずつが交代でとる。夜間や、部外者があまり来ない王の私室などでは五人の神剣遣いが、ニコロスの周囲を常に固めていることになる。
だが今のような定期的な公務では、十人全員が待機していた。予定が立っているところに、暗殺者は送り込まれることが多いからだ。
加えて、表立った場所で身辺を警護するのは、昔ながらの伝統的な騎士の格好をした、アリビアの皇室付き親衛隊である。
三十人はいるだろうか。部屋をぐるりと囲んで立ち、厳しい表情で周囲を警戒している。
土蜘蛛の存在があまり知られていないにしろ、こんな厳重な警備の中、皇帝の命を狙いに来るやつは相当のバカだ。
「身体がなまるよ」
リンファオは思わず、ため息まじりのぼやきをもらしていた。タオイェンがそれを聞きつけて睨みつける。
「気を抜くな。数日前『蛟』が後宮に入り込んだ。シショウとホウザンが気づかなかったら、皇帝の寝室にまで入り込まれるところだったんだ」
『蛟』は、やはり土蜘蛛と同じく東の大陸で暗躍していた少数民族だ。彼らも故郷を追われ、世界中に散った。
同じように身体能力に優れているが、土蜘蛛が濃い血筋と力を守りながらその数を減らしていったのに対して、蛟は外部の血や新しい技術を取り入れて変化していき、その数も増やしている。
そして彼らの生業は、未だにもっぱらが暗殺業だ。
気功術は使えないが、数で劣っている土蜘蛛にとってはやっかいな相手だった。
刺客と護衛。
必ずぶつからねばならない因縁の相手である。
もちろん、他にも脅威はある。例えば、宮廷内の勢力争いによる毒殺などだ。
何代か前の皇帝は王弟に毒殺されている。
以来、歴代の皇帝はとくに血族を警戒するようになっているのだが、それは毒見役などの昔ながらの対策を取っているらしい。
皇帝自身、幼少時から微弱な毒には慣らしてあるし、基本的に何種類かの解毒剤は常に所持しているという。
(用心深いことで。無敵じゃないか)
リンファオは冷めた目でニコロスを見つめた。
「敷地内の見回りに出ているホウザンとシショウが戻ったら、次はリンファオ、おまえとシュウが行け。交代だ」
シュウと呼ばれた剣士は、思い切り嫌そうに首を振った。
「厄の子と組むのはゴメンだと言ったはずです」
「隊長命令だ」
「できません」
当事者を前に堂々と拒絶の意を示すシュウに、タオイェンは怒りに満ちた視線を向ける。
「そんなワガママが通用すると──」
「だったら隊長が組めばいい」
タオイェンが言葉につまった。
(誰だって嫌だよね)
凶剣だと騒がれたその剣に選ばれた剣士となど、誰が組んでくれるだろう。シショウくらいだ。
だけどシショウとホウザンは、蛟襲撃から皇帝に気に入られ、基本的に組んで仕事を命じられる。だから二人はいつも一緒に行動しているのだ。
できればシショウが眠っているとき隣で起きていてその寝顔を見たかったけれど……。
誰も組んでくれない上に一人で行動してはいけないなら、満足に仕事を命じてもらえないだろう。このままだと自分はただのやっかいものだ。
リンファオは、その時自分の胸元の獣の存在を思い出した。基本的に寝ているが、自分の言うことは絶対に聞く。
「隊長、私は既に青虎と組んでます。だから一人で大丈夫です。私が寝ている間は、青虎が見張りを続けられます」
退屈していたリンファオは半ば強引に、タオイェンに認めさせた。
土蜘蛛のために修繕を施したという王宮は、それでも梁が少ない。建物の造りが基本的に東の大陸とは異なっているのだ。
だから里にいくつかある、巨大な屋敷での隠業の訓練もあまり役に立たない。
リンファオは仕方なくフードをかぶって、大理石のよく磨きこまれた鏡のような廊下を歩きながら、周囲を警戒した。
しかし警戒されているのは明らかに自分だ。
黒装束の影は「土蜘蛛」という護衛であることを王宮の近衛兵は知っている。
だから咎められることはないのだが……気持ちの悪い少数民族であることには変わりない。
(護衛がこんなに目立つってどうなのよ?)
面を外した方が色々都合がいいと思うのだけど。そう苦々しく思ったとき、
「おい、おまえ」
声をかけられて、リンファオは立ち止まった。衛兵の一人が、訝しげにじろじろとリンファオを眺める。
「土蜘蛛は二人で組むものだ。貴様本当に護衛か? 土蜘蛛を装った侵入者ではないだろうな?」
リンファオはフードをずらした。
奇怪な面をよく見せると、衛兵は一瞬で舌までも凍ったように黙ってしまった。
「許可はもらった。この小さい土蜘蛛だけは、一人で行動していても気にするな」
顔を近づけて囁き、皇帝から授かった護衛の証である金のブローチを見せる。そしてパクパク口を開け閉めしている衛兵から、プイッと顔をそらしてまた歩き出した。
背後で違う衛兵の声がする。
「おい、どうした? 漏らしたのか?」
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