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アリビア帝国編 Ⅰ

小さな教官

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 水軍統括本部庁舎の中庭にある凱旋記念広場は、朝礼や祝事等さまざまな行事に利用される。

 また本日のように、士官たちの格闘訓練や射撃訓練に使われることもある。

 稽古の場に集められたのは、士官学校を卒業したばかりの見習い士官、着任前の少尉など、若々しい青年ばかりだ。


「今さら体術なんて意味が無いだろう」

 十代後半から二十代の初めくらいの若い将校たちが、海神の像の前に四人集まってボソボソ話しこんでいる。

 そのうちの三人は正式な着任前だというのに、既に中尉に任官されていて、胸元の階級章は周囲の見習い士官たちの羨望を集めている。

 宗教的な内乱と領土争いの前線で、実戦訓練中にその手腕を振るった結果だ。


「俺さぁ、格闘技苦手なんだよね。汗かくから。白兵戦の授業の時フケてばっかりいた」

 リッツ・マルソーは黒い髪の毛を撫で付けながら、ぶつくさと呟いた。

 フランソル・ミシュターロはそれを聞いて苦笑する。

「苦手と不出来は違うだろう? 斬り込みをかける時に、白兵の分隊を差し置いて一番殺した士官候補生って、貴方じゃないか、ブラッディ・マルソー殿」

 リッツは片方の眉毛を上げて見せた。

「そういうおまえはもう、情報部の訓練を受けてるんだろ? こんな茶番に付き合う必要ないでしょ? いつから着任なんだよ」
「寂しくなるねぇ」

 一番年上の髭面がしみじみと呟く。

 アルフォンソ・ヴァンダーノは見た目もあれだが、既にいくつかの任務で手柄をあげて大尉の位を持っている。

 そんな彼でさえ、皇帝からじきじきの命令で白兵戦を学び直さなければならない。

「若僧扱いされて上官たちからやっかみを受けていた同志が、また一人減っちまう」

 アルフォンソは煙草を堂々とふかすと、ため息交じりに首を振った。

 彼らの友人であるアーヴァイン・ヘルツは、そのずば抜けた才能──要領の良さ──で、飛び級し、とっくに卒業している。

 今は前々から目をかけてもらっている、マルグリット・ストールノ大将の下で働いている。

 別格の彼は置いておいて、基本的に出る杭は打たれる世界だ。

 いま、海神の像の前に集まっている四人は、特にその風当たりが強い。

 訓練実習生の分際で、戦死した上官の代わりに小型の偵察艦を操船し、敵を駆逐した評判は軍全体に広がっていた。

「にしてもここ数日、彼に会ってないね」

 カイトがちらりとフランソルを見つめた。

 カイトは何か知りたいことがあれば真っ先にフランソルに尋ねる。それが最短の道だからだ。

 しかしフランソルは肩をすくめただけだった。

「あの騒動で、軍の上層部は浮き足立っているからな。ヘルツ少佐も何かと忙しいのだろう」

 そして、士官学校陸戦科を卒業したばかりの、肩身の狭そうな一団に目をやる。

 せっかく陸軍の士官となる道を邁進してきたと言うのに、目指していたその地位はもうない。

 ひと月前、皇帝の命が狙われた。

 陸軍の一部の幹部による、クーデターの決行。そして失敗。

 それにより軍の編成は大きく変わり、陸軍は解体。

 陸軍の上層部は責任を取らされ、ほとんどが斬首になった。

 そして他は、そのまま水軍の陸戦部隊として組み込まれたのだ。

 海兵科を卒業した士官であるこの四人にあまり変化は無い。しかし、陰謀の影にストールノあり、と噂される上官の下で働いているアーヴァイン・ヘルツの身の上は心配だった。

「もっともあの人のことだから、大喜びで首突っ込んで行った気もするけどな」

 リッツがぼんやりと呟いた時、他の士官たちが姿勢を正して並び直した。

「あ、中佐だ」

 彼らの教官を務めてくれたこともあるアレックス・ノーラサイオン中佐が広場にやってきた時、全員がすぐに敬礼した。

 それなりに尊敬できる師だからだ。

 ただ、その後ろからトコトコついてくる小さな黒装束の子供を見て、全員が眉を顰めた。

 奇怪な面。

 アレックス・ノーラサイオンが壇上に立つと、その子供も横に立つ。

 各自が目の錯覚か、ノーラサイオン中佐の背後霊でも見えているのでは、と身構えた。

 周囲の反応で、それが自分だけに見えるモノではないことに気づき、胸を撫で下ろしている。

 あれ、何か居るよね? 変なのが。

「諸君。軍の内部の裏切り者は排除したが、いつまた陛下を襲う不届き者が現れるか分からない。陛下は危機を救った水軍に多大な期待を寄せおられる。まだ若い諸君には特に、力をつけてもらいたいと思っているのだ」

 集められた青年士官たちは、全員がきょとんとしている。

「もともと士官候補生として学んできた君たちは、天測計算や弾道計算は得意かもしれない。しかしながら残念なことに、白兵部隊と違って腕っぷしがいまいちだ」

 頭でっかちだと言いたいのか。士官たちがムッとなる。毎日の筋トレや、射撃、格闘訓練は欠かしていない。

 しかしノーラサイオン中佐は構わず続けた。

「三角関数も確率密度も一時忘れて、銃と剣を奪われた状態でどう戦えるか仮想してみてくれたまえ」

 艦が砲門をこれでもかというくらい積むようになった時代から、接舷戦闘なんて原始的な戦いはあまり行われていない。

 そして斬り込みは斬り込み部隊だけで、ほとんど片がついてしまう。

 士官は帆船の戦術を学ぶ方が大事なのだ。舷側を向けての撃ち合いに、腕っ節はそれほど必要ない。

 ここにいる全員が士官なのだから、実戦不足と言われるのも仕方無いことと言えた。

「士官が先頭に立って敵に斬り込む。これは下士官以下の士気を著しく上げるのだ」

 命じるだけの士官は舐められる、と中佐は続けた。

「そこで諸君のために、新しく武術の教官を雇った」

 アレックス・ノーラサイオンは、黒装束の子供を前に押し出す。

「これだ」

 思わずこけそうになる若い士官たち。

 短気なカイトがすぐに手を挙げた。

「中佐、自分にはそれ、子供に見えます」

 まだあどけなさの残る顔立ちの自身を差し置いて言うカイトに、アレックスは渋い顔で頷く。

 彼自身も、なんでこんな子供が、と困惑しているのだ。

「その通り、子供だ」

 その隣で子供がぶんぶん首をふっている。

 そして前の方にしか聞こえないくらいの小さい声で、ボソボソ呟く。

「もう十四歳になってる」
「子供じゃねーか」

 アルフォンソがやはりボソボソと毒づくのを、フランソルは聞いた。

「とにかく、このチビ──いや、この方は陛下推薦の教官である。聞いたことはないかもしれないが、東国の有名な武術集団『土蜘蛛』だ」

 フランソルの顔色が変わったことに、リッツがすぐ気づく。

「知ってんの?」
「親衛隊とともに、ニコロス四世の警護についている外部の護衛だ。半ば伝説化してた。本当に居たんだな」

 ジレオンの港から、帝都へ向かうその異様な姿がときたま噂になる。

 どこかの島に居住を許された、東の大陸の移民集団だというが──。

「その護衛集団ってのは、全員子供なのか?」
「そんなわけないだろう……背が低いだけじゃないかな?」

 フランソルがそう答えてから考えこむ。

「それに彼らは要人の警護しかしないはずだ。皇帝の持ち物のはずだから。基本的に人目に付く場所は避ける。初めて見るだろ? 軍人に武術を教える教官になんか、なるはずがない」
「じゃあ、偽者ってこと?」

 一番年の若いカイトがそう言いながら、目を細めて子供を睨む。

 周囲のざわめきに、アレックス・ノーラサイオンはフォローしない。彼もまた、困っているのだ。だって皇帝からの命令だし。

 厄介ごとはごめん、とばかりにすぐ壇上を降りた。

「あとは教官から教われ。失礼のないようにな」

 え? と困惑する士官たちを置いて、ノーラサイオン中佐は逃げるようにその場からいなくなった。

 つくねん、と立ち尽くすお面をした子供を残して。


「おい、ガキ。こりゃ何の冗談だ?」

 カイトがすぐに、土蜘蛛と呼ばれた子供に絡もうとした。慌ててフランソルがその腕を掴み、彼の耳に囁く。

「皇帝の命令なら、文句を言うことは許されないぞ」

 カイトも周囲の目を気にして、小声で返した。

「娘が自分にまったく似てないって噂がたちだしてから、ニコロス四世は少しずつおかしくなってきた。あの事件で王妃を処刑して、一気に気が触れたって騒がれている。キチガイの変な行動に何で俺たちが付き合わなきゃならないんだ?」

 どこにニコロスのスパイが居るか分からない。フランソルは周囲を警戒しながら言い返した。

「キチガイだからだ。今のニコロスはどんな些細な反意も見逃さない。そして今までとは比べようもないほどの酷いこともしかねない。俺たちをおちょくって遊んでいるにしろ、その茶番に付き合うまでだ」
「私もそう思う」
「うわぁぁあっ」

 気づくと奇怪な面の子供は、二人のすぐ傍にまできていた。

 子供特有の高めの声で、二人にしか聞こえないようにボソボソと囁いた。

「陛下は心の一部は壊れてしまったのかもしれないが、他はしっかりしていた。猜疑心と残酷さは残っている。私は以前の──賢帝と言われていた時代の皇帝を知らない。だけど今の皇帝の命令には、いっさい逆らわないほうが無難だと思うよ」

 二人は青ざめた顔で子供を見下ろした。


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