5 / 98
土蜘蛛の里編
試練の地
しおりを挟むリンファオは、神剣の持ち手になるための修了試験の内容を初めて知った。
それは、里から逃げ出そうとした者に対する罰と、ほぼ同じだった。
谷川の下流に安定した中州がある。
小島と言っていいほどの二キロ四方の中洲だ。
ここ数十年のあいだ、この鉄分を含んだ赤い川が氾濫した様子も無く、草木が生い茂り森を形成している。
移住直後はここに土蜘蛛の村の一つを作る計画もあった。
結局増水した時のことを考え、そこは剣士たちの鍛錬の場として利用されることになったのだ。
川の両端には、上流から点々と下に向かって、屋根だけの砂鉄の洗い場が設置されている。
「神剣の遣い手を目指すものは、この地でその力を試す。だが、違反者も同じだ。同じやり方で、神意を問う。神が許したもう者だけが、この地から抜け出せる。今のところ、移住後にこの島に送られたのは一族では二人だけだが」
里長はリンファオにそう教えた。
「もう一人、外部の人間もいる。巫女をかどわかそうとした、行商人じゃ」
魔性の里の美しい巫女の噂を聞いて覗きに来る外部の人間は、ほとんどが土蜘蛛相手に商売する商人たちだ。
逆に言うと、彼ら商人と仕事の依頼者、そして皇帝の遣い以外は里に入ることはできない。
運よく里の女を眼にした外部の人間は、文字通り骨抜きになる。
明らかに東の民とわかる、細身のしなやかな体と象牙の肌。
顔立ちは、どの国籍の人間でも通じるような共通の美しさと愛らしさを兼ねていた。
彼女たちを一目見た者は、しっとりと輝く象牙の肌に魅せられ、その柔らかそうな細身の身体を抱いた時のことを想像するのだ。
極めつけが、神々しさと艶っぽさを放つ、不可思議なオーラ。
しかしいくら恋焦がれても、話しかけることは禁止されているため、渋々帰って行くことになる。
ある時、どうしても諦め切れなかった行商人の若者が、巫女の一人を唆し、谷を出るように説得した。
その結果二人とも捕まり、この島に送られることになった。
「そしてもう一人は──覚えておるかの。我らからしたら最近のことよ。自分の産んだ子を自分だけのモノにしようとした、哀れな巫女じゃった」
(ランギョク姐さん……)
ぼんやりとした記憶をたどる。
たしか幼少時、その巫女の葬儀に参列したことがある。
殺された、とシオンが言っていたっけ。
そのシオンも死んだわけだが、その時のことを当時の子供たちは誰も覚えていない。
全員、記憶が抜けているのだ。
リンファオは唇を噛んだ。
死というものはあまり身近ではなかった。
それが突然目の前に突きつけられている。
今から自分は、処刑場に送られるようなものなのだから。
「青虎の森へ渡れる」
里長は、中洲まで行く吊り篭を指差した。
人が一人やっと乗れるような、小さな籠があった。
それは河岸から中州に向かって張られた縄からぶら下がり、暗い森へ続いている。
「森の反対側に、同じような籠が用意してある。そこに辿り着き、夜明けまでに無事に川を渡ってこられたら、神がおまえを認めたということになる」
リンファオはその森に禍々しいものを感じた。
「何が……あるのですか?」
里長は背後を振り返った。
そこにはたくさんの見学者が居た。
メイルンも、リンファオの育った村の長老も、心配そうにこちらを見ている。
もはや祭事どころではなくなり、今回選ばれた神剣の遣い手たちも皆、何が起こっているのかを自分の目で見届けようとしているのだ。
群集をかき分けるように、数人の男たちがやってきた。
全員里長と同じように、この里の中でさえ土蜘蛛の面を被ったままの、大人の剣士たち。
既に仕事を請け負っているはずの、一人前の男たちが、なぜここに……。
その中でひときわ異質な男がいた。
彼らの面は、くり貫かれた口元の両脇──牙を模した辺りが赤く塗られている。
だが人々の目を引いたのは、そんなことではない。
一人だけ、交差させた剣を二本担いでいる者がいる。
(神剣を二振り持っているの?)
リンファオは目を見開いてその男を見つめた。
男たちは一人ずつ籠に乗ると、順番に青虎の島に向かっていった。
最後の一人──剣を二本担いだ男は、リンファオの視線に気づくと、ククッと声を殺して笑った。
そして彼もまた籠に乗って川を渡っていく。
「あの人たちは?」
「あれは里の番人。普段は里を見張り、若い剣士たちに試練を与え……そして逃亡者を捕獲する役目の者たち。掟を破った同族を罰するための処刑部隊」
リンファオはゴクリと生唾を飲み込んだ。
「──お前たち女は、神剣の主になるために、どれほど過酷な試練を与えられるか知らされていないだろう。神剣に挑む剣士たちを試すのは彼ら番人だ。彼らの追撃から逃れ、無事に青虎の森から脱出したものだけが、神剣の儀式に参加できる。よって番人とは、神剣遣いの中でも特に腕のたつ者たち。おまえは今から、あの者たちと戦うのだ。無事に処刑を免れ、その地を脱することができれば、おまえは神剣の遣い手として認められることになる」
リンファオは唖然とした。
バカな。
この人は何を言っているのだろう。
「私は剣術を知りません! 神剣を持ったら、たまたま音が鳴っただけで──」
「それが、ただごとではないのだ」
リンファオはその時ようやく里長の意図を知った。
神剣が巫女にもなってない女児を選んだ時点で、慣例には無い事態が起きた。
それこそ凶事の前触れかもしれない。
だから厄介者を、ただ処分しようとしているだけなのだ。
「さあ、おまえの番だ。彼らはすぐに襲ってくる。本気でおまえを殺しに来る。森は深いが、さして広くはない小島だ。逃れたいなら、彼らを殺すしかない」
リンファオは助けを求めて長老たちを振り返った。
誰も、どうしていいか分からないようだった。困惑している。
姉貴分である巫女たちも、怯えたようにこちらを見ているだけ。
メイルンは泣きじゃくっている。
里の掟を持ち出されれば、誰にも、何が正解か分からない。
その時、一人の少年が自分に近づいてきた。
シショウだ。
金と黒の筋が入った髪をサラリと揺らしながら、リンファオの隣に来た。耳元に口を寄せ、そっと囁く。
「俺たちの修了試験の時と同じ状況なら、この小島は名前だけじゃない。本当に人食いの青虎が放し飼いにしてある。いつ襲ってくるか分からないから気を抜くな」
「青虎って……神獣じゃないの」
リンファオは怯えたようにいい、すがりつくような目でシショウを見つめた。
「む、無理だわ。そんなの見たことないし。だいたい私、剣なんか持たされても──た、戦ったことなんてないんだものっ」
シショウは振り返ると、静かに二人を眺めている里長に目をやった。
里長は目を瞑って首を振る。
考えを変える気はなさそうだ。
シショウにも里長の意図が分かったのだろう。唇を噛んで考え込む。
この島に送られるということは、そういうことなのだ。
「よく聞いて、えーと」
「リンファオ」
「いいか、リンファオ。神剣持ちの候補を試す時、ハンデとして追っ手は神剣を抜かない。飛び道具による捕獲と、気功で意識を飛ばされることはあるけれど。青虎の方に追い詰められないように、それだけは気をつけろ。喰われるからな。今まで何人も将来有望な剣士が餌食になったんだ──君、巫女になるための演舞はもう踊れるね?」
リンファオは頷いた。
「あれは実戦の型だ。大体身体が覚えているはずだ。目を瞑って、呼吸を整えて、舞が導くままに身体を動かせ。ぼくはそうやって鍛錬したんだ」
むちゃくちゃ言う。
舞を覚えたくらいで戦えるわけがない。
しかし、気休めなのは分かっているが、それでも一生懸命励まそうとしてくれている彼の気持ちが嬉しかった。
里長がリンファオを籠へ促す。
薄桃色の稚児衣装の小さなリンファオが乗ると、まるでこれから川に流される捨て犬や捨て猫のように見えた。
メイルンが狂ったように何か叫んでいる。
「君と一緒に仕事が出来ることを祈っている」
シショウは硬い表情のまま籠に手をかけ、じっとリンファオを見ながらそう言った。
「だから生きろよ」
籠は無情にも、川の向こうへと運ばれていった。
滑車の動きが止まり、リンファオは急いで籠を降りた。
頼れるのはもう背中のやっかいな神剣だけだ。
森の中は真っ暗闇で、先ほどの男たちが何処にいるか、皆目見当もつかなかった。
リンファオは怖くてしようがなかった。
とにかく、彼らに見つからないように、そして解き放ってあるという獣にも遭遇しないように、もう一つの移動籠の乗り場に辿り着くしかない。
そう、ここは中洲。
そんなに広くないはず。
足には自信がある。
走って、走って、ひたすら走るのだ。
──君と一緒に仕事が出来ることを祈っている──
シショウの言葉を思い出した。
話したことも無い、見習い巫女の心配をしてくれたシショウ。
彼のおかげで、絶望に凍りついた心が少しだけ救われた。
0
お気に入りに追加
66
あなたにおすすめの小説
ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
今日の授業は保健体育
にのみや朱乃
恋愛
(性的描写あり)
僕は家庭教師として、高校三年生のユキの家に行った。
その日はちょうどユキ以外には誰もいなかった。
ユキは勉強したくない、科目を変えようと言う。ユキが提案した科目とは。
お知らせ有り※※束縛上司!~溺愛体質の上司の深すぎる愛情~
ひなの琴莉
恋愛
イケメンで完璧な上司は自分にだけなぜかとても過保護でしつこい。そんな店長に秘密を握られた。秘密をすることに交換条件として色々求められてしまう。 溺愛体質のヒーロー☓地味子。ドタバタラブコメディ。
2021/3/10
しおりを挟んでくださっている皆様へ。
こちらの作品はすごく昔に書いたのをリメイクして連載していたものです。
しかし、古い作品なので……時代背景と言うか……いろいろ突っ込みどころ満載で、修正しながら書いていたのですが、やはり難しかったです(汗)
楽しい作品に仕上げるのが厳しいと判断し、連載を中止させていただくことにしました。
申しわけありません。
新作を書いて更新していきたいと思っていますので、よろしくお願いします。
お詫びに過去に書いた原文のママ載せておきます。
修正していないのと、若かりし頃の作品のため、
甘めに見てくださいm(__)m
隠れ御曹司の手加減なしの独占溺愛
冬野まゆ
恋愛
老舗ホテルのブライダル部門で、チーフとして働く二十七歳の香奈恵。ある日、仕事でピンチに陥った彼女は、一日だけ恋人のフリをするという条件で、有能な年上の部下・雅之に助けてもらう。ところが約束の日、香奈恵の前に現れたのは普段の冴えない彼とは似ても似つかない、甘く色気のある極上イケメン! 突如本性を露わにした彼は、なんと自分の両親の前で香奈恵にプロポーズした挙句、あれよあれよと結婚前提の恋人になってしまい――!? 「誰よりも大事にするから、俺と結婚してくれ」恋に不慣れな不器用OLと身分を隠したハイスペック御曹司の、問答無用な下克上ラブ!
とある高校の淫らで背徳的な日常
神谷 愛
恋愛
とある高校に在籍する少女の話。
クラスメイトに手を出し、教師に手を出し、あちこちで好き放題している彼女の日常。
後輩も先輩も、教師も彼女の前では一匹の雌に過ぎなかった。
ノクターンとかにもある
お気に入りをしてくれると喜ぶ。
感想を貰ったら踊り狂って喜ぶ。
してくれたら次の投稿が早くなるかも、しれない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる