上 下
26 / 51
第六章

砂漠の都市ルーラル(作者の都合で三人称)

しおりを挟む
 小さな都市国家であるルーラルは、驚いたことに何も異常がなかった。砂漠を渡る交易隊が、普通に出入りしている。

 テオフィルは椰子の葉の緑にほっとしながらも、困惑を隠せない。

「どうなってる、カラスの情報は間違いなのか?」

 テオフィルにくっついたままのアレクシアをチラッと見て、ジークバルトは不機嫌そうにそれに答える。

「しらねーよ、そもそも調査が俺たちの最初の仕事だろ。ていうか、アレクシアをクラダに乗せるのは一日交代だったはずだぜ。本当なら今日は俺の番だった」
「街に着いたんだから、もう終わりだ」

 テオフィルがサラッと答えた。

 ジークバルトよりさらに不機嫌なのは、袋詰めされてクラダの脇に吊るされていたファッビオだろう。獣姿のまま、ムスッとしている。

 クラダ代を四頭にケチられたのだから、今回の旅はずっとこのスタイルだった。仕方ない。駱駝より速度に優れ、揺れの少ないクラダは高価だ。いつ魔王が見つかるか分からない旅なのだ。旅費は節約したかった。

「まあ、思ったよりは、トラブルが無くて良かった」

 テオフィルはアレクシアを降ろすと、安堵の息をついた。

 いや、敵の本拠地なのだからして、安心していいとは思わないが……とりあえず大きなオアシスの都市だ。
 あんな貧弱な盗賊団よりも、むしろ砂漠のど真ん中で魔物に襲われないかが心配だったのだ。メルヒは水属性。あまり力を発揮できない。

 大事なアレクシアに何かあったら──。

 アレクシアを愛している。だから絶対守るのだ。

 そこでまた、己の心と記憶のズレに、奇妙なもやもやを感じた。自分はなぜこうも必死に、自分自身に言い聞かせているのだろう?

「街が通常通り機能していて良かったよ。すぐ宿を取ろう」

 テオは軽く頭を振って妙な違和感を押しのけた。

「でも、魔族情報はガセじゃねぇな。お前も分かってるんだろ?」

 不機嫌なジークバルトがテオに聞くと、彼は口の端を歪めた。

「ああ。いるね。人間に紛れて、魔族の気配がする。すごく多いぞ」

 魔力の強い魔族は、人と同じ格好であったり、また、そうでなくても擬態できたりする。そう、ファッビオのように。

 だが、強大な力を持つ者ほど、完全に魔力を隠すことは難しいと聞く。普通の人間には分からないだろうが、神殿で修行してきた一行には、微かに漏れる気配すら読み取ることができた。ヒシヒシと肌で感じるのだ。

「自分のことを魔物だ魔物だと言いますが、だから君は疑われないんですよ。我々の感知能力で魔族を見逃すことはない」

 勇者と魔導士の会話を聞いたメルヒオールが、怪しい娼婦もどきの女──おそらく間諜──にそう言った。

 でも、どことなく今までより口調が優しくないか? テオフィルはそれを見て、怖くなった。やはりこの女の扱いには困る。

 この女がもやもやを植え付けるからだ。その原因は分からないのに、彼女がいるせいだと、なんとなく分かる。

 メルヒオールのことだから、砂漠に捨ててくるかと思ったのに……。さすがのドS賢者も、無抵抗の女を置き去りにするのは抵抗があったということだろう。

「魔族って言ってないわ、大魔王様だって言ってるの。証拠も見せられるけど、ちょっとここで気づかれたらまずいのよね」

 娼婦はそう言って辺りを見渡す。浅黒い肌のルーラルの民たちの中で、彼女の白い肌はよけい際立って見えた。

 テオフィルにとって、旅の間ずっと魔物を擁護するおしゃべりを止めなかった彼女は、目障りでしかなかったはずだった。

 しかし、周囲の通行人が思わず振り返るほど美しいのは認める。さぞ売れっ子の娼婦だったのだろう。それともやはり間諜か。間諜なら、そろそろ閨に誘ってきそうだが。
 勇者たちを唆し、骨抜きにして、その間にアレクシアを攫うのかもしれない。

「ロラン、あの女、アレクシアに絶対近づけるなよ」

 ロランはファッビオを革袋から引っ張り出しながら頷く。

「分かってる。だがアレクシアから近づくのはどうしようもない」

 気づくと、自分の傍にいたはずの聖女が、あの女の近くに行っていた。

「ねえお姉さん、いつもいい匂いがするけれど、砂漠で汗かかなかったの? 私とハマムに行かない?」
「ハマム? トルコにあるような蒸し風呂? 垢すりとかしてくれるやつ?」
「トルコ? どこぉそれ。ねえ、一緒に行きましょうよ」

 テオフィルは、悪鬼のような目で二人をにらみつける。

「アレクシア、彼女は身元がはっきりしない。ダメだ」
「え~、だって、盗賊から助けてくれたしぃ」

 厄介払いができたようなこと、言ってなかったっけ? テオフィルの心に、またもや納得いかない記憶のズレが生じた。

 聖女は博愛主義者。あんなことを言うアレクシアではないはずだ。こういう風に無防備なのがいつものアレクシア。だから自分たちが注意してやらなければならない。

「じゃあ、誰が私と大浴場に一緒に入ってくれるの?」

 アレクシアがぷぅっと膨れた。テオは頭を抱えた。確かに一緒に風呂には入れない。討伐隊から信用できる女の騎士を一人くらい連れてくれば良かった。または神殿の聖女候補だった者の中から。

 しかし危険な旅だ。生半可な力のものを道連れにするのは避けたかった。勇者パーティーは、己の身と無力な聖女を守らなければならないのだから。

「ファッビオが獣姿で行くから大丈夫ですよ。ファッビオはまだ発情期じゃないので」

 メルヒオールがそう提案した。



 ロランとファッビオという護衛とともに、アレクシアがハマムを探して消える。

 残りは街の中を探ることになったからだ。

 一体、二体の気配じゃない。しかし、低級の魔物はどの都市にもいる。奴隷市場にだって、多少なりとも魔力のある魔物が売られているのだから。

 だが、乗っ取られた、という情報と、この気配の量に間違いがないなら、通常の都市より多くの魔物がこの街に巣食っているはずである。

 そしてその魔物たちは、今のところ勇者一行が来ていることに気づいてなさそうだ。街中は、平穏そのもの。

 もしかすると、この都市国家の魔物たちは、誰にも気づかせないまま、街をじわじわと侵食していくつもりなのだろうか。

「君を、どうしようかな」

 テオフィルは謎の女を見て考えこむ。もう、去ってくれると嬉しいのだが。これ以上、気持ちを混乱させないでほしい。

「手伝うわよ」
「ばかな──」

 テオフィルは鼻で笑った。女は肩をすくめる。

「分かったわ。荷物を整理して、宿で待っているわ……。あ、でもね、メルヒを残してテオとジーク二人で行けばいいんじゃないかしら」

 馴れ馴れしくジークとかメルヒとか呼ぶなよ、とテオフィルはムッとなったが、彼女の指摘のおかげでメルヒオールの様子に気づく。

「まだ顔が青いね」

 テオは遠慮がちに気遣う。大袈裟に心配されるのを彼は嫌うのだ。

「よく休めてないからよ。冷たいの飲んで寝てなさいよ」

 女はメルヒオールの額に触ろうとする。メルヒがパチンとその手を払った。

「触らないでください」
「汗が出てないわ。でも熱い。やっぱり熱中症みたいなやつかしら」

 女の言葉に、テオは心配になった。

「……メルヒは休んでいてくれ」
「こんな女の言うことを真に受けないでくださいよ。よけいなお世話だ」

 メルヒが噛みつく。しかしジークも同意した。

「いいからさっさと本調子に戻せ。すぐに戦うわけじゃねーんだからさ。テオも、討伐軍が来るまで戦うなよ?」

 魔導士はついでに勇者に釘を刺し、それから、長いまつ毛を瞬かせて心配そうにメルヒオールを見ている女にも言う。

「あんたは、別の宿を──」
「メルヒの傍にいるわよ。看病するわ」

 テオフィルは息をついた。なんでつきまとうんだ。

「言うと思った。それだとメルヒオールは安心して休めないんだ。君は……目障りなんだ」

 目ざわりどころではなく、おそらく敵である。身柄をどうにかしたいのだが──特に危害を加えてくるわけでもない女を殺すのは、テオフィルにだって抵抗があった。

「目障り……」

 女はポツリと呟いた。

 なにか別の意志のもと送り込まれた女ならば、もっとごねると思った。しかし、女は困ったように立ちすくんで顔を伏せただけだった。

「まあ、そりゃそうでしょうね。分かったわ」

 泣いているような気がして、テオは一瞬ドキッとなる。ごめんよ、と慰めたくなった自分にもショックを受けた。自分もほだされかけているのか!? 冗談じゃないぞ。

 ジークを見ると、彼も釈然としない面持ちで、黙り込んでいるだけだった。

 ややあって顔を上げた女の顔は、穏やかな笑みを浮かべていた。

「バイバイ」
しおりを挟む
感想 4

あなたにおすすめの小説

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

【完結】たれ耳うさぎの伯爵令嬢は、王宮魔術師様のお気に入り

楠結衣
恋愛
華やかな卒業パーティーのホール、一人ため息を飲み込むソフィア。 たれ耳うさぎ獣人であり、伯爵家令嬢のソフィアは、学園の噂に悩まされていた。 婚約者のアレックスは、聖女と呼ばれる美少女と婚約をするという。そんな中、見せつけるように、揃いの色のドレスを身につけた聖女がアレックスにエスコートされてやってくる。 しかし、ソフィアがアレックスに対して不満を言うことはなかった。 なぜなら、アレックスが聖女と結婚を誓う魔術を使っているのを偶然見てしまったから。 せめて、婚約破棄される瞬間は、アレックスのお気に入りだったたれ耳が、可愛く見えるように願うソフィア。 「ソフィーの耳は、ふわふわで気持ちいいね」 「ソフィーはどれだけ僕を夢中にさせたいのかな……」 かつて掛けられた甘い言葉の数々が、ソフィアの胸を締め付ける。 執着していたアレックスの真意とは?ソフィアの初恋の行方は?! 見た目に自信のない伯爵令嬢と、伯爵令嬢のたれ耳をこよなく愛する見た目は余裕のある大人、中身はちょっぴり変態な先生兼、王宮魔術師の溺愛ハッピーエンドストーリーです。 *全16話+番外編の予定です *あまあです(ざまあはありません) *2023.2.9ホットランキング4位 ありがとうございます♪

赤ずきんちゃんと狼獣人の甘々な初夜

真木
ファンタジー
純真な赤ずきんちゃんが狼獣人にみつかって、ぱくっと食べられちゃう、そんな甘々な初夜の物語。

【完結】冷酷眼鏡とウワサされる副騎士団長様が、一直線に溺愛してきますっ!

楠結衣
恋愛
触ると人の心の声が聞こえてしまう聖女リリアンは、冷酷と噂の副騎士団長のアルバート様に触ってしまう。 (リリアン嬢、かわいい……。耳も小さくて、かわいい。リリアン嬢の耳、舐めたら甘そうだな……いや寧ろ齧りたい……) 遠くで見かけるだけだったアルバート様の思わぬ声にリリアンは激しく動揺してしまう。きっと聞き間違えだったと結論付けた筈が、聖女の試験で必須な魔物についてアルバート様から勉強を教わることに──! (かわいい、好きです、愛してます) (誰にも見せたくない。執務室から出さなくてもいいですよね?) 二人きりの勉強会。アルバート様に触らないように気をつけているのに、リリアンのうっかりで毎回触れられてしまう。甘すぎる声にリリアンのドキドキが止まらない! ところが、ある日、リリアンはアルバート様の声にうっかり反応してしまう。 (まさか。もしかして、心の声が聞こえている?) リリアンの秘密を知ったアルバート様はどうなる? 二人の恋の結末はどうなっちゃうの?! 心の声が聞こえる聖女リリアンと変態あまあまな声がダダ漏れなアルバート様の、甘すぎるハッピーエンドラブストーリー。 ✳︎表紙イラストは、さらさらしるな。様の作品です。 ✳︎小説家になろうにも投稿しています♪

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

番から逃げる事にしました

みん
恋愛
リュシエンヌには前世の記憶がある。 前世で人間だった彼女は、結婚を目前に控えたある日、熊族の獣人の番だと判明し、そのまま熊族の領地へ連れ去られてしまった。それからの彼女の人生は大変なもので、最期は番だった自分を恨むように生涯を閉じた。 彼女は200年後、今度は自分が豹の獣人として生まれ変わっていた。そして、そんな記憶を持ったリュシエンヌが番と出会ってしまい、そこから、色んな事に巻き込まれる事になる─と、言うお話です。 ❋相変わらずのゆるふわ設定で、メンタルも豆腐並なので、軽い気持ちで読んで下さい。 ❋独自設定有りです。 ❋他視点の話もあります。 ❋誤字脱字は気を付けていますが、あると思います。すみません。

どうやら夫に疎まれているようなので、私はいなくなることにします

文野多咲
恋愛
秘めやかな空気が、寝台を囲う帳の内側に立ち込めていた。 夫であるゲルハルトがエレーヌを見下ろしている。 エレーヌの髪は乱れ、目はうるみ、体の奥は甘い熱で満ちている。エレーヌもまた、想いを込めて夫を見つめた。 「ゲルハルトさま、愛しています」 ゲルハルトはエレーヌをさも大切そうに撫でる。その手つきとは裏腹に、ぞっとするようなことを囁いてきた。 「エレーヌ、俺はあなたが憎い」 エレーヌは凍り付いた。

大好きだけど、結婚はできません!〜強面彼氏に強引に溺愛されて、困っています〜

楠結衣
恋愛
冷たい川に落ちてしまったリス獣人のミーナは、薄れゆく意識の中、水中を飛ぶような速さで泳いできた一人の青年に助け出される。 ミーナを助けてくれた鍛冶屋のリュークは、鋭く睨むワイルドな人で。思わず身をすくませたけど、見た目と違って優しいリュークに次第に心惹かれていく。 さらに結婚を前提の告白をされてしまうのだけど、リュークの夢は故郷で鍛冶屋をひらくことだと告げられて。 (リュークのことは好きだけど、彼が住むのは北にある氷の国。寒すぎると冬眠してしまう私には無理!) と断ったのに、なぜか諦めないリュークと期限付きでお試しの恋人に?! 「泊まっていい?」 「今日、泊まってけ」 「俺の故郷で結婚してほしい!」 あまく溺愛してくるリュークに、ミーナの好きの気持ちは加速していく。 やっぱり、氷の国に一緒に行きたい!寒さに慣れると決意したミーナはある行動に出る……。 ミーナの一途な想いの行方は?二人の恋の結末は?! 健気でかわいいリス獣人と、見た目が怖いのに甘々なペンギン獣人の恋物語。 一途で溺愛なハッピーエンドストーリーです。 *小説家になろう様でも掲載しています

処理中です...