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四章

19 ザイオス、あわあわする

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 美しい金属音が響きわたった。

 黒く薄く、そして鋭い刃は、間一髪で間に割り込んだザイオスの剣によって受けとめられていた。

「血迷ったか!?」

 ザイオスは困惑する。

 クレトは小さく舌打ちすると、苛立った声でザイオスを睨む。

「邪魔をする気か?」
「ああ、するとも! 殺る相手を間違ってねえか?」

 打ち合わされた二つの剣に込められた力は抜けなかった。

 双方引く気は微塵もない。

 だが、相手の剣は特注の、しかも色合いからいって内海の特殊鉱物だ。

 このままでは剣ごと真っ二つにされてしまう。

「俺は……一人の男だけをずっと追いかけてきた」
「今は恋人の話をしているときじゃねえだろ?」

 ザイオスは訳が分からない、といった風に首を振る。

 人の趣味にケチをつけたくないが、こいつの恋バナは今じゃなくても聞きたくない。

 クレトがじろりと彼を睨み付ける。

「誰が、恋人だと言った? ずっと追いかけていた男は白夜だ。俺がこの命を懸けても倒そうと誓った憎むべき仇」

 仇? 仇を追って放浪していたのか。

 じゃあ、こいつはホモじゃないのか――頷きかけて、首をかしげる。

「ちがう! それと、今のこの状況全く関係がねえだろが!」

 クレトの剣に力がこもる。

 この細身の男の何処にこんな力があるのか。

 肉厚のロングソードに、薄い刃がめり込んでいくのを恐怖とともに見つめる。

 こいつの剣は、いったい何なんだ!?

 クレトの低い声がその耳に響いた。

「あるさ。俺の探していた男は、女だったんだ。白夜は、おまえの後ろにいる」
 

 ザイオスは凍り付いた。

「何をバカな――」

 言いかけた彼の首筋に、冷たいものが押し当てられた。

 耳のそばで涼やかな画家の声が囁く。

「あ、あの。動かないで……ください」

 ザイオスは立ちすくんだ。

 え? 何? 

 悪い冗談だ。

 苦笑してザイオスは振り向こうとした。

 ペインティングナイフが彼の肌に食い込む。

 油絵をたしなんでいるものなら、普通のペインティングナイフよりずっと刃や先端が尖っていることに気づいたかもしれない。

 充分、首の血管を切れるほど……。

「死なせたくはないの。お願い、じっとして……」

 思い詰めたような声に、ザイオスは身震いした。

(まさか、本当なのか!?)

「あなたも、変なまねはしないで。下がりなさい。お友達の首に刺しますよ」

 鈴が鳴るような可愛い声でクレトに命じる。

 ザイオスには信じられなかった。

 クレトが苛立ちをあらわにした顔で剣を引き、離れたのを目の当たりにしたからだ。

 こいつ、俺を友達だと思ってくれてるのか。

 いや、いやいや、そんなことより、本当にクレトが白夜ではなく……この……めんこい娘が?

 ルエラ――いや白夜は眩しそうにクレトを見つめた。

「どうして私が白夜だって分かったの?」

 クレトの灰緑色の目が憎悪に燃えている。

 ザイオスは、今まで彼がこれほどまで感情を表したところを見たことがなかった。

「おまえの動きは、ただの画家にしては隙が無さすぎた。何よりも、あのドリスとかいう侍女に確認させてもらった」

 ルエラは黙っている。

「おまえ、ティクシの小領主の屋敷に居たな?」
「ちょ、ちょっと待てよ」

 会話についていけない。

「このお嬢ちゃんが、剣を振るえるとでも!? 絵筆を持っているところを見たが、筋肉のつきも悪いし、剣ダコ一つついてない。だいいち、彼女は赤い目をしてないし右利きだろうが!」

 耳元で苦笑する気配がした。

 彼女は澄んだ水色の瞳を細めて、まだ脇で腰を抜かしている領主に目をやる。

 彼の手には引っこ抜かれたルエラの金髪が数条握られている。

「お久しぶりです、バスク伯スタンフュウス卿。と、言ってもあなたは覚えてないんじゃないかしら?」
「なな、何だ、おまえは?」

 トラヴィスはやっと自失から解放された。

 こんな小娘相手に怯える必要はないのだ。

 素早く立ち上がると、威圧的に言う。

「はやく捕らえよ! この無礼者は後で俺が直々に仕置きしてやる」

 こんな少女が、今まで自分を脅かしてきた白夜であるとは、とうてい信じられなかった。

(ばかばかしい!)

 憤慨して衛兵を呼ぼうと寝室を出ようとしたそのとき、彼の足もとに何本もの筆やペインティングナイフが一斉に突き刺さった。

 それは見事に彼の靴のやたら尖ったつま先を縫い止め、動きを封じた。

 領主はその場に凍り付いた。

「すげぇ」

 ザイオスはその特殊な投げ技を見て、彼女の正体を知った。

 本当は、柄の無い刃だけの武器を投げるんだ、確か。

 あと三角のやつとか、星形のやつ。

「そうか、あんた、隠者なんだな」

 ルエラの肩が微かに揺れた。興味深そうにザイオスを見上げる。

「ザイオスさん、あなた何者ですか? ただの傭兵崩れではないようだわ。貴族――それもかなりの上級貴族なんじゃないですか?」

 長衣の裾までも床に縫い止められたトラヴィスが、泣きじゃくりながらも、えっ? と顔を上げた。

 一方クレトは、隠者という言葉に眉をひそめた。

 陰ながら貴人を護るために訓練された、特殊な職業だ。

 彼らは決して目立ってはいけない。その場にさりげなく適応して主君を護るため、隠者と呼ばれている。

 隠者は戦士であることを見破られてはいけない。だから筋肉の発達しない特別な戦い方を学ぶ。

 見かけは一般人よりどんくさく、ひ弱に見えるかもしれないが、いざ戦いの場になればどんな屈強な大男にも勝る。

 国に貢献した大貴族の一族には、国王から褒美として訓練済みの隠者を授かる場合がある。

 封土に匹敵する価値――そういう存在なのだ。

 ザイオスの生家である公爵家にも隠者がいた。ザイオスは今の技を見て彼を思いだしたのだ。

 それなら納得がいく。

 片手のナイフでザイオスを牽制しつつ、もう片方の手で飛び道具を命中させる。

 この娘は両利きだったんだ!

「なぜ、スタンフュウスを狙う?」

 ザイオスの質問に、彼女は一瞬ためらったが、やがて静かに話し出した。


「八年前、とある州で異端による反乱が起こったわ。州侯とその一族は異端を煽ったとして、その場で処刑された。これは覚えている?」

 トラヴィスは彼女に睨み付けられ、渋々頷いた。

 誰だって知っている。そこまで前の話ではない。

 サントーメ州――セルディアン王国北部の州。

 もとはこの地方に多くある都市国家のひとつだった。ルーマン帝国崩壊後、北海の向こうの北の島々から移ってきた民が多い。

 つまりは、中央大陸の人間たちからしたら、天地の神の祝福を受けていないはずの民である。

 彼らは主に、地の神を信仰するようになった。氷を模したクリスタルの女神像を御神体にしていた。

 世界が白くなる時、氷が溶け、慈悲の地母神が人の姿をとって現れる、そう信じている。

 そう、サントーメ州の前身は幾度かの宗教公会議の末、異端認定された地母神教徒の国なのである。

 商業都市国家として王権から独立していた彼らだが、そこに目を付けた天父神教会が都市税を要求してくるようになった。

 そのため、サントーメ市を含む大都市が同盟を結んで対抗していた。

 サントーメ地方に限らず、小国家の集合体であったセルディアン地方の王たちは、信仰に対して中道的立場にあった。

 いよいよ教会の力が強くなりいくつかの都市が屈服すると、騎士修道会の武力鎮圧に怯えたサントーメ国は、セルディアン地方で最も勢力のあった、始祖オキラウスの親族がいる国に忠誠を誓うことにしたのである。

 王権は介入するが、信仰は認められる。その選択を、残った他の同盟都市も受け入れた。

 北部はサントーメ市を盟主に、混乱期をオキラウス大王の系譜の下に――セルディアン地方を一つにまとめることに大きく貢献した。

 それでも何かと因縁をつけてくる教皇国。その争いは、国土統一の妨げになっていた。

 へドリウスの代になり、いよいよ統一を急いだ王は、地母神教徒であったサントーメ侯に改宗を促す。

 サントーメ侯と一族はそれを受け、天父神信者になった。

 しかし王は寛容政策を取り続け、国内の地母神教徒を保護し続けたのである。

 若きへドリウス王は本格的に国内が統一された後も、北海の交易を荒らす蛮族から国を守るサントーメ州侯を、どの諸侯より信頼していた。
 
 サントーメ侯が、地母神の象徴として保護していた聖女を王都に返したことも大きい。

 かつて、聖地からメーベルナ教団が連れ去っていた聖女だ。

 オキラウスが被った聖冠を保管する存在であった。

 混乱期、幾度か聖冠とともにさらわれた聖女を護るため、メーベルナ教団とともにサントーメ州でかくまっていたのである。

 国内が落ち着き、やっと元の神器の持ち主――オキラウスの子孫であるへドリウス王――に返すことにしたのだ。

 これが後に軋轢を生む。

 国土統一後、力をつけたへドリウス王と、天父神教会の教皇が対立するようになったのは聖地遠征をめぐってだが、この時の聖女フェオドラのせいもある。

 へドリウス王は再三の聖女引き渡し要請にも応じず、第一王妃死亡後、フェオドラを側室に迎えたのだ。

 さらにその娘が生まれ成長すると、当時のサントーメ侯爵エルノ・カッレ・ケーニッヒに下賜した。


 ここまで冷え込み、対立していた教皇庁とヘドリウス王が手を組んでサントーメ州を攻撃するなど、誰が予想しただろう。

 きっかけは何だったのか。



 ルエラは水色の瞳を瞬かせ、トラヴィスの顔を凝視する。

「サントーメ州侯が、異端を焚きつけて反乱を起こすなんて出まかせ、国王に報告したのは誰だったか、これも覚えている?」

 トラヴィスは硬直した。

「おまえ、一体何なんだ? どうしてそんなこと――」
「スラヴォミールさんは素直に何でも話してくれたわ。だから、顔の皮だけで済んだのよ」

 にこっと笑う。場違いな可愛らしさ。

「だけど、あなたを殺そうと決心したのはそんなことが分かる前よ。あなたは、州侯とその一族の私刑に加わっていたわね。その時、おもしろいことを思いついてくれたの」
「な、何のことだ?」

 トラヴィスは、この娘が何を言おうとしているのか分からなかった。

「覚えていないの? 私はよーく覚えているのだけど」

 ルエラの大きな瞳が伏せられる。

「あなた、末の娘の命を助けたじゃない」

 ザイオスとクレトはこの状況を一瞬忘れて、意外そうに領主を見つめた。たまにはいいことをするものだ。

 ルエラは無感情に続けた。

「あなた、その八歳の少女をさんざんなぶりものにした後、家族の躯とともに生きたまま天守塔の秘密の地下室に放り込んだ。飢饉用の資金を隠してあった、誰も知らない秘密の地下室にね」

 ザイオスは拳を握りしめ、領主を睨んだ。

 夢の断片を思い出したのだ。地下室へ降りると無数の遺体が転がっていて――小さな子供が泣いていた。

 俺は彼女に同調してしまったのか? あれは、彼女の夢を共有したのか?

「あの地下室の開け方、子供を人質に聞き出せて良かったわね。あの資金、全部持ってっちゃったの?」

 ルエラはふんわりとした優しい声で続ける。その内容にそぐわない声色は、不気味以外の何ものでもない。

「その子は、腐っていく家族の遺体から目をそらすことさえできなかった。栄養不足ってやつだったのかしら。体を動かすことができなくなったの」

 トラヴィスは信じられない、という顔で少女を見つめた。

「おまえはサントーメ州侯の娘か! なぜ――どうやって生きのびたのだ!?」

 ルエラはまたふわりと笑った。だが、もうそれが可愛いとは到底思えない。壮絶な笑みだった。

「当時私の父には、隠者が授けられていたわ。私はぎりぎりのところで彼に助けられ、彼に育てられたの」
「ケーニッヒ卿の一人娘」

 ザイオスは呆然とつぶやいた。復讐のために彼女はここにやってきたのだ。

 八年前の怨念を引きずって。

 話しながらも彼女は、油断なくクレトの動きを見張っている。

 ザイオスは人質になってしまった自分の不甲斐なさを悔やんだ。

 だが、どういうわけかこのふんわりした少女には、不意をつけるような隙が全くない! これが隠者というものか。

 ザイオスに剣を突きつけたまま、少女はそっと領主に近づいた。目の奥が、表情や口調とは違い、冷めている。静かな怒りを感じさせた。

 たった十六、七かそこらの少女が、トラヴィスには悪魔かなにかのように見えた。

「待て! 待ってくれ! 確かにおまえを辱めたり地下に放り込んだりしたのは、ちょっとした俺の悪ふざけであった、謝ろうではないか」

 伯爵は口から泡を飛ばしながら必死に謝る。

 ザイオスは呆れた。悪ふざけですむようなことではないだろう。
 

 ルエラは笑顔を張り付けたまま首を傾げた。

「外に出た私が最初に見たのは、領民の虐殺現場だったのよ?」

 サントーメの地母神教徒の虐殺。

 一説によると二万人――小さな都市の人口ほどであったと言う。教皇軍が狼藉を働いた領都だけでなく、もともと天父神信者と地母神教徒の小競り合いがあった都市に飛び火し、住民同士でも争ったからだ。

 川は血で赤く染まっていた。そう聞いた。ザイオスは目を閉じた。

「悪かった、もうしない!! だけど、サントーメ州は俺の讒言がなくとも、つぶされる運命だったんだ」

 ルエラは領主の言葉に足を止め、目を見開く。そして優しく微笑んだ。

「聞かせていただける……わよね?」
「きっかけは俺じゃない! だって俺は、国王に命じられて――」

 言いかけたその時だ。ガラスが割れる大音響とともに窓から飛び込んできた男に、一同愕然とする。

「パルタクス!?」

 彼は突進すると、悲鳴をあげる領主の首を、片手で掴んで持ち上げた。

「貴様、簡単には殺さない」

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