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三章

6 画家と戦士

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 ふらつく足どりで、ルーマン遺跡のものがそのまま使われている古い水洗トイレから出てきた少女。

 闘技場に戻らければ……。

 何とか気力を振り絞り、地下通路を歩き出した。


 だけど、もう試合を見るつもりはなかった。

 契約を打ち切ってこの城を出なければ、確実に神経がおかしくなってしまう。

 ルエラの顔色は、とても血の通った人間のものとは思えないほど、青ざめていた。



 小さな物音に顔を上げると、見たことのある男が足早にこちらにやってくるところだった。

「ひっ!」

 その男の顔を忘れるはずがなかった。闘技会の出場者で、まだ残っている青年だ。ルエラが描いたスケッチのなかにも、何枚も彼の姿があった。

 イライザのお気に入りの戦士である。

 確かにそれもうなずけるほどの美男子だが、ルエラには彼が恐ろしかった。

 鎖鎧すら身につけていない軽装が舞う黒衣の姿は、美しい悪魔のような印象を与えたからだ。

 もう彼は、あの松明に照らされて試合をしたのだろうか。そう考えると、また気分が悪くなってきた。

 ブリムが広めの中折れ帽をかぶったその男は、ルエラとすれ違うとき一瞬目を細めて彼女を見つめた。


「おまえ――」

 彼が口を開いて何かを言おうとしたとき、後方から複数の足音が近づいてきた。

 男は振り返ると、逃げるようにその場を立ち去った。

(なに?)

 ルエラは、長身の影が地上に出るための階段へと消えていくのを見届けながら、首を傾げた。

 それにしても間近で見ると、本当にきれいな顔だ。怖いより、もっと見たい、が勝り、後をフラフラ追おうとする。

 突然、大声で咎められた。

「おまえ! そこで何をしている!?」

 声に負けないくらいの巨漢が角から飛び出してきたため、ルエラは腰を抜かしそうになった。

「なんだ、女か……」

 その大男にも見覚えがあった。やはり決勝に残った戦士だったのだ。

 もちろん彼の姿もルエラのクロッキー帳にはしっかり残されていた。イライザが、筋肉! 筋肉! と吠えていたからだ。

 後からきちんとデッサンする時は、先ほどの黒衣の男とこの大男の二人を合成して仕上げよう、密かにそう思っていたのだ。



※ ※ ※ ※ ※



 嫌なものを見て、どん底に落ち込んでいた時のことだ。

 白夜が城内に出たと知らされたのは。

 とっさに彼は行動を起こしていた。しかし、衛兵たちの後を追って地下牢にたどり着くと、もうそこは一面血の海が広がるだけだった。

 兵士たちの体は、この城に来てから血には慣れたはずのザイオスさえ、目を背けたくなるほど無惨に切り刻まれていたのだ。


「これは白夜の手口じゃない」

 白夜が遺体を切り刻むなんて聞いたことが無い。相手が気づかぬほど素早く、そして一撃で仕留める。そういう噂だったのだが――。

 しかし、いまザイオスの足もとに転がっている兵士の生首には、苦痛と恐怖の表情がありありと浮かんでいる。

「確かに白夜がやったものだ」

 ほおっ傷の騎士が、ザイオスの独り言に反応した。

 柱に囚人を縛り付けさせていた男だ。

 ザイオスは飛びかかりたい、という衝動を何とか押さえることに成功した。パルタクスの言葉を思い出したのだ。死に急ぐつもりはなかった。

「牢に捕らえられている奴等が目撃していた。修道士の服、そして血のように赤い瞳。それが俺の部下を滅多斬りにして、逃げていったそうだ」

 その口調には怒りが込められていた。ザイオスは苦々しく思った。

(平気で罪のない民を焼き殺す男も、自分の部下はかわいいのか)

「隊長! こちらの非常用の水瓶に真っ白な修道服が入っていました!! 白夜は地上に逃げたようです」

 衛兵の一人が、ガチャガチャ鎧を鳴らしながら走ってきて報告する。

「よし、まだそう遠くへは逃げていまい。追いつめろ!」

 隊長と呼ばれた頬傷の騎士は、ザイオスの方を向いた。 

「おそらく試合は中止だ。どうせ今までの戦いぶりを見て、実力者は判断できる。おまえは確実にこの城の衛兵になるだろうよ。つまり、俺の部下ってわけだ。おまえも行け!」
「俺はあんたの部下になるつもりはない」

 押し殺すようなザイオスの低い声に、チャーチ・オルベールは片眉を上げた。

 ザイオスは、彼を睨み付けたまま続けた。

「だが、最初から白夜を追うつもりだった。あんたに言われなくてもな」

 兵士の一人が目をむいて怒鳴りつけた。

「なんと無礼な! この方を誰だと思っている!?」

 ザイオスはそれを無視して身を翻した。白夜を捕まえるのは自分以外にあり得ない。急がなければ。

 しかし何かを思い出したように立ち止まり、振り返った。腕を組んでむっつりと黙っている頬傷の騎士に、大声で言う。

「ところで隊長様、そこに捕えられている赤い目の囚人たちは、確実に容疑が晴れたんじゃないっすか? まさかそんな鍵のかかった格子の中から何人もの兵士を殺すなんて、いくら白夜でもできないと思いますがね!」

 そう言い捨てて走り去った戦士の後ろ姿を見送ると、チャーチ・オルベールはしかめっ面で、牢のなかの白夜たちを眺めた。

 生意気な男だ。

「だが、確かにその通りだな。ミオット殿には悪いが、釈放してやれ。それにしても……」

 チャーチはもう一度ザイオスの消えた方を見つめ呟いた。

「あの男、どこかで見たことがあるような……」



※ ※ ※ ※ ※



「どこかで見たことがあるような」

 ザイオスは、ルエラをじろじろ見つめてそう呟いた。萌えを刺激する怯えたような水色の瞳。それに、サラサラの金髪に、柔らかそうなおっぱい。

「こんな所で何をしていた?」

 語尾がデレそうになるのを堪え、詰問する。ルエラは震え上がって答えた。

「ちゃんと許可は取ってあります。……あの試合を見ていたら気分が悪くなって、お、お手洗いを借りていたのです」

 なんだ、ゲロってたのか。そういえば、顔色が真っ青だ。

 その時、閃光が頭の中を駆け抜けた。



――どうかなさったの? お顔が真っ青――


「思い出したぜ! お嬢さん確か、貧民街にいただろう!?」

 ルエラもその水色の目を見開いた。

「まあ、あの時の?」
「何で闘技会なんて見てるんだ? 誰でも入り込めるって分けじゃないんだぞ」
「あの、仕事で……私、画家なんです。あなた方の試合の様子を描くように、イライザ様に言われて」
「イライザ? 嬢ちゃん、あのきーきー騒いでた女に仕えていたのか」
「一定期間だけです!」

 憤慨したところを見ると、不本意ながらのようだ。

 領主のことを聞きたかったが、今は白夜を追っていることを思い出した。

「不審な人物を見なかったか? 衛兵以外で、武器を持ってうろうろしている男とか……」
「見ました」
「見たんかーい!」

 あっさり答えが返ってきたので、拍子抜けする。

「ど、どんな男だ!?」
「闘技会の出場者です。決勝まで残った――あ、でもあなたとまだ戦っていないわ」

 ザイオスは嫌な予感がして、尋ねた。

「いい男か?」
「はい、そりゃあもう」

 うっとり思い出すようにルエラは答える。画家のルエラは美形が好きなのだ。

「まさか、鍔つきの珍しい帽子なんてかぶってなかったよなあ?」
「その方です。どうして分かったの?」

(クレトか!)

 ザイオスは、貧民街で会った時のことを思い出した。

 あの時の彼は殺伐としていて、とても話しかけられる雰囲気ではなかった。

 なぜあの時の彼は、あれほどまでに殺気だっていたんだ? ザイオスは自分が考えようとしていることを、頭からおっぱらった。

 彼の瞳の色は、赤くない。
 
 黙り込んでしまったザイオス。ルエラが心配そうに声をかける。

「あの……どうかしました?」
「いや……ところで、その男の様子は、どんな感じだった?」

 何気なく聞いただけなのだが、ルエラは震え上がった。

「わ、私には、とても……とても恐ろしく見えました」



※ ※ ※ ※



「クレト」

 控え室に戻ったザイオスは、壁にもたれて座っている男に近づいた。クレトは帽子の鍔を少しあげ、ザイオスを一瞥すると低い声で言った。

「出来れば、その名はここでは呼んで欲しくない」
「あ?」
「おまえと同じだ。偽名を使って出場している。今の名はロメオ・チャベスだ」

(俺はともかく、なんでこの男が偽名を使うんだ?)

 疑いがまた深くなった。だが、白夜の名など誰も知らないのだ。名が無いものが何の名を使おうが意味のないこと。つまり、疑問を抱く要素にはならない。

「ありふれた名前を使うなぁ。……おまえ、そういえば何者なんだ?」
「その言葉、そっくりそのまま返してやる。お前こそ、ゴンザレス・バン・スリブガルルッカなんてたいそうな偽名じゃないか。逆に目立つぞ」

 強そうな名前がいいかなと思ってさ、とザイオスは照れたように頭を掻いた。

 クレトは切れ長な目を一瞬細める。

(あれ、いま笑った?)

 ザイオスが目を丸くすると、すぐに帽子を目深に被ってしまった。

「試合は中止だ。決勝に残ったものを雇うそうだ」
「まだ残ってる十人全員か?」
「いや、明日のポールアームの部に出る予定だった者も含め、あのでっかい奴隷が選んだやつだけ。俺もおまえも合格したようだぜ」

 勝って落とされた連中は腹をたてるだろうが、まあ緊急事態だ。

 クレトと戦わなくて済んだ……か。

 ザイオスは複雑な心境だった。負けるとわかっていても挑んでみたかった。しかしプライドが、彼と戦うことを躊躇わせていたのも確かだ。

 ボコボコにやられるだけならまだしも、クレトにがっかりされるのが怖かった。

「残念だったな」

 クレトが感情の欠如した声で言う。

「俺と戦いたかったんだろう?」

 ザイオスは苦笑いするしかなかった。

「まあ、な」

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