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二章

12 ルエラお供をする

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 まさか自分が領主の城に招かれることになろうとは、夢にも思わなかった。

 ルエラは、古代ルーマン帝国の建築様式である列柱をうっとりと見つめる。

 芸術家にとって、さまざまな時代の名残が感じられる領主の城は、魅力の固まりだった。

 聖女を模した古い石像は、混乱時代の戦いで頭が破壊されたり等の破損がひどいが、荘厳さは未だに健在である。

 ルエラは素描したくてウズウズとスケッチブックを握りしめた。


「すごいですね」

 前を歩く女たちが、それを聞いて苦笑した。

 そのなかにいる中年の背の低い太った女が、バリの右腕である女職人のマデリーンだ。他の二人は彼女の娘の、優秀なお針子たちである。

 マデリーンが、ころころした体を揺すりながら楽しそうに言った。

「旧館でそんなに驚いてはいけないわ、新館を見たら腰をぬかしてしまうかもよ」
 
 その言葉の意味は、城内に続く途中の渡り廊下を歩いているとき実感した。


 まず彼女が驚愕したのは、窪地になっている中庭だった。それを中庭と呼ぶことが許されるなら、だ。

 その窪地は人工的にえぐられた闘技場だった。観客席がまるで渦巻きのように、赤茶けた土の闘技場を二重三重と取り囲んでいる。

「朽ち果てた遺跡で、こんなのを見たことがあります。でもこれは状態がいいですね」
「現役で使われてるからね。修復してあるのよ」

 ずいぶんな費用がかかったのではないか。ルエラは生唾を飲み込んだ。

「すごい眺め、侯爵のお城よりも敷地は大きいんじゃないかしら。それとも、どこのお城もこんな感じなのかしら」

 ぼおっとして呟くルエラに、マデリーンはクスクスと愉快そうに笑う。

「州侯の城の大きさなんて知らないわ。でも見た目は絶対違うと断言できるわね」

 そう言って彼女が指し示した方を見ると……。

「まあっ!」

 ルエラはめまいを起こしそうになった。領主の現居城である新館がそびえ立っていた。

 なんと、黄色の外壁である。

「闘技場と同じく低い位置に立ってるし、周りを囲んでいる城砦の壁が高いから、外からは見えないのよね」

 思わず目を背けたくなるほどド派手である。

「本当は金箔を貼りたかったんですって。さすがにその資金は集められなかったみたい」
「金箔!? あ、悪趣味だわ」
「同感よ。でも、口が裂けても言っちゃダメよ」
  
 そのとき城の入り口が開き、羅紗のブリオーを着た貴婦人たちが、こちらに歩いてきた。

 マデリーンは慌てて口をつぐんだ。

 彼女が脇によって深く頭を下げたので、ルエラもそれに倣った。

 一行は、蔑むような視線をルエラたちに投げてさっさと行ってしまったが、しばらく二人とも緊張していた。

「採寸のたびにここに来ているけど全然慣れないのよね。だって、へまをしてあの方たちのご不況を被ったら、いつ首をはねられても文句言えないんだもの」
「今のは貴族のお嬢様がた?」
「ええ。バスク領内から行儀見習いに来ている侍女たちね。荘園を任されている家令の娘や、そうね、今の方たちのような貴族だけではないわ。ここのところ人手不足で、豪農豪商の娘も増えてきてるみたい。……ああ、ころころ変わるからお名前どころか、お顔もなかなか覚えられないわ」

 高貴な女性の控える棟へは、男であるバリやその弟子たちは入れない。

 あの工房兼店舗で働いている女たちのなかで、一番その地位が高いのはマデリーンであり、城の依頼は必ずと言っていいほどマデリーンが赴く。

 その彼女が城に居る女性たちの顔を知らないのは不思議な気がした。するとマデリーンはそれを察して答えてくれた。

「伯爵様は飽きっぽくて、侍女を含め、奥様以外の──ニャンニャンする女性の顔ぶれが頻繁に変わるのよね。イライザ様は別だけど。奥様とはとても仲がいいみたい」

 ニャ、ニャンニャン……。侍女にも手を出すのか。ルエラは顔を赤くした。

「わたし、可愛いから気をつけな──」
「ちなみに領主様はしょんべんくさい娘は好みじゃないみたいだから。その点は安心ね」

 ルエラは無意識に自分の匂いを嗅いでみた。



※ ※ ※ ※ ※



 絵を描くためにやってきたルエラだったが、手伝いたいと自分から申し出た。

 ダールトン家の人々には資金面などいろいろと世話になっているからだ。絵の具の顔料はバカみたいに高いのである。

 しかしいま、激しくそれを後悔していた。




「痛いわねえ、そんなに締めたら死んじゃうじゃないの!」

 柱に掴まったまま大声でわめき、侍女たちに当たり散らしているイライザを見て、げんなりとする。

 バリの新作のドレスは、ほっそりしたコタルディのウエストを強調するものだ。

 都では細身が流行っているようだが、そこから需要を増した羊の革のボディスなる拷問具に悪戦苦闘している。

「こんな服着られるわけないわっ! 不良品よ、ダールトンの奴を呼んできなさい!!」

 怒りにまかせて、一生懸命紐の調節をしていたお針子の一人を突き飛ばす。

 マデリーンが慌ててわが子に駆け寄った。

「ですがイライザ様、ご注文通りのデザインになさるにはイライザ様の体型ですと──。もしこちらが嫌でしたら、外側に付ける革製のコルセットなるものもございますが、おそらくもっときついかと──ちょっとやってみますね。こちらを帯がわりになさったらお胸が強調されて、それはお美しいボディラインを保てますわ」
「ぎゅむぅうう」
「少しきついのはしょうがないのです。それ以上ウエストに余裕を持たせると、都風にはなりません。おしゃれは我慢!」

 一瞬時が止まったかのような静寂が下りた。マデリーンが突然無言になったイライザに首をかしげる。

「だまれーっ!!」

 イライザの形相は悪鬼のそれであった。まるで引きつけを起こしたように頬が痙攣するのを見て、ルエラは全身が泡立つのを感じた。

 周囲に控えていた侍女たちが、壁際に下がる。

「ああぁ、イライザ様におっしゃってはいけない言葉を」
「『我慢』という二文字だけはお耳に入れてはいけなかったのに」

 イライザが虚ろなまなざしで、マデリーンに手を伸ばした。

 彼女は「我慢」と「努力」という言葉が大嫌いであった。

(いけない!)

 気がついたときには、ルエラの体は勝手にマデリーンとイライザの間に割り込んでいた。イライザの冷たい手がルエラの細い喉にかかる。

「小娘がっ、じゃまするのか?」

 固唾をのんで見守るマデリーンや城の侍女たちの前で、苦しげに顔を歪めたルエラだが、すぐににっこり微笑んだ。

「こ……んなに……お、美しい方なんですね……イライザ様って」

 イライザの動きが止まった。一瞬惚けたような表情をする。手から力が抜けた。

 ルエラは咳き込みながら続ける。

「このドレスもとても素敵。イライザ様がこれをお召しになったところを絵に描ける時が待ち遠しいですわ。きっとお似合いでしょう」

 イライザが、鉤爪のように曲げた手を引っ込めた。

「ふんっ、まあいいわ。おまえたち!」

 侍女たちがビクッと体を強ばらせる。

「何をぼさっとしているの? さっさと、この衣装を着る手伝いをなさい。闘技会まで日がないのよっ!」

 それを聞いて、ルエラたちは胸をなで下ろした。

 自分もそうだから分かる。「可愛い」とか「綺麗」と言われたら、いつまでも般若のような顔はしてられない。作戦成功だ。

 それにしても高貴な立場にいる者が癇癪持ちとは。命がいくつあっても足りないのではないか。

 ルエラは喉を押さえて息をついた。

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