20 / 57
第四章
ミンチの能力
しおりを挟むじんわり、と生温かいものが腹部に広がる。
少しずつ、体が活性化してくる。
こわばった手足の指先、重たい瞼に、ほんの少しだけ力を入れた。
激痛が走り、意識がはっきりした。
「動くな」
目を開けると、ロウコのげっそりした顔。
そう言えば、谷底に落ちていくとき──意識を手放す瞬間──何かが傍らを掠め、自分を抱え込んだのを感じたような気がする。
ミンチは、陰があるその疲れきった顔も、とても綺麗だと思った。
「俺は治癒は上手くない。というか、初めてやった」
外気功を相手の内気功に転じて傷を癒すことは、巫女の仕事という概念があり、今までほとんどやったことがない。
瀕死の傷を負えば里へ返され、複数の巫女から治療を受けることになるが、最強剣士の一人だったロウコにその経験は無かった。
それに、自分の傷さえ応急処置出来れば、剣士には事足りる。
いま、見よう見まねで下手なりにやってみてはいるが、うっかり生気を奪われすぎて塵になりそうだ。
巫女の力は偉大だったのだと、気づかされた。
「なぜ、助けたデシ? ミンチの……ケガ、塞ごうしてイルか?」
「しゃべるな。出血が止まらん」
ロウコは真剣だ。
よほどそのガイキコウとやらが苦手なのだろう。
事実、土蜘蛛の体質からは考えられないほどの汗が滴り落ち、顔色がどんどん悪くなっていく。
どちらがケガ人か分からない。
「オマエ、自分の怪我治せ」
「あんなかすり傷、もう治した。しゃべるな」
ロウコの低く脅す声に、ミンチはしょげて黙った。
「くそっ、あの小娘が居ればな」
そのつぶやきにミンチは首をかしげながらも、ロウコの手を握る。
ビクッとなる男の、角張った手をそっとどかせた。
「ミンチやる自分で」
ロウコが目を見開いたその時、ミンチの手から感じたことがない種類の「気」が沸き上がるのを感じた。
青白い光が、静電気のようにパチパチッとはじけた。
グンッと神剣が引っ張られる。
──これは、戦輪を引き寄せた時の、あの妙な力か。
「血が……」
止まった。
ミンチは深呼吸しながら、放電(?)を続ける。
深くえぐられた傷がみるみる塞がっていく。頬の切り傷など、もう微塵も見当たらない。
「うそだろ……こんなの初めて見たぞ。化物め」
ロウコが自分を差し置いて呆然と呟く。
気配を狂わせたり、稲妻のような光をだしたり、磁気のような力を発したり──もうこれ、土蜘蛛より化物ではないか。
胸元の傷がごく薄くなってきたところで、ミンチはすうっと眠るように再び気を失った。
※ ※ ※ ※ ※
次に目を覚ましたとき、ミンチはいい匂いに気づいた。
辺りはもう夜だが、焚き火のオレンジの灯りで眩しいくらいだ。
「適当に材料借りたぞ」
水の入った革袋と木の椀を持ってきて、ミンチに差し出す。
トウモロコシと豆の粉を見つけたのだろう。ポリッジ──粥──にしてある。
「おまえ、オトコなのに料理スルデシか?」
「土蜘蛛は食わなくても死なんが、人一倍味覚が発達している。剣士は僻地に派遣されれば、自分の食物は自分で作らねばならん」
小食とは言え、野営方法などは里で訓練されているのだ。
外気からも力を取り入れることが出来るため僅かな食料で事足りるが、やっかいなことに五感が優れているせいで、味覚もうるさい。
食べるときは美味なものを好む。里でも賄いが持ってくる飯は美味かったのだが……。
この大陸に渡る船の中は、ろくな物が出なかった。海水でも飲んだほうがマシだと思えるほどひどかった。
じっさい水は貴重で、ラム酒ばかり飲んでいたような気がする。
硬パンをテーブルにぶつけて虫を出すとか、バカじゃないの? と何度も叫びだそうと思った。
しかも、艦の主は豪華な艦長室で極上の食事を取っていたのだから、腹立たしさを通り越して殺意さえ生まれたものだ。あのケツアゴ。
船上生活を思い出してギリギリ歯ぎしりしていると、
「あーん」
いつの間にか、ミンチが口を開けてこちらを見ていた。
「あ?」
「オマエ、食べさせるスル。あーん」
「……」
ロウコはこめかみに怒りマークが出ているだろう自分を意識しながら、舌打ちしつつミンチの身を支え、起こしてやる。
「さっさと回復しろ。そしてまた俺と戦え」
「なして? ミンチ負け決定」
戸惑うミンチの唇に粥が入った椀を運び、ぶすっとしたまま告げる。
「あの時おまえ、俺を斬るのを躊躇ったろう?」
ミンチは確かに剣速を鈍らせた。おかげで硬気功は間に合ったが……屈辱以外の何物でもない。
「殺し合いで手を抜くのか、おまえらパッチラは」
軽蔑しきった声。
ミンチは薄い粥を飲みながら困ったように、上目遣いでロウコを伺う。
「殺し合い、めったにシナイ」
「は?」
「殺したらチンコ勃たナイ。種死ぬ」
確かに死んでしまったら、いくら土蜘蛛と言えどチンコ勃たナイ。思考までミンチのカタコトが移りそうになり、ロウコは焦った。
「おまえらパッチラは、凶暴凶悪な略奪専門のおそろしい部族なんだろう?」
「ウン」
東部部族が一番恐れているのは、たぶんパッチラ。
農産物を横取りするし、男どもをレイプしに行くし、妻や娘を攫われるし、下半身の皮も剥がれるからだ。
特にナシュカ族にとっては、下半身の皮──素敵なズボン──を破いたり奪われたりするのが一番堪えるのだろう。
「森壊すから、皆殺しすべき思ったデシ。でも、やっぱりできナイ。というか、女はやっちゃダメ。マッチラとパッチラ違う。殺す、自分を守るときだけ。母になるものが命の源断つハ、精霊ユルサナイでし」
「俺は貴様を殺すと言っているのだぞ」
「パッチラの第一の目的、子を孕むこと。命を守り育てること」
それを聞いて、呆気にとられているロウコをじっと見つめる。
「パッチラ、あまり子供出来ない。酋長たち言うには、種が強くなければ、育たないらしいデシ。森林部族はもちろん、色々な部族の男襲って、試した。だけど不発で不妊多いデシ。若い世代減ってる。だから女さらって来るしたデシ」
ロウコは自分の一族を思い出した。他の異能者同様、能力の継承を重視しすぎて血が濃くなり、子が出来なくなった。
一時はまともな子が生れず、滅亡しかけたこともあるという。まあ、今となってはもう滅びたのだが……。
そもそも土蜘蛛の場合、剣士は外の女との交配が成功しない。種が強すぎて、巫女以外の腹では育たぬという。
一方でその巫女たちは、能力の分散を恐れて、里から出してもらえなかった。
それは、どんな男の子種だろうが、土蜘蛛の能力を持った子を孕む、ということだとロウコは解釈していた。
例えその能力が薄まっていようと、巫女の力と──相手が異能者だった場合は相手の力も巫女の中で死なないのだと。
でなければ、あそこまで過酷な掟を作って、厳重に巫女を隔離しないだろう、そう思っていたのだ。
だが、実際どうだったのだろう。
普通の人間との子を孕んだ巫女の例は、過去聞いたことが無い。駆け落ちしようとした者なら居たらしいが、子は出来ていない。
リンファオは蛟との子を──あのオタクとの子だと言い張っているが──孕んだ。シャオリーがそうだ。
ロウコはシャオリーの力の片鱗を見ている。
北方の民クラーシュの血を引く、ケンと言う男の顔を思い浮かべた。蛟にはケンのような、異能と「気」を操る男まで居た。
もしかして相手の男の「種」が強かったから、リンファオの腹で育ったのかもしれない。
では、異能者ではなくただの人間との子は、巫女は孕めないのか? または、まったく能力の無い普通の子が生まれるのか?
里の滅びた原因でもある『どのような男の種でも能力のあるモノを生み出す』という説は、ただのデマだったのだ。
実態は、巫女の畑で育つだけの強い種を持つ男であること、と限定されるのかもしれない。
他の能力者の希望がデマを生み出し、それがいつしか掟を作った……。そのためにランギョク始め巫女たちは、里に閉じ込められていたのか。
眉間にシワを寄せるロウコ。その思考に気づかず、ミンチが晴れ晴れと宣言する。
「白い肌のやつら、この森出て行かせないとダメ。──でも、砦無くなって、みんな東海岸に帰っても、ミンチ、お前追いかけて襲う。今回負けたけど、ミンチ勇猛な戦士デシ。おまえの種欲しい。ボコボコにして縛って跨って無理やりウバウでし。ミンチはオマエの皮しかイラナイ。強いだけじゃない、オマエ、顔、体キレイ。オマエの皮、十枚集めて、オマエの子産む。そして酋長ナル」
夢を語って疲れたのか、ミンチはほっと息をついた。奇妙で物騒だが、ある意味熱烈な告白に、目を白黒させているロウコ。
(土蜘蛛の種は巫女でないと育たぬ。だが、パッチラの女ではどうなのだ)
この女の卵と畑ならば、耐えられるのかもしれない。土蜘蛛の子を産めるのかもしれない。試してみてもいいのかも? 軽く実験してみる? などとロウコらしからぬ不埒な考えが起こったとき、ミンチは再び横になった。
外に出た血は中々戻らない。
「ミンチ寝る。あとでおかわりスルでし」
「おいっ」
ミンチは目を閉じ、そのまま寝てしまった。まだ生気が無い。
川のちょろちょろ流れる音とミンチのすやすやという寝息が、耳に心地良かった。
ロウコは焚き火のせいか、少し顔が火照っている気がした。立ち上がり、川の水で顔を洗った。
パイオツが頭から離れない。
傷の手当てをする時に、ミンチのなめした鹿革の上衣の紐を外して剥がした。言っておくが、傷口を診るためだ。けして邪な気持ちからではない。
しかし、そこからこぼれ落ちるように現れた、形のいい乳房に目が釘付けになってしまった。血まみれで、相手が死にそうで無ければ、吸い付いていたかもしれない。
(ばかな、俺は生涯ランギョクだけを愛するのだ)
一瞬でも、不埒なことを考えてしまったことに対する後ろめたさ。
いや、ほんとうに、そんなつもりではなくて。土蜘蛛とパッチラなら、もしかして子作り出来るのかなー? っていうだだの好奇心だもん。そう、これは裏切りではないのだ。
ロウコは、愛したものしか抱けないという、土蜘蛛の剣士としては稀な思考の持ち主であった。
0
お気に入りに追加
29
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
小学生最後の夏休みに近所に住む2つ上のお姉さんとお風呂に入った話
矢木羽研
青春
「……もしよかったら先輩もご一緒に、どうですか?」
「あら、いいのかしら」
夕食を作りに来てくれた近所のお姉さんを冗談のつもりでお風呂に誘ったら……?
微笑ましくも甘酸っぱい、ひと夏の思い出。
※性的なシーンはありませんが裸体描写があるのでR15にしています。
※小説家になろうでも同内容で投稿しています。
※2022年8月の「第5回ほっこり・じんわり大賞」にエントリーしていました。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
連続寸止めで、イキたくて泣かされちゃう女の子のお話
まゆら
恋愛
投稿を閲覧いただき、ありがとうございます(*ˊᵕˋ*)
「一日中、イかされちゃうのと、イケないままと、どっちが良い?」
久しぶりの恋人とのお休みに、食事中も映画を見ている時も、ずっと気持ち良くされちゃう女の子のお話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる