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第1章 島へ
島へ②
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南西諸島のひとつ、太平洋に位置する上之音島は、一時間あれば自転車で一周できるほどの小さな島だ。
環礁が透ける鮮やかな碧い海には白い砂浜が弓状に浮かび、こんもりと茂ったパセリのような原生林からは水蒸気が上がっている。
「きれーい!」
初めて見る南の海に、さっきまでの船酔いはどこへやら、十朱は断然気分が高揚してきた。水着も持って来たし、バイトとはいえ、いいバカンスになりそうだ。
はしゃぎながら船を降りると、見覚えのある赤い色彩が目に入り十朱は驚いた。
まさにさっき尋ねようとした人物が、堤防でだるそうにボードを掲げている。
「司さん、あれっ、あのひと……!」
『かんもーれ、上之音島へ』と太マジックで書かれたメッセージとはうらはらに、アロハシャツの青年はつまらなさそうな顔で出迎えている。
九曜が呆れた声で船着場に降りた。
「きみは僻地の観光ガイドかい。『ようこそ』くらい、口で言ったらどうだい」
青年は返事もせずに、むすっとしたまま回れ右をした。九曜は慣れた様子でついて行く。
乾ききった白い道を延々と歩くと、デイゴやアダンの並ぶ南国的な通りが眼前に広がった。
「ここはグスクロードといって、城下町の通りなんだよ」
九曜の説示を聞いているうちに、ようやく城跡らしい屋敷へ着いた。
庭園には色とりどりのフルーツが馥郁とした香りを漂わせ、十朱たちを迎えてくれる。
入母屋造りのアーチを抜けると、突如モダンな日本家屋が現れた。
みがきあげられた床をすべらないよう気をつけながら、迷路のような廊下をいくつも曲がり離れへ突っ切る。
青年は観音開きのドアの前で止まり、重々しくドアをおし開くと自分は下がった。
「さあ、グスクへ着いたよ」
九曜が入ろうとすると、入れ違いに一人の男が出て来る。
「よう、九曜。島に帰ってたのか」
ややハスキーだがよく響く低い声。三十がらみで、がっしりとした躰に上等な白麻のジャケットの着こなしが、島の権力者であると感じさせる。
「──やあ、當。地盤作りに余念がないねえ」
九曜もにこやかに対応するが、白く光る眼鏡の奥ではまったく目が笑っていない。
おだやかな物腰にささくれ立ったものを感じ、十朱は思わずたじろいだ。
だが相手は別段気にするふうもなく、日に灼けた顔にオーバーな笑みを浮かせ返してくる。
「相変わらずだな、九曜。おれは町議会議員として、この島の祭祀と歴史を本土に広めようと奔走しているだけだ。
ひいては上之音島の豊かな未来のためにな」
「自分に都合よく解釈しているようだねえ。
観光業で豊かになるのはきみの懐だろうし、何より島民はそんな未来など望んではいないよ」
「若いのに夢がねえなあ、お前は」
「経済主義にまみれた画策が夢とは笑えるね」
十朱が両者のぎすぎすとしたただならぬ雰囲気を察知し始めた頃、彼らの応酬を響く声が遮った。
「九曜、そこまでにして」
「えっ?」
なんと、中から出て来たのは、クラスメイトの榊海七だった。
「おっと、ぼくとしたことが正殿の前で無粋だった。失礼」
九曜がさっと踵を返す。すれ違いざま、當は十朱に興味深そうに目をやった。
「おや、その子が例の……なかなかかわいいじゃないか。海七クンと並んで撮影すれば、いい観光ポスターになる」
「この子はきみの政の道具になどさせないよ」
これ見よがしに十朱の肩をかばうように抱く九曜に、海七がちらりと目線を投げる。
「そ、それよりなんで榊さんが……!」
「──妃三子さま、九曜がもどりました」
当惑する十朱にかまわず、海七は広さ二十畳ほどもある広間へ入って行った。
部屋には、着物生地のワンピースをすらりと纏った四十代ほどの女性が、猫足の大きなソファにゆったりと腰かけていた。
ここ南国において、雪のように白い肌。腰まで届く艶やかな黒い髪は躰に沿って墨を流したかのようで、常人にはない気品を感じる。
海七が敬称を使うのに驚いたが、それもふさわしいと納得する。
九曜が前へ出て、十朱をそっと促した。
「こちらが主の城妃三子さまだよ。彼女は、この島を昔統治されていた家系なんだ」
「ようこそ、上之音島へ。まあ、ずいぶんかわいらしい『~神さま』だこと」
雅やかな瓜実顔がすぐに破顔し、ひと懐っこい笑顔に十朱はほっと緊張を解いた。
(ん? でも何か神さま、って言わなかった?)
「どうぞ、月桃茶といってこの島の名産品なのよ」
運ばれてきた薄桃色のお茶を妃三子が勧める。
カップを手に取ると、湯気から生姜のような香りが立ち昇り、すっきりとした風味が口いっぱいに広がった。
ふと視線をずらせば、ひとりの青年が妃三子のとなりに立っている。
「息子の壱也ですの。仲よくして下さいね」
「一年遅れてるけれど、同級生になるよ。よろしく、十朱さん」
青年は煌々しい笑顔で微笑んだ。
顔は母親の造形を受け継いでいるが、むしろこちらのほうが美しい。
感嘆のため息をつく十朱だったが、ふと壱也にもう一つの顔が重なった気がした。
(あれ? 今一瞬、誰かと……)
首をひねる十朱の前に、九曜がずいと身を乗り出す。
「ところで妃三子さま。また當が性懲りもなく、ホテルの誘致に来ていたようですが」
「ええ、當さんは島を護りつつ、開発も視野に入れたいとおっしゃって」
「詭弁です。あの悪徳議員、自分の腹黒い腹を肥やすことしか考えていません」
「九曜、今日は妃三子さまに苦言を言いに来たのではないでしょ」
ぴしゃりと諌める海七が、学園でのもの静かな印象とあまりに違い十朱は驚いた。
「そうそう、せっかく九曜が十朱さんを連れて来てくれたんですものね」
妃三子は紗で織られた帷幕を引いた。
高台から見下ろす島と蒼海の絶景が現れ、十朱は思わずため息が出る。
「きれいでしょう。この島は珊瑚でできているの。あなたのおばあさま、久仁さんはね、その優れた霊力でこの島を長きにわたり護られて来たユタ神でした」
(さーだか? ゆたがみ?)
意味不明な単語を聞き返す間もなく、妃三子は続ける。
「彼女が亡くなった今、島の均衡は崩れ存続が危ぶまれています。病を患う島民も増えてきているの。
わたしは亡くなった主人に代わりグスクの長として、島を護らなくてはなりません。
十朱さん、あなたは久仁さんの血を継ぐ最後の望み。きっとわたしたちの島を救うことができるはず。このままだと島はいずれ変容し、カミを失ってしまうでしょう。
あなたにはユタとしてウタキを見つけ、『ツナギナオシ』をして頂きたいの。上之音島のために」
「お願いします、十朱さん」
輝くばかりの美貌で壱也が見つめ、その場にいた人間すべての目が自分に注がれる。
「え? えーとォ……」
正直、妃三子の言っていることが1ミリも理解できなかったが、とてもノーと言える雰囲気ではなく十朱は清々しい宣誓をした。
「はい! がんばります!」
敷地内に併設されている歴史資料館を見学した後、グスクを出るとすでに夕刻だった。
九曜、海七、十朱の三人は、九曜がトネヤシキと呼ぶ古い木造の平屋に来ていた。
宿泊施設というが、剥げた外壁にはきのこ、所々抜けた瓦、軒下には破損したままの雨樋と、次の台風が来たら倒壊しかねない外観である。
部屋の土壁を我が物顔で這うヤモリを横目で見ながら、十朱は萎え気味につぶやいた。
「……ここに泊まるんですか」
「なんせこの島、ホテルも民宿もなくてねえ。あ、でもいちおう女子部屋と男子部屋は分けるよ? 合宿だからね」
のん気な笑顔で躱す九曜に、十朱はがまんできずにつめよった。
「わたし、巫女のバイトに来ただけですけど? 何ですか『ゆたがみ』って」
「巫女のこと、この島ではユタって言うんだよ」
「そーいうこと言ってるんじゃありません! 話と違うじゃないですか」
「何も違わないよォ。島を『ツナギナオシ』て安定させる──ここでは、それが巫女の業務なんだよ」
九曜は陽気に肩をすくめる。
さっきと同様、何を言われているのかさっぱりわからなかったが、さらりと何の問題もないように話す九曜にますます腹が立つ。
「ユタとは巫覡、いわゆるシャーマンのひとつでね。この島では男性のシャーマンをタユウ、女性をノロ、ユタと呼ぶ。
タユウとノロが祭祀組織に属する会社員だとしたら、ユタはフリーだ。
でもどちらも、カミの力を借りて祭祀から厭魅の祓徐までこなす巫術師なんだよ」
聞き慣れない名称と突拍子もない話に言葉も出ない。十朱は憤りを通り越し呆れて言った。
「なーにがバイトですか、こじつけもいいとこです。もうパパに連絡して──」
と、スマホを取り出すが即座に顔をしかめる。
通話ができない。
「あ、この島、圏外だから」
「じゃあ今すぐ帰らせてもらいます」
「次のフェリーは一週間後」
十朱はわなわなとこぶしをにぎりしめた。
「訴えてやる! 教育者のくせにやることが汚いわよ!」
ふたりの様子を見ていた海七が、冷めた目つきで口を開いた。
「この子がいなくったって、わたしたちでなんとかなるわ。帰りたいって言ってんだから、勝手にさせればいいじゃない」
「そもそも榊さん、なんでここにいるの?」
「わたしはノロよ。特定の憑き神とともに仕事をしているプロなの。
あなたと違って」
火花を散らすふたりの間にあわてて九曜が入る。
「ああ、久仁さん──きみのおばあさまは我々の長だったんだよ。本来組織は女性のみだけど、今は後継者不足で男性の巫もいる。
現在チームはぼくらタユウとノロで構成されているんだ」
(海七さんと司さんがシャーマン?)
聞けば聞くほど、自分の日常とかけ離れた世界についていけない。
九曜はそんな十朱に軽く嘆息して笑うと、
「まあ、とりあえず考えてみてよ──さて、ぼくたちはちょっと出かけて来るから、ここで待っていてくれるかな」
と、海七といっしょにトネヤシキを出て行った。
腹を立てても、今のところ帰る手段はない。十朱は少し冷静になり考えてみた。
わざわざここまで来たのだ、バイト代はもらって帰りたい。だが妃三子の話では、とてつもなく重大な仕事を任されそうな感じだった。
実際、そんな役職をおしつけられても困る。
しかも待っていろと言われても、テレビもまんがもなくインターネットもつながらない古民家ではすることがない。十朱はあきらめて、灼けた畳に寝転がった。
十分ほど経った頃だろうか。いきなりがたんと音がした。
ふり返ると、壁にかけてあった古いふり子時計が大きく傾いている。
かけ直すため、しょうがなく立ち上がりはずしてみると、裏面にお札の痕を見つけた。
(何これ……)
いやな予感と気配を感じ、窓の外をふり返る。
ばん!
「ひゃあっ!」
突然窓を叩かれ、十朱は驚いて飛び退った。
窓ガラスに血痕のような手形。
(い、いたずら?)
しかし外にひとの姿はない。さらに十朱が確かめる間もなく再び大きな音が張り、窓はいっせいにいくつもの赤い手のひらに覆われた。
「きゃあああ!」
環礁が透ける鮮やかな碧い海には白い砂浜が弓状に浮かび、こんもりと茂ったパセリのような原生林からは水蒸気が上がっている。
「きれーい!」
初めて見る南の海に、さっきまでの船酔いはどこへやら、十朱は断然気分が高揚してきた。水着も持って来たし、バイトとはいえ、いいバカンスになりそうだ。
はしゃぎながら船を降りると、見覚えのある赤い色彩が目に入り十朱は驚いた。
まさにさっき尋ねようとした人物が、堤防でだるそうにボードを掲げている。
「司さん、あれっ、あのひと……!」
『かんもーれ、上之音島へ』と太マジックで書かれたメッセージとはうらはらに、アロハシャツの青年はつまらなさそうな顔で出迎えている。
九曜が呆れた声で船着場に降りた。
「きみは僻地の観光ガイドかい。『ようこそ』くらい、口で言ったらどうだい」
青年は返事もせずに、むすっとしたまま回れ右をした。九曜は慣れた様子でついて行く。
乾ききった白い道を延々と歩くと、デイゴやアダンの並ぶ南国的な通りが眼前に広がった。
「ここはグスクロードといって、城下町の通りなんだよ」
九曜の説示を聞いているうちに、ようやく城跡らしい屋敷へ着いた。
庭園には色とりどりのフルーツが馥郁とした香りを漂わせ、十朱たちを迎えてくれる。
入母屋造りのアーチを抜けると、突如モダンな日本家屋が現れた。
みがきあげられた床をすべらないよう気をつけながら、迷路のような廊下をいくつも曲がり離れへ突っ切る。
青年は観音開きのドアの前で止まり、重々しくドアをおし開くと自分は下がった。
「さあ、グスクへ着いたよ」
九曜が入ろうとすると、入れ違いに一人の男が出て来る。
「よう、九曜。島に帰ってたのか」
ややハスキーだがよく響く低い声。三十がらみで、がっしりとした躰に上等な白麻のジャケットの着こなしが、島の権力者であると感じさせる。
「──やあ、當。地盤作りに余念がないねえ」
九曜もにこやかに対応するが、白く光る眼鏡の奥ではまったく目が笑っていない。
おだやかな物腰にささくれ立ったものを感じ、十朱は思わずたじろいだ。
だが相手は別段気にするふうもなく、日に灼けた顔にオーバーな笑みを浮かせ返してくる。
「相変わらずだな、九曜。おれは町議会議員として、この島の祭祀と歴史を本土に広めようと奔走しているだけだ。
ひいては上之音島の豊かな未来のためにな」
「自分に都合よく解釈しているようだねえ。
観光業で豊かになるのはきみの懐だろうし、何より島民はそんな未来など望んではいないよ」
「若いのに夢がねえなあ、お前は」
「経済主義にまみれた画策が夢とは笑えるね」
十朱が両者のぎすぎすとしたただならぬ雰囲気を察知し始めた頃、彼らの応酬を響く声が遮った。
「九曜、そこまでにして」
「えっ?」
なんと、中から出て来たのは、クラスメイトの榊海七だった。
「おっと、ぼくとしたことが正殿の前で無粋だった。失礼」
九曜がさっと踵を返す。すれ違いざま、當は十朱に興味深そうに目をやった。
「おや、その子が例の……なかなかかわいいじゃないか。海七クンと並んで撮影すれば、いい観光ポスターになる」
「この子はきみの政の道具になどさせないよ」
これ見よがしに十朱の肩をかばうように抱く九曜に、海七がちらりと目線を投げる。
「そ、それよりなんで榊さんが……!」
「──妃三子さま、九曜がもどりました」
当惑する十朱にかまわず、海七は広さ二十畳ほどもある広間へ入って行った。
部屋には、着物生地のワンピースをすらりと纏った四十代ほどの女性が、猫足の大きなソファにゆったりと腰かけていた。
ここ南国において、雪のように白い肌。腰まで届く艶やかな黒い髪は躰に沿って墨を流したかのようで、常人にはない気品を感じる。
海七が敬称を使うのに驚いたが、それもふさわしいと納得する。
九曜が前へ出て、十朱をそっと促した。
「こちらが主の城妃三子さまだよ。彼女は、この島を昔統治されていた家系なんだ」
「ようこそ、上之音島へ。まあ、ずいぶんかわいらしい『~神さま』だこと」
雅やかな瓜実顔がすぐに破顔し、ひと懐っこい笑顔に十朱はほっと緊張を解いた。
(ん? でも何か神さま、って言わなかった?)
「どうぞ、月桃茶といってこの島の名産品なのよ」
運ばれてきた薄桃色のお茶を妃三子が勧める。
カップを手に取ると、湯気から生姜のような香りが立ち昇り、すっきりとした風味が口いっぱいに広がった。
ふと視線をずらせば、ひとりの青年が妃三子のとなりに立っている。
「息子の壱也ですの。仲よくして下さいね」
「一年遅れてるけれど、同級生になるよ。よろしく、十朱さん」
青年は煌々しい笑顔で微笑んだ。
顔は母親の造形を受け継いでいるが、むしろこちらのほうが美しい。
感嘆のため息をつく十朱だったが、ふと壱也にもう一つの顔が重なった気がした。
(あれ? 今一瞬、誰かと……)
首をひねる十朱の前に、九曜がずいと身を乗り出す。
「ところで妃三子さま。また當が性懲りもなく、ホテルの誘致に来ていたようですが」
「ええ、當さんは島を護りつつ、開発も視野に入れたいとおっしゃって」
「詭弁です。あの悪徳議員、自分の腹黒い腹を肥やすことしか考えていません」
「九曜、今日は妃三子さまに苦言を言いに来たのではないでしょ」
ぴしゃりと諌める海七が、学園でのもの静かな印象とあまりに違い十朱は驚いた。
「そうそう、せっかく九曜が十朱さんを連れて来てくれたんですものね」
妃三子は紗で織られた帷幕を引いた。
高台から見下ろす島と蒼海の絶景が現れ、十朱は思わずため息が出る。
「きれいでしょう。この島は珊瑚でできているの。あなたのおばあさま、久仁さんはね、その優れた霊力でこの島を長きにわたり護られて来たユタ神でした」
(さーだか? ゆたがみ?)
意味不明な単語を聞き返す間もなく、妃三子は続ける。
「彼女が亡くなった今、島の均衡は崩れ存続が危ぶまれています。病を患う島民も増えてきているの。
わたしは亡くなった主人に代わりグスクの長として、島を護らなくてはなりません。
十朱さん、あなたは久仁さんの血を継ぐ最後の望み。きっとわたしたちの島を救うことができるはず。このままだと島はいずれ変容し、カミを失ってしまうでしょう。
あなたにはユタとしてウタキを見つけ、『ツナギナオシ』をして頂きたいの。上之音島のために」
「お願いします、十朱さん」
輝くばかりの美貌で壱也が見つめ、その場にいた人間すべての目が自分に注がれる。
「え? えーとォ……」
正直、妃三子の言っていることが1ミリも理解できなかったが、とてもノーと言える雰囲気ではなく十朱は清々しい宣誓をした。
「はい! がんばります!」
敷地内に併設されている歴史資料館を見学した後、グスクを出るとすでに夕刻だった。
九曜、海七、十朱の三人は、九曜がトネヤシキと呼ぶ古い木造の平屋に来ていた。
宿泊施設というが、剥げた外壁にはきのこ、所々抜けた瓦、軒下には破損したままの雨樋と、次の台風が来たら倒壊しかねない外観である。
部屋の土壁を我が物顔で這うヤモリを横目で見ながら、十朱は萎え気味につぶやいた。
「……ここに泊まるんですか」
「なんせこの島、ホテルも民宿もなくてねえ。あ、でもいちおう女子部屋と男子部屋は分けるよ? 合宿だからね」
のん気な笑顔で躱す九曜に、十朱はがまんできずにつめよった。
「わたし、巫女のバイトに来ただけですけど? 何ですか『ゆたがみ』って」
「巫女のこと、この島ではユタって言うんだよ」
「そーいうこと言ってるんじゃありません! 話と違うじゃないですか」
「何も違わないよォ。島を『ツナギナオシ』て安定させる──ここでは、それが巫女の業務なんだよ」
九曜は陽気に肩をすくめる。
さっきと同様、何を言われているのかさっぱりわからなかったが、さらりと何の問題もないように話す九曜にますます腹が立つ。
「ユタとは巫覡、いわゆるシャーマンのひとつでね。この島では男性のシャーマンをタユウ、女性をノロ、ユタと呼ぶ。
タユウとノロが祭祀組織に属する会社員だとしたら、ユタはフリーだ。
でもどちらも、カミの力を借りて祭祀から厭魅の祓徐までこなす巫術師なんだよ」
聞き慣れない名称と突拍子もない話に言葉も出ない。十朱は憤りを通り越し呆れて言った。
「なーにがバイトですか、こじつけもいいとこです。もうパパに連絡して──」
と、スマホを取り出すが即座に顔をしかめる。
通話ができない。
「あ、この島、圏外だから」
「じゃあ今すぐ帰らせてもらいます」
「次のフェリーは一週間後」
十朱はわなわなとこぶしをにぎりしめた。
「訴えてやる! 教育者のくせにやることが汚いわよ!」
ふたりの様子を見ていた海七が、冷めた目つきで口を開いた。
「この子がいなくったって、わたしたちでなんとかなるわ。帰りたいって言ってんだから、勝手にさせればいいじゃない」
「そもそも榊さん、なんでここにいるの?」
「わたしはノロよ。特定の憑き神とともに仕事をしているプロなの。
あなたと違って」
火花を散らすふたりの間にあわてて九曜が入る。
「ああ、久仁さん──きみのおばあさまは我々の長だったんだよ。本来組織は女性のみだけど、今は後継者不足で男性の巫もいる。
現在チームはぼくらタユウとノロで構成されているんだ」
(海七さんと司さんがシャーマン?)
聞けば聞くほど、自分の日常とかけ離れた世界についていけない。
九曜はそんな十朱に軽く嘆息して笑うと、
「まあ、とりあえず考えてみてよ──さて、ぼくたちはちょっと出かけて来るから、ここで待っていてくれるかな」
と、海七といっしょにトネヤシキを出て行った。
腹を立てても、今のところ帰る手段はない。十朱は少し冷静になり考えてみた。
わざわざここまで来たのだ、バイト代はもらって帰りたい。だが妃三子の話では、とてつもなく重大な仕事を任されそうな感じだった。
実際、そんな役職をおしつけられても困る。
しかも待っていろと言われても、テレビもまんがもなくインターネットもつながらない古民家ではすることがない。十朱はあきらめて、灼けた畳に寝転がった。
十分ほど経った頃だろうか。いきなりがたんと音がした。
ふり返ると、壁にかけてあった古いふり子時計が大きく傾いている。
かけ直すため、しょうがなく立ち上がりはずしてみると、裏面にお札の痕を見つけた。
(何これ……)
いやな予感と気配を感じ、窓の外をふり返る。
ばん!
「ひゃあっ!」
突然窓を叩かれ、十朱は驚いて飛び退った。
窓ガラスに血痕のような手形。
(い、いたずら?)
しかし外にひとの姿はない。さらに十朱が確かめる間もなく再び大きな音が張り、窓はいっせいにいくつもの赤い手のひらに覆われた。
「きゃあああ!」
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