ウムイウタが聞こえる

桂花

文字の大きさ
上 下
3 / 3
第1章 島へ

島へ②

しおりを挟む
 南西諸島のひとつ、太平洋に位置する上之音島は、一時間あれば自転車で一周できるほどの小さな島だ。
 
 環礁が透ける鮮やかな碧い海には白い砂浜が弓状に浮かび、こんもりと茂ったパセリのような原生林からは水蒸気が上がっている。

「きれーい!」
 
 初めて見る南の海に、さっきまでの船酔いはどこへやら、十朱は断然気分が高揚してきた。水着も持って来たし、バイトとはいえ、いいバカンスになりそうだ。
 
 はしゃぎながら船を降りると、見覚えのある赤い色彩が目に入り十朱は驚いた。
 まさにさっき尋ねようとした人物が、堤防でだるそうにボードを掲げている。

「司さん、あれっ、あのひと……!」

『かんもーれ、上之音島へ』と太マジックで書かれたメッセージとはうらはらに、アロハシャツの青年はつまらなさそうな顔で出迎えている。
 
 九曜が呆れた声で船着場に降りた。
「きみは僻地の観光ガイドかい。『ようこそ』くらい、口で言ったらどうだい」
 
 青年は返事もせずに、むすっとしたまま回れ右をした。九曜は慣れた様子でついて行く。
 
 乾ききった白い道を延々と歩くと、デイゴやアダンの並ぶ南国的な通りが眼前に広がった。

「ここはグスクロードといって、城下町の通りなんだよ」
 九曜の説示を聞いているうちに、ようやく城跡らしい屋敷へ着いた。
 
 庭園には色とりどりのフルーツが馥郁とした香りを漂わせ、十朱たちを迎えてくれる。
 
 入母屋造りのアーチを抜けると、突如モダンな日本家屋が現れた。
 みがきあげられた床をすべらないよう気をつけながら、迷路のような廊下をいくつも曲がり離れへ突っ切る。
 
 青年は観音開きのドアの前で止まり、重々しくドアをおし開くと自分は下がった。

「さあ、グスクへ着いたよ」
 九曜が入ろうとすると、入れ違いに一人の男が出て来る。
「よう、九曜。島に帰ってたのか」
 
 ややハスキーだがよく響く低い声。三十がらみで、がっしりとした躰に上等な白麻のジャケットの着こなしが、島の権力者であると感じさせる。

「──やあ、あたり。地盤作りに余念がないねえ」
 九曜もにこやかに対応するが、白く光る眼鏡の奥ではまったく目が笑っていない。
 
 おだやかな物腰にささくれ立ったものを感じ、十朱は思わずたじろいだ。
 だが相手は別段気にするふうもなく、日に灼けた顔にオーバーな笑みを浮かせ返してくる。

「相変わらずだな、九曜。おれは町議会議員として、この島の祭祀と歴史を本土ヤマトに広めようと奔走しているだけだ。
 ひいては上之音島の豊かな未来のためにな」

「自分に都合よく解釈しているようだねえ。
 観光業で豊かになるのはきみの懐だろうし、何より島民はそんな未来など望んではいないよ」

「若いのに夢がねえなあ、お前は」
「経済主義にまみれた画策が夢とは笑えるね」
 
 十朱が両者のぎすぎすとしたただならぬ雰囲気を察知し始めた頃、彼らの応酬を響く声が遮った。

「九曜、そこまでにして」
「えっ?」
 
 なんと、中から出て来たのは、クラスメイトの榊海七だった。

「おっと、ぼくとしたことが正殿の前で無粋だった。失礼」
 九曜がさっと踵を返す。すれ違いざま、當は十朱に興味深そうに目をやった。

「おや、その子が例の……なかなかかわいいじゃないか。海七クンと並んで撮影すれば、いい観光ポスターになる」
「この子はきみの政の道具になどさせないよ」
 
 これ見よがしに十朱の肩をかばうように抱く九曜に、海七がちらりと目線を投げる。

「そ、それよりなんで榊さんが……!」
「──妃三子さま、九曜がもどりました」
 
 当惑する十朱にかまわず、海七は広さ二十畳ほどもある広間へ入って行った。
 
 部屋には、着物生地のワンピースをすらりと纏った四十代ほどの女性が、猫足の大きなソファにゆったりと腰かけていた。

 ここ南国において、雪のように白い肌。腰まで届く艶やかな黒い髪は躰に沿って墨を流したかのようで、常人にはない気品を感じる。
 海七が敬称を使うのに驚いたが、それもふさわしいと納得する。

 九曜が前へ出て、十朱をそっと促した。
「こちらが主あるじきずき妃三子さまだよ。彼女は、この島を昔統治されていた家系なんだ」

「ようこそ、上之音島へ。まあ、ずいぶんかわいらしい『~神さま』だこと」
 雅やかな瓜実顔がすぐに破顔し、ひと懐っこい笑顔に十朱はほっと緊張を解いた。

(ん? でも何か神さま、って言わなかった?)

「どうぞ、月桃茶といってこの島の名産品なのよ」
 運ばれてきた薄桃色のお茶を妃三子が勧める。
 カップを手に取ると、湯気から生姜のような香りが立ち昇り、すっきりとした風味が口いっぱいに広がった。
 
 ふと視線をずらせば、ひとりの青年が妃三子のとなりに立っている。

「息子の壱也いちやですの。仲よくして下さいね」
「一年遅れてるけれど、同級生になるよ。よろしく、十朱さん」

 青年は煌々きらきらしい笑顔で微笑んだ。
 顔は母親の造形を受け継いでいるが、むしろこちらのほうが美しい。
 
 感嘆のため息をつく十朱だったが、ふと壱也にもう一つの顔が重なった気がした。

(あれ? 今一瞬、誰かと……)
 首をひねる十朱の前に、九曜がずいと身を乗り出す。

「ところで妃三子さま。また當が性懲りもなく、ホテルの誘致に来ていたようですが」
「ええ、當さんは島を護りつつ、開発も視野に入れたいとおっしゃって」

「詭弁です。あの悪徳議員、自分の腹黒い腹を肥やすことしか考えていません」
「九曜、今日は妃三子さまに苦言を言いに来たのではないでしょ」
 
 ぴしゃりと諌める海七が、学園でのもの静かな印象とあまりに違い十朱は驚いた。

「そうそう、せっかく九曜が十朱さんを連れて来てくれたんですものね」
 妃三子は紗で織られた帷幕を引いた。
 
 高台から見下ろす島と蒼海の絶景が現れ、十朱は思わずため息が出る。

「きれいでしょう。この島は珊瑚でできているの。あなたのおばあさま、久仁さんはね、その優れた霊力サーダカでこの島を長きにわたり護られて来たユタ神でした」

(さーだか? ゆたがみ?)
 意味不明な単語を聞き返す間もなく、妃三子は続ける。

「彼女が亡くなった今、島の均衡は崩れ存続が危ぶまれています。病を患う島民も増えてきているの。
 わたしは亡くなった主人に代わりグスクの長として、島を護らなくてはなりません。
 十朱さん、あなたは久仁さんの血を継ぐ最後の望み。きっとわたしたちの島を救うことができるはず。このままだと島はいずれ変容し、カミを失ってしまうでしょう。
 あなたにはユタとしてウタキを見つけ、『ツナギナオシ』をして頂きたいの。上之音島のために」

「お願いします、十朱さん」
 輝くばかりの美貌で壱也が見つめ、その場にいた人間すべての目が自分に注がれる。

「え? えーとォ……」
 正直、妃三子の言っていることが1ミリも理解できなかったが、とてもノーと言える雰囲気ではなく十朱は清々しい宣誓をした。

「はい! がんばります!」


 敷地内に併設されている歴史資料館を見学した後、グスクを出るとすでに夕刻だった。
 
 九曜、海七、十朱の三人は、九曜がトネヤシキと呼ぶ古い木造の平屋に来ていた。
 
 宿泊施設というが、剥げた外壁にはきのこ、所々抜けた瓦、軒下には破損したままの雨樋と、次の台風が来たら倒壊しかねない外観である。
 
 部屋の土壁を我が物顔で這うヤモリを横目で見ながら、十朱は萎え気味につぶやいた。

「……ここに泊まるんですか」
「なんせこの島、ホテルも民宿もなくてねえ。あ、でもいちおう女子部屋と男子部屋は分けるよ? 合宿だからね」
 
 のん気な笑顔で躱す九曜に、十朱はがまんできずにつめよった。
「わたし、巫女のバイトに来ただけですけど? 何ですか『ゆたがみ』って」

「巫女のこと、この島ではユタって言うんだよ」
「そーいうこと言ってるんじゃありません! 話と違うじゃないですか」

「何も違わないよォ。島を『ツナギナオシ』て安定させる──ここでは、それが巫女の業務なんだよ」

 九曜は陽気に肩をすくめる。
 さっきと同様、何を言われているのかさっぱりわからなかったが、さらりと何の問題もないように話す九曜にますます腹が立つ。

「ユタとは巫覡かんなぎ、いわゆるシャーマンのひとつでね。この島では男性のシャーマンをタユウ、女性をノロ、ユタと呼ぶ。
 タユウとノロが祭祀組織に属する会社員だとしたら、ユタはフリーだ。
 でもどちらも、カミの力を借りて祭祀から厭魅マジムンの祓徐までこなす巫術ウーシュー師なんだよ」
 
 聞き慣れない名称と突拍子もない話に言葉も出ない。十朱は憤りを通り越し呆れて言った。

「なーにがバイトですか、こじつけもいいとこです。もうパパに連絡して──」
 と、スマホを取り出すが即座に顔をしかめる。
 通話ができない。

「あ、この島、圏外だから」
「じゃあ今すぐ帰らせてもらいます」
「次のフェリーは一週間後」
 
 十朱はわなわなとこぶしをにぎりしめた。
「訴えてやる! 教育者のくせにやることが汚いわよ!」
 
 ふたりの様子を見ていた海七が、冷めた目つきで口を開いた。
「この子がいなくったって、わたしたちでなんとかなるわ。帰りたいって言ってんだから、勝手にさせればいいじゃない」

「そもそも榊さん、なんでここにいるの?」
「わたしはノロよ。特定の憑き神とともに仕事をしているプロなの。
 あなたと違って」
 
 火花を散らすふたりの間にあわてて九曜が入る。

「ああ、久仁さん──きみのおばあさまは我々の長だったんだよ。本来組織は女性のみだけど、今は後継者不足で男性のかんなぎもいる。
 現在チームはぼくらタユウとノロで構成されているんだ」

(海七さんと司さんがシャーマン?)
 聞けば聞くほど、自分の日常とかけ離れた世界についていけない。
 
 九曜はそんな十朱に軽く嘆息して笑うと、
「まあ、とりあえず考えてみてよ──さて、ぼくたちはちょっと出かけて来るから、ここで待っていてくれるかな」
 と、海七といっしょにトネヤシキを出て行った。


 腹を立てても、今のところ帰る手段はない。十朱は少し冷静になり考えてみた。
 
 わざわざここまで来たのだ、バイト代はもらって帰りたい。だが妃三子の話では、とてつもなく重大な仕事を任されそうな感じだった。
 実際、そんな役職をおしつけられても困る。
 
 しかも待っていろと言われても、テレビもまんがもなくインターネットもつながらない古民家ではすることがない。十朱はあきらめて、灼けた畳に寝転がった。
 
 十分ほど経った頃だろうか。いきなりがたんと音がした。
 
 ふり返ると、壁にかけてあった古いふり子時計が大きく傾いている。
 かけ直すため、しょうがなく立ち上がりはずしてみると、裏面にお札の痕を見つけた。

(何これ……)
 いやな予感と気配を感じ、窓の外をふり返る。
 
 ばん!

「ひゃあっ!」
 突然窓を叩かれ、十朱は驚いて飛び退った。

 窓ガラスに血痕のような手形。
 
(い、いたずら?)
 
 しかし外にひとの姿はない。さらに十朱が確かめる間もなく再び大きな音が張り、窓はいっせいにいくつもの赤い手のひらに覆われた。

「きゃあああ!」
しおりを挟む
感想 0

この作品の感想を投稿する

あなたにおすすめの小説

【NL】花姫様を司る。※R-15

コウサカチヅル
キャラ文芸
 神社の跡取りとして生まれた美しい青年と、その地を護る愛らしい女神の、許されざる物語。 ✿✿✿✿✿  シリアスときどきギャグの現代ファンタジー短編作品です。基本的に愛が重すぎる男性主人公の視点でお話は展開してゆきます。少しでもお楽しみいただけましたら幸いです(*´ω`)💖 ✿✿✿✿✿ ※こちらの作品は『カクヨム』様にも投稿させていただいております。

心に白い曼珠沙華

夜鳥すぱり
キャラ文芸
柔和な顔つきにひょろりとした体躯で、良くも悪くもあまり目立たない子供、藤原鷹雪(ふじわらのたかゆき)は十二になったばかり。 平安の都、長月半ばの早朝、都では大きな祭りが取り行われようとしていた。 鷹雪は遠くから聞こえる笛の音に誘われるように、六条の屋敷を抜けだし、お供も付けずに、徒歩で都の大通りへと向かった。あっちこっちと、もの珍しいものに足を止めては、キョロキョロ物色しながらゆっくりと大通りを歩いていると、路地裏でなにやら揉め事が。鷹雪と同い年くらいの、美しい可憐な少女が争いに巻き込まれている。助け逃げたは良いが、鷹雪は倒れてしまって……。 ◆完結しました、思いの外BL色が濃くなってしまって、あれれという感じでしたが、ジャンル弾かれてない?ので、見過ごしていただいてるかな。かなり昔に他で書いてた話で手直ししつつ5万文字でした。自分でも何を書いたかすっかり忘れていた話で、読み返すのが楽しかったです。

CODE:HEXA

青出 風太
キャラ文芸
舞台は近未来の日本。 AI技術の発展によってAIを搭載したロボットの社会進出が進む中、発展の陰に隠された事故は多くの孤児を生んでいた。 孤児である主人公の吹雪六花はAIの暴走を阻止する組織の一員として暗躍する。 ※「小説家になろう」「カクヨム」の方にも投稿しています。 ※毎週金曜日の投稿を予定しています。変更の可能性があります。

骨董品鑑定士ハリエットと「呪い」の指環

雲井咲穂(くもいさほ)
キャラ文芸
家族と共に小さな骨董品店を営むハリエット・マルグレーンの元に、「霊媒師」を自称する青年アルフレッドが訪れる。彼はハリエットの「とある能力」を見込んで一つの依頼を持ち掛けた。伯爵家の「ガーネットの指環」にかけられた「呪い」の正体を暴き出し、隠された真実を見つけ出して欲しいということなのだが…。 胡散臭い厄介ごとに関わりたくないと一度は断るものの、差し迫った事情――トラブルメーカーな兄が作った多額の「賠償金」の肩代わりを条件に、ハリエットはしぶしぶアルフレッドに協力することになるのだが…。次から次に押し寄せる、「不可解な現象」から逃げ出さず、依頼を完遂することはできるのだろうか――?

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

戸惑いの神嫁と花舞う約束 呪い子の幸せな嫁入り

響 蒼華
キャラ文芸
四方を海に囲まれた国・花綵。 長らく閉じられていた国は動乱を経て開かれ、新しき時代を迎えていた。 特権を持つ名家はそれぞれに異能を持ち、特に帝に仕える四つの家は『四家』と称され畏怖されていた。 名家の一つ・玖瑶家。 長女でありながら異能を持たない為に、不遇のうちに暮らしていた紗依。 異母妹やその母親に虐げられながらも、自分の為に全てを失った母を守り、必死に耐えていた。 かつて小さな不思議な友と交わした約束を密かな支えと思い暮らしていた紗依の日々を変えたのは、突然の縁談だった。 『神無し』と忌まれる名家・北家の当主から、ご長女を『神嫁』として貰い受けたい、という申し出。 父達の思惑により、表向き長女としていた異母妹の代わりに紗依が嫁ぐこととなる。 一人向かった北家にて、紗依は彼女の運命と『再会』することになる……。

恋する座敷わらし、あなたへの電話

kio
キャラ文芸
家では座敷わらしとの同居生活、学校では学生からのお悩み相談。 和音壱多《わおんいちた》の日常は、座敷わらしの宇座敷千代子《うざしきちよこ》に取り憑かれたことで激変していた。 これは──想いを"繋ぐ"少年と、恋する座敷わらしの、少し不思議で、ちょっとだけ切ない物語。

孤独な少年の心を癒した神社のあやかし達

フェア
キャラ文芸
小学校でいじめに遭って不登校になったショウが、中学入学後に両親が交通事故に遭ったことをきっかけに山奥の神社に預けられる。心優しい神主のタカヒロと奇妙奇天烈な妖怪達との交流で少しずつ心の傷を癒やしていく、ハートフルな物語。

処理中です...