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第九部:大結界の中心
狙うべき間隙
しおりを挟むしかめっ面のシンシアが憂鬱そうに溜息をつく。
鬱になったりホッとしたり眉をしかめたりと、今日のシンシアの表情はいつも以上に忙しいな。
「大結界起動時の作業は大掛かりで、あの旧市街の区画封鎖だけでは済まないのでしょうね...」
「俺もそう考えてるよシンシア」
「それにシンシアさん、彼らもホムンクルスとは言え軍隊に囲まれたりしたら大変でしょう?」
「いえ伯父様、アルファニアの軍隊などエルスカインにとっては敵に数える必要すら有りません。単純に排除する手間が面倒だと言うだけで、アルファニア国軍がエルスカイン達に僅かでも損害を与えられるとは、とても考えられないですね」
「なんと...」
シンシアの言葉を聞いて、伯父上が少し驚いた感じで眉を上げた。
対称的にパジェス先生は、俺たちの会話を当然の事として受け止めてるようだ。
「なるほどね。どうせなら最初からその場に誰もいられなくしておく方が手っ取り早いってワケだ...だからクライスさんは、クローヴィス国王陛下の助力を断ったんだね?」
「そうですパジェス先生。エルスカイン相手に軍や騎士団を動員すれば、いたずらに被害者が増えてしまうだけですからね」
「了解だよクライスさん。このまま陛下には何も告げないでおこう」
「しかしパジェス殿、市民達へ最低限の避難勧告は国王陛下を通じて行った方が良いのでは?」
「いやロワイエ卿、どのみちラファレリアの全市民を避難させることは陛下の勅命をもってしてもムリですよ。不可能じゃないけど、数週間は掛かる話になるでしょうからね」
「ふむ。それもそうですな...理由も言えないとなれば尚更と」
「それにクライスさん達の作戦が上手く行かなかったらアルファニア全土、いや、北部ポルミサリア全域が滅びるんだから、ラファレリアから逃げ出したって行く先は無いっていう事ですからね。死ぬ場所と時期が少しズレるってだけに過ぎないでしょう」
「まあ、ぶっちゃけて言えばパジェス先生の言う通りですね。エルスカインの奴隷になって生き延びる道はあるかも知れませんけど」
「それもどうかなぁ? クライスさんが敵の錬金術師から聞いたって話だけど、例え事実だとしてもアルファニア全土の人々を生かしておく必要性は無さそうに思えるよ。それほどの数の人族奴隷は必要が無いだろう?」
「ですが先生、食料生産や土木作業のように人手が必要な作業は、エルスカインの支配下でも無くなりませんよ?」
「だけどねぇシンシア君、奴隷だって生きている人族なら管理や生活基盤も必要だよ? 人族奴隷の必要性はごく少数だと思うし、単純な作業は全部ゴーレムにでもやらせればいいのさ。だって古代文明が由来のエルスカインには、その技術があるだろう?」
「ええ...」
「なんなら、いまポルミサリアに生きている人々を生け贄にして、もう一度アンスロープ族を生み出したっていいかもね。大結界の内側の人達を、呪い返しを除ける手段として『人の盾』に使う魔法くらい、とっくに用意してそうだもの」
うわ、エグいな・・・
でも、パジェス先生の言う通りだろう。
確かに南部大陸本来のゴーレム伝承では、街を追放された男はゴーレムを不死身の戦士にして小国の王にまで成り上がったんだったな。
そして、心に『枷』を嵌めて自由意志を奪ったマディアルグの複製ホムンクルス達に加えて、支配の魔法で縛った新しい獣人族とくれば、配下の奴隷はそれで十分だろう。
むしろ『普通の人族』の奴隷は、そのあたりの数が整うまでの『繋ぎ役』ってところがせいぜいか・・・
「御兄様、実際にエルスカインがどういう統治予定を立てているかは分からないですけど、仮にラファレリアから逃げられたとしても、先生の仰るように、生き延びられる者はごく僅かだと思えます」
「だろうね」
「ホントに、知れば知るほど人族よりもドラゴン族の方が温和に思えてくるぜライノ。ま、エルスカインを人族として数えるのはライノにとっちゃあ不本意だろうけどよ?」
「とは言えエルスカインも人族の...なれの果てなのか、それとも誰かに作られた魔道具の一種なのかは分からないけど、人族が生み出したものってコトに変わりは無いさ。不本意なんて言ってられないよ」
「まーな」
ともかく空から毒ガスを撒けば眼下の人々は皆殺しだし、それはラファレリアの住民だけで無く、地下にいるエルスカインの部下達も含めてのことになるだろう。
もちろんエルスカインは部下の命なんて気にも留めないだろうし、主要な人員には血清やなんらかの防護魔法の類いが付与されている可能性はあるけど、ヤツは作業効率と計画の成功率は気に留めるはずだ。
つまり、必ず成功率が高い方法を採用する・・・これまでの経験から、俺にはそう思える。
そこが俺たちに狙えるチャンスだ。
「で、俺の考えはこうなんだシンシア。まず、魔力触媒鉱石はルリオンには備蓄されていないと思う」
「あっ!」
「ルリオンに有ったのなら老錬金術師も知ってたと思うからね。だから浮遊兵器が『結界の頂点』として機能するために必要な触媒鉱石は、まだ浮遊兵器の中には積み込まれていなくて、いま時点では旧市街の地下に保管されている可能性が高いだろう」
「きっとそうですね!」
「つまりだ...浮遊兵器に乗って空から降りてきたマディアルグのホムンクルス達が、大結界の起動に必要な分量を地下に蓄えられた触媒鉱石の倉庫から『獅子の咆哮』に運び込むことになる。他のトンネル内や地下深くの井戸にはすでに別の方法で分配しているとしても、上空の結節点だけは『獅子の咆哮』がラファレリアに到着してからじゃないと、積み込みが出来ないからね?」
「確かにそうです!...そうすると...」
「ホムンクルス達に与える血清が足りてない以上は、その積み込み作業が終わるまで毒ガスを撒かれない可能性が高いと思う。まぁ絶対とは言えないけどね...で、旧市街の人達は空から降りてきた浮遊兵器が危険なものだとか、よもや自分たちを虐殺する道具だなんて夢にも思わないだろうし、積み込みに浮遊する艀でも使うなら珍しさも相まって、市内中から見物に集まってくるんじゃ無いかな?」
「ええ、物見遊山の気分で大勢が集まってくるでしょうね。それに軍隊も市民が大勢いる場所では過激な行動は慎みますし、何よりもまず、それが何なのか、そしてそれを送り込んできた相手が誰なのか、を確かめようとするはずです」
「逆に、もしも最初から『獅子の咆哮』をルリオンから一直線に上空高くまで昇らせる予定だったら、事前にサラサスまで触媒鉱石を運んでいたのかもしれないけどな?」
「ですがサラサスは大結界の範囲に含まれていませんし、どのみち毒を撒くのでしたら『獅子の咆哮』をラファレリアに向かわせる必要がありますもの。エルスカインは、事前にサラサスまで大量の触媒鉱石を輸送するのは無駄な作業だと考える...そういうことですね!」
「ああ、おまけに鉱石の毒性や臨界量のことを考えれば輸送中の事故を防ぐことにも気を使う必要がある。だからココで毒を撒くついでに浮遊兵器に鉱石を積み込むってのは、本来は一石二鳥って言うか、エルスカインらしく『無駄の無い段取り』のはずだって思うんだよ」
・・・しかも老錬金術師の言ったように、浮遊兵器を飛ばすための高純度魔石の備蓄がギリギリだとしたら、空高く昇らせるためにも、魔力触媒による力の増幅を利用する必要があるのかも知れない・・・
際どいタイミングだけど、浮遊兵器がラファレリアに到着すると同時に攻めれば、ラファレリア市民の虐殺と大結界の起動を同時に阻止できる。
「なーんとなく状況は分かったけどさー、お兄ちゃんは、その積み込みのタイミングをどーやって狙おうって策なの?」
いつになく真剣な表情のパルレアがアプレイスの肩から身を乗り出す。
アプレイスのパワーもパルレアの精霊魔法も頼りにはなるけど、浮遊兵器を破壊し、同時にヒュドラの毒ガスを防ぐにはそれだけじゃあ足りない。
それに毒ガスは、恐らく防護結界じゃあ防げないはずだ。
同様に、毒ガスが魔法では無くて実体のある存在である以上は、伯父上の魔力阻害でも遮断できるはずが無い。
「まず、毒ガスを防ぐ鍵は...」
「うん」
「マリタンの魔法が頼りだな!」
「え?」
「えええぇぇぇっ?!」
「どういうことよ兄者殿? なんの冗談?」
連鎖反応の実験中からずっと沈黙していたマリタンが、いきなり俺に話を振られて慌てている。
『慌てている本』とか『動揺している本』とか、凄く珍しいよな・・・って言うか、最近はマリタンも感情豊かになってきたもんだ。
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