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第九部:大結界の中心
アベール・ロワイエ卿
しおりを挟む庭と道を隔てる低い生け垣のところまで歩いて来たところで、煌々と明かりの点いている二階の窓で人影が動くのが目に入った。
どうやら、うまいこと俺を発見して貰えたらしい。
そのまま鍵の掛かっていない門を抜けて玄関に向かい、静かにドアをノックすると、ほぼ間髪入れずに扉が開く。
立っているのは身なりの良い白髪で白髭の男性・・・どうやら扉を開けてくれたのは使用人ではなく、当主その人らしい。
エルフ族だから年齢不詳とは言え、相応のお年だってことは感じられる。
「こんばんわ。夜分にすみません」
「ええ、こんばんわ。どちら様でしょうかな?」
「自分は旅の破邪で、名をライノ・クライスと申します」
「ほう? 破邪の方が何用で当家に?」
真贋のホドはともかく、この人が『アベール・ロワイエ氏』か・・・
準男爵家の当主としては気安い感じだろうか?
うーん、でも守りを固めているとか用心しているとは、とても言えない行動だな。
「いえ、破邪としての用件があったわけではありません。出来れば今夜一晩の宿を、せめて一杯の茶にでもありつけないかと扉を叩きました。明かりの点いている大きな屋敷を目指して歩いたんです」
「なるほど...まだ深夜という時間ではありませんな。お茶を淹れますので中に入られるとよろしいでしょう」
「恐縮です」
「この辺り...いや、この家に客人は珍しいですからな。こちらにとっても良い気晴らしですぞ?」
「そう言って頂けると、気分が軽くなりますよ」
人の良さそうな年配の男性は俺をあっさりと屋内に招き入れたけど、俺が玄関ホールに踏み込んだ瞬間、その視線が鋭くなったのが分かった。
もしも俺がホムンクルスだったら、この瞬間に土塊になって崩れ落ちたのだろうな・・・
あるいは普通の人族でも、妙な魔道具を携えていたりしたりしたら慌て出すのかもしれない。
「ああ、名乗るのが遅れましたな。私がここの当主、アベール・ロワイエです。どうぞアベールと呼んでください」
「そうではないかと思いましたが、ご当主自らに出迎えて頂いたとは、全くもって恐縮ですよ」
「いやいや、どうか、お気になさらずクライスさん」
アベール卿は、俺の様子に変化が全く無いことを見てとると、そのまま奥へといざなう。
玄関ホールのカウチでお茶を出されるかと思ったら、客間に入らせてくれるようだ。
案内されるままに俺が客間に入ったところで、パタパタと廊下をかけてくる足音がして、エプロン姿の中年女性が顔を出した。
「申し訳ありません旦那様! お客様だとは気づきませんで!」
「気にする必要はありませんぞサビーナ。ちょうど、こちらのクライス氏が門をくぐるところが窓から見えたので私が出たのですからな」
「夜分にお騒がせします」
「とんでもございませんわ、お客様!」
そう言って、サビーナと呼ばれた使用人女性はペコリとお辞儀してくれた。
このメイドさんも主人同様に随分と気安い感じだな・・・もちろん、嫌な雰囲気は一切ない。
「サビーナ、せっかく降りて来てくれたのですから、この方にお茶と簡単な食事を出して貰えますかな? それともクライスさんはお酒の方が良いほうで?」
「いえ、お茶のほうがありがたいです。俺はあまり飲めない口でして」
「それは大変結構」
「旦那様もほとんどお飲みになりませんからねぇ...」
サビーナさんがお茶と軽食の準備をしますと言って客間から引っ込み、後にはアベール卿と俺だけが残された。
さてと・・・このまま人畜無害な世間話で時間を潰してサビーナさんが戻ってくるのを待っていても、あまり結果は変わらないだろうな。
さっさと本題の話を始めるか。
「アベールさん、いや、アベール卿とお呼びしたほうが良いでしょうか? 実を言うと、私はあなたのことを知っていて会いに来たんです。先ほどは嘘をついて申し訳ありません」
「ほほぅ? それはまたどう言うことでしょう?」
そう言いつつ、アベール卿は俺の告白にも全く動じる様子を見せない。
警戒する様子さえ見せないのは逆に不安になるな。
全く動じないってことは、つまり『招かれざる客』の来訪が想定内だってことだろうからね。
警戒しないのは『する必要が無いから』と考えるべきだろう。
この屋敷の中に、アベール卿の護身のためのどんな仕掛けが施されているのかは分からないが・・・
まあ、玄関ホールで俺の体が崩れ落ちないかを確認してたっぽいから、これまでにも、そういう来客はあったに違いない。
「ラファレリアの王宮図書館で、あなたの書いた本を見たんです。『錬金素材の変遷』ですよ。あの本に出会えたおかげで、すごく便利になったことが一つあるので、まずそのお礼も言いたいのですが...」
「おやおや、それはどうも」
「ただ、それとは別に、非常に気になることも書いてありましたので、それについて聞きたくて押し掛けたんです」
「ほう?」
「魔力触媒をによる連鎖反応を『止める方法』が存在するらしいってことですよ」
「なるほど...」
そこでようやく、アベール卿の表情にさざなみが走る。
ここからが勝負どころだな・・・
もし彼がエルスカインの配下であるならば、数分後にはどちらかが床に倒れていることになるかもしれない。
「アベール卿、もちろん『教えてください』と言って、すぐに教えて貰えるようなモノだとは俺も思っていません。それでも、俺は確かめない訳にはいかないんです。そんな手段が実在するのかどうかをね?」
「ふむ...魔力触媒となる物質は確かに存在します。それによる連鎖反応もですな。しかし破邪の方が魔力触媒のことを知りたがると言うのは少々奇妙に思えますぞ? お仕事には関係無さそうだ」
「でしょうね」
「では、破邪と言うのも偽りで?」
俺としては一気に本題に踏み込んだつもりだったけど、それでもなおアベール氏の反応は淡々としている。
「いえ『破邪だった』のは本当で、この装束も自前のものです。今でも破邪を辞めたわけではありませんが、他に優先すべき仕事が出来てしまったので開店休業という状態ですけど」
「ではクライスさん、いま優先されているお仕事というのはなんでございましょうかな?」
「勇者です」
「は?」
「勇者ですよ。言葉としてはご存知かと思いますが?」
この言葉を受けてアベール卿から出てくるのは何らかの攻撃か、それとも嘲笑か?
客間に入った時にガオケルムは腰から抜いてソファに立て掛けてあるけど、果たしてそれだけで戦えるかどうかは未知数だな・・・
何しろ、俺が佩刀したまま屋敷に入ることを全く咎めなかったのだから、物理的な攻撃に対しても何らかの防御手段が用意されているはずだ。
俺はいつでも咄嗟に動けるよう、そして悟られぬように身構えていたけど、アベール卿から返って来たのは、変わらず淡々とした言葉だけだった。
「もちろん存じておりますぞ。しかし、それを公言する人物はこれまでの知己におりませんし、出会うとも思いませんでしたが」
「まぁ信じられませんよね?」
「そこは論点ではありませんな。あなたが本当に勇者であろうと無かろうと、私に確かめる術はないので」
すごいサッパリした割り切り方だな・・・
「どうやら、この屋敷に入る時には一切の魔法が効力を失うみたいですね。それに、外から入ってきた者には屋敷内で魔法が行使できないような仕掛けが有るようにも思えます。だから俺が勇者だって証拠もここでは見せにくいでしょう。一歩外に出れば問題ありませんが」
「そちらの証拠は結構。つまりクライスさんは一切の魔法が使えないことを承知で我が家に踏み込んできた訳ですな? この家の中では、私に対抗することは不可能ですぞ」
「アベール卿ご自身は、この屋敷の中でも魔法が使えるんですね。アレは空間を捩じ曲げる魔法なんですか?」
「いえ、あくまでも『障壁』ですな。魔力を一切通さないと言うだけですが、効果も範囲も自由です」
「なるほど、それで侵入者を包んでしまえば生殺与奪は自由な訳だ」
と言うか、すでに俺は包まれているんだろうな・・・
「左様。この屋敷内で使える魔法は私が許可したことだけです。まぁ術者の私さえ魔法が使えないとなれば、今度は障壁を解除することも出来なくなってしまいますからね?」
「あ、そうですね!」
「それゆえ、私はこの屋敷の中だけの『小さな世界』に限っては無敵という訳ですぞ...クライスさんは、私と敵対した場合のことは考えなかったのですかな?」
単刀直入に話すことにしたのは俺の方だけど、アベール卿も想像していた以上にバッサリと切り込んでくる人物だ。
これほど肝が据わっているのは、過去に壮絶な経験をしているからじゃないだろうか?
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