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第六部:いにしえの遺構

<閑話:フローラシアの決意>

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ダンガさまのお供をして南部大森林の間際にあるというルマント村へと旅だつ直前、御姉様から執務室へと呼ばれました。

もちろん、御姉様からの話の内容は分かっています。
わたくしとダンガさまの『今後』について・・・領地経営に関する協議を除けば、それ以外に二人きりで話し合うような事柄は他にありません。
事が事と申しますか、場合が場合と申しますか、本来ならわたくしの一存で決めて良い事ではありませんから。

ですが、わたくしとダンガさまの『結婚』は貴族家同士の話ではありませんし、そもそもリンスワルド家はスターリング家、つまり大公家との関わりを除けば政治的な関係性や思惑など一切関係なく、単純に『家督を継がせる子を得るため』だけの結婚を繰り返して来ました。
長らくの間『領主の一人娘』を演じていた御姉様に至っては正式な結婚さえしておらず、可愛いシンシアがジュリアス御兄様との子供であることは公然の秘密です。

そのジュリアス御兄様もいまだにお妃さまを迎える気配が無く、御姉様がシンシアを連れて領地に戻られて以降は、たまにリンスワルド家に遊びに来るだけで独身生活を貫いていらっしゃいます。
正妃と言わずとも、側室だけでも抱えて世継ぎを産ませるべきでは無いかとこちらが心配になってしまいますが・・・現に側近の方々はキリキリと胃が痛むほどに案じていらっしゃるようですが、ジュリアス御兄様は周囲の心配など『どこ吹く風』といった様子です。
正直、何を考えていらっしゃるのかサッパリ分かりません。

いえ、分かりませんでした。

今回、わたくしたちがルマント村を訪問することで勇者様のお屋敷を空けるとなった時に、ジュリアス御兄様が御姉様に対して皆が戻るまでは王宮で一緒に暮らすよう提案したのです。
実は少々驚きました。
御姉様とジュリアス御兄様のご関係は『公然の秘密』です。
大公家に仕える人々は皆、シンシアの父親が誰なのかを知っていますが、それでも建前としては秘密です。
爵位継承権に男女差がないミルシュラントですから、シンシアを大公の世継ぎに推そうと企てている一派がいることも存じておりますが、彼らとて表だって動くことは出来ません。
だって秘密なのですから。

それはさておき、ジュリアス御兄様からの御姉様への提案は、いまから十数年前・・・そう、シンシアが生まれるまでの間、二人が恋人同士であった頃のように、また王宮で一緒に過ごそうということにも聞こえます。
だって表情を見ていれば危険云々という話は建前で、御姉様と一緒に過ごす絶好の機会だと考えている事が一目瞭然だったからです。

そして御姉様は、その提案を受け入れました。
御姉様との付き合いが長い私には分かりましたが、御姉様が一瞬、考え込む様子を見せたのは絶対に演技です。
ジュリアス御兄様が口にした瞬間からそうすることは心に決めていた、いえ、むしろ拒否する理由が無いというか、もしもジュリアス御兄様が言い出さなかったら、御姉様の方からなんやかんやでそう言う方向に話をもっていったのではないかとすら思えます。

御姉様ったら・・・本当に隅に置けません。

あの場では、エイテュール家当主という立場を離れた一介の婦女子としてかなり厳しいことを言われたという側面もありますが、この時の口ぶりで御姉様は私とダンガさまのことを認めて下さると分かったので、一気に肩の荷が下りた気分でした。

御姉様の性格は良く存じておりますし、わたくしが本気であることさえ理解して貰えたなら否定するようなことは言われないと最初から信じていましたが、それでも・・・やはり少々・・・いえ、かなり・・・不安になっていたのは正直なところです。
そもそもライノ殿とシンシアが無事に戻れなかったら、そんな事を言っている場合では無くなっていたのですから。

しかし、ライノ殿とシンシアが無事にパルミュナちゃん改めパルレアちゃんを取り戻し、しかもドラゴンさままでお連れになって凱旋されたのですから憂いはありません。
ダンガさまとも屈託なく互いの気持ちを伝え合うことができ、これから共に生きる事を約束して頂けました。

エルスカインとの戦いがこれからも続いていくとは言え、わたくしたちも自分の心に正直に生きる事が出来る・・・そんな未来が開かれたのです。

++++++++++

御姉様の執務室・・・正確に言うと御姉様は寝台を使っている私室とは別の空き部屋をもう一つ、専用の執務室としてお借りしている感じですが・・・をノックして声を掛けます。

「御姉様、エマーニュです」
「入って下さいな、エマーニュ」

御姉様に反対されることは無い、そう分かっていてもやはり緊張します。
厳しいことを言われるのは自明ですし、それも仕方の無い事というか当然の話ですから。
もっとも、わたくしとダンガさまの身分違いに関わる事柄やキャプラ公領地長官としての責務に関わる事柄では無く、市井の一婦女子としてみた場合の『家事能力』というか『生活能力』に付いての指摘は、どうしようもないことと理解しつつも、少々悔しく感じてしまいますが・・・

「エマーニュ、あなたとダンガ殿が婚姻を結ぶに当たって色々と難しい側面があることは承知しているでしょう? 私から色々と言う前に、あなた自身がどう感じて、どう考えているかを、きちんとあなたの口から聞いておきたかったのです」

身内相手の時の御姉様は、余計な前振りや婉曲な言い回しなどしません。

そしてまた、その言葉がズバズバと的確に要点を突いてくるので、幼い頃から何度泣かされそうになったことか・・・
ですが、本質的には驚くほど周囲に対して優しい御姉様は、必ず最後にはわたくしを慰め、励まして、明るい気持ちで送り出して下さっていました。
今回もきっと、そうなって下さるはず・・・

「ええ承知しております御姉様。ですが、どんな障害や課題があろうと必ず乗り越えてダンガさまと結婚し、幸せな暮らしを築いてみせます」

わたくしが決意を込めてそう言うと、御姉様は少しだけニコリと微笑みました。
あら、ちょっと意外です。
少なくとも前半パートでは厳しいことを蕩々と諭されると覚悟していましたので。

「いいでしょう。もしもあなたが言葉の最後に『つもりです』などと緩い締めくくりを付けていたなら小一時間ほどお説教したかったところですけれど、言い切ったのなら信じます。これからは色々と大変でしょうけれど、全力で頑張りなさいねエマーニュ」
「あ、はい! 有り難うございます御姉様!」

「本質的にはリンスワルド家を上げてお祝いしたいほど喜ばしいことですよ? いまの状況からそうは行かないのが残念と言うだけで、わたくしもとうとうあなたが身を固めることになったのを喜んでいるのです。ところでダンガ殿は跡継ぎの件も承知の上であなたを受け入れて下さったのですよね?」

「もちろんですわ御姉様。むしろダンガさまも子供は女の子が良いと仰って下さいました。しかも将来、嫁に出すことも無いのならずっと一緒にいられると」

そう口にして自分で照れました。
一気に頬が赤くなったことを感じます。

「気が早いですね。まあ、わたくしも男性の我が子に対する感覚は微妙に女性側とズレている気が致しますわ」
「そうでしょうか?」
「ジュリアを見ていれば分かるでしょう?」
「ええまあ」
「それにしても、正直に言ってダンガ殿とあなたのことは意外ではあったのですよ? 出会った当初はライノ殿に思いを寄せていたことは分かっていましたからね」
「それは御姉様も同じではありませんか?」

少しだけ反撃してみました。

「ええ、勇者であることなど関係なく、あの方の人となりを知れば好ましく思うのは必然でしょう? あなた自身もそうだったのでは無くて?」

うまく逃げられましたが、それは確かに御姉様の仰るとおり。

「先日の襲撃で、わたくしはダンガさまから命を護られました。ポリノー村の事を考えると二度目、いえ三度目です。ダンガさまはリンスワルド家の...私の騎士ではないのに...」
「ダンガ殿の責任感の強さは半端ではありませんからね。ある種、正直さと責任感が服を着て歩いているような御方ですもの」
「ええ存じております。ダンガさまが身を挺して私を護って下さったのは、その責任感の強さ故だと...」

「ですがダンガ殿が守って下さったこと自体に対して、あなたが過度に責任を感じる必要は無いと思いますよ? むしろ、あなたが引け目を持つことはダンガ殿も本意では無いでしょうから」

「私のせいでダンガさまに瀕死の怪我を負わせてしまったことは事実です。ですが、私がダンガさまのお側にいたいと思った切っ掛けは、決して責任や引け目を感じてであるとか恩義に報いる為であるとか、そういった気持ちではありません。もちろん、あの回復魔法を通じてダンガさまの人となりを深く知った上のことであるのは否定いたしませんが」

「では、どういったところに惹かれたのかしら?」

「実直さと心の大きさです。それにその...護られた側として、自分を命がけで護って下さった殿方を好きになってしまうのは当然のことではありませんか?」

「あら...あなたも結構な乙女ね、エマーニュ?」

御姉様が少し悪戯っぽく言いました。
またしても頬が赤くなってしまいます。
思わず反撃しようかという思いもよぎりましたが、そのやり取りの終着点はお互いの実年齢を意識に上らせる結果になりかねないので自粛しました。

「それにライノ殿の仲間はみんな対等。でしたら、私がエルフ族の貴族であることやダンガさまが庶民生まれのアンスロープ族であることなど、なんの関係もないはずです」

「それはその通りですわ。ところで冗談はともかくダンガ殿も、それにライノ殿も少し気になっていることがあるようですよ?」
「なんでしょう?」
「あなたが、あの襲撃の時に着ていた、よ...血まみれのドレスを部屋に掛けていることです。どうしてあえて浄化せず、そのまま部屋に置いているのかと」

『汚れた』と言いかけて、とっさに『血まみれ』と言い換えたのですね。
そういう御姉様の心遣いにはいつも感心します。

「だって、あのドレスに付いているのは、ダンガさまが私を護るために流して下さった血なのです。それを無かったことのように洗い流すなど、どうして出来ましょうか?」

「なるほど...ですがその思いは、いつかダンガ殿にもきちんとお話しした方が良いでしょう。殿方というのは怖がりですからね」
「はい?」
「考えてもみなさいなエマーニュ、直接の思いを知らない方々にとっては血まみれのドレスなんて恐怖を呼び覚ます存在ですよ? あなただって、ある日、わたくしやシンシアの部屋に入って血まみれのドレスが壁に掛かっているのを見たら卒倒するでしょう?」
「あ...」
「もちろん自分自身の決意の象徴として保管しておくことは悪いことではありません。保管方法は少し考えた方が良いですけれど」

「言われてみればそうですね...」

「この屋敷にいる方々やトレナ達は事情を知っているから平気ですが、リストレスの官邸に戻って同じ事をしたらメイド達が不安に駆られます。怖がって辞めるものさえ出かねませんよ?」

「今後は目立たないように保管しますわ...そして、いつかわたくしの命が尽きた時には、あのドレスも一緒にお墓に入れて貰いたいと思います。あのドレスにダンガさまの血が付いた日が、わたくし本来の寿命だったのですから...」

わたしがそう言うと、御姉様はとても・・・とても暖かな微笑みを向けて下さいました。
幼い頃から何度も見ている頼りになる笑顔。
この笑顔を向けられれば、どんな不安も霧が晴れるように消えてなくなります。

これまでも、ずっと、ずっと、そうだったのですから。
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