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第五部:魔力井戸と水路
アプレイスの矜持
しおりを挟む俺とシンシアとアプレイスは、エスメトリスが駆け上がって行った抜けるように青い空を、しばらくボーッと見上げていた。
「なあ勇者ライノ・クライス」
「ライノでいいってば」
「さっき俺が地上でお前と戦おうとせずに、飛び上がってひたすら空からブレスを吹きかけてたらどうしてた?」
わざわざ戦いの宣告に来た事も、シンシアを見逃そうとした事も、初手がブレスで無かった事も、そして飛べない俺と地上で戦おうとした事も・・・それらは恐らくアプレイスなりの矜持なのだ。
今となれば、アプレイスが根っからの乱暴者などでは無く『竜退治に来た勇者と戦う』という千載一遇のシチュエーションに舞い上がっていただけだと思える。
つい先刻までは本気で殺し合っていたというのに、俺は妙にアプレイスの事が好ましかった。
「お前が飛び上がってれば石つぶての良い標的だよ。地上だろうが空中だろうが、お前たちドラゴンはブレスを吐く時には必ず静止する。そして相手に向けて大口を開くんだ」
「移動しながらじゃブレスを吐けないってのを知ってやがったか!」
「過去の経験でな。だから広い範囲を焼きたい時にドラゴンはその場に留まったままで首を振る」
「くそっ!」
「空から俺を攻撃するには爪も牙も使えないからブレスを吐くしか無い。そのブレスは防ぎ切れただろうし、一度ブレスを吐けば、次のブレスが吐けるようになるまで必ず間が空くからな。お前が地上に墜ちるまで口の中に石つぶてを叩き込み続けたってだけだ」
「アレが石つぶてなんて生やさしいモンかよ!!! 見たことないぞ? 喉を潰された上に首の骨まで折れそうだった...だいたいコッチはブレスを避けずに防がれたってのが想定外なんだよ」
「さすがに、ブレスを防げる目処もナシにドラゴンに戦いを挑むなんてしないさ。それこそ愚の骨頂だろう?」
「チッ、どの道、俺が勝つ目はなかったって事か...」
「いやどうかな? それは分からんよ。勝負は時の運だ」
「まあな...だけど力量の差ってものは明らかにある。いまの俺では、どうやっても姉上に勝てるとは思わんし」
「ああ、そりゃあ『時の運』にも限度はあるよな?」
「だな」
俺も正直に言って姫様やシンシアと出会った頃の実力では、到底アプレイスに勝つ事は出来なかっただろう。
恐らく、ほぼ瞬時に消し炭にされて終わっていたと思う。
リンスワルド城を出てからの今日までの道のりは長かったけど、パルミュナに助けられて魔力を高めてこれたし、シンシアも精霊魔法を身に着けた。
二人、いやクレアも含めて三人の妹たちの誰がいなかったとしても、俺はここで死んでいたはずだ。
それどころかエルスカインが仕組んだ奔流の歪みのせいで、地表に滲み出ている魔力にどっぷりと浸かりながらここまで移動してきたという事が無ければ、アプレイスを倒す前に俺の魔力が枯渇していたかも知れないのだから、世の中は皮肉なモノだとさえ思う。
ま、そう考えると俺は『並外れて運が良かった』ってことなんだろうな・・・
「で、我が主さまよ、これからどうするんだ?」
不意にアプレイスに呼びかけられて物思いを中断する。
「そういう呼び方は勘弁して欲しいんだけど?」
「まあ呼びかけ方はともかくとして契約を守って義理を果たさなきゃならんからな。命令を出して貰えないと俺は動けないぜ?」
「とにかくライノと呼んでくれ。そしてアプレイスには、これからのエルスカインとの戦いで俺を手伝って欲しいんだ」
「じゃあライノの仰せのままに、だな」
「ともかく、いったんはここを出よう。屋敷に戻ってみんなに無事を知らせる事と、これからの行動を相談したいからな」
「はい御兄様、それにパルミュナ御姉様のことも早く方針を決めませんと」
「そうだな...」
結局、ドラゴンを斃して魔力を奪い取るとはならなかったけど、それは元から狙っていた事じゃないから構わない。
アプレイスやエスメトリスがエルスカインの手中に落ちる事を防げたってだけで、今回の旅は大成功なんだし、むしろいまはアプレイスを殺さずに済んだ事が嬉しい。
とは言えパルミュナを・・・そしてクレアも。
再び言葉を交わせるようにすることが、俺にとって最優先なのは変わらない。
そのためには、できるだけ早くエルスカインと相まみえる必要があるだろう。
「で、戻るというのは具体的に何処へ向かう事になるんだライノ?」
「まずはミルシュラントの王都、キュリス・サングリアの近くだ。そこに俺たちが拠点にしている屋敷がある」
「ふむ、了解だ」
「ある程度近寄れば転移で戻れるんだけどな...」
「ホントに転移魔法が使えるのかよ」
「もちろん人の魔法じゃ無くて精霊の魔法だよ。ただ、ここは遠いし、俺もシンシアもかなり魔力を消費しているから、屋敷まで安全に転移するのは厳しいだろう。少しは物理的にレンツに向けて戻らないと駄目だな」
「距離と奔流の影響との兼ね合いがありますから絶対にダメとは言い切れないですけど...ちょっとだけ見てみますね?」
シンシアがそう言って手早く転移門を設置する。
魔法陣の中心で、しばし虚空・・・恐らくは屋敷のある方向を見つめていたシンシアが首を振った。
「やはり危険だと思います御兄様」
「それもそうか...」
「考えてみると、そもそもアプレイスさんのような魔力の塊と一緒に転移する事が安全なのかどうか...屋敷のすぐ近くで実験して、危険が無いかを確かめてからの方が良いかもしれませんね」
「ここは転移が難しいのか? なら飛べば良いか?」
「おぉ、飛べばいいのか!」
「俺の背中に乗っていけば良いさ。キュリス・サングリアには行った事が無いけど方向を教えてくれればいい。ライノ達は途中まで馬車で来たんだろ? なら飛ぶに臆するほどの距離じゃ無いはずだ」
「うん、それだな! よしアプレイスに乗っけて貰おう」
「はい! アプレイスさん、是非よろしくお願いします」
「なんの遠慮もいらないよシンシア殿。俺の事はシンシア殿専属の馬車、いや竜車だと思ってくれていい」
「それ、ちょっと気持ち悪い言い方だぞ?」
「自然な気持ちが態度に出てるだけだ」
「ほざけ」
まあアプレイスとは気が合いそうだ。
「とにかく背中に乗ってくれ。俺が背中に結界を張れば宙返りしても墜ちたりはしないから、立とうが座ろうが寝転がっていようが構わないさ。好きなように過ごして貰えばいい」
「わかった。シンシア、ちょっと抱え上げるぞ?」
「はい」
シンシアを横抱きに抱えてそのままジャンプし、アプレイスの背に飛び乗った。
「よし乗ったな? では行くぞ!」
そう言ってアプレイスは一度大きく翼を羽ばたかせると、空に舞い上がった。
さっきのエスメトリスの飛翔も同じだけど、ドラゴンやグリフォンは鳥のように羽ばたく力で飛んでいる訳ではない。
最初の一羽はばたきは、魔力を自分の周囲に纏わせるためのお決まりの仕草のようなものか。
「何なら寝ていても構わないぞ。大地に降りる時には起こしてやろう」
かなり激しく動いているはずなのに、結界の効果なのかアプレイスの声はすぐ側で話しているかのように明瞭だ。
「いやあ、せっかくだからここからの景色でも眺めているとするよ。なにしろ空を飛ぶなんて生まれて初めての経験だ」
「ですよね!」
それを聞いてアプレイスがわずかに顔をこちらに向けた。
竜の顔なのに、なぜか少しばかり楽しそうと言うか、面白そうな表情をしたのがわかる。
「そうか。なら下界が見えるくらいの高さを飛んでやるか...地平の端が丸く見えるほど高く飛ぶのも一興だけど、空に浮くのが初めてなら地上の細々としたものが見えた方が面白いかもしれん」
「それはありがたいんだが、あまり低く飛ぶと人に見られないか? 正直に言って、ドラゴンが王都に近づくと人々の間で騒ぎになりかねないからな。人に姿が見られそうな場所になったら地面に降りて、今朝の人の姿になってもらった方がいいと思うんだが?」
「問題ないな。先ほど飛び上がるときに俺の周囲に張り巡らせた結界は、外からは不可視となるんだ。どんなに低く飛ぼうと地上から俺の姿は見えない」
「へー、なるほど。そう言えば今朝アプレイスが訪ねてきた時も、まるで気配を感じなかったな」
「アレは、人の姿を取っていたせいも大きいな。力が外に出ないように抑え込んでるようなモンだから」
「やっぱりそうか、シンシアの推測通りだったな」
「だけど姉上はもっと上手いよ。本来の姿のままで気配も完全に隠せる」
「そうだな! さっきは空中に突然姿を現すまで、俺もシンシアも全く気が付かなかったもんな」
「だろ?」
「ん? だったらなんでエスメトリスは、北部大山脈に飛んできた時には姿を隠してなかったんだ? 大勢に目撃されてるんだぞ?」
「そりゃあ、たぶんワザとだ」
「なんで?」
「だって姿を見せとけば人が寄りつかないだろ? ドラゴンのいる場所にわざわざ上がってくる酔狂な人族は、怖い物知らずの勇者ぐらいのモンだからな!」
「お褒めにあずかり光栄だ...でもエスメトリスは人嫌いには見えなかったけど、そうでもないのか?」
「姉上は人が嫌いって言うんじゃなくて、単に静かに過ごすのが好きなんだよ。ノンビリ休んでいる時は人だろうが同族だろうが、誰にも邪魔されたくないって感じだな」
「それ分かるよ!」
「分かりますね!」
「そうか?」
俺もずっと一人で行動する遍歴破邪だったし、シンシアも仲間を集めてワイワイ騒ぐよりも、一人静かな部屋で本を読んでいる方が好きってタイプだからな。
エスメトリスは性格的に近いのかも・・・
「じゃあアプレイスも人を寄せ付けない為にワザと姿を見せていたのか?...ちょっと意外だな」
「いや。俺は姉上とは違う意味で人族に見られようが見られまいがどうでもいいと考えていたからな。むしろドラゴンの姿を見て挑んでくる奴がいれば、丁度いい暇つぶしになるって程度だ」
「あ、そう...」
『暴れ者ドラゴン』の面目躍如ってところか?
本当は濡れ衣だったけどな。
それに暇つぶしって軽く言うけど、さっきは死にかけてたよね?
俺も完全にテンパってたからトドメを刺しかけてたけどさ・・・
「まあ、とにかく王都までよろしく頼むよ、アプレイス」
「任せろ!」
アプレイスは勢いよく答えると、再度翼を大きく羽ばたかせて速度を上げた。
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