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第二部:伯爵と魔獣の森
またまた奇妙な噂
しおりを挟む士官室は、こぢんまりとしているが整った部屋だった。
ちゃんとベッドがあるし、書き物の出来る小さな机と椅子、それに四人程度で囲める丸テーブルまであって、ちょっとした打合せなどにも使えるようになっている。
俺はベッドの上に背負い袋を置いて、その中の革袋に手を突っ込んだ。
とりあえず、明るいうちに装備の手入れだな。
鍋とコップ以外はなにも使ってないが、気は心、という奴である。
それと、明日は少し買い物して携帯食料を補給しておくか。
アスワンから金貨も受け取ったし、次に大きな街に行くことがあったら、出来れば銀サフランも補充しておきたい所だな。
金貨か・・・
当面の活動費用としては十分すぎるぐらいの手元資金だ。
装備の手入れを終え、少々思いついたことがあったのでそれを考え考え書き留めたりしていると、炊飯所の方から鍋底を叩くカンカンカンという金属音が響いた。
どうやらあの女将さん、この兵舎で食事の用意をする時は、食事の呼びかけも軍隊流でやるらしい。『食事が出来たから食堂にきとくれよー』という声が廊下の向こうから響いてくる。
考え事に耽っている間に結構な時間が経っていたようで、ふと外を見ると、すでに日が沈みかけていて、食事にもいい頃合いだ。
俺が扉を開けて廊下に出ると、ちょうどケネスさんたちやダンガたちも部屋から出てくる所だった。
ぞろぞろと八人で歩を連ねて炊飯所の隣にある食堂に入ってみると、すでにテーブルの上には料理が並んでいる。
それも結構、豪華な感じ。
真ん中にはどーんっと大きな茹で肉の塊をスライスした大皿。
なるほど、女将さんはこの大きな塩漬け肉の塩抜き作業から始めるから時間が掛かるって言ってたんだな。
脇には炙ったアスパラガスが添えられていて、これも美味しそうだ。
「あれっ? 女将さん、まさかエールまで担いできてくれてたんですか?」
「おや、気づきませんでしたか? 少し前に詰め所のベルゴーさんから届きましたわ。あの男が樽で担いできたんでお代わりもありますよ」
『あの男』というのは、おそらく詰め所の大男のことだろう。
それにしても、豪勢な料理にエールまで添えられていて有り難いことだ。
「そいつは嬉しいな。支払いはどうすればいい? いまここでも構わないが?」
「いやあ、兵舎で出した食事の代金は衛士隊の会計からまとめて貰うことになってるんで大丈夫ですわ。今回のもベルゴーさんからいつも通りだと言われておりますよ?」
「おお、そうかい。じゃあ明日にでもベルゴーには礼を言っておこう」
「はいはい。お願いしますね」
そう言って女将さんは炊飯所にひっこんだ。
ケネスさんたちは四人並んで長テーブルの向かい側に座ったので、自然とこちらは俺とダンガ兄妹の四人で並んで対面する形になる。
テーブルの上に豪華な食事が並んでなかったら軍議してるみたいだな。
「ここの兵舎に来たのは初めてだが、なかなかいい感じだな。あの詰め所の責任者のベルゴー主任というのも気の回る男だ」
「そういえば、行きがけはこの街は通り抜けなかったんですか?」
「ああ、ちょっと確認しなきゃいけないことがあってな。俺たちは森の中の集落をいくつか抜けてきたんだ」
「そうだったんですか」
「それこそ、昨日ライノが言ってたような話だな」
「え、俺が?」
「魔獣が出たって呼ばれたら領民を襲ってたのが山賊だったってことも珍しくないって言ってたろ? まさにあれだよ」
「じゃあ、魔獣...じゃなくて山賊が?」
「それが本当に魔獣ならライノみたいな破邪の出番だろうけどな...まあ、隠すようなことでもないが、春先になって、この地域で南の森に入った領民が立て続けに数人、行方不明になったって噂が王都に届いてな」
「そりゃまた...」
「だが、正規の報告が上がって来ないのに噂が届くってのはそもそもおかしい。もちろん、領主のリンスワルド伯爵家にも公式に問い合わせをしたが、騎士団からそんな報告は上がってないという。国軍から派遣している衛士隊の報告も同様だ。で、だったら噂の出所はなんなんだって話で、俺たちが調査に来たってわけだ」
「そんなやっかいな話だったんですね」
「滅多にないことだが、本来は取り締まる側が袖の下を貰って盗賊団とグルになってるって可能性もないとは言えないからな。昨夜、ライノも言ってただろう? もし俺たちが本物の盗賊だったら、まず金品で懐柔しようとしたはずだって」
「ああ! それで、俺もそういう盗賊とかの一味じゃないかと思われたんですか?」
「迷惑を掛けてすまなかったが、正直そんな話だ」
「しかし理由がなんにしても、領民が行方不明になってたら村は大騒ぎでしょう? 魔獣に食われたんだろうと、魔獣のせいに仕立てようとした山賊にやられたんだろうと、そこは変わらないんじゃないですか?」
「ああ。だから調べたんだが、騎士団や衛士隊からの報告通り、行方不明者なんて一人もいなかった」
「んん? だったら、その噂を流した奴って言うのが、なにか良からぬことでも企んでたってことですか?」
「それがなあ、そうも言えないんだよ...人が消えたって証言した村人は一人じゃないが、実際に行方不明になってる村人は一人もいない」
「いや、待ってください。それって一体どういうことです? 人が消えたって言うのに消えた人はいない?」
「よくよく話を聞いてみるとな、それが誰だか分からないが、野良仕事の最中なんかに、誰か森の中に入っていった人を見た、っていう村人がいるんだ。ところが、その森から戻ってきた人がいるのを見た者が誰もいない。そんな僻地の集落を旅人が通り過ぎる訳もないし、そうなると当然、村の誰かが見慣れない服でも着てたのかって思うよな?」
「ああ、まあそうですね」
「で、森に入っていった奴がいるが、戻ってきた形跡がないと。いなくなったのは誰だ?って村中に声を掛けてみたら、ちゃんと全員揃ってる...実際にはいなくなってる奴なんか、どこの村にも一人もいないんだ。訳が分からないだろう?」
「いやあ、そりゃあ本当に訳が分からないです...」
でも、口では分からないと言いつつも、俺はなんとも言いがたい不穏な空気を感じていた。
旧街道の魔獣目撃談とも、養魚場のスズメバチの幻影話ともまた違うけど、なにか根底に共通する怪しさのようなものが感じられる。
俺の神経が過敏なのかも知れないけど、なんというか...『エルスカインの匂い』とでも言いたくなる不気味さだ。
「そんな話が行商人なんかをつうじて近隣に広がったもんだから、領民たちの間で森に不気味な奴らが潜んでるんじゃないかって噂にもなってな。とうとう治安部隊までその話が届いたってわけさ」
「うーん、なんとも判断しかねる話ですね...ただ、悪事を企んでる連中なら、わざわざ村人の目に触れるような場所で森に入っていったりしないでしょう?」
「そうなんだよなあ...で、俺たちも南の森を回って村や集落で話を聞いて回ってみた。怯えている村人は大勢いたが、結論としては『分からん』ってところだ。仕方が無いので、この件は保留にしてフォーフェンにでも行くかってなった途中でライノに出会った」
「はあ...」
聞いた時には『エルスカインの気配』なんて頭に浮かんだものの、じゃあ、それが実際になんで、どんな企みがあるんだ?っていうと、さっぱり見当も付かない。
それに、ここでエルスカインやスズメバチの話なんかするわけにも行かないか・・・
「それはそうと、ライノはここから王都へ向かうのか?」
ケネスさんから急に呼びかけられて物思いを中断する。
「ええ、そうですね。レミンちゃんの病気も無事に治りましたし、明日は、このままリンスワルド城の脇を抜けて、街道を北上していこうと思います」
「そうか。ライノと出会ったのもなにかの縁だ。まあ、また会うことがあるかもしれんが、それまで元気でやってくれ」
「はい、ありがとうございます。ケネスさんたちこそ、お元気で」
まだお別れじゃないのに、急にお別れムードである。
そこに女将さんが顔を出した。
「エールのお代わりでも注ぎましょうか?」
「あ、女将さん、明日はこの街で少し買い物をしていきたいんですけど、どのあたりに行くのがいいですかね?」
「買い物ですか? えーっと食べ物とか、そう言うのでいいんですかね?」
「ええ! そうです。そうです。旅に持って歩ける保存食とか、そういうのを仕入れたいなって思うんで」
「ああ、それでしたら、明日は星の日で市が立つんで、村の真ん中の広場の方に行かれるといいですよ」
へえ、市が立つのか・・・
土地の領主によっては、市の日を定めて、そこでの売り買いには税金をかけないなんて場合もあるので、色々なものが安く買えたりする。
そうで無くても、常設の店や市場と違う売り買いの場は、季節ものや農民の手作り品も沢山出てくるので狙い目だ。
いまの俺には『アスワンの革袋』という強力な援軍がいるからな。
買い物のチャンスには食指が動くのだ。
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