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第二部:伯爵と魔獣の森
銀サフランの値段
しおりを挟む俺は思わずレミンさんの笑顔に見とれてしまう。
両手の先はレミンさんにしっかりと握られたまま離されないけど、こちらから振り解くのは無礼な気がして、固まったまま動けない。
「出来れば『レミンさん』じゃなくて、『レミン』って呼んでください」
「あー、うん、じゃあ、間を取ってレミンちゃんで?」
俺が少しばかりおどおどしながらそう言うと、レミンさんはクスッと笑って頷いた。
「じゃあ、いまはレミンちゃんでもいいです。いつか、レミンって呼び捨てにされるようになりたいですけど」
「あー、アンタたちねえ、そういうことは止めろとは言わないけど、出来れば外でやって貰えないかしらねえ? オバさんには目の毒だわ」
二人で手を握り合ったまま声の方に振り向くと、いつのまにか奥のドアが開いていて、治癒士のおばさんがそこに立っていた。
怒っているのでは無くて、ニヤニヤしているというのが、むしろ心臓に悪い。
「すす、すいませんっ!」
「すぐ、顔を打った奴を連れてきます!」
治癒士のおばさんの気配に気づかなかったとは、実はレミンさん改め、レミンちゃんも結構テンション高かったのか?
「まあ、なんにしても元気になって幸いだったね!!!」
おばさんの声を背中に、俺とレミンちゃんは慌てて治療室を出た。
揃ってドアから出てきた俺たちに全員の視線が向けられるが、平静を装ってロベルに声を掛ける。
「あー、ロベルさんも診てくれるそうだからすぐ奥に来いって」
「おっ、分かった!」
そう言ってロベルさんがそそくさと奥に入っていく。
やっぱり、あれはかなり痛いのを我慢してたんだな。
後はとりあえずダンガとアサムに報告だ。
「うん、もうレミンちゃんは問題ないって。やっぱり破傷風だったみたいだけど、運が良かったのとレミンちゃんの抵抗力が強かったおかげで、無事に毒も身体から消えてるそうだ」
「おお、そうか!」
「姉さん、良かったなあ!」
「でも、ライノさんがくれた薬のおかげで痛みが治まったから毒に抵抗する力が生まれたんだって治癒士の人が言ってたわ。アレを飲ませて貰えてなかったら、私は危なかったみたい」
あれ、そこまで言ってたっけ?
それとも俺が部屋に入る前の話?
「いやまあ、レミンちゃんが強かったのが一番だよ。それに、とにかく病気の心配がもう消えたんだから、いいじゃないか」
俺が話を収めようとした所に、ケネスさんが口を挟んだ。
「へえ、一体なにを飲ませて貰ったんだい?」
「銀サフランだそうです」
「銀サフランか! そりゃまた凄いな。一回飲む分で子羊が一頭買えるだろ?」
それを聞いてダンガとアサムが唖然とし、次に真っ青な顔になった。
レミンちゃんも目が丸くなってるな。
高価とは聞いても、そこまでとは思ってなかったか。
ケネスさん、ナチュラルに余計なことを・・・
「そそそ、そんなに高価なモノなんですか!?」
「おう、希少だからな! 一反の銀サフラン畑からようやっと手桶に盛るくらいの量が、年に一回だけ取れるって代物だ」
「そんなに貴重な...」
「だからニセモノとかが出回らないように、普通は領主の認可した畑で、決められた通りの育て方をしたものしか外に出せない。まあ、ニセモノは煎じても湯が黄色くならんし香りも魔力もないからすぐにバレるらしいけどな」
「いやあ、破邪は普通に持ち歩いてるものなんですよ。人里離れた山の中で怪我をすることだって多いですからね」
「そうなのか。まあ、命あっての物種だからなあ。俺なら自分が足を折っても飲むかどうか悩むだろうけどよ!」
お願いもう止めて!
ダンガの顔色が悪いの!
「な、なあ、ライノ。昨日はお礼がいらないなんて言われて助かったって喜んだけど、さすがに、そんな高価なものを使って貰ってるなんて知らなかったんだよ...だから、さ」
「ストップ! そこまでだ、ダンガ。頼むからそれ以上言わないでくれ。その話は昨日で決着したし、俺は蒸し返したくないんだ」
「で、でもさ...俺たち...」
「ダンガ、逆の立場で考えてみてくれ? 目の前で女の子が苦しんでる。ひょっとしたら死ぬかも知れない。お前、薬の値段を考えて使うかどうか判断できるのか?」
「そりゃあ...」
「無理だろう?」
「ああ」
「昨日、俺は言ったよな。破邪は自分に出来る範囲で手助けするって。昨日は、銀サフランが俺に出来る最善のことだった。それだけだ。俺の気持ちを尊重してくれるなら、この話はもう終わりにしてくれよ?」
「う、うん。分かった。ありがとう、ライノ」
「姉さんを救ってくれて感謝するよライノさん」
「おう。二人の感謝の気持ちは受け取ったぜ? な、人付き合いなんて、それだけでいいのさ」
「ライノ」
ケネスさんが急に深刻な声で俺を呼んだので、ちょっとビクッとする。
「なんですか?」
「お前、ほんとに大した奴だな」
「勘弁してくださいよ。破邪なんてみんな似たようなもんです」
「そんなわけあるか」
「まあいいじゃないですか。それより腹が減りましたよ」
もう強引なのは承知の上で話題を変える。
上手い具合に、ちょうどそこでドアが開いてロベル氏が出てきた。
真っ赤に膨らんでいた腫れも綺麗に引いてスッキリした顔をしてる。
「おう、ロベルも治して貰えたか。もう平気か?」
「はいっ、問題ありません」
「よし、じゃあライノの要望に応えて、これからみんなで飯でも食いに行くか!」
くそう、俺が無理矢理に話を変えたことを皮肉られたよ・・・
++++++++++
衛士隊の詰め所に戻って『お勧めの飯屋』を聞いたら、またさっきの大男が店まで案内してくれた。
「では、騎士位殿。自分はここで失礼いたします。なにかご用がありましたら、詰め所の方におりますのでお申し付けください!」
去り際の台詞まで、さっきと一字一句同じなのかよ。
むしろ感心するぞ。
八人でどやどやと飯屋の中に入っていくと、すでに昼をかなり過ぎていた時間と言うこともあって、食堂の中は空いていた。
これなら全員まとまって座れるな。
店の主に声を掛けて奥の大きなテーブルを占領させて貰ったが、見た目のバラバラなというか、明らかに余所者な風貌の八人とは言え、制服を着た衛士に案内されてきたので、不審者だと思われてはいないようだ。
うん、衛士に案内を頼むのも悪くない。
「いらっしゃい。お客さんたちは衛士隊の偉い人かなにかですかい? あいつは声がデカいからね。なんかそういう風に聞こえたんだけど」
あの大男の声のでかさは有名らしい。
「まあ偉くは無いが、関係者ってところだ」
「そうすか? ただ、今日はもうあらかたのネタが捌けちまったんで、この人数にお揃いの定食を出すのはちょっと厳しいんですよ。お任せにして貰えれば、大皿に盛ってみんなで摘まめるように出していきますが、どうしやしょう?」
「ああ、それでいいかな?」
と言いつつケネスさんが全員の顔を見渡す。
異論のある者などいないので、それで決まった。
「じゃあ任せるんで適当に頼む。あとエールを人数分出してくれ」
「へい、承知です」
主の奥さんらしき中年女性が、エールとお盆に盛ったパンを運んで来てくれて、そのすぐ後に作り置きのツマミの類いもいくつかの皿に盛ってきてくれた。
腸詰めと酢漬けの野菜、それにナッツとチーズだ。
保存できる食品ばかりだけど、どれもつまんでみると味は悪くない。
「やっぱりリンスワルド領はどこも食べ物が美味いよな」
ケネスさんの感想も俺と同じだ。
「ですよね。俺も初めてエドヴァルからミルシュラントに入ったのがリンスワルド領だったから驚きましたよ。特にフォーフェンの食堂で食べた料理なんて、これまでの人生で一番美味かったですね」
「そいつは凄いな...よし、フォーフェンに行ったらその店に行ってみたい。名前が分かれば教えてくれよ」
「えっと、宿屋の名前は『銀の梟亭』でしたね。そこの食堂の料理が凄くって、フェンネルとバターのソースを詰めた鱒の塩焼きとか、羊の煮込みとか、あと塩漬け豚の茹でた奴なんかも、他で食べたこと無い味でしたよ」
「へえー、そいつは楽しみだ。必ず行こう」
「それと驚いたのが甘いものですよ」
「甘いもの? そんな料理があるのかい」
「いや、その時は妹と一緒にいたんですが、ジャムみたいな甘いものが食べたいって言うんでね。店の人に聞いてみたら出てきたんですけど、イチゴを煮込んだタルトとか、ケーキっていう名のふわふわした甘いパンだとか、もう初めて食べたけどビックリな代物でしたね」
俺はその話をしている時、隣に座っていたレミンちゃんの耳がピクッと動いて、尻尾がさわさわって動いたのを目の端に捉えていた。
やっぱり女の子だなあ・・・
「ふーん。フォーフェンあたりはエールも色々美味いって聞くし、これは俄然、楽しみになってきたな!」
「ケネスさん、それって、まるで任務とは関係ない目的じゃあ?」
「なにを言う、このくらいは任務中の息抜きって奴だよ。なにしろ四六時中、公国内を旅して回ってることが多いんだ。行った先での楽しみくらい見つけておかないと息が詰まるからな!」
うん、確かに旅を続ける上で、食べる楽しみはとても大切だ。
そこは同意しますよ、ケネスさん。
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