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第二部:伯爵と魔獣の森

橋を渡って養魚場へ

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翌朝はレビリスと一緒に宿屋を出て、事故現場の養魚場へと赴いた。

養魚場へ向かうには、キャプラ橋のたもとから東に延びる街道からさらに分かれて、集落の中を突っ切る形の脇道に入って進んでいく。
脇道と言っても、道幅は広くて平坦で、これなら伯爵家の大きな四頭立て馬車でも颯爽と走れただろうと思える。

時折、荷馬車に追い抜かれたりすれ違ったりはしたが、この集落に来るまでの街道とは違って、歩いている人はほとんどいなかった。
レビリスの話によると、この道は養魚場兼塩漬け加工場で突き当たりになっていて、その先に続く道はない。
つまり、例え地元民でも、この先に用のない人以外は通るはずもない道ってことだ。

宿屋のある集落から少し進んで、周囲に人の気配が消えた辺りで、レビリスが聞いてきた。

「で、なにを探す感じになるんだ?」

「正直、なにか目で見て分かるものが見つかるとは思ってないんだ。事故から二年経ってる訳だし風雨に晒されて消えてるか...そうでなくても、用意周到なやつらが現場に証拠を残したまま放置してるなんてありえないからな」

「そりゃそうだな」

「ただ、パルミュナの目もあるし、現場を実際に見れば、『ここならこういう罠を張れるかも』みたいなことが分かるかも知れないだろ? それが凄くあり得そうなことだったら暗殺の可能性は残るし、なにもなければ、俺の考えすぎで本当にただの事故だった、ってことで平和だしな」

それから俺は、昨日パルミュナと話した『スズメバチは目眩ましの陽動かも知れない』という推測をレビリスに話した。

「橋に通りかかった時にいきなり馬が暴れ出したとしたら、みんなそれはなんでだ?って考える。馬が暴れた原因を探すだろうさ。だけど、そこにスズメバチがいたら、誰でもそれが原因だって思い込む」

「なるほどね...ライノの言う目眩ましって手段も分からんでもないな。仮に、橋や馬車自体になにか仕掛けをしてあったとしても、みんなそんなこと気づきもしないで、はなから馬車が川に落ちたのはスズメバチのせいだって思い込むだろうなあ...」

「それにガルシリス城のことを考えても、あんな手間と時間の掛かることを仕組んでた連中が、運任せなことなんてやるはずないって思うよ」

「ああ、仮にエルスカインがスズメバチを操れたとしてもさ、それだけじゃあ、馬が川に落ちるかどうか、伯爵が死ぬかどうかは賭けみたいなもんだもんな...」

「だったら、馬自体を操った方が早い。伯爵家の馬車を引く馬に魔物を取り憑かせることが出来るくらいなら、屋敷の中で暗殺することだって出来たのかも知れないけど...でも『事故』に見せかける必要があったとしたら、手の込んだことをする理由になる」

「確かにな。ただ殺すだけじゃなくて、事故死に思わせる為には、そういう納得できる流れが必要って訳か...」

++++++++++

そんなこんなを話しながら、宿からは半刻ほどで、伯爵夫妻が事故に遭ったという橋にたどり着いた。

橋の上から川面を覗き込んでみると、いまは春で水量も多く、かなり勢いよく水が流れているが、それでも川幅に較べると水量が少ない気はする。
しかも水底にはゴツゴツした大きな石が転がっていて、平野部の川よりも山間の川に近い雰囲気だ。
橋の上から水面までも結構な高さがあるから、水の少ない時にここに落ちたら危なかったろうな。

「結構、急な流れの川だな。まだ麓って言うか、ほとんどフォーフェンから登ってきた感じもしてなかったから、もっとゆったりした、平地っぽい川なんだと思い込んでたよ」

「ここは地形的にそうだな。養魚場の方を見れば、どうしてここに橋を造ったかわかるよ」

「へー、そうなのか」

橋の中央付近には、敷板にも欄干にも抉れたような傷跡が残っている。馬車が落ちた際に壊れたであろう欄干だけは取り替えられていて、まだ新品同様だ。

領主ご夫妻が事故で大怪我をした場所とあれば、普通の貴族なら『縁起が悪い』と橋を壊して架け直す位のことはやりそうだが、リンスワルド家というのは、そういう部分に関しては合理的らしい。

一応、三人で橋の周辺の道や木立の中を見て回ったりもしたが、もちろん、怪しいものなどあるはずもないし、嫌な気配も感じない。

「魔力は濃いけど、別に澱んでるとか乱れてるってこともないねー」

レビリスは分かっているので、パルミュナに遠慮なく手を繋がせて貰ったが、あちらこちらにちびっ子たちもいて、人の目で見ても精霊の目で見ても、変わらぬのどかな風景だ。

「なあ、レビリスはその事故があった後で、すぐにここに来るような依頼があったりしたかい?」

「いやあ、あの後はほとんどの仕事がストップって感じだったからなあ...それこそ岩塩の採掘場も止まってたしさ、ここの塩漬け加工場なんかも言わずもがな。まあ、養魚場の池の方はさ、面倒を見ないと魚が死んじゃうからって世話だけは続けてたらしいけど、伯爵家が経営してた事業はほとんど止まってたよ」

「それも無理ないか...伯爵家にとっては、きっと経営的にも大ダメージだったんだろうなあ」

「だろうねえ。それに採掘場とか加工場とか製塩場とか、仕事を止めてる間も、ずっと給料を払い続けてたそうだしさ、相当な損害だったと思うよ」

「え、仕事しなくても給料を払ってたのか? なんだそれ!」

「リンスワルド家の方針って言うかさ? とにかく、伯爵家ゆかりの場所で働いているものに迷惑をかけないようにってことだったらしいね」

「やっぱりリンスワルド家って凄いな...そこらの貴族じゃ考えられないよ。って言うかエドヴァル辺りの貴族じゃ、そういう対応は想像も出来んぞ?」

素直に感心するよ。
家臣や使用人たちのことを、そこまで気遣う貴族なんて、そうそういるものじゃないだろう。

そんなことを話しながら橋を渡って養魚場の敷地に入ると、レビリスの言った『見れば分かる』という意味が分かった。

ここよりも、さらに上流側から水を引き込んである養魚場は、緩やかな丘の斜面全体を使った『段々畑』のような構造になっている。
畑の代わりに、かなりの面積を持つ池が各段ごとに掘られているのだ。
畦道で細かく区切られた無数の池は互いに水路で繋がれて、広大な斜面一杯を覆うように立体的に広がっていた。

「なるほどなあ...これは見事なもんだ...」
「凄いねー。あの池ぜーんぶで、お魚を育ててるのかなー」
「ああ、池が細かく区切られてるのは、魚の種類と育てた期間をきちんと分けておく為なんだそうだ」
「種類だけじゃなくて期間もか?」

「一年だけ育てて出荷する魚と、二年以上育てて出荷する魚と、次の種魚の親にする魚と、って具合に細かく分かれてるんだってさ。それに、稚魚を混ぜとくと、パーチの子供なんてあっという間にカワマスに食われて消えちまうらしいぜ?」

「ふーん、工夫してあるんだなあ...」

川の水量が減っていたのは、雨が少なくて乾燥気味な秋だと言うこともさることながら、ここへの水の引き込みが増えていた頃合いだったからかも知れないな。

一本の川を二本に分ければ、そりゃあ各々の水量は減って当然だ。

「そうそう、そう言えば一番下の段がパイクを育てる池だって言ってたな。大雨で増水した時なんかに他の池に紛れ込むと、パイクはそこにいる魚を食っちまうから、そうならないように一番下の段にまとめてあるんだってさ」

パイクは『川カマス』とも呼ばれている大きな魚で、海のカマスと同じように他の魚を襲って食べてしまう。
長生きして驚くほどでかくなる魚で、見栄えも食べ応えもいいので、エドヴァルでも祝いの席などでは割と食卓にのる魚だ。

しかし考えてあるなあ・・・
段々畑ならぬ段々池で、上から順に水を落として回すことで、池の水が濁らないようにしてあると同時に、もしも池から魚が流れても、大きな魚が小さな魚を食べたりしないように下の段に集めている訳か。

「これだけの池があれば、フォーフェンにも相当安定して魚を供給できそうだよな」

「だよね。しかも鮮魚を出荷するだけじゃなくて塩漬けも造ってるから、街や農村の方でも一定量はストックしておけるだろ? それに、塩漬けの方は常に一定量を伯爵家の倉庫で蓄えておいて、そこからはみ出た分を出荷する、みたいなやり方にしてあるってさ」

「なんでまた? 塩みたいに値段の調整とかか?」

「いや。なにかの事情で肉の供給に問題が出た時とかの為だってさ。肉が値上がりしても、魚が食えれば領民も少しは落ち着くってことなのかもね? まだ二年目だからたいした量じゃないけど、この先は毎年少しずつ倉庫を建て増していく計画だって聞いてるよ」

絶句した。
リンスワルド伯爵家って言うのは、一体どんな人たちなんだ・・・

「これだけ広い池だろ? 魚を狙って水鳥や獣たちも沢山寄ってくる。この養魚場には専属の狩人も常駐してて、そういう鳥や獣も、ついでの御馳走にされちまうのさ」

そう言ってレビリスはカラカラと笑い声を上げた。
それを見て、久しぶりにラキエルとリンデルを思い出したよ。
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