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第一部:辺境伯の地

苦いエールと香るエール

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結局、俺の経験と偏見による独断で『銀の梟亭』という名の宿屋を選んで一部屋を借りた。
まあ、ここまでの経路では『宿屋がある』というだけで上等だったんだから、選べるっていうのは贅沢なことだよね。

フォーフェンに入ってからも、ぶらぶらと店を覗き見ては、鍋を買ったりジャムを買ったりしていたので、部屋に荷物を置いて落ち着いた時には、少しばかり陽が傾き始めていた。
まだ明るいうちに装備の点検と手入れだけはしておきたかったので、とりあえずパルミュナには待ってもらって、食事に行くのは後回しだ。

さっき買ったばかりの銅の鍋を荷物から出して水を注ぐ。
「すまんパルミュナ、ちょっとこれを温めてお湯にしてもらえると助かるんだが...」

「いいよー!」

おっ、さっきのジャムのプレゼントでまだご機嫌なのか、カマド扱いだのなんだといういつものセリフは飛ばして、さっと銅鍋に手を伸ばしてくれる。

見る間に鍋から湯気が立ち始めてお湯になった。
さすがだなあ・・・

俺も早く、こんな感じにできるようになりたい。
ともかく、早速お湯を受け取って装備の点検と洗浄だ。

もちろん『ガオケルム』はウォーベアを斬った後にちゃんと浄化してチェックしておいたし、ラスティユの村を出てからの五日間で魔獣を斬るような事態は起こらなかったから、問題あるはずないのだけれどね。
純粋に気分の問題かもしれないが、今日のようなしっかりした宿屋に腰を据えると、浄化魔法頼りでは無く細かい部分も見直したくなるのだ。

++++++++++

一通りの点検と手入れを終えたら、ようやく晩ご飯だ。
お待たせパルミュナ。

「よし、これでいいや。晩飯だけど、パルミュナは何を食べたい?」

「うーん、エール?」
「それは飯じゃねえ。食いながら飲んでいいから、まずは食事内容を考えろ。固形物だ、固形物」
「でも、そもそも何があるか知らないしー」

「それもそうか...フォーフェンの名物ってもエール以外の話は聞いてないしな。まあ座って飯を食べさせるところなら、どこでもエールぐらい出すさ。適当な店を選んでおススメを聞いてみよう」

ガオケルムと身に着ける装備類は持つが、他の野営用の荷物は部屋に置いたまま出ることにする。

しっかりした大きめの宿を選ぶ理由の一つがこれだ。
安宿だと、部屋の鍵なんてあってないようなものだし、言っちゃあ悪いが、そもそも宿屋で働く人自体が信用できるかどうか微妙だったりするからな。
その点、荷馬車で来る商人が常連になっているような大きめの宿は、絶対とは言えないまでも盗難に遭う危険性は低い。
ただ、念のために侵入者を知らせるための結界を張る護符は動かしておこう。

「それ何やってんのー?」

「泥棒よけの結界を張る護符だよ。これを動かすと、邪な思いのある奴は入りづらくなる。決意のあるやつの侵入は防げないけど、結界の中に誰かが足を踏み入れたら、術者にはわかるから、急いで戻って来れば荷物を物色される前に間に合うかもしれん」

「えー、そんなのいらないよー。アタシが結界を張ってあげるー」

「おおっ、そう言えばその手があったか!」
「聞いてくれれば良いのにー」
「なんか、ずっと一緒にいて、これまで二人一緒に荷物を置いて離れたことなんかなかったから、気づかなかったよ」

「へっへー、大精霊のお役立ち度に慄くおののくがいいさー」

そう言ってパルミュナが部屋の真ん中で両手を広げると、彼女の足元を中心に魔法陣がさっと広がり、少しの間、瞬いてから消えた。

「これで大丈夫ー。普通の人なら部屋に入れないし、仮に入ってきても部屋にあるアタシたちの持ちものは何も見えないよー。ただの空き部屋に見えるだけー」

「なんて便利なんだ...ホント、一家に一つはパルミュナ欲しいよな!」
「だーかーらー! ライノも精霊魔法が身につけば、こんな程度の魔法はすぐに使えるようになるの!」

「ほんと?」
「もちろん、本当よー」
「ああ、じゃあ頑張るよ精霊魔法の修得」
「大丈夫よー。慌てなくてもすぐに使えるよーになるからねー!」

真面目な話、いい感じのところで中断気味になってしまった精霊魔法の練習を再開するためにも、しばらくは人目の少ないところに篭りたい気分だ。
旧街道の方に足を運んだら、少しは、そういうチャンスも出てくるかなあ?

「でもそれは置いていけよ...」

イチゴジャムの壺を抱えて部屋を出ようとするパルミュナを止める。

「だって、エールを飲みながら舐めると美味しいかなーって思って」

「えっ、そうかなあ?...まあ店によっちゃあ持ち込みを嫌うところもあるから、やめとこうぜ。もしも店のメニューにデザートみたいな甘いものがあれば注文してやるよ」

「やったー!」
「あれば、な。あるとは限らんから、あんまり期待しないでくれ」
「わかったー」

とりあえずジャム壺も部屋に置かせて、ドアには一応、鍵をかけてから部屋を出た。

まだ暗くなるまでは間もあるから、街の見物がてら近隣の店に足を伸ばしても良いのだが、この宿は一階に食堂を経営しているので、今日はそこで食べることにする。
もしもハズレだったら・・・部屋に持って帰るパンを買って、パルミュナにはジャムでも舐めてもらうか。

食堂に入ると、すぐに給仕の娘さんがやってきた。
動作がきびきびしているし、表情も朗らかで気持ちがいい。
経験的に思うのは、こう言うのも街の景気が良い証拠ってことだ。

何かの事情で不景気だったり、領主が曲者で住民が疲弊しているような街だと、働く人々の表情にすぐに不機嫌さが現れるからな。
稼ぎの良い商人たちだけでなく、給仕や丁稚や人夫といった、末端の雇われで働く人たちが明るい表情をしている街は、たいてい良い方向に進んでいるもんだ。

さて、晩飯だ。

給仕の娘さんに何があるかと聞くと、焼き物だったらバターを添えた川魚の塩焼き、煮物だったら羊肉の煮込みが今日のおすすめ定食だと教えてくれた。
パルミュナは肉が食べたいと言うので羊肉にし、俺はせっかくなのでこの食堂の名物っぽく紹介された川魚の塩焼きにした。
パンの他に付け合わせが選べると言うので、俺は茹でた野菜にして、パルミュナは煮込みに合わせるダンプリングだ。

もちろん、それとエール。

・・・なのだが驚いたことに、エールが三種類あるという。

最初は『エールをどれにしますか?』と言われて、聞き間違いかと思ったよ。
こりゃあ、ラキエルがエールの飲み比べを進めるはずだ。
てっきり、街の色々な店を回れという意味かと思っていたら、一つのお店で三種類のエールを試せるとはビックリですよ。

パルミュナが三種類とも飲みたがることは分かりきっているので、まずは、一つずつ違うもののジョッキを頼んだ。
ついでに、エールに合うと言われた腸詰の薄切りと、塩を振った葉物野菜も持ってきてもらう。
まるで給仕の娘さんの言いなりのように注文したが、初めての場所だし、郷にいれば郷に従え、だ。

テーブルを挟んで座った俺とパルミュナの前に二つのジョッキ、そして腸詰とちぎった野菜を重ねた皿、それに塩をたっぷり入れた小皿が置かれた。

「全然構わないんだけど、この塩は別料金?」
一応確認してみる。

「あ、そうか。お客さんはフォーフェンの方に来るのは初めてですね? ここは内陸ですけど、御領主様のリンスワルド伯爵の領地にある東の山脈で岩塩が出るから塩の値段は安いんですよ。その塩は葉物と腸詰の値段に入ってます」

「おおっ、それはいいな!」
「はい。ごゆっくりどうぞー」

「よし、明日はここで塩も多めに仕入れておこう。ひょっとしたら干し肉や塩漬け物も安く買えるかもしれないな」
「ライノって塩好きだから、よかったねー」

破邪は基本的に、あまり裕福ではない暮らしをしている物なので、モノの値段に敏感である。
俺だけではなく、破邪の一般論としてだ。
俺が特に敏感なのは塩の値段だが。

「じゃあ、かんぱーい!」
それぞれの手元に置かれたジョッキを持ち上げ、グイッと一口飲んでみる。

「うまい!」
「おいしー!」

「これ、良い香りだな。なんか、燻製っぽい感じの香りがするぞ」
「こっちのは苦いよー。でも苦いけどおいしー、不思議ー」
「へー」
「そっちのも頂戴」
「うん、じゃあ交換な」

互いのジョッキを交換して飲んでみる。
パルミュナが最初に飲んだ方のエールは、明らかに強い苦味がある。
ただ、苦いといっても焦げてるとかそう言うのじゃなくて、一種の薬草のようなすっきりした苦さだ。
これは腸詰にものすごく合うな!

「これも美味しいねー。風味?が独特な感じー」
「なんかクセになりそうな味だよな」

俺が最初に飲んだ方は、まるでエールを燻製したかのような香りがついていた。
いや液体を燻製するってどうやるんだよ?って思うけど、何か方法があるんだろうな。
普通にこうやって店で出している飲み物なんだから、魔法を使うとか、そんな大袈裟な話じゃないだろうし。

でもこっちも腸詰にメチャクチャ合うな!
そして、口が脂ぎったところで塩をたっぷりかけた葉野菜を摘んで、またエールで流し込む。
くー、たまらん!

二人とも、ほとんど同時に一杯目のエールを飲み干していた。

「次はどっちにする?」
「うーん、アタシはもう一種類のも飲んでみたいからそれー。ライノは好きな方を選んで」
「じゃあ、俺は今度は苦い方でもう一杯行ってみるかな」
「おねーさん、お代わりー!」
うん、俺も最初から飛ばしてる自覚はある。

だって、微妙な悩み事がずっと頭の中から離れないんだよ・・・
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