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第一部:辺境伯の地
ワンラ村を出て山道へ
しおりを挟む翌朝は夜明けと同時に鳥の声で目覚めたが、アルフライドさんと奥さんは、俺よりも一歩先んじてた。さすが農村の長だな。
「おはようございますアルフライドさん」
「ああ、おはようクライスさん、昨夜はよく眠れたかい?」
「ええ、お陰様でぐっすりです。破邪にとっては旅の途中でちゃんとしたベッドで眠れるなんて破格の待遇ですよ」
「そりゃ良かった」
「水でも汲んできましょうか?」
「いや、それには及ばないよ。汲み置きは十分にあるからね。すぐに朝食を出すから、部屋で娘さんと適当に寛いでるか自分のことでもやっててくれ」
「じゃあ、お言葉に甘えて、部屋で装備の手入れをさせててもらいます」
「うん、食事ができたら声をかけるよ」
俺は部屋に戻って昨夜はパスした装備の点検と手入れをすることにした。
窓を開けると、さっと明るい光が部屋を照らす。
部屋というか家全体が東に向いて建っているので明るくなるのが早いな。
装備の点検は、できるだけ明るいところでやるべきだから、却ってこの方がよかったかも。
パルミュナは、俺が部屋を出る時点で起きていたはずだが、まだ毛布の下で丸くなっている。
「うーん、朝は弱いっていう設定...」
「どうせ特にすることがあるわけじゃないからいいよ。俺も水汲みでもしようかと声をかけたけど遠慮された。お前も料理の手伝いとか言われても困るだろ?」
「まーねー。経験が少ないから得意とは言えないなー」
「むしろ料理の経験があることの方が驚きだよ」
装備の方は、もちろん問題ない。
ただ、こういうのは毎日でも見て、具合が悪くなる前に気がつくってことが大切なんだ。
そうこうしているうちに、アルフライドさんが朝食ができたと呼びにきてくれた。
++++++++++
驚いたことに、朝食には焼きたてのパンが出た。
俺たちのために、奥さんが昨夜のうちに仕込んでおいてくれたんだろうけど、なんだかここまでされると悪いなあ・・・
あの山賊落ちした破邪たちや魔物討伐のことだって、偶然通りかかったってだけに過ぎないのに。
「こんな美味しい焼きたてのパンが食べられるなんて、思ってもいませんでしたよ。奥さんも、ありがとうございます」
「いやいや、気にしないでくださいな。今日はちょうどパンを焼く日だったんですよ」
絶対に嘘だ。
パルミュナも、俺にしか分からないぐらい微かに眉を動かしたぞ?
この村では平地と違って薪は豊富だろうけど、小麦は貴重だろうに。
しかも、パンと一緒にテーブルの上には、何かの果物を煮込んだジャムのようなものまで小さな器に盛ってある。
きっと、冬の間大事に取っておいたドライフルーツとかで作ってくれたんだろうな。
言葉でも心の中でも気遣いに感謝しながら、平均的な農家としてはかなり豪勢な朝食を頂く。
朝食を食べた後に手早く荷物をまとめ、村長の家を辞去する時に、念のために目撃された魔獣のことを確認してみた。
「ところでアルフライドさん、村人が山奥で見た、大きな狼みたいな魔物っていう奴ですが、赤い狼だったとは言ってませんでしたか?」
「ん、赤? ああ、そうだな、言ってた言ってた。返り血を浴びたでっかい狼が現れて腰を抜かしてって言ってたから、赤いってのは、そういうことかな?」
やっぱりそうか・・・十中八九、ブラディウルフだ。
だとすると、人を見つけて見逃すような輩じゃないし、そもそもが、そこらに滅多にいる魔獣でもない。
多分、この村の住人なんて生まれてから一度も見たことはないだろうから、赤いマダラ模様の毛皮を、返り血を浴びていると見間違えるのも無理はないな。
と言うかまあ、普通の人ならブラディウルフを見た時は死ぬ時か・・・あの故郷の村の、俺の育ての両親のように。
「そうですか。だったら危険な魔獣の可能性があるので、俺も機会があれば騎士団の詰所にでも報告しておきます。アルフライドさんも、コリンの街に行くことがあったら、衛士たちにでも赤い狼のことを伝えておいてください」
まあ、今後も気をつけては欲しいが、この半月以上、二度目の目撃例も、村が襲われる気配もなかったということは、いまここで必要以上に怖がらせて対策に金を遣わせても仕方がないだろう。
どのみち本当にブラディウルフ相手なら、破邪か騎士団が討伐に出ないことには対処のしようがない。
木の柵だの魔獣よけの護符だので、どうにかなる相手じゃないのだ。
「うん、分かった、色々ありがとう」
「それは、こちらのセリフですよ。ほんとにお世話になりました」
俺は一応、宿と食事と薪の代金として幾許かでも払いたいと言ったのだが、しっかりと固辞された。
まあ、ここで代金を受け取る人なら、あんな豪勢な食事でもてなしてくれるはずもないよな。
感謝の言葉をさらに重ね、アルフライドさんに別れを告げて家を出る。
集落が山道へと繋がるところには、昨日とは違う若い男性が立っていた。すでに話が伝わっているらしく、俺とパルミュナを見ると、軽く手を振って挨拶してくる。
俺も手を振りかえして近寄り、村でお世話になった礼を言って、フォーフェンへ向かう道を再び歩き出した。
++++++++++
「フォーフェンの街へは、歩いてどのくらいかかるの?」
村を出てすぐにパルミュナに聞かれた。
ちなみに、俺もちょっと驚いたのだが、精霊たち(と言ってもアスワンとパルミュナの事だけしか知らないが)の知識はかなり偏っていて、魔法だけでなく、物語的な歴史や逸話、自然現象の事にはとても詳しいのに、いまのリアルな人の社会の事というか、現在進行形の国や政治の仕組みの事などには、とんと疎い。
なんていうのかな・・・ある土地についての地勢のことや、そこに住む動植物のことはよく知っていても、その場所がいま、どこの国や領主の土地になってるかとか、その境界線がどこかとか、はたまたそこにある街の名前とかは、まるで知らなかったりする。
それこそ吟遊詩人が歌にしたがりそう事件やエピソードは知っているのに、そこに出てくる人々にとっての『常識』は抜け落ちてたりするのだ。
これは人間系に対してだけでなく、エルフ系もドワーフ系も獣人系もそのほか押し並べて『人族』として括られている存在に対しては等しく同じだ。
精霊が関わっていない、人族だけの枠組みの中で完結してることには、本当にあまり興味がないんだろうな。
単に知らないというよりも、知ろうと思う気持ちがない。
興味ゼロ。
「そうだなあ...普通は本街道の方を通れば、コリンの街から歩いて八日ぐらいだろうな。今回は大回りするから、十日ぐらいか...途中でこの山道から旧街道に降りて進めばいくつか村があって休めるんだけど、そうすると、さらにプラス一日か二日ぐらいかな?」
「ライノの行きたいルートでいいよー。急ぐでも楽を取るでも、これでなきゃって理由はないもん」
「じゃあ俺の予定通り途中で旧街道には出ずに、本街道に突き当たるまでこのまま山道を進んだほうが早い。ただ、徒歩だと今夜と明日の夜は、たぶんどっかで野宿することになると思うから、そこは我慢してくれ。本街道に出た後は途中に街があるから、うまく移動すれば夜は街の宿屋で眠れるよ」
「分かったー、この先の山はあんまり人里もないってことねー」
「ああ。当面の食糧は俺が担いでいる分で足りるだろうけど、いい獲物がいたら狩ったりするかも」
「節約したほうが良ければ、アタシは食べなくても平気だから無くていいよー」
「それは、俺の心の平穏が乱れるから嫌だ。一緒にいる相手とは同じものを一緒に食べたいし」
「ライノってやっぱりやさしー」
「そういうのは別にいいです」
「ぶー。褒めてるのにー」
コリンの街で食料はたっぷり仕入れているので、現地採集がなにも出来なかったとしても、本街道へ抜けるぐらいまでの間なら問題ないはずだ。
「まあ粗食になっちゃうけど、二人で三、四日分くらいなら問題ないよ。この山は水が豊富だから、そっちは持ち歩かなくていいしな」
「いつもは水も持ち歩くのー?」
「もちろんだ。水魔法の使えない破邪なんていないだろうけど、はっきり言って魔法で出した水は不味い! 理由は知らんが不味い。普通なら、そのまま飲んだりする水は、沢や井戸で汲んで持ち歩いた方が何倍もいいね」
「へー、それは比べたことがなかったかなー」
「それに、南方大陸の方じゃ水がほとんど探せないって地域もあるしな。そういう場所で水魔法も使えない旅人なら、本当に持ち歩いてる水が生死を分ける」
「ライノは、南方大陸に行ったことあるんだ?」
「ああ、師匠と一緒の遍歴修行の時に何度かな。ただ、南方大陸は広いし、地域によってすごく気候が違うらしいから、俺が知ってるのなんて、ほんの一部分だけだと思う」
昨日と同じようにパルミュナと四方山話をしつつ、俺は精霊魔法の練習を続けた。
昨日、パルミュナから精霊の火の魔法は炎ではなく『熱』を出すのだと教えられ、まずはそれの習得を目指してみるのだが、これが中々に難しい。
試しに荷物の中から大事な銅のカップを出し、それに水筒から水を注いで、両手で包むように持って『熱を加える』という状態を試してみるのだが、一向にカップの中の水が温まってくれる気配はない。
破邪の魔法の炎だったら日常的に使っているのに不思議だ。
歩きながらじゃあ、精神集中の度合いが足りなさすぎるかな?
まあ、諦めずに地道にコツコツと練習しよう。
その日は、途中でたまに休憩をとった以外は、日が傾き始めるまで一日中、山道を歩き通した。
もちろん、歩きながらも魔法の練習は欠かさない。
この熱の魔法を習得しても終わりって訳じゃなく、まだ色々な魔法が控えてるっぽいからな。
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