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第69話 あと3ヶ月

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「で、どうだったよ?」

 注文を終えたあと、おしぼりとお冷をセッティングするという作業を忠実にこなしていた僕に、対面に座る涼介が貸した映画の感想を求めるようなノリで尋ねてきた。

「どうだったって、なにが」
「JKちゃんのことに決まってるじゃんか。その顔からすると、なんかあったんだろ?」

 日曜日、池袋のつけ麺屋。
 僕は今日、涼介と初めてのプライベートランチに臨んでいた。

 休日にも関わらず、彼の洞察力は相変わらずの鋭い。
 まるで、錆びることを忘れた鋭利なナイフのようだ。

「そんな顔、してる?」
「おう、してるぞ。なんつうか、死んでた魚が生き返ったような顔?」
「死んでたことには変わりないのか」

 非生産的なやりとりにデジャヴを感じながら、涼介に向き直る。
 彼には先日、日和の事で相談に乗ってもらっているから、一応報告はしておかなければならない。

「いろいろあったけど、まあ、なんとかなった」
「おお」

 涼介が大仰に身を引く。
 その面持ちからは、驚嘆と安堵の色が伺えた。

「てことは……JKちゃんの、件の事情は聞けたってことか」
「うん、あらかた把握した」
「ほう」
「けど……詳細は伏せさせてほしい」

 あの話を、第三者に話すべきではないと思ったから。

「おっけーおっけー。JKちゃんのデリケートな問題だからな。深堀はしないけど……結構ひどかったのか?」

 涼介の問いに、深く頷く。

 サンプルが少ないため一概には言えないところではある。
 ただもし自分が友人豊富な人生だったとしても、日和ほど壮絶なバックグラウンドを持つ者に巡り会える可能性は低いだろう。
 
「親に虐待されていてとか、そういう系ではない、とだけ伝えておく」
「なんか色々複雑そうだな。まあなんにせよ、どうにかなったんならよかった」

 言ってから涼介が、ニヒルな笑みを浮かべる。

「俺のアドバイスは、役に立ったか?」
「アドバイス?」
「話をひたすら聞いた後、頭を撫でて落ち着かせ、抱き締めて頭をぽんぽんする」
「うん、効果はあったかもしれない」
「だよなー、わかってた。お前にはまだハードルが…………へ?」

 鳩が豆鉄砲を食らったような表情をする涼介。
 余計な返答をしたかもしれない、と僕は思った。

 ゆっくり、ゆっくりと、涼介が口を開く。

「したのか、ハグとぽんぽん?」
「………………まあ」

 正確には、完全に流れでそうなったというか。
 ぶっちゃけ、あの時はそれどころじゃなさすぎて、涼介のアドバイスは一瞬も頭に過ぎらなかった。

 とはいえ、結果として内容どおりの動きを取ってしまった事には変わりないので、否定できない。

「ほーう、ほうほうほう!」

 涼介が突然、フクロウのモノマネをし始めた。
 無性に腹立つ頷きに氷点下の視線を投げかけると、涼介はキリッと表情を引き締めて、背後の敵を倒した戦友にかけるような調子で言った。

「やるじゃん」

 なにが、だろうか。
 
「おまたせしました~」

 注文していたメニューが到着する。
 僕が質問攻めにあうのを見計らって、店員さんが助け舟を出してくれたようなタイミングだった。

 これにあやからない手はない。

「これがうまいんだよなー」

 この店の名物である煮込み明太つけ麺を前にして、涼介が声を弾ませる。

 黄金色に輝く麺と、高級感のある土鍋。
 一般的なつけ麺のイメージよりも豪華な見栄えだった。

 小さな土鍋の蓋を開けると、明太子とかつお節風味の良い香りがぶわっと漂ってきた。
 グツグツと音を立てるつけ汁はとても濃厚そうだ。
 表面にはびっしり浮かんだ明太子、アクセントとして刻みネギや海苔、魚粉が添えられている。

 これは、とても美味しそうだ。

「いただきます!」
「いただきます」

 早速、麺を持ち上げる。
 すると涼介が、麺を一本だけちゅるりとすすっていた。
 
 つけ汁に、つけずに。

「味しなくない?」
「オンリー麺すすりだよ」
「なにそれ」
「知らんの? ほら、ラーメン系ヨーチューバーがやってる」
「知らない」
「まあやってみろって。麺単体の味が楽しめるぞ」

 以前の僕なら絶対にスルーしているところだが、素直に実行してみた。
 他人の意見も時として新たな発見につながるということを、最近学んだから。

「……小麦の風味を感じる」
「だろ?」

 麺単体のコシと、わずかに香る小麦の風味。
 これはこれで悪くない、新たな発見だと思った。
 
 つけ麺本来の食べ方を開始する。
 つけ汁に麺をリフトし、一気にすすった。

 瞬間、口の中が旨味が爆発する。
 明太子や魚介ダシ、しいたけやトマトなど細かく刻まれた野菜の旨味成分たちが麺と複雑に絡み合う。

 後から明太子のピリリとした辛味が追いかけてきて、二段構えの味を楽しめる仕様になっていた。

「これは美味い」
「だろ?」

 しばらくお互い、無言ですする。

 つけ麺は地元に美味しい店が無かったこともあって、東京に来てからもあまり訪れる機会はなかった。
 しかしここまで美味しいつけ麺に出会ってしまうと、認識を改めざるを得ない。

 日和が食べたらどんな反応をするだろう。
 ふと、頭を過った。

 若い男ふたりの旺盛な食欲によって、麺はすぐに無くなった。
 空になった容器を名残惜しげに見つめていると、涼介が尋ねてくる。

「残ったつけ汁に半ライスをぶち込むとうまいんだよなー」
「なにその悪魔のごはん」
「俺は半ライス頼むけど、お前は大丈夫だよな?」
「え、なんで?」
「や、お前少食じゃん」
「ああ……いや、まだいける」
「おっ? いいね。すみませーん」

 定員さんを呼ぶ涼介を眺めながら、自分の胃袋が今、何分目くらいか計測する。

 ……6分目くらいだった。
 どうやら本格的に胃袋がバグってきているらしい。

 どこぞのお隣さんによって、日に日に胃袋を掴まれただけではなく拡張されているようだ。

「さっきの話の続きだけどさー」

 定員さんがつけ汁以外の器を下げてから、涼介が切り出す。

「お前、完全に惚れられてね」

 唐突なぶっ込みに、反応が3秒ほど遅れた。

「誰が、誰に惚れてるって?」
「JKちゃんが、お前に」
「はい?」

 彼は一体、なにを言ってるんだろう。
 悪魔のご飯が楽しみすぎて頭がやられてしまったのだろうか。
 僕は同僚の精神状態を憂う。

 表情に出ていたのか、涼介が懇々と説明しだした。

「だって好きでもない男に頭撫でさせたり、ハグしたりしないだろ普通」
「普通がわからないからなんとも言えないんだけど……少なくとも日和のあれは、そういうのじゃないと思う」
「へえ、日和ちゃんって言うのか、名前」

 そういえば言ってなかったか。
 僕は日和を名前で呼び始めたのが、つい一昨日だった事を思い出す。

「とにかく、そういうんじゃないから」
「どうして?」
「確かに日和は……僕に甘えていると言ったけど、でもそれは、恋愛的なものというよりも、妹が兄に甘えるあの感じに近いと思う。年齢も僕の方が4つ上だし、そっちの方が納得できる」

 僕の説明を涼介はどう捉えたのか。
 腕を組み、大きなため息をついて、やれやれと頭を振っていた。

「日和ちゃんの事は置いといてさ」

 早速名前呼びに切り替えた涼介が、妙に真面目な顔をして訊いてくる。

「お前は、どうなの?」
「……どうって?」
「日和ちゃんのこと、どう思ってんの?」
「それは……」

 どう思ってるんだろう。
 考えたことのないテーマだった。

 必要性を感じてなかったのと、他人をどう思っているかを考えるほど人と関わりを持ってこなかったから。

 訊かれて、問いに答えなければならないという必要性が生じてはじめて、考える。

 ……嫌いではない。
 むしろ、日和が困っていたら助けたい、何か力になってあげたいと思うくらい、情が湧いている。

 ただそれが、恋愛的な感情なのかと訊かれると……わからない。

 そもそも恋愛的な感情ってなんだ?
 どんな基準でそれは測れる?
 なにがどうなれば、その人のことが好きという状態が成立するのだ?

 わからない。
 
 目に見える物差しがないと途端に思考の目印を見失ってしまう僕にとって、この問いは途方もない難問に思えた。
 新宿駅の巨大迷路から抜け出せない時の気分に陥り、口を閉ざす。
 
「こりゃ重症だな」

 黙り込んでオーバーヒートし始めた僕に、涼介がやれやれと息をついた。

「まあ、前にも言ったけど、こういうのは外野あれこれ言うより自分で段階を踏んだ方が良いと俺は思ってるから、変に口出しはしないけどよー」

 言ってから涼介は、くねくねと身をよじりながら「ぬあーっ、でも焦れってえー!」と謎の奇声をあげた。
 彼の奇行の心意はわからなかったが、僕に要因がある事は明白だろう。
 
「これだけは言えるけど」

 僕は涼介に向き直り、告げる。

「日和は、僕には勿体無いくらい……いい子だよ」

 明るく優しく面倒見も良く、家庭的な女の子。
 それに加え桁違いの美貌を兼ね備えているときたら、自然と周りに人の輪ができるのは必然とも言える。

 元来、僕なんかとは住む世界の違う少女なのだ。

 未だになぜ、僕なんかと行動を共にしてくれるのか、謎である。

「そう卑下すんなって。前にも言ったが、お前もちゃんとしたらかっこいいと思うし、良いところもたくさんあるぞ」
「お世辞はよせ」
「お世辞じゃないんだけどなー」

 ぽりぽりと、涼介が頭を掻く。

「あーでも」

 その動作が、何かに気づいたように止まる。
 
「今後のことを考えると、今の距離感がちょうど良いのかもな」
「今後のことって?」
「だってお前、あと3ヶ月で帰るんだろ?」

 涼介の言葉で、言葉を飲み込む。
 意識して考えないようにしていた事実。

 僕の休学期限はあと、3ヶ月。
 
 時を迎えたら、僕は。

「お待たせしましたー」

 締めの半ライスを持ってきた定員さんの声によって、僕の思考が中断させられる。

「お、きたきた」

 涼介の弾んだ声が、右から左に流れていく。

「これがまたうまいんだよなー」

 言いながら涼介が、残ったつけ汁にライスを投入していた。

 僕も同じようにライスを転ばせて、混ぜる。
 まるで僕ではない誰かに、手を掴まれ動かされているような感覚で。

 本来なら絶品のはずの明太つけ汁雑炊は、あんまり味がしなかった。

 多分時間が経って、徐々に満腹になってしまったからだ。
 そう考えることにする。

 食べ終えてから会計を済まし、店を出る。

「美味かったなー!」
「うん、美味しかった」
「やっぱ明太子の後引く辛さが癖になるよな」
「そうだね。麺もしっかり締められていて、スープとの絡みが最高だった」

 大通りの喧騒の中、涼介と歩きながらつけ麺の感想を言い合う。
 僕と涼介との食の方向性は結構似通っていて、それなりに会話が弾んだ。

「んじゃ、俺はこれで」

 涼介はこれから彼女とデートとのことだったので、ここでお開きとなった。

「彼女さん、池袋に住んでるんだっけ?」
「そうそう! 池袋の高校で教師やっててさ」
「なるほど、わざわざ改札まで、ありがとう」
「良いってことよ。で、また誘っていいか?」

 尋ねられ、考える。

 同僚との初めてのプライベートランチ。
 思ったよりも、充実していた。

 その感想が、僕に前向きな言葉を口にさせた。

「時間が空いてたら、また」
「おう」

 涼介に背を向けて、JRの改札をくぐる。

 冷たいホームで電車を待っていると、脳裏に様々な事が浮かんだ。

 帰省のこと、家族のこと、今後の自分のこと。

 そして、日和のこと。

「……だから、日和は関係ないって」

 無いはずなのに、なぜか。

「モヤモヤする……」

 ぽつんと溢れた小さな声は、ホームに到着した電車の音によってかき消された。
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